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空を駆ける姫御子

作者:島津弥七
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第九話 ~アスナが地球へ行くお話 前編【暁 Ver】

 
前書き
『暁』移転版の第九話。よく見かける『サウンドステージ』の地球編ですが、面影はまったくありません。 

 


──────── なんでこんなに赤い




 突然ではあるけれど『地球』と呼ばれる次元世界がある。あたし達は便宜上、次元世界と呼んでいるが正確には惑星。管理局に於ける正式名称は、『第97管理外世界』。……八神部隊長となのはさんの出身世界。六課の職員は大抵『ミッドチルダ』出身だが、それ以外の人間も勿論いる。キャロの出身世界である『第6管理世界』。ヴァイス陸曹は『第4管理世界』。スバルと仲が良いアルトは『第3管理世界』出身だ。

 管理局が『管理』している次元世界は数多あるが、高度な知的生命体……つまり、『人』が文明を築いている世界は少ない。稀少と言っても良いだろう。その殆どは『無人世界』だ。『人』が存在している現存の管理世界も全て平和的な交渉で管理世界となっている。武力を行使した事例などないし、過去に於いてもそんな事実はない。()()()()を混同している人が、ミッドチルダでも意外と多いのは事実だけど。

 さて。何故今更こんな話をしたのかと言うと、あたし達は現在ヴァイス陸曹が操縦するヘリに搭乗し転送ポートへと向かっている。……『地球』へ行く為に。






「いきなり部隊長室へ集合なんて、なんだろうね? ティア」

 あたし達が部隊長室へ向かって歩いている途中、スバルがアスナの着ているTシャツを凝視しながら、あたしへと問いかけてきた。正直に言えば、あたしに聞かれても困る。アラートも鳴っていないし、緊急事態ではないだろうけど。スバルの、お前がツッコめよと言わんばかりの視線を無視する。何も言わないあたしを恨めしそうに見ながらスバルは口を開いた。

「アスナ……そのTシャツなに?」

 言われた当の本人は意味がわからなかったのか、スバルの顔を見て少しだけ首を傾げた。

「いや、シャツ自体は変じゃないんだよ? ただ……なんで『勝ち組』って書いてあるの?」

「……私はなにもかもが、勝ち組だからな?」

「え、なんで?」

「……元お姫さまで、いまはお嬢さま。将来はお兄ちゃんに養ってもらうのが、きまっています。おまけに、美少女な。あと、プリンがすきです」

 スバルのこめかみに青筋が立っているのを横目で見ながら、足早に歩を進める。巻き込まれない為に。スバルは何かを言おうとしたようだが、結局黙る事を選択した。お姫様云々は、この娘の頭が残念なだけだが、他は間違っていないから始末が悪い。あと、プリンは関係ない。






「派遣任務、ですか?」

 部隊長室にはすでに殆どの人間が集まっており、あたし達が最後のようだった。八神部隊長はあたし達が入るのを見届けると経緯を話し始めた。

「聖王教会からの依頼でなぁ……向こうも人手不足やから仕方ないわ。んなもんで、ウチにお鉢が回ってきたってわけやな」

 人手不足はウチ(六課)も一緒だろうに。なんやかんやで理由をつけられて、上の連中から押しつけられたってところか。それにしても……六課の主要メンバー全員で行く必要があるのだろうか。

「まぁ、正式な任務でもあるし、無下にも出来へんからな。今回は派遣先にあるロストロギアの捜査及び必要があれば封印ってとこやな。レリックの可能性もある訳やし」

 確か、聖王教会の騎士カリム……階級は少将だったか。六課の設立に尽力した一人だと聞いている。八神部隊長とはプライベートでも懇意にしているという話だから、そのあたりも理由としてあるんだろう。

「それで、派遣任務はどちらへ」

「ん。第97管理外世界『地球』や」

 それは、また……八神部隊長となのはさんにとっては里帰りになるわけだ。なのはさんは、暇を見つけては定期的に帰っているらしいけれど。

「なんや、三人とも……アスナちゃんは、今ひとつわからへんけど。リアクションがうすいで」

 八神部隊長は大変不満そうだけど、仕方ない。興味がないと言えば嘘になるけど、遊びに行くわけじゃないのだから。

「ティアナは大人やな。……せやけど黒の下着は、ちょう早いと思うわ」

 あたしは、八神部隊長ではなく隣で関係ないような顔をしているスバルを睨みつけた。この馬鹿は、よりにもよって、お兄さんへあたしの下着を見せたらしい。お兄さんとアスナへ口止めをしておけば問題ないと判断しらしいが、お兄さんはともかくとして、アスナは口止め料としてスバルから献上された有名菓子店のプリン詰め合わせを全て平らげた上で、あたしへとあっさり事の真相をばらした。

「あんた憶えときなさいよ」

 事情が事情だったし、幸いにもお兄さんの手に渡るという最悪の事態は免れたようだけど、それとこれとは話が別だ。スバルはアスナを恨めしそうに見ているが、当のアスナは何もない場所を猫のように見ているだけだ。

「……ティアナは、しずかにしてください」

 なんてこと。アスナに注意されたわ。

「お、アスナちゃんは偉いなぁ。流石、勝ち組やな」

 このままでは収拾が付かなくなりそうだったのと、シグナム副隊長の形の良い眉がきりきりと上がっていくのを見て、八神部隊長に続きを促した。

「ん、出発は明日や。各自準備しといてな。現地では、私らをサポートしてくれる民間協力者が待っとる。あと、13:00から今回の派遣任務に関してのミーティングやるから会議室に集まってな。以上や」

 派遣任務、か。せめて新しいデバイスが支給されてからの方が良かったけど。あたしのアンカーガンやスバルのローラーブーツも、そろそろ()()が来ている。自作だから仕方ないわね、これは。それはさておいて、気になるのはこの娘だ。

 誰も気づいていない。気づいているのはあたしとスバルぐらいだろう。いつも通りのぼんやり顔だから、わかり難いけど──── アスナのテンションがうなぎ登りだった。あたしは何も起こりませんようにと、天に祈ったが大抵の場合。神とやらは、あたしの願いを聞いてくれた試しはなかった。






 アスナが、来ない。ヘリポートへ集合していたあたし達だったが、アスナが来ないのだ。昨日、八神部隊長から話を聞いた時の嫌な予感が当たったのか、それとも始まりに過ぎないのか。少し心配になってきたので、探しに行こうと思った矢先に目当ての人物が子供のような足音を響かせながら、やってきた。……まるで登山にでも行くような大荷物を背負ってだ。

「アスナ、その荷物はどうしたの?」

 背中のバックパックだけではなく、両手には抱えるようにして大きなバスケットを持っている。

 アスナはそう問いかけたあたしを見てから六課の面々を見渡して、もう一度あたしを不安そうな瞳で見つめた。

「……だめ、でしたか?」

 さぁ、どうする。ここでダメなんて言ったら、しょんぼりして部屋へ戻っていく姿が容易に想像できる。だけど、流石に荷物が多すぎだ。任務で使う機器以外の私物は最小限。昨日のミーティングでそう言った八神部隊長の注意にも()()があるのだから。

 あたしが荷物を減らすように言おうとすると、視界の隅を輝くような金糸が通り過ぎた。彼女は少しだけ躊躇いがちに前に進み出ると、ふわりと微笑みながらアスナへと話しかける。

「少しだけ荷物を減らそうか? たくさん荷物があると転送ポートの重量制限に引っかかって地球へ行けなくなるからね。バスケットはお弁当でしょ? これは大丈夫だよ。エリオもスバルもいっぱい食べるしね」

 因みに転送ポートに重量制限などない。彼女……フェイトさんを初めとする六課の面々は、最近アスナの扱い方が上手くなってきた。いや、違うか。フェイトさんはただ、アスナの気持ちに水を差さないようにしたのかも知れない。アスナはフェイトさんの紅玉のような瞳を見つめながら、かくりと頷いた。

「はやて?」

「少し遅れるくらい平気や、かまへんよ」

「うん、ありがとう」

 フェイトさんはその返答に満足したように頷くと、受け取ったバスケットをエリオに渡し、アスナの手を引きながら隊舎へと戻っていった。恐らく寮まで戻ると時間が掛かるので、隊舎にあるロッカーを利用するつもりなんだろう。周りを見渡してみると、皆一様に苦笑を浮かべている。だけど、その表情にも瞳にも。負の感情は見られなかった。

 アスナが六課へ来たあの日。あまりにも簡潔すぎる自己紹介に、訓練校時代と変わっていないことを安堵して、それと同じくらい心配もした。しかし、六課の皆を見る限りその心配はきっと。あたしの杞憂に終わるんだろう。神様へのお願いは外れることが多いが、自分の感はあまり外れたことはないのだ。






 アスナの心は踊っていた。兄である桐生からずっと聞かされていた地球の話。興味がいつしか憧れへと変わりいつか訪れてみたいと思うようになったのだ。傍から見ても、はしゃぎすぎているような気もするが、それも仕方ないことだろう。何しろこれから行く地球の『日本』は兄の生れ故郷でもあるのだから。……厳密には違うのだが、アスナはそれを知らないし、知る必要もない。桐生も敢えて口にはしなかった。そんなことはアスナの憧れの前では──── 些末なことに過ぎないのだから。

「アスナ、少し落ち着こうよ。地球は逃げないし、もうヘリの中だから、ね」

「……スバルはどうしてそんなに落ち着いてるの? 大人だからか? ティアナみたいに下着もくろですか?」

「ティアが凄い目をして睨んでるから。こっち来て、座って。ね?」

「……ランスターの弾丸はちゃんと敵を撃ち抜けるんだって!」

 ティアナの形相が、鬼もかくやといったものへ変わるのをスバルは確認すると、色々なものを諦める。そして、自分の鼓膜を守る為にそっと耳を塞いだのであった。






 アスナは本当に困ったものだ。地球へ行くのが嬉しいのはわかるけど、遊びに行くわけじゃないのだから。現在アスナは、キャビンの片隅で正座させている。俯いているアスナをエリオとキャロが心配そうに見ているが、アレは間違いなく反省などしていない。時々捨てられた子犬のような目をしてあたしを見るので、飴玉を放ると大人しくなった。

 あたしは手元にある端末でこれから行くことになる場所の資料を確認した。第97管理外世界『地球』。文化レベルB、魔法文化はなし、ね。エリオとキャロは魔法文化がないことに驚くと同時に、そんな世界から隊長陣のようなオーバーSランクの魔導師を輩出した事に驚いていた。あたしとスバルは、それほど驚いていない。それはなぜか──── そろそろ足が痺れてきたのか、挙動不審になってきたアスナをスバルと共に見る。あたし達から見ればリンカーコアもないのに、魔力を体内で生成出来る不思議生物が身近にいるからだ。

 そろそろ転送ポートに到着しようという時に、八神部隊長から声がかかった。

「昨日ミーティングで説明したけども、一応説明しとくで? これから行く場所は管理外世界や。本来は、ウチ(ミッドチルダ)から何か持ち込むのも、向こうから持ち帰るのもかなり厳しく制限されとる。忘れんといてな?」

 八神部隊長の言うことは尤もで、そもそも正式な交流がないのだ。そんな世界から例えば……お互いの世界には存在しない固有種。つまり動物や昆虫。植物の種子を持ち込み、不用意に繁殖でもさせてしまったら。ミッドの生態系が狂ってしまう。その逆も然りだ。それが例え、ウイルスのようなものであったなら最悪の事態になりかねない。その為にシャマル先生も同行している。八神部隊長は、その後もいくつかの注意事項を告げるとあたし達を促すように両手を胸の前で軽く叩いた。

「ん。そろそろ転送ポートに着くで。準備してな」

 少しだけ体を震わせる振動と共に、あたしたちを乗せたヘリは転送ポートへ降りたった。初めて見る事になる世界への期待と──── ほんの少しの不安と共に。






「……綺麗」

 誰かが惚けたように呟いた。空の青を湖面に写し、日差しを浴びてきらきらと輝いている。その湖を護るかのように深緑の森が広がっていた。湖畔にはテラスのあるコテージもある。転送ポートから跳んできたあたし達を出迎えたのはそんな光景だった。この光景を見ればアスナも少しは落ち着くかも知れない。

「あの、なのはさん」

「ん? どうしたのティアナ」

「アスナは?」

「え、あれ?」

 なのはさんと一緒に周りを見渡してみても、ぼんやり顔だけ見当たらない。

「もしかして、どっか行っちゃった、かな?」

 なのはさんの言葉が合図だったかのようにスバルが急いで耳を塞いでいるのが見える。ええ、正解よ。伊達に長い付き合いじゃないわね。あたしは大きく息を吸い込むと──── 静かな湖畔には、到底似合わない今日一番の大声を張り上げた。






『アスナはもう地球へ到着しただろうか』

 ボブの言葉を聞いて桐生は、うんざりとしたように顔を上げた。

「ボブ? もう何回目ですか」

『しかし管理外世界だ。それに今のフラッターは只の()()()()()なんだぞ?』

「問題ないと思いますが。あなたがいないと、幾つかの機能が制限されてしまいますが、通常使用には支障ありませんよ。それに管理外世界とは言っても、未開の世界ではありませんから野蛮な原住民などもいません。恐ろしい怪物もいません。紛争地帯でもなければ、治安も比較的良好です。とくに日本は、ね」

 遠隔操作によってボブから制御されている『フラッター』の欠点であった。流石に管理外世界まで行ってしまうと遠隔操作は不可能だ。有事の際はボブの『コピー』をインストールし、その後で本体と統合するのだが、コピーする方法も『工房』でのマニュアル操作となる為に今回のような緊急のケースには対応できなかった。

『……私はデバイスのAIとしては、大きくなりすぎた。余計な機能も随分と多い』

「それはあなたの責任ではありませんよ。私とアスナがそう望んだんですから」

 アスナが『ボブ』と名付けたAIが自我を持ち始め、共に過ごしていく内に桐生もアスナも彼を只のAIとして見ることが出来なくなってしまっていた。デバイスマイスターとしては笑い話にもならないかも知れないが、桐生はそれで良かったと思っている。

 作業が一段落したのか、桐生の指は当たり前のように煙草へと伸びていた。

「それに、余計な機能なんて言うとアスナが悲しみますよ?」

『それは、そうだね。すまない』

 それ以降何も言わなくなったボブを見ながら、桐生は煙草に火をつける。ゆらゆらと揺らめく紫煙を見つめながら今は異世界にいる彼女に思いを馳せた。その当の本人は現在、大絶賛逃亡中だとは夢にも思わずに。






 見たことがあるようで見たことのない町並みが、アスナの心を震わせていた。アスナが生まれた世界とも違う、桐生が生まれ過ごした世界。アスナは何かを忘れているような気がしたが、視界にそれを捉えるとすぐに忘却してしまった。アスナの目の前には赤い立方体。日本語は桐生に幼い頃から教わっていたので、話せるし読み書きも出来る。それは、こう読めた──── 郵便ポスト。

「……なんでこんなに赤い」

 因みにミッドチルダで見られる一般的な郵便ポストは形状が違うし色は青だ。尤も、絶対数が少なくなってしまっている。アスナは暫く叩いたり投函口に手を入れたりしていたが、後ろから掛けられた声に思わず振り返る。

「おや、この辺りじゃ見ないお嬢さんだねぇ。外人さんかい」

──── 本当に可愛らしいこと。お名前は?

 ほんの一瞬だけ。アスナの大切だった人と姿が重なった。

「ありゃ。おばあちゃんが声をかけてびっくりさせちゃったかい」

 アスナは違うと思い直す。当たり前だ。アスナの母であり、祖母でもあった人は、もういないのだから。だが、目の前にいる年老いた女性は何故か思い出させる──── その人を。アスナが逃げ出すようにその場から立ち去ろうとすると、女性が転倒した。擦れ違った学生の集団とぶつかったらしい。ぶつかったことには気が付いているが、誰一人として女性を助け起こそうとする人間はいなかった。

「……おい」

 ティアナとスバル曰く。アスナの声は酷く小さいのに、何故か聞き逃さない。そんな声が学生達の耳を打った。振り返った彼らが見たモノは。三日月のように口角を吊り上げて嗤う少女の姿だった。






 八神部隊長から直々に『桐生アスナ(珍獣)捕獲作戦』の実行部隊に任命されたあたしとスバルは、フラッターから送られてくる行動記録の信号を追って町を走り回っていた。念話にも応答しない。元々アスナは念話を苦手としていた。

「どう? ティア」

「この近くのはずなんだけど……」

 やがて、あたしとスバルがたどり着いたのは木造の一軒家だった。アスナの家とは違って、何処となく郷愁を誘うような気分にさせる。この気持ちはいったい何だろう。割と広めな庭の片隅には塗装のはげたブランコ。久しく動かしていないのか、錆び付いたその姿が漕いでくれる人を待っているようで、何処となくもの悲しかった。

 生け垣の隙間から恐らく居間であろう部屋が目に入る。他人の家を覗き込む行為に今更ながら気が付いて、慌てて視線を逸らそうとする前に──── 目に飛び込んできた光景にあたしは時を止められたかのように固まった。スバルもあたしの様子を怪訝そうに見ていたが、つられるようにあたしの視線の先を見て同様に動きを止めた──── あのお馬鹿、人ん家で飯食ってやがる。






 アスナの瞳を捉えて離さない料理は、焼き鮭に出汁巻き。里芋の煮っ転がしとお味噌汁という典型的な和食だった。偶然にもアスナが桐生に教えて貰いながら憶えた料理ばかりだ。脂の乗った鮭は噛むと口いっぱい旨味が広がる。ほこほこした里芋は味が良く染みていた。化学調味料の()()()がしない味噌汁は優しい味がした。

「アスナちゃんは強いんだねぇ。だけど、喧嘩はいけないよ。……おいしいかい?」

「……はい」

 六人いた学生達を僅か十秒足らずで沈黙させたアスナは全員に正座をさせた挙げ句、この料理を作った年老いた女性──── 穂村さえと名乗った老婦人へ謝罪させた。……さえは恐縮しきりではあったが。その後、何故かアスナは食事に誘われたのである。

「こう見えても若い頃は、定食屋の看板娘だったんだよ。ありゃ、お客さんかねぇ。ちょっと待ってておくれ」

 生憎とアスナにはわからない言い回しだった。看板でも持って歩いてたのだろうかとアスナは考える。後でティアナに聞こうと思いながら出汁巻きへ箸を伸ばした時。

<随分と美味しそうなもの食べてるわね、アスナ>

 地獄から響いてくるような念話が聞こえた。居間から玄関へと視線を動かすと、腕を組んだティアナと、笑みが若干引きつっているスバルがいた。

「……私はアスナではありません」

「じゃ、誰なのよ」

「……アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアといいます」

「長いのよ、どこの貴族だ。ていうか、アスナって入ってるわよ」

「……お姫様な?」

「イイカラ、セツメイシナサイ」

 現地時間、AM 10:32。桐生アスナ──── 確保(捕獲)






「何をしたのか、わかってるの? 訓練をサボるのと理由(わけ)が違うのよ。だいたいあんたはね」

 あたしの小言を聞き流しながら、途中だった食事へと戻ろうとするアスナ。

「人の話を聞きなさい」

 いい加減、こいつをどうしたものか考え(あぐ)ねていると、スバルまで食事を振る舞われている姿が目に入る。あたしはふつふつと沸き上がる怒りを押し殺しながら、気を取り直す。心を落ち着かせるように息を吐き、さぁアスナの説教へ戻ろうと振り返ると誰もいなかった。

 あたしは全てのやる気を心のごみ箱へと放り投げ、人様の家だと言うことも忘れ大の字になって転がった。このまま不貞寝でもしてやろうかと考えていたところに、アスナが戻ってくる。

「何処に行ってたの?」

「……といれ」

「ああ、そう」

「……おっきいほうじゃない」

「そんな報告はいらない」

 アスナを下から見上げながら溜息をつく。これが悪意を持ってやってるんなら本気で怒りもするし、さっさと見放してしまうだろう。我ながら損な性分だと思う。……いつからだろうか。あたしがこうなったのは。周りを見ず、意見を聞かず、前を向いていたつもりが、後ろを見ていたあの頃。それは頑張ってるんじゃなくて、無理をしているだけだってことに気付かせてくれた親友が()人。彼女達に出会わなければ、あたしは今ここにいただろうか。……きっといたとしても酷く歪んでいたに違いない。

 珍しくスカートを履いている彼女を再度見上げる。取り敢えずは、そうだ。寝転がっている人の傍にそんな短いスカートを履いて近づくことの危険性を説くことにしよう。あたしは視界に入る眩しい純白と、可愛らしい猫のワンポイントを見ながら、そんな事を考えていた。






 彼女は腹を抱えて笑っていた。言葉通り、両手でお腹を押さえながら。笑う度に山吹色した髪が揺れる。

「そ、それで? あ、あんたたちの新人の一人が、つ、着いた早々逃げちゃったわけ?」

「笑い事やないで……アリサちゃん」

「ごめんごめん。それにしても、結構な問題児ね」

「本人に悪気はないんやけど、行動が読めないんやなぁ。今回もテンション上がってもうて、どないしよう? 取り敢えず走っとけ、みたいな感じやろうし」

「……猫みたいだね」

「そうやな。すずかちゃんの言う通り、どっちかって言うと猫や。間違いなく。気紛れやしな」

 すずかと呼ばれた少女は『猫』と言う単語に僅かに反応したが、曖昧な笑みを浮かべながら頷いた。

「それにしても今回の任務は随分と急だったわね。()()提案が実現したら、もっと協力してあげられるんだけどね……」

 コテージのテラスにて、はやてと一緒に雑談に興じているのは『地球』に於ける民間協力者……アリサ・バニングスと、月村すずかである。はやて達の()()を知っている数少ない地球人であり、なのはやフェイトと同じように親友という間柄でもあった。

 協力者とは言っても、管理局と直接関わっているわけではなく、今回のような任務があった場合に宿泊先や食事を用意するという程度であった。アリサが言った『提案』とは、バニングス家と月村家は過去に、今まで通りの協力内容に加えミッドチルダと地球の通貨を両替する対価として、ミッドチルダの技術提供を提案をしたことがある。謂わば、外貨両替ルートの確立だ。

 バニングス家はビジネスとして。そして、月村家はミッドチルダの科学技術に興味を示したわけだが、管理局は、この提案を『メリットが薄い』として拒否した経緯があった。高町なのはを例に上げれば、彼女はかなりの高所得者であるにも拘わらず、結果的に只の一円も実家に送ることが出来ないのだ。尤も、両家共に未だ諦めてはいないらしいが。

「……難しいなぁ」

 その呟きは、誰のものであったか。アスナの扱いに頭を悩ませる八神はやてのものか、交渉が事実上暗礁に乗り上げていることを悩む両家のご息女のものか。それは誰にも聞かれることなく空気に溶けていった。






「本当にご迷惑をおかけしました」

 あたしとスバルはおばあさん──── 『穂村さえ』と名乗った女性に頭を下げた。明後日の方を向いていたアスナの後頭部を掴み、同じように下げさせる。彼女は、そんなあたしたちのやり取りを微笑ましげに見ていた。何かとても──── 懐かしいものを見るような。優しい目で。

「いいんだよぅ。あんな賑やかな食事は久しぶりだったからねぇ。こっちこそありがとうね」

 あたしとスバルは、もう一度深々と頭を下げ礼を言った。すべての発端であるアスナは何も言わずに、さえさんを見つめていた。どうしたのだろうか。

「……おばあ……ばあちゃん」

「うん? どうしたんだい」

「……もし、()()()()、うれしい?」

「そうさねぇ。嬉しいねぇ。だけど年寄りの戯言さ。あすなちゃんは、気にしなくていいんだよ」

「……はい」

 あたしとスバルはお互いに顔を見合わせる。何の話をしているのか。






 帰りの道すがらアスナは終始無言だった。この娘の無言は今に始まったことではないけど、何かを考えているようにも見える。何かを、悩んでいるようにも。気にはなったが、アスナが話してくれるまで待つことにしよう。

──── そんなわけあるか。

 あたしはアスナの後頭部を思いっきり引っ叩いた。アスナは、のろのろと右手を後頭部へ持って行くと、あたしに叩かれた箇所を擦りながら、睨む。

「あんたが何を考えて、何を悩んでるのか知らないけど。あたしは、あたし達はそんなに頼りにならない? 話しなさい。言っておくけど、『親友なんだから何でも話してよ』なんて理由じゃないわよ。そういう安っぽいドラマみたいな台詞は嫌いよ。……あたしはね? あんたに頼りにならない人間って思われてるのが、我慢ならないのよ」

 我ながら呆れた暴論だと思うが、この娘はこれくらいじゃないと人に頼らないのだ。

「……ありがとう」

 そう言ってアスナは──── 滅多に見ることが出来ない顔で微笑んだ。






「八神部隊長。ただいま戻りました」

「ん、お疲れ様。アスナちゃんは」

 あたしが指さした方向へ八神部隊長が視線を向ける。アスナは、湖畔に建つコテージの陰に隠れるようにして、こちらをじっと見ていた。

「怒ってないで? ちょうお説教はするけどな」

「……シグナムは?」

 シグナム副隊長からあまりにも多くお説教を受けた所為で、完全に苦手意識が芽生えてしまったらしい。自業自得だけど。幸いにもシグナム副隊長は手の空いている人間と一緒に、サーチャーの設置に行っているようだった。

「いつまでもそないなとこにおらんと。すっかりシグナムが苦手になってもうたなぁ。あぁ見えて地味に凹んどるんやで?」

 怖ず怖ずと出てきたアスナは、そのままスバルの背中へと隠れてしまった。悪いことをした自覚はあるらしい。

「はやてから話を聞いたときは、どんなやんちゃな子かと思ったけど……何この小動物みたいなの」

「アリサちゃん、失礼だよ」

 フェイトさんと同じ髪の色をした快活そうな女性と、藤色の髪をストレートにしている芯の強そうな女性に声を掛けられた。恐らく、八神部隊長が言っていた民間協力者だろう。

「三人とも紹介するな? こっちでの民間協力者や。私となのはちゃん、そしてフェイトちゃんの幼なじみでもある。この子がティアナ・ランスター、青い髪の子が、スバル・ナカジマ。んで、スバルの背中にひっついとるのが、さっき話しとった桐生アスナちゃんや」

「アリサ・バニングスよ。宜しく」

「月村すずかです」

「……おなかいたい」

「アスナは人見知りにも程があるよ。痛い、痛い。あたしの背中を掴みすぎ。宜しくお願いします」

 スバルには悪いが、もう少し我慢して貰おう。それよりも先にやることがある。

「はい、宜しくお願い致します。……八神部隊長。少々お時間を頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」

「かまへんけど……」

 あたしの視線を合図にスバルがアスナを八神部隊長の前に連れ出した。海を思わせる紺青と、草原のような翠が八神部隊長を見つめる。アスナは少し迷ってる樣子だったが、やがてこう切り出した。

「……まほうで」

「うん」

「……まほうで雪をふらせる方法を教えてほしい」

「雪、やて?」

 こうして。あたし達にとって『力』であり、『手段』であり、『武器』でしかない魔法を使った今回の派遣任務とは関係ない『重要任務』が始まったのだ。たった一人の老婦人の思い出の為に。







 ~アスナが地球へ行くお話 前編 了

 
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