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碁神

作者:Ardito
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早とちりは俺の悪癖です。

「やっと気づいたか」

そう言って美鶴先生改めMituruが嬉しそうに笑う。
そんなMituruに、俺は血の気がザアアアっと引いていくのを感じた。

Mituruはネットの友だちで、職場のことなんて教えてなくて、でもそういえばアイツは俺のリアル情報を知りたがってて……そして今、目の前に何食わぬ顔でいる。

――リアル、特定された?

大したリアルの情報なんて教えてない。 あんな僅かな情報で特定したのか? なんで、そこまでして……俺をプロにしたいから? リアルで俺と打ちたいから? それとも――

「――Si-Na?」
『――隆也』

ガタァァンッ

Mituruの声に忘れたはずの忌まわしい声が重なる。
本能的な恐怖から、思わず立ち上がり後ずさった。

「椎名先生?」
「シーナちゃんどーしたの?」
「だいじょーぶ……?」

子ども達の声にハッと我に返る。
そうだ、教師の俺がこんなうろたえていたら子ども達に心配をかけてしまう。

「す、すまん……ちょっと、ガスコンロの火がつけっぱなしだったの思い出して……」
「はー!? 何やってんのシーナちゃんっ。 それやばくない!?」
「もーどんなタイミングで思い出してんの。 香坂先生と何かあんのかと思った」
「え、てかもう放課後だけど火事になってないよね?」
「ああ、もし火事になってたら学校の前を消防車が通るから、まだ大丈夫のはずだ。 でもこの後火事になるかもしれないし早く帰らないと――」

嘘をつくのは心苦しいが、信じてくれたようで良かった。
どういうつもりで学校にきたのかすぐにでも問い質したいが、それは子ども達の居ないところでだ。
一先ず、この対局を終わらせなくては――って、あ。

「10秒過ぎちゃった、な」
「良いですよ、長考で過ぎたわけじゃありませんし。 ちゃんと計ってるわけでもありませんしね」
「……ありがとうございます」

少々複雑だがMituruの言葉に甘えることにする。
こんなことで一敗するのは嫌だったし、しかももう、終わるのだ。
今まで美鶴先生の方が格上だと思って慎重に打っていたが、相手がMituruなら話は別。

そう思って椅子に座ろうとし、ガクリとバランスを崩す。

「っ!?」
「わっ、椎名先生、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、悪いな」

後ろで対局を見ていた安藤がひっくり返る前に支えてくれて助かった。
椅子を確認すると倒れている。 さっき後ずさった時に倒してしまった様だ。
椅子を直そうと手を伸ばすと、それも安藤がサッと直してくれた。

「ありがとな」
「……無理、しないでくださいね。 顔色悪いですよ」

笑顔で礼を言うが、小声で顔色を心配されてしまった。
あーもう、教師が生徒に心配されてどうするんだ!
しっかりしろ、俺!

椅子に座り直しMituruに向き直る。

「失礼しました。 それでは、遠慮なく」

有言実行。 言葉通り、遠慮なく石を急所に叩き込んだ。
これで、この後仮に俺が下手を打ったとしてもギリギリ逆転は不可能。
終わりだ。

「……っ! ……ありません」
「ありがとうございました」

Mituruは少し顔を歪めたものの、仕方なさそうに笑って投了した。
実力が互角の俺に、置き碁で勝てるはずが無いのはMituruも分かっていただろう。
あまり悔しそうでは無い。

「すげー! 香坂先生に勝った!」
「馬鹿、置石してたからでしょ」
「でも凄いよ! 三子でプロに勝っちゃったんだよ!?」
「途中からどっちが勝ってんのか全然わかんなかった……」
「それよりセンセー早く帰んないと! 火事になるよっ」

生徒に促され、椅子から立ち上がった。

「そうだな。 それじゃあ、美鶴先生。 片付けは大丈夫なので最後に一言お願いします」

Mituruも頷いて黒板の前まで行き、子ども達を見回した。

「えー、最後に格好悪いところを見せてしまったが、君たちの顧問の先生はトップクラスのプロにも匹敵する実力の持ち主だ。 彼についていけば間違いなく強くなれる。 現状でも基礎力は十分にあるし、なかなか面白い発想をする子が多くて今日は私も楽しめたよ。 君たちのこれからを楽しみにしている。 以上だ」
「「ありがとうございましたー!」」

○ ● ○

静かな相談室で香坂美鶴ことMituruと向き合う。
緊張で心臓がズクズクと痛む。
しかし、Mituruは気負う事無く自然体だ。
余裕あり気な態度に恐怖感が募る。
それを悟られないよう、俺は強く美鶴を睨みつけた。

「で、どういうことなんだ?」
「何がだ?」
「何が!? 何でお前がここに居るのかってことに決まってるだろ!」

白々しい言葉に思わず語気を荒げるとMituruは困惑したように眉を顰めた。

「何でって……囲碁指導のボランティアだが?」
「は……?」
「偶然選んだ中学にまさかSi-Naがいるとは思わなかった。 本当に先生になっていたんだな」
「ぐう、ぜん……? じゃあ、リアル特定したとかじゃなくて、本当にたまたまこの中学に?」
「リアル特定? そんなことするはず無いだろう。 ……まぁ、リアルを質問攻めにした過去がある以上、説得力無いかもしれないが――」

Mituruの言葉に愕然とする。
偶然、という選択肢を考えていなかった。
それが一番自然な選択肢だったのに。

「いや……信じる。 偶然、偶然かぁー……」

ほっとして脱力し床にしゃがみ込む。
あー……安心したらだんだん恥ずかしくなってきた。
自意識過剰過ぎだろ……Mituruは善意で来てくれたのに、何言ってんだ俺。 恥ずかしすぎる。

「俺は、Si-Naに会えて結構嬉しかったんだが――どうやら迷惑だったようだな……」
「い、いや! そんなこと無いぞ!」

Mituruの悲しげな言葉に慌てて立ち上がる。

「子ども達も喜んでたし、良い経験になったし――その、急だったから少し驚いて……早とちりして悪かったな」
「迷惑じゃないなら良かった。」

理不尽に怒鳴られたのに笑って許してくれる美鶴に、羞恥心と罪悪感が募る。
うわあもう恥ずかしい! 俺の馬鹿野郎ー!
数分前の俺を全力で殴りたいです!

「それで、土曜日の件だが――」

土曜日……そういえばそんな約束したな。
いや、忘れてたわけじゃ無いぞ?
色々あったせいで、ちょっと意識の外に行ってただけです。 本当です。

「……しょっちゅう打ってるんだし、またネット碁で良いんじゃないか?」
「何を言う。 ネット越しに打つのと直接打つのでは全然違うだろう。 せっかく会えたんだ。 もう長い付き合いなんだし、そろそろオフ会の一つや二つ、あっても良いんじゃないか?」
「オフ会ね――まぁ良いけど、でも場所どうすっかなぁ」

タイトルホルダーと打てると思ったからこそ遠出でも何でもするつもりだったが、相手がMituruじゃあ遠出する気にはなれない。
とは言え、今回のことでMituruには借りも出来てしまったし、蔑ろには出来ないよなぁ。
行った事無いけど、碁を打つところと言えば碁会所か?
しかしタイトルホルダーを連れて行ったら大騒ぎになりそうだよな……。
この近くで静かに碁が打てるところ……。

「うーん……俺の家に来るか?」
「……っい、いいのか!?」

うおっ! 何か食いつきが良い。 ……やっぱ止めたくなってきた。
いやしかし、男に二言は無い!

「お、おう。 ネット碁しか打たないから碁を打つのに良い場所知らないんだよな。 うちなら一応碁盤もあるし……」
「だが、あまりリアルのこと知られたく無いんじゃなかったか?」
「もうこうして会っちゃったんだ。 それはもう諦めたよ。 どうせ、いつかは教えようと思ってたんだ。 ――た・だ・し! 条件がある」
「条件……?」
「プロになれとしつこく言わないこと! これさえ守ってくれるんなら別にリアル付き合いしても構わん」
「……………わかった」

それだけがネックだったからな。 しっかり釘刺しとかないと。
それさえなければMituruは唯一の囲碁友だちだし、一度はリアルで会ってみたかったんだ。

それに……香坂砕臥先生の息子だから、もしかしたら、いつか直接会わせて貰えるかも――いやそれどころか、もし、もし香坂先生と打たせて貰うことができたら……!

「Si-Na?」
「ハッ! えーと、そうだ! 時間はどうする? 仕事とか無いんだったら昼飯くらいご馳走するけど?」
「っ料理ができるのか!?」
「む、そりゃ一人暮らしだし出来るに決まってるだろ。 つっても男料理だからあんま期待されても困るけど……」

そこまで言って、ふとMituruが金持ちなのを思い出した。
きっと毎日美味しい物を食べているに違いない。
俺の料理なんか、ありがた迷惑だ。
カッと頬が熱くなる。

「ごめん、やっぱ各自で食べてからの方が――」
「ぜ、是非! Si-Naが良いなら是非ご馳走になりたい!」
「うぇ!? お、おお、そこまで言うなら――口に合うかは保証しないからな。 じゃあ時間は12時くらいでいいか?」

Mituruは嬉しそうに頷く。
最初の冷たそうなイメージは何処にいったことやら……。
まぁ、俺なんかの料理をそんなに楽しみにしてくれるならちょっと奮発しちゃおうかな?

「分かった。 それではSi-Naの――リアル付き合いするなら何時までもハンドルネームじゃ可笑しいな。 椎名の下の名前は何て言うんだ?」
「ん? ……隆也だけど。 別に苗字で良いんじゃないか?」
「苗字じゃハンドルネームと大して変らないだろう。 タカヤか……」
「……それなら俺も美鶴じゃなくて香坂って呼んだ方が良いか? ハンドルまんまだしな」
「いや、俺は父と被るから美鶴で良い」
「じゃあ俺も椎名で良い。 ――下の名前で呼ばれるの嫌いなんだ」

少し目を伏せると、Mituru――美鶴は少し眉を潜めたが頷いてくれた。

「そういうことなら椎名と呼ぶことにする」
「そうして貰えると助かる。 それで、俺の家だけど……当日は何で来る予定なんだ?」
「初めての場所だし、タクシーで行こうかと思っている」

ブルジョアめ!

「じゃあ住所教えておくな。 あ、携帯のメアドも交換しとくか?」
「頼む」
「それなら住所はメールするな。 携帯職員室だから一度戻ろう」
「わかった」

相談室から職員室まで、囲碁部の連中に見つからないようこそこそ移動していたら美鶴に苦笑されてしまった。
全く、誰のせいだと思ってるんだっ!
はい、俺の早とちりのせいです、すみません。

「はい、受信完了! それじゃ、後でメールするから」
「ああ、待ってる」
「じゃあ、またな!」

メアドを交換した後、タクシーに乗って帰る美鶴に手を振って見送った。
車に乗る動作から手を振り返す動作まで優雅だ。
これだからイケメンは……。

時計を見るともうすぐ8時だ。 ……仕事も大体片付いてるし、今日はもう帰るか。
グッと伸びをして校舎に向かい歩き出す。
色々な気疲れから開放されて、その時俺は油断していた。
――だから、気づかなかった。

「あれ……椎名先生……?」

そうポツリと呟いた、安藤太一の存在に。 
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