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誰が為に球は飛ぶ

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焦がれる夏
  弍拾参 熱投、粘投

第二十三話



祖父も武蔵野野球部のエースだった。
祖父の一つ上と一つ下が甲子園に行ったらしいが、祖父自身に甲子園経験は無かった。そしてその事を祖父は悔いていた。

辛く、苦しく、理不尽な事しかなかったが、しかしいつまで経っても忘れられず、誇らしく、人生の基礎だと思わずにはいられない、そんな"青春"。
祖父の球児時代の話を聞くにつけ、自宅から見えるあの異国情緒の校舎への憧れは募っていった。

自分が中学に入ったと同時に、少し早めに天に召されてしまった祖父。以降、自分の志望校は武蔵野だけだった。武蔵野で甲子園に行く事が自分の夢になった。

別に、死んだ祖父の遺志を継ぎたいと思った訳じゃない。でも、祖父が死の間際に言った「戻れるなら、もう一度高校時代に…」の言葉が自分には刺さった。祖父が戻りたい、と言ったのを聞いたのはそれが最初で最後だった。

あれほど苦しく辛かったと言っていたのに、心の奥底では「もう一度」と思わせる、甲子園と言う場所はどんな場所なのだろうか。甲子園に行くと、何がどうなるのだろうか。

考えても、分からなかった。分からなかったからこそ、知ってみたい。




ーーーーーーーーーーーーーーー


ボールが外側にスルリと逃げていこうとする。
その軌道を待っていた。
踏み込んで、逆方向へ投げ出すようにバットを出す。左手一本のスイングだが、バットの芯に当たった打球はライナーになって外野の芝生に弾んだ。

「っしゃ!」

多摩が快哉を上げ、拳を握りしめる。
先制を許した直後の5回表、ネルフは先頭の7番・多摩がライト前へ流し打ったヒットでノーアウトのランナーを作った。


(これで4イニング続けてのランナーか。こいつら案外、打力があるんだよなぁ。打線は絶対ウチより良いわ。)


捕手の梅本は口をへの字に曲げて、一塁に生きた多摩を見る。マウンド上の小暮は、キッと眉間に皺を寄せて打席に入る次の打者を見ていた。


<8番、ピッチャー碇くん>

小暮が睨んでいたのは、真司だ。
相手エースの登場に、気持ちが入る。

「大多和!バスターもあるぞ!決めつけるなよ!」

捕手の梅本の指示にサードの大多和が頷いた。真司の打撃は、打順は下位なもののセンスは良く、三振が少ない。必ずバントすると侮ってかかるのは危ないと判断した梅本の指示である。

「わっ」

その真司への初球は、インコース、頭の高さへの真っ直ぐ。バントの構えをした真司は身をのけぞらせて避ける。死球まがいの所へ投げた小暮本人は、勝ち気な顔を崩さない。

(……これでビビるだろう)

サインを交換し、セットポジションに入った小暮に、真司の応援曲である「女々しくて」が聞こえる。軟派なJ-POPか。小暮は鼻で笑った。

小暮がクイックモーションで素早く投げ込んだ球は、フワッと一瞬浮く。そこからストライクゾーンの低めに緩やかに落ちてくる。
スローカーブだ。

直前にインハイへの真っ直ぐを見せられた真司は、クイックモーションの効果もあって、そのスローカーブに体がつんのめる。
バントで一番やってはいけない、球を迎えに行く形になってしまった。

「あっ」

コツンと当てた打球は勢いが死に過ぎて、捕手の目の前に転がる。梅本が機敏に前に出て、球を拾うやいなや二塁目がけてその強肩が唸る。
二塁に入ったショート中林に矢のような送球が突き刺さり、二塁審のコールを待たずに中林も一塁に投げる。

「アウトー!」

一塁審の手も上がり、あっさりと2-6-3の併殺が完成。ネルフのチャンスが、一瞬にして消えた。

「ああ〜」

バント失敗で併殺と、最悪の結果に終わった真司は天を仰いでため息をついた。

「梅本さん、ナイス送球!」
「爆肩見せたねぇ爆肩」


梅本は、声をかける自軍内野陣に笑顔で親指を立てる。巧みな投球でバント失敗を誘った小暮はニコリともせずに、視線は既に次の打者に向いていた。


(打力はお前らの勝ちだが、守備は今んとこ俺たちの勝ちだな)

梅本は得意気な顔をマスクの奥にしのばせて、ポジションにつきサインを送る。
打席には、9番の敬太が入っている。

(お前らのように頼れるエースに4番、両方が揃ってるわけじゃねえ。だがエースを含めた守備に関しては、お前らには引けをとらねえよ)

9番の敬太は三振。
先頭打者を出したが、結局ネルフの攻撃は三人で終わる。


「「いいぞ!いいぞ!こ ぐ れ!」」

武蔵野応援団が湧き上がった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「我慢の展開だな……」

ベンチに足を組んで座った加持がつぶやいた。
光はイニングの合間にベンチに持ち込んだジャグの中の飲料の残量を確認し、スコアラーの仕事に戻ってくる。

「こういう展開は初めてです。自分から崩れるような事が無ければ良いんですけど……」

光は心配そうにグランドの選手たちを見つめる。
グランドは陽の光を受け、どんどん熱くなっていた。


ーーーーーーーーーーーーーーー


「ボール!」
「よっしゃー!」

5回の裏の武蔵野の攻撃をしのぎ、グランド整備を挟んだ6回表。この回も先頭の青葉が粘り、四球で出塁。またチャンスを作る。これで5イニング連続出塁だ。

「さぁ流れ変えていくぞ!」
「もう遠慮は要らんで、点とるでぇ!」
「いけぇ健介ェ!」

ネルフベンチも、今度こそと気合が入る。
打席には二番の健介。


「「「愛の力で進め 奇跡の戦士その名は
あいだーっ!あいだーっ!あいだーっ!
けんすけーっ!」」」


歌詞自作の応援曲「奇跡の戦士相田健介」に送られ、打席に立つ健介に出されたサインはバント。

(一点差だし、キャッチャーも強肩だからなぁ。正攻法でいくしかないよな)

先ほどの真司の併殺が気になったが、フライを上げさせようと投げ込んできた高めの真っ直ぐに、上からしっかりとバットを合わせる。

(頼んだよ日向さん)

キッチリと一塁側に打球を殺す。
もはや名人芸の健介のバントで、一死二塁。
クリーンアップの前にチャンスを作った。

ネルフ側の応援団から、「5,6,7,8」の大応援。
中盤から終盤への変わり目、僅か一点のビハインドとはいえ、そろそろ追いついておきたい。

「カン!」
「ファウル!」

3番主将の日向が、鋭い打球を飛ばすもファールになる。初戦に八潮第一から2安打を放った勢いそのままに、日向の今大会打率は四割。四番の剣崎と共に、強力な三、四番を形成している。


(こいつ程のバッターなら、小暮の球には簡単には空振りしないな。小暮自体、そんなに際立った球を持ってる訳じゃないし。)

梅本は小暮にサインを送る。スライダー、カーブ、シュート。小暮はそのケンカ投法とは裏腹に、変化球の器用な投げ分けが持ち味である。そして……

(勝負所での集中力と球の伸びがある!)

小暮が吠えながら投げ込む。真っ直ぐがインコースでグン、ともう一伸びし、日向のバットの上を通過した。今大会好調の日向を、渾身の138キロで三振に切って捨てた。


「すまん、頼む」
「任せろ」

肩を落とす日向に代わって打席に入るのは、四番の剣崎。今日も4回に安打を放ち、これで夏の大会全試合で安打を放っている。打率は五割を優に超え、今大会注目の強打者に挙げられるようにもなった。

(さすがにこの場面、お前とは勝負できねーなぁ)

武蔵野にとって幸いなのは、一塁が空いている事。梅本は何の迷いもなく敬遠を選択した。立ち上がりこそしないが、一球もストライクゾーンに構えず、外のボール球を四つ続けて歩かせる。


「敬遠じゃねぇのかァ!?」
「勝負しろよー!」
「勝負しなさいよー!」

ネルフの応援団から野次が飛ぶ中(率先して野次ってたのは美里)、武蔵野ベンチでは時田がニヤ、と笑みを浮かべる。

(この場面、小暮も梅本もベンチの俺を全く見なかった。そして迷いなく剣崎を歩かせた。いいぞ、いいぞ。腹を括ったな。)


5番の藤次は、このチャンスに燃える。
この試合もヒット一本、けして調子が悪い訳ではない。目の前で敬遠されて、黙ってる訳にはいかない。

「おりゃあ!!」
「ガキッ」

しかし藤次以上に、小暮に気合が入っていた。
更に厳しくなる攻めに、かろうじてバットに当てるのが精一杯である。

(なんやこの人、、何か見た目以上に打ちにくいでぇ、、、)

藤次が怯んだ次の球、小暮が投げたボールは藤次の体に向かってきた。
危ない。
そう思って体を避けると、ボールはスッとストライクゾーンに戻った。


「ストライクアウトォ!」
「うぉっし!!」

ボールからストライクのシュート。
投げるのがリスキーと言われるフロントドアの球を堂々と投げ込み、このピンチを三振で切り抜けた小暮。
してやられた藤次は唇を噛み、天を仰いだ。
未だ0-1。ネルフ学園、追いつけない。












 
 

 
後書き
130キロ投げれる子の120キロは打ちやすいのに、
120しか投げれない子の120は案外打ちにくかったりするものです。
不思議ですね。 
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