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ソードアート・オンライン~黒の剣士と紅き死神~

作者:ULLR
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過去編
挿話集
  小噺集

 
前書き
1と3、LINE『小説家になろう交流会』で掲載した話の改稿版。
2、整理してたら出てきた話。あまり最前線で活動しないレイが攻略組のレベルに居た理由。
4を追加。完全創作のIFストーリー。上記『小説家になろう交流会』で掲載済みをやや改稿。
5 AR環境でユウキとデート。映画公開前に書いてた。
 

 
 1,鍜冶屋の少女


 気だるい陽気の中、レイは何か目的がある訳でもなく中層の街をただ歩いていた。
 いや、正確には武器と防具の整備という目的があるのだが逆に言えばそれしかやる事が無い。主街区のメインストリートの道端にはアイテムを売ったり、おやつ感覚の食べ物を売る店、そして武具を並べる武器屋。

 武器屋で鍜冶屋を兼任している者は脇に簡易な炉を設置し、声を張り上げている。

 だが、所詮は中層プレイヤー向けの中級品。一応、最前線で戦っている身であるためそれらに命を預ける気にはならない。

 さらに言えば……何とも空虚な武具達である。魂が入っていないと言うのだろうか。

 アン・インカーネーション・ワールド……『具現化する世界』、アインクラッド。

 この世界に付けられた名はその意味の通り、『思い』を具現化する力がある―――と、聞いている。最初は鼻で笑った話だが、実際に目にしてみれば納得のいく話である。
 営業スマイルを顔に貼り付ける店主に綺麗に並べられた空虚な武具達……そして押し込まれるような狭いスペースに陣取り、少ないながら確かな意思の力を感じる武具を並べる、簡素で地味な服をまとった少女。

(ふむ……?)

 何故押し黙ったままなのか。単純な武器の良し悪しの性能を見れば周りの武具屋と大して変わらない。

 にも関わらず、目立っていないその店に客は気がつかない。

 何の気無しにその店の前にしゃがみ込む。すると―――

「い、いらしゃい……ませ」

 ……噛んでるし。

「……見ても?」
「ど、どうぞ!」

 途端に顔を輝かせて脇に置いてあった剣やらピックなどをズイ、と押し出す。
 俺の背中には愛刀である大太刀が堂々と自己主張している。故に鍜冶屋ならば刀系の武器を出すのが常識だ。
 視界の範囲内に刀系の武器は存在しない、気付く様子もない。

 ……よっぽど客が来たのが嬉しいのか。それともテンパっているのか……恐らくは両者だろうが。

「……それじゃあ、このピック貰おうかな。いくら?」
「は、はい!30本セットで1000コルです!」
「…………は?」

 絶句。もう一度脇に書いてある性能と値段を比較して考える。どう考えても…………

「た、高いですか?えっと、なら「違う違う」え?」

 少女の目の前で手を振って制止する。

「……安過ぎだ。中層ならその程度の値段でしか売れんだろうが、最前線だったらこのピック……後その剣と奥の槍2本。倍の値段で売れる」
「さ、最前線!?そ、そんな……あ!」

 少女の視線が背の大太刀、そしてマントの下のツヤのある革防具に注がれる……と、同時に俺が何者であるかを悟ったようだ。
 未踏破の迷宮を次々と突破し強力なフロアボスを葬り続ける攻略組は尊敬される存在であると同時に、恐れられている。

 少女の視線から感じられるのは……凡そその中間色と言ったところか。

「―――と、言うわけだ。ほい、代金」

 トレードウィンドウに金額を入力すると、少女が何かを言う前にそれを終了し、立ち上がった。そして背の大太刀を指して言う。

「……いつか君にコイツを任せられる日を楽しみにしてる」

 後にアスナにこの少女を紹介された時は流石の俺も運命というか不思議な巡り合わせに驚いた。

 偶然の出会いが長い付き合いになることもある。そんな数奇な運命もまた大きな意味を持っているのだ……。










 2,一条の剣閃



 空気を切り裂く乾いたサウンドが闇夜を貫く。正確無比な命中力を誇るアスナの細剣は目標のHPを消し飛ばした。

「……っ!?」

 ズキ、と鋭い痛みが頭に走る。痛みの無いこの世界だが、都合の悪い事に寝不足の鈍痛までは消してくれないらしい。
 だが……、とアスナは暫しの休憩を挟むのを口実に自分に言い聞かせる。この痛みを感じられる内はまだ生きているという証拠だ。この痛みのおかげでまだ自分は進めるという気持ちになってくる。

 1分ほど経つと付近でMobが湧く気配がした。次なるターゲットと見定め走り出そうとした時、シンとした森をけたたましいアラート音が切り裂いた。

 数あるトラップの中で最悪の部類に入る《アラームトラップ》の音に違いない。

「…………ッ!!」

 とんでもない数のモンスターを呼び寄せる《アラームトラップ》は例え、パーティーだとしても非常に危険だ。自分1人行ったところで何ら変わらない。更には巻き込まれて死んでしまう可能性すらある。

 だが、彼女に見捨てて逃げるなどという選択肢は最初から存在しなかった。攻略組随一の敏捷値を駆使して複雑な木々の迷路を抜け、音源にたどり着く。



 そこで繰り広げられていた光景は想像を遥かに越えていた。



 闇夜を舞うポリゴンの欠片。その中心で大きな刀を振るい、力強く踊る影。影が動く度にポリゴンが舞い上がり、やがては消えていく。
 何十ものモンスターがその死の舞踏に巻き込まれ、儚く消えていく様は幻想的でさえあった。


 津波のように押し寄せるモンスター群が途絶えたのはアスナがアラームを聴いてから約10分後の事だった。


(……あの人は)


 人影がこちらに気がつき、刀をピクリと動かすが、カーソルとそこに表示されているのであろう名前を確認すると武器をしまった。




「何か用かな、副団長殿?」

「……あなた程のプレイヤーがアラーム・トラップに掛かるなんて、らしくないのでは?紅き死神さん」

 彼はソロプレイヤーとして危険探知系のスキルは一通り習得しているはずだ。レベルからして熟練度も低くはあるまい。

「ん?ああ、アレか。わざとだよわざと。如何せんMobをちまちま探してると夜が明けるからな。時間短縮」
「な……!?馬鹿なんですか!?一歩間違えれば危険じゃ……」


「承知の上さ。俺は攻略にかけられる時間が普通の連中より少ないからな。夜中にアラームトラップを使ってレベルを維持しないとならんのよ」



 何でも無いことのように言うが、やっている事はとんでもない。

「……あなたは、何故ここまでして攻略組に?」
「何故ってそりゃ……危ないだろう?」
「はい……?」
「実際はともかく、死ぬ確率が最も高いのは攻略組だ。俺が行って死人が減るならそれに越した事はない」


 何という……。


「……あなたに似合わないセリフですね」

 厭きれと感心が半々の調子で言うと、レイは少し不貞腐れたように言った。

「ほっとけってんの。あ、そうだ。この奥にたまーに経験値の多いフィールドボス居るんだけどさ。一緒に来ない?」
「……良いですよ。でも前衛はあなたですから」
「はいはい」

 自分とさほど年齢の変わらないだろう少年は歳相応な笑みを浮かべた。














 3,~IF・『ヒロインが突然アレなメールを送ってきたら』~




 布団の脇に放置してあった携帯がメールの受信を告げる。

「……ん、うん?」

 微睡みの中にあった螢は半分寝た頭で受信ボックスを開き、内容を見る。差出人は木綿季だった。

「んー……?」

 ボー、とした頭では内容の理解が追い付かない。
 何やら彼女らしかぬアレな内容な気がするが、多分それは寝ぼけている事から来る曲解だろう―――と既にそんな判断が下せる程に覚醒はしていたが、あまりにも普段の彼女の言動、性格からは考えられない内容なため、気のせいとして返信の文面を組み上げる。

 文末に『~たい?』という文字が見えたため……

「『ああ。そうだな』……っと。……送信」

 次の瞬間、力尽きた彼はまたもやヒュプノスの楽園に旅立っていた。








(うわぁぁぁ……!?)

 動揺のあまり汗ばんだ手に持つ携帯端末をプルプルと奮わせ、グルグルと支離滅裂な思考を繰り返す。

 送るつもりなどは無かった。携帯という機械をこの歳になって初めて持った木綿季はただ文章を打つ練習をしていただけで、内容もどうせならきちんとしたモノにしようと文字を羅列していたら何時の間にか妄想――もとい、ちょっとませた願望を書いてしまって……ほんの出来心で脳内にそれを映像化するという所業をしていたら、誤って『送信』と押してしまっただけなのだ。

「うぅぅ……どうしよ。冗談って事にすればいいかな?いやでも、あながち冗談でもないけど……って、ちがーう!?」

 ゴロゴロのたうちまわっていたその時、携帯がメールの受信を知らせた。差出人はもちろん螢。

「うぅぅ…………えいっ!」

 98%くらいの不安と2%の期待を込めて、開く。



『ああ。そうだな』


「…………ふぁ?」


 一瞬、何が書かれているのかさっぱり分からなかった。自分が送った文章は自分で言うのも憚れる、かなりアレな内容で。


 相手は自分の頼みならほぼ間違いなく本気で叶えようとする、あの水城螢なのだ。


 その盲目的なまでの木綿季への溺愛っぷりは、あのおしどりカップル和人&明日奈をして「お、おおぅ……」と引かせるレベル。


 その夜。木綿季は明日から螢にどう接すれば良いのかを悶々と考えていた。









 翌日。

「な……なんだコレは」

 携帯電話を握ったまま寝落ちした螢はその画面を見て戦慄が走った。

「……待て待て。誰に悪戯されたんだ?あいつがこんな…………むぅ」

 億万が一、本気で送っていたとしよう。だとすると……

「この寝ぼけた返信はまずいだろ……」

 ノーリアクションで寝落ちしていたならまだしも、完全に了解しちゃってる旨の文を返してしまっている。
 本気にしろ冗談にしろ、俺は今日から一体どのように彼女に接すればいいのか。






「……木綿季が冗談だったら冗談。本気だったら…………責任取ろう」

 冷や汗をだらだら垂らしながら螢はそう決意するのだった。










 そして、学校。

「…………」
「…………」

 暖かな陽光の射し込む中庭。いつもならここで賑やかに弁当を食べるのが2人の日課だが、今日は痛い沈黙が流れていた。
 原因はもちろん昨夜の件だが、どちらもそれを切り出せていない。それでかえって『その件を意識している』事をお互いが悟ってしまった。

(……結局、何も思い付かなかったし……どうしよう!?)

 無言のまま時間が過ぎていき、ついに螢が口を開いた。

「木綿季」
「な、なに?」
「昨日は、どうしたんだ?」

 そのド直球な質問に木綿季は意識が遠退く思いだったが、正直に答えた。

「えっとね……。メール打つ練習してたら何か無意識のウチに……それで間違って送っちゃって……ごめん」
「あー……つまり間違って?」
「う、うん。……螢があんな風に応えて来たのは、ちょっと驚いたけど……」

 その応えに螢は苦笑いと、少し気まずそうに頬を掻きながら言った。

「……すまん。実は、俺もあの時寝ぼけてて……よく読んでなかったんだ」
「な…………」


 一晩悩んだのは何だったのか。木綿季は安心とほんの少しのガッカリ感で気疲れがどっと溢れ出した。

「うー……。螢のバカ」
「……何で罵倒されんの俺?」

 本気で落ち込んだらしく、肩をガックリと落とす螢。木綿季はムッスリと頬を膨らませながら手元の弁当を広げ始めた。




             (「……ちょっと嬉しかったのに」)




「ん?何か言ったか?」
「何も!」

 ついツンツンと返すと、螢は今度は何故かクスクスと笑いながら木綿季の頭に優しく手を置いた。


「ま……いつかな」


 陽光降り注ぐとある日の昼下がり……他愛の無い一幕は突然起こって、ふと消えた。






















 4,IF 〜水城家を一般家庭にしつつ、いたって健康な紺野家の隣に住まわせてみた〜






 ー西暦2020年夏ー



 庭に向かって開け放った窓から入ってきた風が、チリンチリンと朝顔の絵柄の風鈴を鳴らす。
 その音の合間を縫うようにミーンミーンとセミの鳴き声もする。

 季節は夏。夏と言えば蒼い空、白い雲、そして海。
 田舎に親戚宅や親の実家がある家は夏休みが始まるや否や涼しくもあるそこに帰省してしまう。海は無くとも川でもがあればさぞや楽しいだろう。

「……暑い」

 しかし残念ながら我が水城家はそんな場所に縁は皆無だ。

 爺さんはただの隠居で各地を放浪中、行方は知れない。
 親父は単身赴任でイギリス、今年は帰って来れないらしい。
 母親は年中無休の総合病院に務めていて今日は夜勤のため帰ってこない。

 家に現在家に居るのはプー太郎の兄と暇人な姉だけだ。なお、水城家のヒエラルキーの頂点に君臨する我が妹君は本日友達の家にお泊まりだそうだ。
 姉ではないが、暇を持て余した俺は部屋に戻って趣味のネットゲームでもしようかと立ち上がる。その時、

「螢〜。遊ぼーよー」
「……ちっ」

 隣に住む幼馴染の相変わらず元気な声が響いて来た。しかも方角から察するにまた家の庭に不法侵入している。
 この年下の幼馴染。どうやら元気を双子の姉から全てふんだくって生まれたらしく、お淑やかで礼儀正しい姉の藍子とは対照的に喧しい。

 ゾンビのように寝転がっていただるい体を床から起こし、のそのそと庭の窓へ向かって歩き出した。

「おい、木綿季……人の家の庭に勝手に入るなとなん……ぬぉぁ!?」

 突如として顔面を襲った放水。鼻に入った水でむせながら生垣で区切られた向こうにある紺野家の方を見てみると、水柱が高々と上がっている。そして、何やら悲鳴も聞こえる。

「……おい、何やってんだ!」

 少しただ事ではない雰囲気だったので、生垣の支柱部分に飛び乗ると、そのまま紺野家に飛び降りる。

「た、助けて〜‼︎」

 木綿季がひっくり返りながら抱えて居るのは所謂『高圧洗浄機』。家の外壁とかをこれで洗うと見違えるように綺麗になるアレだ。

「螢さん!ど、どうしたら良いですか!?」
「……とりあえず元栓締めりゃいいだろ」

 あたふたしている藍子に代わり、走って高圧洗浄機が接続されている水道に向かうと元栓とついでに洗浄機の電源も切っておく。
 徐々に勢いを弱めた水柱は止まった後水の塊となって木綿季に降りかかった。

「わわっ!?」
「ったく、何してるんだ?おばさん達は?」
「えっと、お母さんとお父さんは今出かけてて、お留守番してたんですけど……木綿季とプール入りたいね、っていう話になって……」

 藍子の視線の先を見れば恐らく高圧洗浄機でぶち抜かれたのであろう、ビニールプールが藻屑と化していた。

「やれやれ……事情は分かったが、今度からはもう少し静かに水を入れてくれ……」
「「ごめんなさい……」」


 ……しかし、プールか。たまには良いかも知れない。




「よし、2人共。プール行こう」
「え?」
「丁度うちに暇人が2人ほど居るからな。準備して30分後家に集合」


 2人はしばし顔を見合わせると、嬉しそうに顔を綻ばせて家の中に走って行った。











 近所の市民プールは中々に賑わっていた。近辺のプール施設の中では1番新しく様々な種類のプールがあるのでそれも人気の理由の一つだろう。

「お待たせ」
「おう。大丈夫か?ロッカー空いてたか?」
「ええ、丁度入れ替わりに一つ空いてね。少し小さいけど、貴重品だけ抜いて持って来たわ」
「そうか」

 プー太郎こと兄の蓮は紺色の海パンに、事前に預かって膨らましておいた浮き輪を脇に担いでいる。それなりに筋肉がついているその肢体にピンク色の浮き輪は中々シュールである。ちなみに海パンは俺も同じようなものだ。

「はい。藍子ちゃん、木綿季ちゃん、準備体操しっかりしてね」

 一方、暇人こと姉の桜はクリーム色のショートパンツに水色のワンピース型の水着。こちらはそろそろ年齢を考えて欲しい。

「あ"?」
「いや、ナンデモナイデス」

 こっちなど見ていなかったくせに人の思考を読んで鬼の形相で振り返ってくる。この異能があるせいで男が寄り付かないのは言うまでもない。

 これ以上思考を読まれない為にも視線を木綿季達に逸らす。

 当然と言うか、2人はお揃いの水着だった。
 黒色のよくスイミングスクールなどで使われている競泳水着の亜種みたいなものの腰の部分にひらひらして布をあしらった可愛らしいデザインで、この時ばかりは普段大人しい藍子もどこかはしゃいでいる様子だ。

 だが、俺はふと気になりその藍子に話しかけた。

「藍子、お前、泳げたっけ?」
「え?……あ」
「あ、そう言えば姉ちゃん泳げなかったね」

 昨年の事だろうか、水城家と紺野家合同で海へ旅行に行った時、俺と木綿季が肩まで海に浸かる一方、藍子は足首までが限界だった。3日間の旅行中の努力のかいありかろうじて腰までは浸かったものの、泳ぎの苦手克服には至らなかったような気がする。

「じゃあ、藍子ちゃんは向こうの浅いプールで練習だな。俺が見てあげるよ」

 意外と面倒見が良い蓮兄が藍子の練習監督に名乗り出る。教えるのも上手いし、適任だろう。

「私は近くで荷物番してるわ。螢、ちゃんと木綿季ちゃんの面倒見てあげてね」
「ん、了解。後で蓮兄のとこにも行くよ。3人でも遊びたいし」
「そうだな。それがいい」

 姉さんが荷物番を引き受け、俺と木綿季は予定通り遊ばせてもらう事にする。

「ごめんね。螢さん、木綿季……」
「大丈夫だよ姉ちゃん!また後でね」
「うん」
「それじゃ藍子、また後で」








 ウォータースライダーを木綿季を前に前に抱えながら滑ったり、造波プールの波をジャンプで飛び越えたり、低い飛び込み台から跳んだりひとしきり楽しんだ後、俺と木綿季は流れるプールで流されていた。

「気持ちいいねー」
「そうだな」

 2人して犬掻きのような姿勢で施設内を一周するそれに何のあても無く流され続ける。

「そろそろ、藍子のとこ戻るか?」
「んー……もうちょっとだけ」
「……んじゃ、次浅瀬プールに近づいたら上がろうな?」

 どうせぐずるだろうとは思っていたのであらかじめ用意していた譲歩案を提示する。が、

「はーい…………えいっ!」
「⁉︎……な、木綿季⁉︎」

 突如、木綿季が後ろから首に腕を回してくる。柔らかな二の腕が首筋に当たり、その感触に動悸が激しくなる。

「おい、木綿季……」
「んー、なにー?」

 いや、なにー?じゃなくてだな……

 右耳がむず痒いのは恐らく木綿季の顔がそこにあるから。耳に感じる呼気と背に感じる暖かな存在が同時に、ゆっくりと動いている。

「……そろそろ上がるぞ」
「うん」

 今度はやけに素直に従う。
 だが、腕をほどいてくれる気配は無いので仕方なく木綿季を背負いなら縁へ向かって泳いでいった。
 縁に着くと木綿季が腕を緩める気配がしたので内心でやっとか、とため息をついた。




 離れる寸前、頬に暖かなものが押し付けられた。

「っ……⁉︎」
「ん……っと、早くしないと置いてっちゃうよ」


 スルリと自分だけ上がると、木綿季は俺を太陽のような笑顔で見下ろした。

「ったく、勘弁してくれ……」

 一連の木綿季の行動に戸惑いつつも過剰に驚くでもなく、俺は苦笑しつつ自分も上に上がった。







 この平和な日々の一部である、何よりも愛しい少女を想いながら…………










 5,拡張現実

 人が知覚する現実環境をコンピューターにより拡張する技術、およびコンピュータにより拡張された現実環境そのもののことで、仮想現実の変種だ。それぞれAR、VRと略称されるこれらの技術は2026年現在、昔と比べ飛躍的な進化を遂げている。
 とは言ってもそれは完全なものとは程遠い。ことARに関しては表示出来る情報、範囲が圧倒的に少ない。具体的には自分の周囲全体をARで覆い、現実の身でVR環境のような感覚を味わうことが出来るのが理想なのだが、現状それは実現していない。

 ーーーいや、これからは"していなかった"というのが正しい。

「グラフィックのラグ、ノイズは許容範囲内……と言ってもやはり出るものだな。あれだけ調節したが」

 目の前にある大樹。と言ってもALO内の世界樹の足下にも及ばないが。それに手を伸ばし、触れる。すると鈴のような音が響きウィンドウが開いた。

『「ブナ」…落葉広葉樹。温帯性落葉広葉樹林の主要構成種。日本の温帯林を代表する樹木』

 その樹の説明が白地のウィンドウに簡潔に表示される。さらに、そのウィンドウを引き延ばしたり縮めたりして動作を確認しておく。現代の基準において、動きはややぎこちないだろうが、10年前のスマートフォン程度には動く。
 次に、目を瞑ると暗闇の中にその説明書きは残ったままになった。これは視覚障害を持った人への機能であり健常者は任意でオフに出来る。

「やや足りないが、まあ十分だろう」

 VR世界でウィンドウを閉じる時のように手を振ると、説明書きは消える。
 一連の動作の確認を終えると、水城螢はこめかみ辺りの空を指で何度か引っ掻く。何度か試すと何かのスイッチが音を立てて彼の視界が変化した。
 木々の生い茂っていた視界は途端に閑散とした景色に変わる。生えているのは苔類と、踏み荒らされた雑草ぐらいなものだろう。寂寥すら感じられるその風景に背を向けると前方の白い建物に向かう。
 プレハブの二階建ての小屋。そこが《この世界》の中心だった。

 上述したが、ARとは人が知覚する現実環境をコンピューターにより拡張する技術だ。例えばQRコードなどは分かりやすい例えだろう。専用のリーダーで読み込めば即座に情報を得ることが出来る。が、それには僅かなタイムラグと情報量の絶対的制限がある。真のAR環境とは現実環境同様に目を向けるだけで多数の情報にアクセス出来ることだ。そうでなければ真に現実環境を拡張したとは言えない。
 そこでこの研究施設では人間の周囲上下前後左右、つまり360度全方位にホログラムによる処理を行い、触れるだけでそのものの情報を提供出来るようにするという実験が行われている。

「これではただのシュミレーターではないのか?」
「いやいや。ホログラムを使っているのは単なる経費節減だよ。ホログラムと肝心のARシステムのシステム系統はそれぞれ独立している。ホログラムはただ単に環境を提供しているだけさ」
「……結局のところ、ARシステムが本物の物体だと誤認出来るまでに作り込んだ人件費であまり節約になって無いぞ」
「まあ……あはは」

 そう言って笑う、この実験のテスターのバイトを紹介して来た菊岡誠二郎に呆れの意を込めたため息を贈り、腕時計を見る。

「これで協力は終わりだ。報酬、貰うぞ?」
「ああ、ありがとう。助かったよレイ君。木綿季君にもよろしく」

 にこやかに笑う菊岡に手だけ振って応えると、プレハブの外に出る。蒼天の空の向こうに、この地の果てである海が目に入った。
 この実験は広域に渡るホログラムとAR環境を使用する都合上、大規模な土地、それも木などの障害の無い、まっさらな環境を要する。
 土地の少ない日本でそんな場所を用意するのは政府の援助があっても難しい。
 そこで目を付けられたのは、建造されたまま放置されていた人工浮島。コンクリートと鉄の塊に土を被せ、草を移植し、各所にケーブルと実験装置を埋め込んで出来たのがこの広大な実験場だ。
 日本の本土とは直接繋がっておらず、ヘリか船での連絡となるが、そこまで遠い場所ではない。ヘリで10分、船で20分と言ったところだろう。
 それはともかく、今回のバイトはこれで終了だ。普段通りならこれで解散し後日報酬が振り込まれるのだが、今回は報酬を即日、直払いにして貰った。

「螢〜!」
「おう。待たせたな」

 船の波止場から手を振りながら走ってくるのは木綿季。紺のTシャツに薄いピンクのパーカー。白地のミニスカートに黒のニーソとは随分とまた気合の入った服装だ。
 元はと言えば今日は木綿季とのデートの日だった。1週間前に菊岡がバイトの連絡をよこした時は既にどこへ行くか以外は決まっていた。
 そんな事情なので俺は断ろうとしたのだが、バイト終了後の数時間、実験場を開放してくれると言うのだ。最新技術が使われたその環境下で好き放題出来るのは願ったりだった。
 木綿季にその提案をすると興味津々で承諾し、今日に至ったという訳である。
 木綿季に補助デバイスであるゴーグルを渡し、それを着けるのを手伝う。

「じゃあ早速行こうか」
「うん!」

 後方のプレハブ小屋に向かって合図すると、徐々に辺りの景色が変わって行く。何もない景色が、新緑の草原へと変化していく。赤やピンクと言った点が段々と大きくなり、様々な種類の花になった。

「すごーい!」
「これはただのホログラムだ。もっと凄いのはこっちだ」

 足元に生えていた花に触れ、先ほどの樹と同じようにウィンドウを出して見せる。

「すごいね。これがAR環境……」

 慣れ親しんでいるVR世界とはまた別の世界。不完全とは言え、仮想世界と現実世界はこのように少しずつ融合して来ている。
 そんなことを考えつつふと木綿季を見ると……

「ん……?木綿季、その格好……」
「え?あれ……?っていうか螢も」
「……これは」

 木綿季は紫系統のいろのシャツ、上着、スカートに。俺は黒のシャツにズボン、紅色のパーカーという格好になっている。2人とも、ALOのアバターとほぼ同配色となっている。
 そして、最大の特徴は髪と目の色。これは完璧にALOのアバターと一緒だ。

「菊岡め……妙な格好させやがって……」
「まあいいじゃん。なんかこの格好でデートするのも良いかもよ?」

 それだったらゲーム内で現実世界より遥かに多くやっているのだが……まあ、木綿季が嬉しいならそれに越したことは無い。
 そんなつまらないことを考えていると、木綿季の柔らかく、小さな手が俺の手を握った。

「早く行こ!」
「お、おう……って待て!いきなり走り出すな⁉︎」


 -To Be Continued……-







 ~小噺集・完~

 
 

 
後書き


イラストは「なべさん」に描いて頂きました。ありがとうございます。
転載はご遠慮ください。 
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