| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

楽しみ

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第五章


第五章

「それでや」
「ええ」
「そっからは辛かったな」
「そうですね」
 その言葉には残念な顔で頷いた。
「本当に。何もなくなって」
「すぐやったもんな」
 中沢さんもその言葉に顔を暗くさせる。阪神が長い低迷に入ったのはそれからすぐだった。優勝して僅か二年後であったのだ。
「それまでは昭和五三年の一回だけやったのな」
「それからどれだけなりましたっけ」
「さあなあ」
 お互い思い出したくもない程だった。あちこちで笑われる程阪神は弱かった。
「何をやってもあかんかって助っ人なんか」
「全然でしたね」
 これは野村が監督をしていた頃が一番酷かった。
「あそこまで駄目なのばかり」
「見る目がなかったんや」
 中沢さんは忌々しげに吐き捨てた。
「スカウトとかフロントのな」
「特にグリーンウェルですね」
 一番思い出したくない名前だ。
「あの駄目外人」
「あら駄目っていうレベルやないわ」
 また忌々しげに言うのだった。
「詐欺師や、あれは」
「全くです」
 契約してから長い間来日せずにゴールデンウィーク前に少し来て帰って引退した。これだけだがこのことを言うと怒り出す阪神ファンは今も多い。
「何しに来よったんや」
「小遣い稼ぎですかね」
「そやろな」
 忌々しげな顔のまま頷く中沢さんだった。
「あれはな」
「バッターはとにかく外しましたね」
「どいつもこいつもな」
 中沢さんの顔は忌々しげなままであった。
「ヤクルトばっかりええのが当たってな」
「ヤクルトですか」
「そっちも覚えてるで」
 あの頃阪神にとってヤクルトは忌まわしいまでの天敵だった。巨人にもやられっ放しであったがそれ以上にヤクルトに負けまくっていたのを思い出す。
 一番覚えているのは十連敗した後でやっと一勝した。その後七連敗して最後にヤクルトに十九点取られて負けた。はっきりと覚えている。
「ヤクルトにでしたね」
「九二年やったか」
「はい」
 僕達共通の二度と見たくない数々の光景が思い浮かぶ。
「あの頃は儚い夢やったな」
「本当にあっという間でしたね」
 僕はそれに応えて言う。
「優勝できたとか長いトンネルを抜けたとか」
「ああ、そやな」
 僕達の顔は同じものになった。同じくうんざりとした顔になった。誰もいないグラウンドを見てあの時の数々の忌まわしい思い出がフィードバックしてくるのだ。
「亀山がおって新庄がおって」
「はい」
「藪とか湯舟が出て来てなあ」
「珍しく助っ人も当たりましたし」
 本当に珍しかった。
「オマリーなあ」
「それとパチョレックも」
 全てが懐かしい。太洋にいた彼も縦縞のユニフォームが本当に似合っていた。阪神のユニフォームというのは実に不思議なものでどんな人間が着ても似合うのだ。それが非常に不思議な話だ。それは巨人の選手でもだ。
 巨人から運命のトレードで阪神に来た小林繁だが彼は阪神の服が非常に似合っていた。まるで最初からいたようにだ。その服で甲子園のマウンドに立ち古巣巨人のバッター達を次々と屠っていった。思えば江本もまた阪神のユニフォームが似合っていた。彼は江夏とのトレードの結果であったがそれでも生粋の阪神人のようであった。
「いけると思ったんやが」
「八木のアーチが」
「残念なことやった。あそこで勝ってれば」
 甲子園の一戦だった。岡林が力投し阪神の前に立ちはだかった。途中から出て来て延長十五回を投げきった。その力投は見事だった。岡林は当時の弱体だったヤクルト投手陣の中で戦い続けていた。敵ながら見事であった。
「優勝でしたね」
「そやったろうなあ。あの白い電光にな」
 甲子園のバックスクリーンの光は白だ。今度はその白い光を目に浮かばせる。
「阪神の選手の名前が映ってな」
「シリーズに」
「そっからやったな、また」
 楽しいのは一年で。そうして何も残らなかった。後は果てしない長く長く暗黒時代が再開して続いたのであった。
「ピッチャーだけはよかったんやけれどなあ」
「中継ぎとか」
「うちはピッチャーにはあまり困らん」
 こうも述べる。
「幸いにしてな」
「けれどピッチャーだけでは勝てませんね」
「それを思い知ったわ」
 口をへの字に曲げて言ってきた。
「打たへんとな。何にもならへんわ」
「全くですよ」
 あの時の阪神はとにかく打たなかった。だから勝てなかった。ピッチャーも人間だから打たれる。そうした時にこっちが打たないと勝てない。野球のルールはある意味非常に単純だ。相手よりも一点でも多く取った方が勝ちだ。しかしあの頃の阪神はそれがなかった。天が取れなかったのだ。しかも全くである。
「何にもならんかったな」
「そうですね、本当に何も」
「今までも打たへんかった」
 実は小山や村山の時代がそうだった。全く打たなかった。
「それでも勝てたんは気迫やったんやな」
「気迫ですか」
「そうや」
 中沢さんは言うのだった。
「あの時の江夏も村山も鬼気迫るもんがあった。けれど今は流石にそんなピッチャーおらんやろ」
「いないですね」
 何処を探してもいない。能力はあっても気迫があるのはそうはいない。ましてや江夏や村山の気迫は人間の域を越えていた。村山はマウンドに全てを賭けて投げていた。ボールに命を込めていた。そこまで言われている。そんなピッチャーが今いるかというと無理だ。そこまでは流石に無理なのだ。
「やっぱり」
「おらんわ」
 中沢さんの言葉も決まっていた。
「絶対にな。気迫まで受け継ぐのはやっぱり無理なんや」
「だから江夏も村山も凄かったってことになるんでしょうが」
「そや。その村山もおらんようになったし」
 村山実ももういない。阪神の行く末を憂いながらこの世を去ってしまった。最期は阪神のユニフォームを着ていた。栄光の十一番をだ。
「何ものうなった感じやったな、本当に」
「野村になっても全然やったしな」
「はい」
 苦い顔で頷いた。
「全然勝てませんでしたね」
「打つこともないしエラーばっかりやったしな」
 その通りだった。野手は何もなくエラーばかりを繰り返していた。打たないだけではなかった。守れもしなかった。それが敗戦に直接つながり負けていっていた。そんなことばかり覚えている。相手のチームの攻撃時間ばかりが長かった。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧