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空を駆ける姫御子

作者:島津弥七
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閑話1 ~追憶の日々【暁 Ver】

 
前書き
『暁』移転版の閑話1(ブログでは閑話3)。中々、本編が始まりませんが取り敢えず閑話です。それと最初に書いておけば良かったのですが。『空を駆ける姫御子』の本筋は原作沿いです。あくまで本筋ですが。 

 

──────── おはよう、兄さん




「ねぇ、ランスターさん。変な娘がいるって噂、聞いた?」

 スバル・ナカジマ。訓練校入学と共に同室となった。あたしほどではないが座学、実技共に優秀。何かとあたしにかまう態度や言動が目立つが、あたしは必要以上に馴れ合うつもりなどない。精々あたしの役に立ってくれれば良い。その程度にしか考えてはいなかった。

「変な娘?」

 思わず聞き返したが、生憎と該当する人物は思い浮かばなかった。敢えて名を上げるとすれば、目の前にいる彼女だ。そもそも他人の噂になど興味は無い。そんなものは関係ない。あたしの目標の為には。意味の無い世間話に付き合うつもりもなかった。

「うん。誰とも口を聞かないんだって。おまけにちょっと乱暴な娘みたいで……同室の娘も怖がって教官に許可を取って部屋を変えて貰ったって」

 それは随分な社会不適合者だ。集団生活が出来ないのなら最初からこんなところ(訓練校)へ来なければいいのだ。勝手にすればいい。結局、困るのは自分なのだから。

「放って置けば? 班は違うんでしょ……なに?」

「……ううん。何でも無い」

 この娘は時々、あたしに何か言いたげな視線を向けることがある。あたしは……その目があまり好きじゃ無かった。言いたいことがあれば言えばいいのに。その時。隣の部屋から聞こえた悲鳴で、あたし達は部屋を飛び出した。

 隣の部屋にいるのは同期の娘。名前は……知らない。興味もなかった。あたし達が入り口に駆けつけたのと、同期の娘が転がるように出てきたのは同時だった。

「ちょっと、どうしたのよ。今の悲鳴はなに?」

「は、蜂が……」

 震える声で名も知らない彼女が言った言葉にあたしは呆れた。開け放たれた入り口から部屋の中を覗き込むと、二匹の蜂が耳障りな羽音をたてながら部屋の中を飛び回っていた。ミツバチのようだ。窓が開いているところを見ると、そこから入ってきたのだろう。本当に馬鹿馬鹿しかった。たかが虫で。

「む、虫は苦手なの」

 殺虫剤の類いがないのか尋ねたが、案の定ないらしい。あたしは手近にあった彼女のノートを丸め、飛び回っている蜂を駆除せんと動こうとした時。その声が聞こえたのだ。

──── だめ

 呟くような囁き。なのにその声はあたしの耳にはっきりと届けられた。思わず振り返ると、部屋の入り口に一人の少女が立っていた。恐らく、あたし達と同期。訓練の時に見かけたような覚えがある。そこにいる同期の娘同様、名前は知らないが。夕焼け色した髪を背中へと流し、雪のような白い肌。何の感情も伺わせない左右色彩の違う瞳が、あたしを見ていた。

 やがてその娘は興味を失ったようにあたしから視線を外すと、右腕をゆっくりと挙げる。すると、それが合図だったかのように、二匹の蜂が彼女へ向かって飛んでいき、人差し指に留まった。二匹の蜂はまるで女王に付き従う兵士のように大人しくなっている。

 彼女は自分の指に留まった蜂に暫く茫洋とした視線を向けていたが、思い出したようにふらりと踵を返して何事もなかったように去って行った。

「……なんだったのよ、まったく」

「さっきの娘が、あたしが言った変な娘」

「そうなの?」

「うん。桐生さん」

 さっきの娘が、ね。変と言われれば……変だったけど。飛び回っていた蜂が、あの娘……桐生さんの指へ留まったのもどんな手品だろうか。ふと気がつくと、悲鳴を上げた上にあたし達に無駄な労力を使わせた同期の娘が、桐生さんの消えていったドアを見つめながら、何か得体の知れない物を見るような顔をしていた。後で知ったことだが、桐生さんの部屋から夜逃げ同然に出て行ったのが、この同期の娘だった。





「あ、あの」

 そこまで黙って話を聞いていたキャロが、手を挙げた。

「あんまりアスナさんと仲が良いような感じがしないんですが……」

 それはそうだ。アスナと出会った時の話なのだから。とある日にアスナの部屋で開いたちょっとしたお茶会。それぞれ手の空いている人間が、思い思いのお菓子を持ち寄っての『魔女のお茶会』だ。あたし達三人にキャロとエリオを加え、フェイトさんが保護者として憑いてきた。因みに誤字ではない。八神部隊長となのはさんも誘ったが、生憎と二人とも忙しいらしく辞退された。

 フェイトさんはミルクティーに砂糖を一杯だけ入れると、物珍しげにアスナの部屋を見渡した。

「どうかしましたか?」

「うん。前にちらっとだけ見た事があったけど……」

 フェイトさんの言いたいことは理解出来た。物がないのだ、アスナの部屋は。一言で言えば殺風景。ベッドとデスク。そして必要最小限の家具以外は何もない。デスクの上には別名『お兄さんホットライン』ことアスナの個人端末と、あたし達が出来るだけ視界に入れないようにしている『蟻飼育セット』。入ってるのが、土じゃなくて透明なジェルだから蟻のプライベートが丸見えで、いつ訴えられてもおかしくないほどだ。

 そして……問題なのが、窓際にある一際大きな水槽。広大な土地と植物と大きな池まであるという箱庭だ。その箱庭の主は、脳天気な顔をしながら池の中を泳いでいた。そう……アスナが『地球』から拉致ってきたあの蛙だ。命名、『ぴょん吉』。

 この蛙の処遇に関しては、紆余曲折、喧々囂々、一悶着も二悶着もあったが、調べたところDNAレベルでミッドチルダでも見られる種類だと判明した為に、大事には至らなかった。その御陰でアスナは始末書一枚で済んだわけだ。その結果彼は、今までよりも小さな世界で飼われることになってしまったが、抗議の声も上がらなかったので問題は無いはずだ。

 これは完全に余談になるが、ボブから話を聞いたお兄さんが、菓子折を持ってお詫びに来た。それを知ったアスナが全力で逃げ出したのをあたし達が総出で追いかけて……これは次の機会にでも話すとしよう。

「ねぇ、アスナ? ぴょん……吉だっけ? 何か由来でもあるの?」

 フェイトさんにそう問われたアスナはゆっくりとフェイトさんに顔を向ける。

「……どっこい生きてるシャツのなか」

 フェイトさんは可愛らしい困り顔であたしを見る。あたしが無言で首を振ると、何かを色々と諦めてくれたらしく、紅茶のカップへと口をつけた。

 スバルとエリオはあたしがお茶菓子として買ってきたモンブランとロールケーキを幸せそうな顔で食べている。このお店はパンもおいしいのだけれど、ケーキもいけるのでよく利用している。あたしは自分のカップへ紅茶を注ぎながらキャロの疑問に答えた。

「そりゃ、そうよ。お互い知らなかったんだし。スバルとの仲だって……同室だったからなんとかって感じかしら」

「……意外です」

 意外、か。確かにそうなんだろう。あの頃のあたしはとにかく頑なだった。

「あの頃のティアは怖かったもんね、アスナは怖いよりも『ヤバい』って感じだったけど」

「……うるせえぞ、洗浄剤みたいな色しやがって。トイレに立ってろ」

「ホント、いい加減にしないとぶっ飛ばすよ?」

「……やってみろや」

「二人とも黙りなさい?」

 いつものじゃれ合いではあるけれど、エリオとキャロがいる時は止めて欲しい。特にアスナの口の悪さが二人に移ったら、フェイトさんのお叱りがこっちまで飛んできそうだからだ。

「……本当は三人とも仲良しなんだよ、ね」

 フェイトさんの呟きが少々自信なさげなのは仕方ない。お互いの頬を引っ張り合っている姿を見れば尚更だ。スバルはあまり変わってはいないが、当時のアスナを見たら絶句してしまうに違いない。だけど、それは。あたしも同じかも知れないけれど。エリオとキャロの好奇心に満ちた視線に促されるように、あたしは続きを話し始めた。





「……何でこんな状況になったの?」

 訓練場の真ん中には、桐生さんが案山子(かかし)のようにぽつりと立っていた。だが──── 周りを囲んでいるのは長閑(のどか)な田園風景でも、鳥でもなく。少々殺気立った訓練生達だった。十数人の訓練生が彼女を取り囲んでいる。ナカジマ候補生は、少し緊張した面持ちで答えた。

「以前からそうだったらしいんだけど……教官の言うことを聞かないらしいんだ。それに腹を立てた他の子達が……」

 なるほど。以前から溜まっていた物がここにきて爆発したわけだ。この娘は今にも助けに飛び出して行きそうな感じだった。あたしは桐生さんがどうなろうと知った事ではないが、こんないじめ紛いな真似は気分が悪い。自業自得と言う言葉を教えてやりたいが、仕方なく付き合おうと思った時にそれは起こった。

 ──── 何の冗談よ、これは。彼女が振るう腕に。足に。()()にいったい、どれだけの力が込められているのか。桐生さんに殴られ、或いは蹴られた訓練生が風に煽られた木の葉のように吹き飛び、例外なく壁に叩きつけられていく。アレは違う。アレは戦闘などではなく一方的な……圧倒的なまでの暴力だ。

 どんなに強くても数には適わない。これが一般論であり常識でもある。だが、これはあくまで同じ土俵に立っていることが前提なのだ──── 象に蟻が数匹群がったところで勝てるわけが、ない。

 苦し紛れのように放たれた魔力弾も拘束せんと向けられたバインドも全て──── 幻のようにかき消えていく。足下を凍らせて動きを止めるような拘束も、そんなものは意味が無いとばかりに力任せに砕かれていった。

「……完全魔法無効化能力(Cancel Magic)

 ナカジマ候補生が呆けたように呟く。完全……何?

「完全魔法無効化能力。『マジックキャンセル』。魔法が効かないんだって。見るまで半信半疑だったけど……」

 本当にいったい何の冗談だろうか。何だそれは。レアスキル? あれほど『力』に恵まれている上に、そんなレアスキルまで持っているのか。……たちの悪い冗談だ。どいつもこいつも。あたしが喉から手が出るほど願った物を既に持っている。

──── こいつも『選ばれた』人間か。

 ナカジマ候補生の何か言いたげな視線から逃げるようにして、桐生さんを見た。最早誰も動く者がいなくなった訓練場に一人立ち尽くしている姿。その時のあたしは、身を焦がすほどの嫉妬でおかしくなってしまいそうだったのに──── 無性に……桐生さんが寂しく見えた。





「入りたまえ」

 あたしが僅かに緊張しながら教官室のドアをノックすると、中から氷のような返答があった。

「失礼します」

 あたしが教官室に入ると、長身痩躯の男が出迎えた。──── ヨハン・ゲヌイト。あたしやナカジマ候補生の担当教官で、あだ名は『骨』。少なくともあたしは入学以来、この男が笑ったのはおろか微笑んだのすら見た事はない。窓際に立っていたゲヌイト教官は痩せすぎで落ち窪んだ目をあたしに向ける。

「用件は理解した。だが……何故、君が桐生候補生のデータ閲覽の許可を求める? 理由を述べたまえ」

「障害になり得る人間の情報を事前に入手し、対策を練っておくのは戦略として当然です」

 あたしの返答に教官は眉を寄せる。間違ったことは言っていない。

「……了解した。『レベル3』までのデータ閲覽を許可する」

「ありがとうございます。……失礼します」

 あたしは教官室から退室した瞬間、拳で壁を殴りつけた。……ナカジマ候補生も、教官も。どうして、あたしがあんな()で見られなきゃいけないのだ。あたしは自分の()()の為に頑張ってるだけなのに……何が悪いのかわからない。あたしみたいな『凡人』は、どんな手を使ってでも強くならなくちゃいけないと言うのに。





 男はティアナ・ランスターが出て行ったドアを暫く見つめていたが、やがて視線を窓へと移した。

「……ティーダ。貴様の最大のミスは犯罪者を取り逃がした事でも、一人で先走った事でもない。妹を残して死んでしまった事だ。……戯けが」

 言葉の内容とは似つかない哀愁を含んだ音色は、誰にも聞き取られる事なく風と共に空へと消えていった。





 エリオもキャロも何とも言えない顔してる。仕方ないと言えば仕方ない。あの頃のあたしは、何一つ間違ってないと思っていた。……いや、違う。間違っていないと思い込もうとしていただけ。この二人の御陰でそれも……って、何それ。

 アスナの足下にいたのはでかい芋虫。アスナの手には、なにやら原始的なコントローラーのような物が握られていた。どうやら、おもちゃらしい。

「……モスラ。地球に生息する謎生物」

 あたしがフェイトさんの顔を見ると、ふるふると首を振る。また、お兄さんの嘘知識に騙されているらしかった。アスナがコントローラーを操作すると、でかい芋虫……モスラがあたしに向かって歩いてきた。……妙にリアルでちょっと気持ち悪い。

「……ティアナ。しゃがめ?」

 いやよ。……わかった、わかりました。あたしがしゃがむと、目の前で止まったモスラが首をきりきり持ち上げる。嫌な予感がすると同時に、あたしの顔へ勢いよく糸のようなものを吐きだした。なすがままに糸まみれになるあたしと、お腹を抱えて大笑いしているスバル。そして無言のアスナ。

 あたしは何も言わず無造作に顔から糸を引き剥がすと、アスナの顔を見た。

「……かわいいな?」

「うん、そうね。……二人とも、そこに正座」





「ねぇ、ランスターさん。桐生さんのこと調べてたって、ホント?」

 ナカジマ候補生から藪から棒にそんなことを言われた。あたしが何をしようと勝手だろうに。

「誰から聞いたの?」

「誰からだっていいよ。ホントなの?」

「本当だったらどうだってのよ。『レベル3』までだったから、たいした情報はなかったわ」

 実の所そうでもなかった。彼女のフルネームは『アスナ(Asuna)桐生(K)バークリー(Berkley)』。つまり()()バークリーの身内だ。両親はすでに他界していることからも娘かも知れない。利用できる。あたしはそう判断した。

「ホントに調べ損だったわよ? 兄一人。座学、実技共に優秀だが協調性がなく、性格に難あり。教官の心証も最悪だから無事に卒業できるか怪しいわね。とんでもない戦闘力と、あんたが言ってたレアスキルの詳細。アレは本当に魔導師の天敵であり、化け物」

 あたしがそこまで言ったところで、肩を万力のような力で掴まれた。

「何子供みたいに拗ねてんの? それとも、僻み?」

「……なんですって?」

「かっこわるいよ、そういうの」

「あんたに何がわかるってのよ。あたしのことなんか知らない癖に」

「知ってるわけないじゃん。話してくれないだから」

「あんたなんかに話してどうなるってのよ! あたしよりも『体力』も『資質』も『魔法』も恵まれてる癖に! 流石、『選ばれた』人間は言うことが違うわね? ……あんたなんかに、あたしの気持ちなんかわからないわ」

「……選ばれた、人間? あたしが? はは……そっか」

 彼女は力なく笑うとデスクに視線をやる。デスクの上にあるのはサバイバル訓練の時に支給されたナイフ。彼女はナイフを手に取ると何の気負いもなく、簡単に──── 自分の手のひらをナイフで引いた。

 止め処もなく溢れる彼女の血。驚きで固まっていたあたしは我に返ると、急いでメディカルキットを取り出し応急手当を試みる。わけがわからない。今の言い争いの流れで、なぜ自分の手のひらを切ったのかさっぱり理解できない。怒鳴り散らしたいのを我慢して手当を続ける。血が止まらない。かなり深く──── え? なに、これ。

「驚いた?」

 温かな人間の血が溢れ出す傷口から覗いているのは……冷たい金属。

「『戦闘機人』って言うの。あたしの体、機械なんだ。勿論、全部じゃないよ? 『機械』と『生体』の融合。人間を超えるべく造られた……それがあたし」

 言葉が、出ない。

「ランスターさんは恵まれているって言ったよね。当然だよ。そういう風に造られたんだから。あたしはね? お母さんから生まれてこなかったの。あたしが生まれたのは『ポッド』の中」

 もう……い、い。聞きたくない。

「こんな形で『選ばれ』たくなんか、なかったけどね。他の人を羨んでも、あたしの体が普通になるわけじゃないから。だったら全てを受け入れて、前に進もうって思ったんだ。ギン姉……あたしの姉もそう。あたし達の『力』で誰かを助けようって」

 わけがわからない。自分が人ではないことを何でそんな笑顔で話せるんだ。なんて──── 強いんだろう。

「あ、あはは。ちょっと偉そうだったよね。ランスターさんの方が座学も実技も優秀なのに」

 あたしはなんて──── 弱いんだろう。

「ちょ、ランスターさんっ」

 あたしは逃げ出すように部屋を飛びだしていた。だって仕方ない。ずっと目を逸らしてきた今の自分に気が付いてしまったんだから。あの日……兄さんの死を侮辱されたあの日からあたしは『ランスターの魔法』は役立たずじゃない……それを証明する為にがむしゃらに走ってきた。

 陸士訓練校に入学したのも……勿論、『空士』の適正がなかったという理由もあるが、一番の理由は人脈作りの為だ。訓練校には七光りの坊ちゃんや、強いパイプを持っている教官もいる。いざとなったら──── 自分を差し出しても良いとさえ考えていた。

 本当に呆れて物が言えなくなる。よく考えなくてもわかる。……もう少しで、あたしが兄さんの死を侮辱するところだった。兄さんの墓前で……もう死んでいる兄さんを平気で貶めた彼らと同じになるところだった。いつからあたしは──── こうなったのだろう。

 あたしが肩を落としながら廊下の角を曲がると……廊下の隅に誰かが猫のように丸くなっていた。最初は倒れているのかと思い慌てて近づいたが、どうやら寝ているらしい。安心しながら息を吐いたあたしの目の前を何かが鈍い羽音を立てながら通り過ぎていく。それは、蜂だった。あの時のミツバチだと思い至ったのはすぐだった。

 二匹の蜂はまるで、寝ている彼女を護るように旋回している。あたしは夢でも見てるのかと思った。信じ難いが、その二匹の蜂を護衛するように三匹のスズメバチが新たに現れたのだ。……天敵の筈なのに。

 あたしが近づくに近づけないでいると、廊下に寝ていた彼女が僅かに身じろぎする。彼女はむくりと起き上ると、あたしなど視界に入っていないとばかりに立ち去ろうとしたが、不意に静謐な瞳をあたしへと向けた。その視線は……置物を見るような視線だった。

「……だれ」

「この前、会わなかった? 名乗ってはいないけど、人の顔くらいは憶えて欲しいわ」

 彼女は暫くあたしの顔を見つめていたが、不意に視線をあたしの肩口のあたりへと逸らす。

「……だれ」

 何故か、同じ問いを繰り返した。誰かが背後にいるのかと思い、後ろを振り返るがそこにあるのは見慣れた廊下の姿だった。意味がわからないまま、彼女へ視線を戻した時には──── 彼女はすでに立ち去った後だった。

 本当に変わってる。いや、変わっていると言うよりも、言葉の通じない生き物を相手にしているようだった。廊下で寝ていたのも意味不明で、他の生徒はおろか教官ともコミュニケーションをとろうとしない。……アレは退学ね、きっと。……あたしは自嘲気味に顔を歪めた。馬鹿をことを。あたしも大して変わらない癖に。あたしに彼女を悪く言う資格などない。

「ティアっ、やっと見つけた。突然飛び出して行っちゃったからびっくりしたよ」

 ナカジマ候補生が廊下の角から現れた。額に汗をかいているところを見ると、無様にも彼女から逃げ出したあたしを探していたらしい。だが、これだけは聞いておく必要があった。

「何? その呼び方」

「え? あ! え、と……前からそう呼んでみたいなぁなんて……や、やっぱりルームメイトであるわけだしっ、……馴れ馴れしかった?」

 彼女の狼狽ぶりがおかしかったが、顔には出さない。

「……別に呼び方なんか何でも良いけど」

「そう、よかった」

 ティア、か。何だか背中の辺りがむず痒くなるような感覚がしたが、悪くないと思った。振り返ってみれば、兄さんが亡くなってから一人で生きてきた。……集団生活に馴染めなかったのは、あたしも一緒だ。それどころか、あたしは顔だけ後ろを向きながら全力疾走していたのだ。本当に嫌になる。変わらなければいけない。違う、元に戻るんだ。執務官を目指していた兄さんを応援していたあの頃に。

「ねぇ、ティア。……ちょっと食堂に行こっか」





 桐生さんが食事をしている。それ自体は別に珍しくはない。座る場所を確保するのに苦労するくらい混んでいるのに、彼女の周りだけぽっかりと席が空いていなければ。あたしが言っても説得力はないけど、ここの連中は子供ばかりなのか。

「いつもあんな感じなんだ。酷いよね。……ううん、酷いのはあたしも一緒。知っていたのに、今まで何も行動しなかったんだから。だけどもうって、ティア?」

「何してるのよ。早く来なさい──── ()()()

「……うん!」

 やっぱり背中がむず痒かった。





「ここ良い?」

 案の定、無視される。何やら周りの視線が集まっているが、知った事じゃない。何もしないあなた達に、そんな目を向けられる筋合いはないわ。何もしないのなら目と耳と口を閉じた猿のように、じっとしていればいい。

「お兄さんがいるのよね」

「……いる」

 やっぱり反応があった。偶然とは言え彼女を調べていたのが幸いした。なんだろう、適切な言葉が浮かばない。強いて言えば……()の感、だ。

「あたしにもいるのよ。もういないけど」

「……なんで?」

「あたしが小さい頃に死んじゃったの」

 会話が続いたのも驚きだが、その時初めて彼女の瞳に感情らしきものが覗えた。それにしても、この娘は受け答えが一拍遅れるな。声も小さいし、人と話し慣れていないんだろう。あたしが更に彼女へ話しかけようと口を開きかけた時、あまり関わり合いになりたくない人間が現れた。

 訓練校での有名人。尤も悪評でだが。親が管理局の高官らしく横柄な態度と、不遜な言動が目立つ人物だった。しかも、無能ではないものだから誰も意見できず、始末が悪い。こう言った人物の周りには、似たような人間が集まるのが常で、今日も取り巻きを何人か連れてる。それにしても……あたしはこんな人間に媚びを売ろうとしていたのか。我ながら本当に自己嫌悪に陥るしかない。

「どいてくれないかな?」

 溜息が出そうだ。理由もなく、どけと来た。

「何故でしょうか?」

 あたしの問いかけに、何故そんな事を聞かれるのか心底わからないという表情を浮かべる。

「何故も何も席が一杯で座る場所ないんだ。僕は君たちの先輩だし、優秀な人間が優遇されるのは当たり前じゃないか」

 頭痛がしてきた。

「彼女の周りの席が幾つか空いてますが」

「君たちがどけば、僕たちが全員座れるんだ」

 あたしの隣にいるスバルは、ぽかんと口を開けていて、桐生さんは男達が視界にすら入っていないようだ。冗談のような話だが、彼はこれを本気で言っているのだ。

「空くまで待てば良いだけの話しでは?」

 何かを言おうとした取り巻きを彼が手で制した。口元は面白い物を見つけたように笑っている。何を言う気かしらね。

「君は、ティアナ・ランスターだね?」

「……そうですが?」

「一部では()()だよ、ランスターの名は。君の兄さんの名前と共にね」

 ……こいつ、知っている。

「武装隊にいた結構なエリートだったらしいが」

──── 止めろ

「命令を無視して、一人で突っ走った上に、次元犯罪者を取り逃がし」

──── 黙れ

「その所為で、一般人にまで被害が出たそうじゃないか」

 激高して立ち上がりかけたあたしの視界に飛び込んだのは──── 音もなく彼の前に立った桐生さんだった。

「何だね、君は。どいてくれるのかい?」

 場違いな発言をする彼は、彼女から立ち上る異様な気配に何も感じていないようだった。周りがざわめきだした時、彼女の右足がすっと床から離れたかと思うと、次の瞬間には彼の股間を蹴り上げていた。

 彼は形容しがたい悲鳴を上げて股間を押さえながら床へと踞る。顔にはびっしりと脂汗をかき顔色も真っ青だ。スバルを見ると額に手をやりながら天井を見上げていた。生憎あたしは女だからか、その痛みは理解出来ないが樣子から察するに相当なものなのだろう。

 それをやった桐生さんは男の髪を両手で掴み無理矢理立たせ、そのまま勢いよく男の顔面へ膝を叩き込む。耳障りな音があたしの耳へと届いた。鼻が折れたのか、曲がってはいけない方向へと曲がり、勢いよく鼻血を吹き出す。桐生さんはごみを捨てるように彼を投げ捨てると、残った取り巻きへちらりと視線を送る。すわ、大乱闘になるかと思ったが、取り巻き達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 呆れかえるしかない。仮にも仲間だろうに。気が付けば不思議なことに、恐る恐ると事態を見守っていた周りの人間から歓声が上がっていた。よほど腹に据えかねていたらしいが、調子が良すぎる。

「現金なものね」

「いいんじゃない? 桐生さんが皆と仲良く出来る切っ掛けになれば。……ちょっとやり過ぎだと思うけど」

 そんなものなのだろうか。当の本人は他人事のようにデザートのプリンをつついていた。何故、桐生さんが親しくもないあたしの為にあれほど怒ったのかは、わからない。もしかしたら、その理由すら違っているのかも知れない。だけど、あたしは感謝した。あたしの代わりに怒ってくれた彼女へと。





「入りたまえ」

 ノックをすると相変わらず氷のように冷たく抑揚のない声があたしを迎えた。

「用件は理解した。私の教導に不満があるならば「違います」……何?」

「あたしではなく『アスナ・桐生』の担当教官を変えて欲しいんです。具体的に言えば、あたしとナカジマ候補生の班に入れてください」

「……私が担当教官になれと言う事か。理由は?」

「障害となり得る人間を傍に置いた方が、対処がしやすいからです」

 我ながら苦しい理由だと思った。さて、どう出るか?

「了解した。今日、明日中にも手続きをしておく」

「へ?」

「どうかしたかね」

 あまりにもあっさりと承諾された為に、間抜けな声が出てしまった。

「い、いえ、何でもありません。それともう一つ。昨日の食堂での一件ですが」

「何の話だね」

「……報告を受けていないのでしょうか?」

「知らん。私の耳に入っていない以上、誰も処分する事は出来ない。以上だ」

 ……嘘だ。あたしは()()()()()としか言っていない。なのに何故、()()されるであろう人間がいる事を知っている? この人が何を考えているのか、さっぱりわからない。まぁ、いい。目的は果たした。あたしは自分をそう納得させた。

「ありがとうございました」





 男はティアナ・ランスターが出て行ったドアを暫く見つめていたが、やがて視線を窓へと移した。

──── ティーダ。どうやら()が変わったぞ?

「ティアナ・ランスター、スバル・ナカジマに、アスナ・桐生か。……面白くなりそうだ」

 男は実に数年ぶりに……楽しげに笑った。男はまだ知らない。『ティアナ・ランスター』、『スバル・ナカジマ』、『アスナ・桐生』。この三名が後に、他の訓練生達から畏怖を込めて呼ばれる名だと言うことを。まるで生まれてからずっと一緒だったかのような息の合ったコンビネーションを見せることを。そして他校との模擬戦、交流戦に於いて訓練校始まって以来の撃墜数を叩き出すことになるなど──── 男はまだ知る由もなかった。





「こんなところかしらね」

「ちょっぴり不安でしたけど……なんだかとっても素敵です」

 素敵、か。キャロにそう言われるほど、今の自分はまっすぐ立っているだろうか。

「また違うお話も聞きたいです」

「それは、また今度ね」

「あ、あの、ティアさん」

「何? エリオ」

「そろそろスバルさんとアスナさんを……」

 正座させっぱなしだったのを、すっかり忘れていた。正座を解いた二人は、待ちきれなかったように後ろ手に隠していた物をあたしに見せながら、こう言ったのだ。本当に、唐突に。

「花火やろうよ!」





 アスナの部屋に置いてあるがらくた入れと言う名の大きなダンボール。アスナは頑なに宝箱と言い張っているそれから、スバルが花火を見つけ出した。線香花火と言うらしい。なのはさん曰く五月蠅くないとのことなので日も落ちた頃、他の寮組の人間も巻き込んで花火大会と相成った。

 なのはさんはしきりに懐かしいと言っている。うん、いいなこれ。派手さはないけれど、何だか懐かしいような気分になってくる。そして終わった時の何とも言えない寂しさ。心が、静かになるようだと思った。

 そんな感傷に耽っていると、あたしの目の前に黒い小さな塊が落ちてきた。それは煙を出しながら、ぷるぷる震えていたかと思うと、にゅるにゅると擬音が聞こえてきそうな勢いで地面をのたくった。

 落とした張本人を見上げる。

「……うんこはなび」

 もう一度、下を見る。地面には未だに風情もへったくれもなく、のたくっている得体の知れない物体。あたしは無言で立ち上がり、アスナの顔をもう一度見る。

「……うんこはなび」

「うんこ、うんこ連呼するな!」

「ティアもだよ」

 いつもの喧噪。だけど、これが堪らなく心地よいものにいつの間にかなっていた。……兄さん。もうあたしは大丈夫だから。この娘達がいる限り、あたしはもう間違えない。だから安心して休んで? ありがとう、そして──── おやすみなさい。







 ~閑話1 追憶の日々 了

 
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