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月見草

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第二章


第二章

 野村は戦ってそれを実感した。近鉄は確かに強くなってきていた。
「近いうちに日本シリーズに出るな」
 ある日負けてこう思った。
「ここまで強くなったらな。もうすぐや」
 こう一人呟いて球場を後にした。そして西本も言った。
「ノムはずっと見ていきたい」
 こう言ったのである。
「野球人としてのあいつとずっと見ていきたいな」
「野村さんをですか」
「ずっとなんですね」
「そや、ずっとや」
 周りの言葉にも確かに頷くのだった。
「見ていきたいな」
「それで監督」
「野村さんはこれからどうなりますかね」
「最後までユニフォーム着てるやろな」
 野村に対する言葉であった。
「最後までな。あいつはそういう奴や」
「最後までですか」
「ユニフォームを」
「どんなことがあってもくじけんでいて欲しい」
 これが敵への言葉である。
「そして最後までユニフォームを着るんや。あいつはな」
 野村をずっと見ながらいつもそう思っていたのだった。その彼を見る西もとの目は限りなく温かかった。それはこの時も変わらなかった。
 野村はある事情で南海の監督を解任された。シーズン終了間際に突然である。そしてその年の年末に突然公の場に出て来て騒動を起こした。
「ドン鶴岡に辞めさせられた」
 その鶴岡に辞めさせられたというのだ。これで年末年始野村は自分で己を騒動の中に置いた。
 誰もが彼を批判し叩いた。正月も周りに人はなく年賀状も殆どなくなった。しかしその中で。一枚の年賀状が彼のところに来た。
 西本のものだった。その年賀状には強い字でこう書かれていた。
「頑張れ」
 と。既に彼は事情は知っていた。しかしその野村に対してこう書いた年賀状を送ったのである。
「・・・・・・・・・」
 野村は何も言わずその年賀状を収めた。彼はこの後ロッテに入る。オープン戦で近鉄とはじめて対戦した時。ロッテのユニフォームを着た彼は西本の前に来て軽く会釈した。
 西本も無言で小さく頷く。それで終わりだった。
 それから二年後近鉄は見事リーグ優勝を果たした。野村はそれを見て言った。
「やっぱり西本さんはやったわ」
 微笑んでの言葉である。
「近鉄も優勝させたわ。ホンマモンやわ」 
 こうまで言って褒めたのである。その微笑みは実に優しいものだった。
 そして西本の引退の時はこうも言った。
 西本の引退は素晴らしいものであった。今率いている近鉄の選手だけでなく彼がかつて率いていた阪急の選手達にまで胴上げされるかつてないものだった。二つのチームから胴上げされた野球人は彼が最初であっただろうか。少なくともこれまでないものだった。
「最高の引退試合や」
 野村はその西本の姿を見て言うのだった。
「西本さんにしかされん。そんな胴上げやな」
 彼は西本を認めていた。その気持ちを隠すことはなかった。だが彼は自分のことはこう言ったのであった。
「けれどわしにはないな」
 また自嘲めかして言うのである。
「わしは月見草や。現役もそっと終わった」
 西本の引退の前年にユニフォームを脱いでいた。この時長嶋が監督を退任し王が引退した。それに完全に隠れてしまったのだ。
 その実績を考えれば寂しい引退である。そのことを言っているのだ。
「まあそれがわしや。寂しいだけましやな。石投げられて終わるよりは」
 最後も自嘲めかした言葉だった。しかし彼はそれから十年の時を置いてヤクルトの監督になった。お世辞にも強いとは言えないヤクルトを三回も日本一にさせた。 
 これにより野村は知将と謳われた。しかし彼は言うのだった。
「世の中八回もシリーズに出た人がおる」
 明らかに西本のことだ。
「その人に比べればわしはまだまだや」
「ですが三回も日本一になったじゃないですか」
「そうですよ」
 周りはその彼にこう言うのだった。
「それはやっぱり凄いことですよ」
「滅多なことじゃないですよ」
「三回日本一になって五回シリーズに出てもや」
 しかし彼はその周りにまだ言うのであった。
 
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