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早過ぎた名将

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5部分:第五章


第五章

「監督にもフロントにも言わない、俺の胸の中にだけ閉まっておく」
 彼は前もってそう約束した。そしてレポートを書かせたのだ。
「まずは一人一人知っておかなくてはな」
 そこからはじめたのだ。
 やはり多かれ少なかれ不満や不安を持っていた。山田はそれを見てそのピッチャーに合わせた指導やアドバイスをすることにした。
「選手は機械じゃない、生身の人間なんだ」
 そういう観点から考えていた。そしてピッチャーの心理については特に気を使った。
「俺もピッチャーだった」
 山田はまずそこから考えた。そして現役時代の自分を思い出してみた。やはり色々とチームや監督に対して思うところがあった。
「西本さんには色々と教えてもらったな」
 彼は闘将西本幸雄の拳を受けながらエースとして育てられたのだ。それも思い出した。
「今は鉄拳は駄目だが」
 流石にそれは止めた。
「こうして見ると本当に色々な人間がいるものだ。だが一人一人伸ばしていこう」
 そしてピッチャーの側に立って常に彼等を育成した。時には仰木と衝突もした。
「投手コーチは監督と喧嘩するものだ」
 よくそう言われる。これは投手の起用を巡ってのことである。
「監督は毎試合エースを投げさせたいものだ」
 かって近鉄において仰木の下で投手コーチを務めた権藤博はこう言った。
「それを止めさせるのが投手コーチの仕事だ」
 ここには酷使で短い現役時代になった自身の経験もあった。
 権藤は常に仰木と衝突した。彼の奇抜とも言える作戦によく異を唱えた。そして最後はその衝突が限界にまで達し近鉄を去った。
 山田もそれは似たような状況であった。そして彼は権藤よりもさらにプライドが高かった。
「俺は西本さんからエースとしての教育を一から受けたんだ」
 そうした思いがあった。現役時代もそのプライドで監督である上田利治とは何処かギクシャクしていた。同期であり共に阪急お黄金時代を支えた福本豊に至っては一方的に嫌われていた。
 事の発端は些細なことであった。彼の投げている試合で福本がエラーをしたのだ。
「すまん」
 人のいい福本はすぐに謝った。だが頭に血が昇っていた山田はそれに対しグラブをマウンドに叩き付けたのだった。これで二人の関係は決定的な亀裂が生じた。
 こうしたこともあり山田はオリックスにおいても仰木とよく対立した。このシーズンもそうであった。
「強いチームでは監督と投手コーチは対立するものだ。そうでなければおかしい」
 山田はこう言ったが後に彼は中日のヘッド兼投手コーチに招かれる。そして監督である星野仙一の全幅の信頼の下中日を投手王国に育て上げる。そして見事リーグ優勝を達成した。
 こうした例もある。彼は自分を認める者に対しては従う。西本に対してもそうであった。
「西本さんがなかったら俺はここまでなれへんかった」
 彼もそう言った。彼もまた西本の野球を一から叩き込まれていたのだ。
 それは仰木も同じだった。近鉄のコーチとして常に側にあった。だが彼は三原脩の下で現役生活を送っていた。ここが彼と山田の違いだった。
 仰木の戦術戦略は明らかに三原の流れを汲むものであった。奇計を得意とし相手の裏をかく。それはオーソドックスな戦術で選手を基礎から手取り足取り育てていく西本のそれとは違っていた。そして仰木はスター選手を優遇する。彼は華のある選手を愛した。だが西本にそれはなかった。
「西本さんは誰でも同じ様に接した」
 そうであった。西本は相手がどんな実績を持っていてもそれに臆することはなかった。そしてどんな無名の選手でもこれだと思えば使った。
 現役時代山田のライバルであった近鉄の鈴木啓示も同じだった。彼は西本とことあるごとに衝突した。時には無名の若手を見習えとまで言っている。
「わしはそいじょそこらのヒョッコと違うぞ!」
 鈴木は激怒した。遂にはトレードまで直訴している。そこまで彼等は対立した。
 だが彼もやがてわかった。これは西本の愛情なのだと。本当に鈴木のことを考えて言っていたのだ。
 それが西本幸雄という男であった。山田は常に彼のことが念頭にあった。
「西本さんみたいになるんや」
 そう考えていた。自分のチームの選手に接する時もそれが出ていた。
 だが仰木は少し違う。従ってそうした面からも摩擦が生じるのは当然であった。
 この時もそうであった。二人の間に気まずいムードが流れた。
「わかりました」
 だが山田が折れた。
「平井でいきましょう。そして優勝しましょう」
「ああ」
 仰木は頷いた。こうして平井の投入が決定された。
「大丈夫か」
 山田はマウンドに昇った平井に対して声をかけた。
「任せて下さい」
 口ではそう言う。だがその表情は見ていられない程硬かった。
「そうか」
 山田は頷きはした。しかし結果はわかっていた。
「頼むぞ」
 彼はそう言ってマウンドを降りた。こうなっては後は全て彼に託すしかないのだ。
 
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