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最後の大舞台

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6部分:第六章


第六章

「皆わしを喜んで送り出してくれるんやな。出て行くのに」
 そう思うと気持ちが揺らいできた。
 試合終了後近鉄の引退する選手達のセレモニーが行われた。山本もその中にいた。
 山本の番になった。見れば観客席はまだ満員である。誰も帰る者がいない。
「ダイエーの負けた試合やのに」
 近鉄ファンもダイエーファンもいた。彼等は誰一人として席を立つことなく山本を見ていた。
「山本さんの番ですよ」
 球場を見回す彼に声がかかった。
「あ、はい」
 その声にハッとした。そして前に出る。すると球場を拍手が包んだ。
「まだ拍手してくれるんか」
 彼はそこでようやく目頭が熱くなった。
「そうか、この時の為やったんやな」
 ここでようやくあの時何故涙が出なかったかわかった。
 マイクが手渡される。そこで観客達の歓声は最高潮に達した。
「山本!」
 ダイエー側からも声援が起こった。
 彼はその声に顔を向けた。
「今まで有り難う!」
 見ればどの者も彼に暖かい声を送ってくれている。今はもう敵だというのに。
「・・・・・・・・・」
 もう言葉が出なかった。彼は涙でもう前が見えなかった。78
「わしは本当に幸せ者や」
 彼は心からそう思った。
「普通片方にチームからしか声援なんて贈ってもらえへん。いや、それすらもないもんや」
 ひっそりと去る選手もまた多いのがこの世界だ。
「そやのにわしは今これだけのファンに、両方のファンにここまで暖かい声と拍手を贈ってもらえる。プロ野球の選手として最高の花道ちゃうんか」
 そう思うともう胸が一杯だった。
「わしをこれだけ快く送り出してくれるこの人達の気持ちに報いらなあかんな。わしをこんなに愛してくれた人達の為に」
 決意した。未練は完全になかった。
「最高の花道や」
 今彼はその花道に一歩踏み出した。
「皆さん、最後まで有り難うございました!」
 彼はそう言うと四方八方に頭を下げた。
「皆さんのおかげでここまでやることができました」
 その声はもう涙の中に消えようとしていた。
「けれどもう思い残すことはありません。最高の野球人生でした」
 拍手が球場をまた包んだ。
「最後に、皆さんに言いたいことがあります」
「何だ!?」
 皆そこで思わず静まり返った。
 山本は涙を拭いた。そしてゆっくりと口を開いた。
「最後の最後まで何が起こるかわからない、それが野球なんです!」
 それが最後の言葉だった。福岡ドームはその言葉を聞き終わった瞬間今までで最高の拍手と歓声に包まれた。
 山本は花束を手に彼等に身体を向ける。そして全身で彼等の思いを受けた。
「最高や」
 彼は思った。
「わしは最高の野球人生を送った」
 また涙が溢れてきた。
「色々あったけれどホンマにもう思い残すことはあらへん」
 声援を受けながら花束を手にベンチへ向かう。そしてそこで振り返った。
「今まで有り難うございました!」
「また会おうな、千両役者!」
「あんたみたいないい男はこれからも頑張れや!」
 頭を垂れて挨拶した彼にファンからの声がまた降りかかった。
 その声の中彼はベンチの中に消えた。そしてその長く多くの出来事があった野球人生を終えた。
「人生色々あるわ」
 かって彼は言った。
「晴れの日ばかりやあらへん。雨の日もあるわ」
 幾度の波乱を送ってきた彼ならではの言葉である。
「陰に隠れなあかん時もあるやろ。じっと我慢せなあかん時もある。そして冬の時もある」
 彼はその時目の前に今までの野球人生を走馬灯の様に見ていた。
「けれどな」
 そこで優しい顔になった。
「何時までも降る雨なんてあらへん。隠れんですむ時も耐えたことへのご褒美が来る日もやって来る」
 そこでファンの声援を思い出した。
「そしてな、冬があれば春は絶対にやって来る。春のない冬はないんや」
 それが彼の野球人生の全てであった。彼はその最高の春を受け、そしてその中で花道の中を歩き終えたのであった。
「ホンマに何が起こるかわからへん」
 彼はニコリとして笑った。邪気のないいい笑顔だった。
「だからこそ面白いんやろな、野球も人生も」
 彼は今も野球を愛している。マスターズリーグでも活躍している。
「今も野球人やで」
 そう言う彼の背中は誰よりも頼もしい。そして誰よりも優しかった。


最後の大舞台   完



                   2004・8・11
 
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