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二日続けての大舞台

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第五章


第五章

「流れが変わってきた。もしかすると、もしかするな」
 ここで打席に立つのは有田。勝負強い男である。
「監督、どうします?」
 南海ベンチでコーチの一人が穴吹に尋ねた。
「そうやな」
 問われた穴吹は山内を見て口に左手を当てた。
「山内の調子はここにきてもええ。それに」
 この前のことがある、とは決して言えなかった。だが脳裏にはあの場面が残っている。替える気にはなれなかった。
「このままいくで」
「はい」
 コーチも同じであった。加藤のホームランのことが頭にあった。彼等は山内続投を決めた。
 近鉄ファンはサヨナラへの期待に胸をワクワクさせている。彼等は興奮状態にあった。
 その中で山内のコントロールに狂いが生じた。有田を歩かせてしまう。
「まずいなあ」
 香川はそれを見て思った。流れはもう完全に近鉄のほうにある。だが山内はボールのノビもキレも落ちてはいない。もしかすると、とは思ってもやはり抑えられると思えた。
 岡本はここで動いた。審判に代打を告げる。
「代打、柳原」
 柳原、その名を聞いて香川はホッと胸を撫で下ろした。
「よかった」
 彼なら抑えられる、そう思ったからだ。
 彼には弱点があった。変化球に弱いのだ。だからこそ今一つ大成しないでいたのだ。
 だが岡本は彼にかけた。そのパワーにかけたのだ。
「頼むで」
 岡本は彼を見て言った。半ば祈るようであった。
 しかし香川は落ち着いたものであった。冷静に山内にサインを送った。スライダーだ。
「よし」
 山内はそれに頷いた。それを引っ掛けさせ併殺打にする狙いであるとわかったからだ。
 一球目は外角へのスライダーだった。だがそれは外れた。
「一球位はいいか」
 香川はそれを受けながら思った。球場は最早完全に近鉄への応援になっていたがそれでも彼は冷静なままであった。そうでなくては捕手は務まらない。
「またスライダーでいこう」
 山内はフォークも投げることができる。だがそれは考えなかった。
 満塁である。捕球がストレートやスライダーに比べて難しいフォークではパスボールの恐れもある。こうした場面ではあまり投げるボールではない。ましてやフォークはすっぽ抜けることも多い。かって我が国ではじめてフォークを駆使した中日のエース杉下茂も実はフォークは多投しなかった。彼はこう言った。
「フォークは一歩間違えると長打になる危険なボールだ。それにこっちにフォークがあると思わせるだけで有利になるんだ」
 彼はそれよりもストレートのコントロールを重要視した。フォークを武器としているだけにその弱点もよく知っていたのだ。
 香川もそれは知っていた。だからスライダーで攻めることにしたのだ。
「この人にはスライダー一本やりでいこう。それで抑えられる」
 そう思った。そして次のサインもやはりスライダーだった。
 山内もそれは納得した。彼も柳原が変化球に弱いことは知っていたのだ。
 そのスライダーは真ん中に入った。甘い球だ。だがいつもの柳原には打てないボールだ。
(引っ掛けてくれよ)
 香川はそう思った。バットを振ってくれることを願った。そして柳原は振った。
(よし!)
 彼はここで会心の笑みを浮かべた。勝った、そう確信した。
 しかしこの日の柳原は普段の柳原ではなかった。彼は無心のままバットを振ったのだ。
「いける!」
 彼はバットを振った瞬間そう思った。変化球に対する意識はこの時不思議な程なかった。ストレートを打つ時と同じように無心で振った。
 振り抜いた。無心だっただけに打球は派手な音と共に飛んだ。
 弾道は低かった。香川はそれを見た時しまった、と思った。
「同点か」
 打球は左中間に飛んでいる。だが低い。勢いもある。狭い藤井寺のことを考えるとヒットで済む。
「西武球場や後楽園じゃなくてよかったな」
 この時は狭い藤井寺に感謝した。しかしそれは一瞬だけだった。そう、藤井寺は狭いのだ。
 打球は一直線にスタンドに入った。弾丸ライナーでレフトスタンドの最前列に飛び込んだ。
「え・・・・・・」
 香川は最初目に映るその光景を信じられなかった。夢でも見ているのかと思った。
「嘘だろう!?」
 山内もそんな顔をしていた。彼等だけではない。南海ナインもベンチも同じだ。しかもそれは近鉄側もであった。
 打った柳原も呆然としていた。しかしそれは一瞬のことだった。彼等はその瞬間時を止めてしまっていたのだった。
 球場内が爆発的な歓声に包まれた。柳原はその声にようやく我に返った。
「ホンマのことやったんか!?」
 彼は狐につままれたような顔をしていた。
「おい柳原、はよベースに向かわんかい!」
「ボサッとしてベース踏み忘れるなや!」
 観客からの声が飛ぶ。彼はそれに従うようにようやく一塁ベースに向かった。
 そしてゆっくりと回った。ホームではナインが総出で待っている。
「よっしゃあ!」
 ホームを踏んだ彼はもみくちゃにされる。まさかの代打逆転満塁サヨナラホームランであった。
「まさか二試合続けて起こるなんてな」
 香川は顔を顰めながら言った。まだ信じられなかった。
「けれどこんな体験した野球選手って他にいないだろうな。悔しいけれどそう思えばいいか」
 あまりのことに今でも悔しさはない、と香川は言う。
「あの時は別ですけれどね」
 ここで彼は苦笑した。
「けれどこれが近鉄の野球、パリーグの野球ですね」
 パリーグで過ごしてきた彼はここでこう言う。
「こんなことはセリーグ、いや他の国のどのリーグでも起こりません。パリーグだからこそ起きるんです」
 その声は熱いものであった。彼にしては珍しい。
「僕はパリーグにいてよかった、と思っています。本当に。こんな熱い、素晴らしい野球ができたんですから」
 彼はそう言うと今日もパリーグの試合を観に行く。解説者として。
「世の中の人はまだ巨人巨人と言いますけれど少なくとも僕は違いますよ」
 加藤秀司も同じことを言う。
「パリーグの野球こそ最高です。あんな素晴らしいものが見られるんですから」
 二人は今も野球を愛している。パリーグの野球を。この素晴らしい野球の中で育ち、生きてきた男達は何時までもその世界を愛しているのだ。



二日続けての大舞台   完


                   2004・7・31
 
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