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最後の大舞台

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1部分:第一章


第一章

                     最後の大舞台
 この世の中で最も気紛れな者は一体誰であろうか。それについて考えた者もいるだろう。
 よく言われることであるが運命というものは本当にわからない。人間は一寸先どうなっているか本当にわからないものだ。
 これは野球の世界では特にそうだ。急に輝きを発する選手も時にはいる。それは全て野球の神が決めることであり我々人間に決めることはできないのかも知れない。
 そうした選手はスター選手とはまた違う。彼等もまた独自の輝きを放ち、その光は美しい。この話はそうした中の一人であるある選手の話である。
 山本和範という選手がいた。これは本名である。登録名は時にはカズ山本となっていた。引退の時にはこれになっていた。
 彼程波乱万丈の野球人生を送った者もいないだろう。高校の時に一度留年して卒業の時には十九歳になっていた。そこで巨人のテストを受ける。
 彼は見事合格した。だが家族は反対した。
「そやけど」
「もう一年考えてくれ」
 プロは厳しい社会である。だから家族も反対したのだ。
 彼は涙を飲んだ。そして一年考えてみた。やはりプロへの思いは断ち切れるものではなかった。
 もう一度巨人のテストを受けた。だがこの時は不合格だった。
 だが南海のテストには合格した。そして入団しようとしたその時だった。
「おい、近鉄にドラフト指名されたぞ」
「嘘やろ」
 彼は友人にそれを聞かされた時思わずこう言った。
「わし、近鉄の人と会ったことも話したこともないで」
「そやけど実際に指名されとるぞ。何なら新聞見るか?」
「ああ」
 彼は狐につままれたような顔をして新聞を広げた。そこには確かに彼の名があった。
「ホンマやろ」
「ああ」
 だが彼はまだ信じることができなかった。
「何で近鉄なんや」
 そう思いながらも近鉄に入団することになった。断る理由もなかった。
 ピッチャーとして入団した。入団して彼ははりきっていた。
「あの人みたいになるで」  
 あの人とは当時近鉄のエースだった。鈴木啓示である。この時にはもう阪急の山田久志と並んでパリーグを代表するピッチャーとなっていた。
 彼は練習に励んだ。だが入団して一週間後のことであった。
「おい」
 そこに片手にウイスキーの瓶を持った男がやって来た。
「はい」
 山本はそちらに顔を向けた。
(何や、この人は)
 彼はその男を見てまずそう思った。
(いや、待てよ)
 確かコーチの一人の筈だ。小柄で飄々としている。名前は仰木といったと記憶しちえる。
(そうや仰木コーチや。それにしてもグラウンドで酒飲んどるとはまた凄い人やな)
 仰木はそんな彼の考えなぞ一切構わずこちらにやって来た。
「御前な」
「はい」
 山本は姿勢を正して彼に挨拶した。
「ピッチャークビだ」
「えっ!?」
 山本はその言葉に思わず目が点になった。
「御前は見たところバッティングのセンスの方がええ。それに肩も脚も悪くないしな」
「はあ」
 彼はまだ自分が何を言われているかよくわからなかった。
「だから外野になれ。ええな」
「はい」
 仰木はそれだけ言うとスタスタとその場を去った。こうして彼は外野手となった。
 外野にはなったが彼の出番はあまりなかった。それでも彼はオフに土木作業のアルバイトをしながら働いた。
「身体も鍛えられるし金ももらえる。丁度ええわ」
 そう言いながら明るく野球をしていた。例え出番がなくとも懸命に野球に取り組んでいた。
 男前でもなくプレーも華麗ではなかった。だから人気もなかった。
「それでもええよ」
 彼は言った。サインを頼みに来るファンには誠実に接した。特に子供には優しかった。
「あいつは物凄いええ奴やな」
 チームメイトはそんな彼を見てこう言った。そんな彼がオープン戦遂にチャンスを与えられた。主砲マニエルの後の五番を任されたのだ。
 だが凡打ばかりであった。そして最後には代打を出された。これで彼のチャンスはなくなった。
 当時の近鉄には平野光泰、栗橋茂、佐々木恭介、島本講平と多くの人材がいた。左では栗橋がいたが彼はスラッガーでありそうそう簡単にはレギュラーのポジションは得られなかった。こうして彼は代打に回された。
 
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