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三年目の花

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11部分:第十一章


第十一章

「すいません、もうすぐだったのに」
 彼は自分の疲れが悔しくてならなかったのだ。
「わしの責任やないぞ。御前のせいや」
 だが中村はそんな彼を責めた。
「わしがこれでクビになったら。わかっとるんやろな」
 この時だけではなかった。この一年を通じてのことである。彼はこのシーズン九勝を挙げていた。獅子奮迅の活躍であった。だが中村のこの言葉だったのだ。
「・・・・・・くっ」
 彼はその言葉に心の中で歯噛みした。そして以後無言でマウンドを後にした。
 マウンドには湯舟があがった。中村はこうした時の為に先発ローテーションの彼をブルペンに送っていたのだ。
「大事な試合やからな。用心しとかんと」
 これはピッチャーの豊富な阪神だからこそ出来る戦術であった。それを見た野村は眉を顰めさせた。
「ピッチャーが揃っとるチームはええのう。思い切ったことができるわ」
「しかし厄介ですね、湯舟とは」
「・・・・・・確かにな」
 それは野村にもよくわかっていた。
「そうそう簡単に打ち崩せる奴やあらへん。普段はな」
「普段は、ですか」
「そうや、あいつの顔を見てみい」
 野村はそう言うとマウンドの湯舟を指差した。見れば蒼白となっている。いつも淡々と投げる彼にしては珍しいことであった。
「ああした顔の奴は打てるんや。普段がそれだけ凄くてもな」
「はい」
「まあ打たんでもええかもな。まずはコントロールや」
 野村の言葉は的中した。普段の冷静さがない湯舟はコントロールが全く定まらなかった。秦の代打八重樫を歩かせて満塁とする。そして続くパリデスも歩かせむざむざ押し出しの一点を献上してしまった。
「一人相撲やな」
 野村は醒めた声で言った。
「こらあかん」
 中村は首を捻ってベンチから出た。
「まさかの時を考えてもう一人ブルペンにやっといて正解やったかもな」
 そしてピッチャー交代を告げた。今度は中西清起が出て来た。優勝の時のストッパーである。甲子園においても力投し水島新司の漫画『球道くん』のモデルにもなったと言われている。実際に水島新司という人は阪神に対して好意的であり何かと漫画に出す。『野球狂の詩』においては水原勇気が出ていた頃はおそらく半分程が阪神との試合であった。それ以上だったかも知れない。その前から何かと阪神との試合が多かった。
 その中西がマウンドに上がった。阪神としてはこれ以上の失点は絶対に許されなかった。
 打順は九番だ。ピッチャーの西村には流石に期待出来ない。ここは代打を送ることにした。
「代打、橋上」
 橋上秀樹を代打に送った。だがここは中西が踏ん張った。
 浅いセンターフライだった。新庄の肩では動くことはできなかった。
 これで二死満塁。阪神にとっては依然としてピンチだがようやくあと一人というところまでこじつけた。
「あと一人!あと一人!」
 三塁側から木霊する。その中を一番の飯田が進む。
「飯田!この前みたいにやってくれ!」
「そうだ、今はあのサヨナラの時だ!」
「わしはタイムマシンは持っとらんぞ」
 野村はベンチの中からそれを聞いて思わず苦笑した。
「しかし飯田は粘りがあるからな。どうなるか見物や」
 彼は既に腹をくくっていた。そしてマウンドにいる中西を見据えた。
「ほう」 
 中西は飯田のその目を見て笑った。
「いい肝っ玉しとるな。流石は一番バッターだけあるわ」
 彼は急に楽しくなってきた。
「じゃあわしも思いきり投げたる。それを打てるもんなら」
 セットポジションから腕を大きく振った。
「打ってみいや!」
 渾身の力で投げた。右腕がまるで蛇の様にしなった。
 剛球が音を立てて来た。飯田はそれから目を離さなかった。
「今だ!」
 タイミングを合わせた。バットを全力で振った。
 ボールは龍の様にしなりながら三塁線を飛ぶ。
「やった!」
 ヤクルトファンが叫ぶ。
「やられた!」
 阪神ファンが絶叫する。だがそれをオマリーが止めた。
「させへんわい!」
 守備には不安のある彼が横っ飛びで止めた。そして倒れたままの姿勢で一塁に送球する。
「いけるか!?」
「終わりか!?」
 両軍固唾を飲む。だがここは飯田の足が勝った。
「やったぞ、同点だ!」
「クッ、まだいけるわい!」
 ファン達もそれぞれの顔でそれを見た。だが池山が帰ってことに変わりはない。これで勝負はふりだしに戻った。
「動いたで」
 野村は笑っていた。
「これで流れは大きくうちに傾いたわ」
「そうでしょうか」
 例のコーチはまだ不安そうであった。
「まだまだわかりませんよ」
「甘いな」
 野村はそれに対して言った。
「こうした時は一気に決まるんや」
「一気にですか」
「そや。御前もそれはわかっとる筈やけれどな」
「それはそうですが」
 だがヤクルトである。毎年下位に甘んじてきたチームだ。それは中々実感できない。
「確信は出来ませんよ」
「まあな」
 野村はそこではとりあえず頷いた。
 
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