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ヒゲの奮闘

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第六章


第六章

「甲子園はそのままやけどな」
「阪神は色々あったな」
「優勝もしたし暗黒時代もあったな」
「長かったな、あれは」
 九十年代の長い低迷期のことを思い出していた。
「何時までも何時までも負け続けて」
「何もええことなかった」
「星野さん来るまではな」
「ホンマ碌なモンやなかったな」
 今彼等の下では星野により鍛えられた選手達が練習に励んでいた。白と黒のユニフォームが彼等を包んでいる。
「打つことはないしピッチャーもヘボで守備はザル」
「草野球以下って言われたな」
「中村も藤田も吉田もあかんかって」
「野村もなあ。さっぱりやった」
 とにかく何をしても駄目だったのが当時の阪神だった。優勝する、という言葉は毎年朝のテレ朝系列で盛んに言われていたが誰もホラだと思っていた。阪神だけであった。負けてそれが物笑いの種になり、優勝すると言えば馬鹿にされるのは。だがよく考えればそれは阪神に華があるからなのだ。負けてここまで言われ、話題にされる球団は他にはない。どの様な見事な負けでもそこに華がある、それが阪神なのだ。
「八木のホームランもな」
「その前の巨人にアホみたいに九点取られて優勝されたのもな」
「ホンマアホみたいな試合ばっかやったな」
「去年のシリーズもな」
「ボケ、あの話題出すなや」
 誰かがそれを聞いて露骨に嫌な顔をした。
「思い出したくもないわい」
「ものの見事にやられたからなあ」
「だからすんなって言うとるやろが」
「ああ、すまん」
「けれどな」
 その中の一人が言った。
「やっぱ、この球場はええなあ」
「ああ、阪神もな」
 皆それは同感であった。
「わし阪神以外はあかんな」
「そやな、阪神応援したら他のチームはもう応援できへんわ」
 それだけ阪神に思い入れがあるのである。ここまで愛されるのも阪神だけである。
「大勢の選手がここにおったな」
「そやったな」
 話す間に目が懐かしいものを見ていた。
「藤村もおったし別当もおった」
「ああ」
「吉田に三宅、田淵にカーランド」
「ブリーデンにラインバック」
「バース、掛布、岡田ってな」
「岡田はそこにおるぞ」
「おっと、そうか」
 見ればベンチから出て来て選手達の練習を見ていた。
「どんでんは今もおったわ」
「そやそや」
「ピッチャーもな。江夏にバッキーって」
 今度はマウンドを見ていた。
「小山にな。村山も」
「村山か」
 その名を聞くと一同しんみりとした。
「ええ男やったな、ホンマ」
「ああ、格好よかったわ」
「あんな凄いピッチャー、絶対出えへんで」
 甲子園のマウンドに仁王立ちし、巨人、とりわけ長嶋に果敢に立ち向かっていた村山はもうこの世の人ではない。二十一世紀を目前にして旅立っていたのだ。最後まで阪神のことを想いながら。
「阪神をトコトンまで愛してくれたしな」
「ホンマに阪神が好きやったからな」
 引退試合では江夏達に肩車をされて一塁側まで来たのだ。ライトスタンドラッキーゾーンのブルペンから。皆その時のことを思い出していた。そしてもう一人のことも。
「ヒゲもおったな」
「そやったな」
 その村山とバッテリーを組んでいた辻のことも思い出した。
「あの時はやってくれたな」
「あの時もや」
 かって引き分けになったあの試合のことを思い出していたのだ。脳裏にあの時のことが鮮やかに蘇る。まるで昨日のことであるかの様に。
「あいつも、もうおらへんねんやったな」
「今頃天国で村山と一緒に野球やっとるで」
「そうか、天国か」
 中にはどうしても辻がもういないことが信じられない者までいた。あの明るい笑顔がもうこの世のものではないことが信じられないのだ。
「今にもベンチから出て来そうやのにな」
「プロテクター着けてな」
「その辻も。おらんのやな」
 急にもの悲しい気分になる。
「村山も」
「昨日まであそこで投げて、打ってたような気がするのに」
「もう。おらへんのか」
「いや、そらちゃうで」
 悲しくなったところで誰かが言った。
「辻も村山もおるで」
「何処にや」
「ここにや」
 その誰かが言った。
「あいつ等は今でもここにおる。だからわし等もあいつ等のことを覚えとるんや」
「そうなんか」
「そや、見えへんか?」
 彼は他の者にこう問うた。
「あいつ等がおるのが」
「あいつ等が」
 皆その言葉を受けてマウンドに目を凝らした。
 すると不思議なことにそこに村山がいた。そして辻も。二人は何か話をしていた。
 分かれてそれぞれの位置につく。村山が投げ、辻が受ける。懐かしい場面がそこにあった。
「ほらな」
「ああ」
 辻は笑っていた。あの闊達な笑顔で笑っていた。彼等は今それを見ていたのであった。
「あいつ等もあそこにおる」
「わし等、何時でもあいつ等と一緒におるんやな」
「そや、阪神がある限りな」
「阪神がある限り」
「ずっとや」
 旅立った筈の戦士達がそこに集い、また野球をしている。阪神のユニフォームを着て。それが見えるのもまた甲子園である。
 ここには理屈はない。ただ野球があるだけである。戦士達の心は何時までも残っている。辻も村山もファン達も。彼等は阪神タイガースという球団が、甲子園がある限りそこにいるのだ。


ヒゲの奮闘   完

                  2006・6・24
 
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