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空を駆ける姫御子

作者:島津弥七
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第二十六話 ~夜に舞う喋 前編【暁 Ver】

 
前書き
『暁』移転版の二十六話です。これを書いていた当時は『ドグラ・マグラ』を読んでいました、確か。横溝正史や江戸川乱歩など昔の探偵小説も大好物です。 

 


────── うそだ




 ぶぅん、ぶぅんと、人気のない路地に室外機の低い唸り声が響く。厚い雲が垂れこめた夜空には星明かりさえ見えない。

──── ばしゃり

 連日降り続けた雨が舐めるように路面を濡らし、薄汚い水溜りが……跳ねた。……はぁ……はぁ……。男は荒く息を吐きながら蹌踉めくように路地を進んでいく。……はぁ……はぁ。何かから逃げるように。

 男が体を捻るように路地の角を曲がった時。土気色だった男の顔が、蒼白になる。袋小路であった。一歩。また一歩。男は恐れ(おのの)くように後ずさる。男はびくりと体を震わせながら、逃れるように壁へと背中を押しつける。……はは……あは……ははハあはアハハハ……ぬらりと濡れた路地裏に。気でも違ったかのような男の狂声が響き渡る。

──── ちり

 瞬きをするように明滅を繰り返す古びた外灯。月明かりさえ無い夜を照らすには些か心許ない。憧れを求めるかのように外灯へ誘われていた一匹の蛾が輪から弾かれ──── ふわりと堕ちた。





 潮騒を聞きながら海の香りを胸いっぱいに吸い込み息を吐く。顔を上げれば青い絵の具を溶かしこんだような青空と。そろそろ本気で人類を殺しにかかっているのではと疑いたくなる太陽。あたし達は──── 恒例の早朝訓練を熟す為に、野外訓練場にいた。

 恒例とは言ったが、何事にも例外は付き物だ。今日は見慣れた人物と、見慣れない人物がいた。隊長陣を代表するかのように、なのはさんが口を開く。

「みんな、おはよう。訓練を始める前に紹介するね。今日から六課へ出向になった……」

「陸上警備隊第108部隊所属、ギンガ・ナカジマ陸曹です。先の任務ではお世話になりました。108部隊からの出向扱いとなります。今日から宜しくお願いします」

 紫がかった青い髪を風に遊ばせながらギンガさんが挨拶をした。スバルを始めとした、あたしを含めた新人組が喜色満面といった様子で挨拶を返す中、アスナだけは盛大に口をへの字にしていた。アスナにはギンガさんがストーカーに見えているのかも知れない。勿論、そんな事実はないのだけれど。あたしは気になっていたもう一人の女性へと視線を移す。

 管理局の制服の上から白衣を着た女性。随分と小柄な人だ。小柄な体格と大きな眼鏡の所為もあり少女のような印象を受けた。新緑色したショートカットが潮風に揺れている。医師……いや、シャーリーさんと一緒にいるところをみると、技師なのかも知れない。あたしが彼女の人物像を探るように、つらつらと考察しているとフェイトさんが種明かしを始める。

「もう一人は、本局技術部の精密技術官」

「どうもぉ。マリエル・アテンザです」

 ……随分と軽い感じの人だ。そうか……彼女が。

「彼女は十年以上前から隊長陣のデバイスを看てきて下さっているの」

 フェイトさんはそこまで告げるとシグナム副隊長へ視線を送る。

「地上でのご用事があるとのことで暫く六課に滞在していただくことになった」

 フェイトさんから引き継いだシグナム副隊長がそんな言葉で締めくくった。ご用事、ね。いや、スバルから聞いていた通りの人なら信頼出来る。戦闘機人であるスバルやギンガさんが好奇の視線に晒されることなく今までこれたのは、この人が尽力してくれたからだと聞いている。

 思い思いにストレッチを始めたあたし達へヴィータ副隊長が声を掛けて回る。いつもの早朝訓練の始まりだ。アスナは特に何をやるわけでもなく、海の彼方に揺らめく蜃気楼をただ、見つめていた。

「あの、なのは……彼女は?」

 そんなアスナを不審に思ったのだろう。アテンザさんが、なのはさんへ声をかけた。なのはさんは彼女の視線の先にいるアスナを見て少しだけ笑う。

「気になりますか?」

「気になると言うか……他の娘と服装も違うし……」

 今日のアスナは烏のように全身真っ黒だ。タンクトップ、カーゴパンツ、訓練用のブーツまで。唯一、靴紐だけが赤い。誰の影響かなんて言わずとも知れている。

「ウチの問題児です」

「へ?」

 なのはさんの言葉にアテンザさんは目を丸くする。なのはさんは、やっぱり──── 笑っていた。





 さて。ここで面白い話が出来ればいいのだけれど、生憎と笑いの神様は都合よく降りては来ない。もしかしたら降りてきていたのかも知れないが、訓練に巻き込まれ誰かに殴られたか蹴飛ばされたかした為に、違う場所へ着地してしまったらしい。

 なのはさんの一言で決まったスバルとギンガさんの模擬戦という名のサプライズは、何時までたっても勝敗が決まらない有り様で、周囲の森を環境破壊した挙げ句に、両者がぼろぼろになりながら高笑いを始め、アスナが退屈そうに大欠伸をかましたところで、なのはさんが止めに入った。

 その後に行われた最早、様式美(テンプレ)になりつつある()()魔法少女VS現役魔法少女と言う対抗戦は、アスナが味方である筈のギンガさんの後頭部へ、いい感じにハイキックを叩き込んだところで幕を閉じた────…





「で? アスナちゃん、今度は何やらかしたんや」

「はぁ」

 現在、アスナは隊舎ロビーの片隅で正座させられている。その前には、なのはさんとフェイトさんが腕を組んで仁王立ちしていた。

「反省してる? アスナ」

「……ちょうどいいぐあいに、うしろあたまがあったので」

()()()はいいよ」

 ギンガさんの後ろ頭に蹴りを叩き込んで風車のように一回転させたのは問題ないらしい。説明する為に言葉を舌に乗せようとしたが、あまりの馬鹿馬鹿しさに頭痛がした。だが、我等が部隊長殿が経緯を御所望だ、説明しなければいけないだろう。





 サプライズとテンプレな模擬戦を終えたあたし達は、車座になりながら暫しの休憩をとっていた。汗は掻いているし、皆一様に仕事を終えた会社員のような表情をしている。アスナは相変わらず訓練場の端で夜の静寂(しじま)のように口を噤んだまま、海の彼方に浮かぶ蜃気楼を見ていた。その後ろ姿に少しだけ違和感を感じながらも声をかけようとした時、スバルの微笑ましげな声があたしを止めた。

「どうしたの?」

「うん、あそこ」

 スバルの指先の方向へ顔を向けてみると……小動物のような足取りで一人の少女がこちらへ向かって来ている。傍らにはザフィーラが少女を守るように歩を進めていた。ヴィヴィオだった。

 ヴィヴィオは随分と明るくなった。よく笑うようになったし、忙しいなのはさんの代わりにアスナと一緒に遊んでいるのをよく見かける。アスナの妙なところに影響されないか心配ではあるけれど、今のところその兆候はみられない。

 ヴィヴィオは、シャーリーさん達と言葉を交わすと、こちらへ走り寄ってきた。だが──── 草原(くさはら)に足を取られたのだろう。漫画に出てくるようなコミカルなコケっぷりを見せたヴィヴィオは、見事に芝生と口づけを交わした。

 慌てて駆け寄ろうとしたフェイトさんを、なのはさんが止めた。どうも、自分で起き上がってみろと言う事らしい。フェイトさんは、少々不満な様子だ。なのはさんが芝生へ膝をつきながら、ぴくりとも動かないヴィヴィオへと声をかける。……ぴくりとも……動かない?

「ヴィヴィオっ」

 なのはさんとフェイトさんが血相を変えて、ヴィヴィオへ走り寄る。なのはさんが縋りつくようにヴィヴィオを抱きかかえると何度も、何度も。名前を呼んだ。自分でも嫌になるほど冷静だったあたしが、シャマル先生を呼ぶか、それとも運んだ方がいいか思案していると、なのはさんの呼びかけに何の反応もしなかったヴィヴィオが唐突に目を開けた。驚く二人と、あたし達。

「わぁ。なのはママも、フェイトママも騙されたぁ」

 ヴィヴィオは、なのはさんの腕の中でケラケラと無邪気に笑っていた。呆気にとられていたあたし達だったが、フェイトさんが優しい笑顔を浮かべながらヴィヴィオへと問いかけた。

「ねえ、ヴィヴィオ? この悪戯はヴィヴィオが考えたの?」

 敢えて問わなくても、ここにいる人間は全員理解してしまっている。これは、只の確認であり言質を取る為だ。問われたヴィヴィオは楽しそうな笑顔のまま、予想通りの名を告げた。

「うぅん。アスナおねぇちゃん」

 アスナの影響はないとの言葉は、訂正しなければいけない。すでに『アスナウイルス』に感染してしまっているようだ。この病は子供が影響を受けやすく、特効薬もない。おかしな言動と、突飛な行動を繰り返すようになり、人を驚かすことに喜びを感じるという不治の病だ。不味い、このままではミニチュア版のアスナが誕生してしまう。

 なのはさんと、フェイトさんは無表情のままお互いに顔を見合わせ、やがて弾かれたように同じ場所へと顔を向ける。だが既に、その人物が逃走を図った後であると言う事は、この後の朝食でスバルが三人前の食事をぺろりと平らげるであろう事と同じくらいに皆知っている。その証拠にアスナがいなくなっているのを誰一人、疑問に思っていない。……今日来たばかりの二人以外は。

 やがて、なのはさんとフェイトさんが、大きく息を吸い込むのを確認すると、ギンガさんとアテンザさんを除く全員が耳をふさいだ。これも、いつもの事だ。ふと、ヴィヴィオを見てみると彼女まで楽しそうに耳を塞いでいた。もうヴィヴィオは手遅れのようだ。

 太陽が怯えるように雲へと隠れ、耳に心地よい潮騒を掻き消しながら、二人の怒声が野外訓練場に響き渡った────…





「はぁ、はぁ、あぁ……お腹痛いわ」

「笑い事じゃありません……」

「可愛い悪戯やないか。子供はそれくらい元気があったほうがええ」

「その原因がアスナにあるところが、問題なんですが」

 八神部隊長は何も答えず、少しだけ肩を竦めると隊舎へと戻っていく。

「あぁ、そうや。アスナちゃんに、この前の有休申請が出とらん言うといてくれるか? 口で言うだけはあかんて」

「わかりました」

 八神部隊長がロビーを通り過ぎるとき、アスナが助けを求めるように視線を送るが、八神部隊長は無言で首を振った。為す術もなく項垂れるアスナ。偶には良い薬だ。今にして思えば、このいつもの日常がこの時までだったことを──── あたしは思い知ることになる。





「だめ、でしょうか」

「うぅん……ナカジマ三佐は、なんて言うとるん?」

「……八神部隊長が許可を下されば……と」

 八神はやては、ギンガの言葉を聞くと眉間を揉み解した。午後──── 休憩時間が終わり、部隊長室へ戻ってきて間も無く、ギンガが訪ねてきた。話しの内容は、少なくとも八神はやてを悩ませるには十分なものであった。

 ある一つの事件。ギンガが六課へ出向してくる直前まで担当していた──── 猟奇事件。被害者は現在迄二名。いずれも首を絞められての扼殺。ここまでであれば、唯の殺人事件と変わらない。この事件の不可解であり、不快な点は他にあったのだ。

 蛾──── そう、蛾だ。被害者の口の中へ、蛾が押し込められていた。はやては、スクリーンに表示されている現場映像を見ながら不愉快だと言わんばかりに眉を寄せた。口の中から身を乗り出すようにしている姿は、まるで。口の中から生まれようとしているようで。蛾の無機質な目と視線が合った瞬間。はやては、僅かに身を震わせた。

「六課のみなさんには、ご迷惑をおかけしません」

「一人でやる言うんか?」

「はい」

 はやては、椅子へ深く身を沈めた。確かに人員は割けない。人手不足は六課だけの問題ではなく、管理局全体の問題でもあったが。隊長、副隊長陣は抱えているものが多すぎて、前を見て進むのが精一杯の状態だ。かと言って、一時的な出向とは言え今のギンガは間違いなく六課の仲間なのだ。一人で放り出すわけにはいかない。彼女の身に何かあれば、自分が師匠と呼ぶゲンヤ・ナカジマに顔向けできなくなる。だとするならば──── 選択肢は然程多くない。はやては、徐に椅子から身を起こすと端末を立ち上げ……『彼女達』を呼んだ。





 おもちゃ箱をひっくり返したようなワークデスク。タバコの吸殻が、山を築き上げている灰皿。天井には古めかしいシーリングファンが、ゆったりと時を刻むかのように回っている。常時立ち上げている骨董品物のモニタには、知らない人が見たら首を傾げたくなるような『物体』が、ふわふわと浮いていた。デスクに飾ってあるフォトスタンドには、人の良さそうな笑顔を浮かべている青年と、無表情を絵に書いたような少女が、ピースをしていた。

 六課の小奇麗なメンテナンスルームとは、似ても似つかない……頑固な時計職人がいそうな──── 桐生の『工房』である。工房兼、桐生の私室となっている二十畳程の部屋は、仕事場と生活空間が混在しており、彼の妹が見たら確実に片方の眉が釣り上がるような様相を呈していた。

 この部屋の主であり桐生家に於て、何故か一番発言力が低い件の人物は、普段着のままベッドで熟睡していた。だが、一度寝たら三年は起きないという童話の主人公でもない限り、夜明けは来るものだ。

『やっと起きたかい? 桐生』

 スクリーンの中でふわふわと浮いている不可思議なオブジェ──── ボブは眠りから醒めた主へと声をかけた。桐生は上下スウェットというシンプルな格好のまま幽霊のような足取りでワークチェアへ座り込む。

「おはようございます……あれ、煙草知りませんか?」

『いや、知らない』

 桐生は未だ夢の中へ片足を突っ込んでいる状態のまま暫し考え込んでいたが、やがて吸殻の中から比較的長いものを探しだし、口へ咥えると燐寸で火をつけた。

『桐生……情けなくなるから止めて欲しい』

「だって、ないんですよ。煙草が」

『さっき聞いたよ。まったく……アスナが見たらなんて言うか』

「素敵とか言ってくれませんかね」

『言うものか』

 桐生は、ボブの(にべ)も無い言葉に肩を竦める。

『ところで、桐生。君に聞きたいことがあるんだが』

「なんですか? 改まって」

『最近、夜遅い時間に出かけることがあるが……どこへ行ってるんだい?』

「あぁ……えぇとですね。あるユーザーのところへ。仕事ですよ」

『……あんな遅い時間にかい』

「えぇ、管理局の職員の方なんですが……遅い時間帯の方が都合がいいそうです。……何か?」

『いや……桐生。アスナが悲しむようなことだけはしないで欲しい』

「何を言うのかと思えば……杞憂ですよ。私がそんなことをするわけがありません」

『なら、いいんだ。すまない』

 何処と無く気まずい空気が流れ、それきり二人は押し黙る。

──── ちり

 桐生の指に挟んだ煙草から灰が──── ほろりと堕ちた。





 なのはさんとフェイトさんにしこたま怒られたアホ娘は、反省したかのように大人しく振舞っていた。だが、あたしやスバルから見れば導火線が燻っている爆竹にしか見えず、いつ破裂するか戦々恐々とした時間を過ごしていたが、それはある日突然やってきたのだ。八神部隊長から呼出を喰らったあたし達が、部隊長室へと出頭した時から始まった────…

「なに、これ」

 スバルが現場映像を見ながら声を絞り出す。部隊長室には、当然のことながら八神部隊長。そして、ギンガさんがいた。二人の説明を要約すれば、クラナガンで起こった殺人事件の捜査協力。……どう考えても六課の管轄ではないし、況してや108部隊は密輸品の捜査を主としていた筈だ。そんなあたしの心情を察したのか八神部隊長が、口を開く。

「ティアナの言いたいことは、わかる。せやけどなぁ、ギンガが一人でやる言うとって……そんな真似はさせられへん。頑固なところは姉妹そっくりや」

 八神部隊長は困ったように息を吐いた。ギンガさんは、苦笑いをしている。つられるようにして、あたしも溜息を零した。仕方、ないか。何より、スバルが止まらないだろう。だとしたら、あたしがやらないわけにはいかない。アスナは……アスナ?

「……おなじが」

 おなじが? ……あぁ、同じ蛾か。

「同じ種類なの?」

 あたしに問われたアスナは少しだけ肩を揺らした。聞かれていたとは思っていなかったらしい。

「……そう」

 そして、アスナの呟きを聴きとったのは、あたしだけではないようだった。

「よくわかったわね……あぁ、アスナは虫が好きだったっけ。そう、二人の口に入れられている蛾は同じ種類だったわ。何でかは、わからないけど」

 ギンガさんの言う通り理由はわからない。だけど意味はあるんだ、きっと。あたしの脳裏に()()()()の光景がフラッシュバックする。薄暗い路地裏。物言わぬ死体。蝶のように舞う花弁。墓標のように突き立てられた──── ナイフ。頭を軽く振る。

「珍しい種類なの? ギン姉」

「いえ……街中でもよく見かける種類だったわ」

「そっかぁ……それじゃ、蛾の種類から追うのは無理だね」

 スバルの言うとおり、その線から追うのは無理だろう。だが、その時あたしが一番気になったのは事件のことではなく、隣にいるアスナの様子だった。スバルはアスナの前にいるから気が付かなかっただろう。現場映像を見た時、アスナの瞳に宿った感情は──── 困惑だった。





 それから暫く経ったある日。ギンガさんの捜査を手伝うことに決まったはいいが、事件はまるで進展を見せなかった。あたし達も出来る限りの事はしたが、目撃証言もなく手掛かりも無い状態では八方ふさがりだったのだ。

「アスナの様子?」

 スバルはそう言いながら、例の如く山盛りになっているパスタを頬張る。

「どことなく落ち着かないような気がするんだけど……気の所為かしら」

「……気の所為じゃないと思う。なんて言うのかな……悪戯をした子供が、親にばれないかそわそわしている感じ」

「いつから気がついた?」

「うぅん……そう言われると」

 スバルは困ったように、フォークの先でパスタのミートボールを転がした。

「あ。ほら、一週間くらい前にアスナが有休取ったことあるでしょ。あの頃からじゃないかなぁ」

「結構、遅くに帰ってきてアイナさんに怒られた時だっけ」

「そうそう」

 考えてみれば怒られてばっかりね、あの娘。今に始まったことじゃないけど。

「気になる?」

「ちょっと、ね」

 あたしは、ダージリンに口をつけながら斜め向かいのテーブルにいるアスナを盗み見る。アスナは、ピラフに入っているピーマンを避ける作業に忙しいらしく、あたしの視線には気づかない。そんなアスナを見ていたヴィヴィオが、習うようにせっせとピーマンを避けている。そして、二人を見ていたなのはさんが、生のピーマンを齧ったような顔をしていた。

 食事を終え自室へ帰ったあたしは、ベッドへと身を投げ出す。考えなければいけないことが、あるような気がする。だが、あたしの脳は駄々をこねる子供のように言うことを聞いてくれない。それは──── なぜ? 考える。考える。考える。考える。考えるな。考える。考える────

──── ……おなじが

 思考を上手く言葉に出来無い人間がいる。アスナは、その典型だ。つまり。思考そのものは、あたしたちと大差ないのだ。「同じ種類の蛾」……なぜ、それを口にしたんだろう。普通は「なぜ、こんな真似を」だ。なぜ、蛾の種類に言及したのだろう──── 待て。思考を上手く言葉に出来ない人間がいると考えたばかりではないか。

 あたしは、発条(ばね)が爆けた人形のようにベッドから跳ね起きる。デスクへと走り寄り椅子へ座るのも、もどかしく端末のスクリーンを立ち上げた。ギンガさんから転送された捜査資料をもう一度確認する──── 気が付かなければ良かった。あたしは、そのまま糸が切れたように椅子へ座り込んだ。





 深夜。あたしとスバルは、アスナの部屋にいた。だが、いつもの和気藹々とした雰囲気は微塵もなく、どこか張り詰めた空気が然程広くない部屋を満たしていた。スバルは、あたしが禄に説明もせずに連れてきてしまった為に酷く戸惑っている。アスナは、部屋の中央で案山子のように棒立ちになったまま、あたしを見つめていた。

「アスナに少し聞きたいことがあるの。……いい?」

 アスナは、何も言わずこくりと頷く。

「アスナが、有休を取得した日。……どこに行ってたの?」

「……かいものと、さんぽ」

「あんな遅い時間に?」

 アスナが、有休を取得した日は──── 一人目の犠牲者が発見された前日だった。アスナは何も答えない。

「あたし達が部隊長室で説明を受けている時に言った言葉、憶えてる? 「……おなじが」。アスナは、なんで……二人の犠牲者の口に入れられている蛾が、同じ種類だと判断したの?」

「ティア?」

 あたしは、スバルの問い掛けには何も答えず、スクリーンに表示されている二枚の現場映像を見せる。

「一人目の犠牲者。蛾の頭部と触角の一部しか見えていない。対して二人目の犠牲者は、体の一部と羽の模様まで確認出来る……あたしも気になったから蛾の種類に関して調べてみたわ。正直に言えば、頭部だけじゃ見分けがつかない種類がたくさんいた。……ねぇ、アスナ? どうして、あなたは……両方共、同じ種類だと判断したの?」

「ねぇ……さっきから何言ってるの、ティア?」

 アスナは……何も答えない。部屋へ入ってから一度も逸されることのない静謐な瞳が──── あたしを変わらず見つめていた。体が震える。あたしは──── 声までも震えてしまわないように。拳を握りしめた。

「それは……あなたが、『最初』から蛾の種類を知っていたから。あなたが蛾を」

 そこまで口にしたところでスバルの怒鳴り声が響き渡る。スバルは説明を求めるようにあたしを睨みつけていた。だけど今はこっちが先だ。アスナが現場写真だけでは特定が不可能な蛾の種類を同じだと言った理由。そう、そう考えた方が自然なのだ。アスナは()()から知っていた。

 被害者二人の口へ押し込まれている蛾の種類を知っていたんだ、最初から。それはいったい何を意味するのか。あたし達の息遣いしか聞こえない部屋に──── アスナの何かを諦めたかのような弱々しい声が零れ堕ちた。

「……やった」

「な、に」

 今度こそ。声が震えた────…

──── 私が、やった






 ~夜に舞う喋 前編 了

 
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