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空を駆ける姫御子

作者:島津弥七
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第二話 ~始まる前のお話 後編【暁 Ver】

 
前書き
第二話 『暁』移転版 

 

──────── 御互いに譲れない物があるんだから、殴り合うしかないだろ?







 この世界に彼が来てから一年ほど経過していた。『紅き翼』と名乗るメンバーと出会い行動を共にするようになり『大戦』と呼ばれる戦争に参加した。血の臭いが途絶えることのない戦場。紅き翼のメンバーが、息をするように。食事をするように。それが『当然』だと言うように敵を屠っていく中。

 彼は──── 桐生は酷く疲弊していた。

 当たり前の話である。転生前は掛け値なしの一般人だった。戦争はおろか成人してから喧嘩すらした事はない。元々争いごとが苦手なのだ。

 転生前に『彼女』からこの世界の状況を聞いたとき、真っ先にお願いしたのは『精神の強化』だった。自分の意志で戦争に参加するにしろ、しないにしろ保険をかけておくに越したことはない。戦場ストレスに陥るのは避けたかったし、血や遺体を見る度に気分が悪くなっていては、とてもやっていけない。

 それでもストレスは溜まる。初めて戦場に出て『能力』を使ったときは手足が震えた。自分を殺そうとする敵軍の兵士であっても殺さないように『力』を振るった。彼の常識では殺人は犯罪である。『戦争だから人を殺してもかまわない』という図式は彼の中では成り立たなかった。

 彼は正しく──── 臆病者だった。







 戦うのにも慣れてきた頃──── 彼は今も戦場に立っていた。東洋人を思わせる黒髪。鼻先に乗せるように掛けられている小さな丸眼鏡。黒のタートルネックのセーターに黒のジーンズ。血のように紅い靴紐が結ばれた黒のスニーカーを履き、黒のハーフコートを羽織っている。華々しく戦場を駆け抜け、英雄の如き活躍をみせる『紅き翼』の中で彼は異質な存在であった。

 今も何をするでもなく、ただ立っている。武器を持っているわけでもなく魔法を使うわけでもない。にも係わらず、彼を取り囲んでいる兵士は動けなかった。そんな状況に焦れた一人の兵士が剣を構え彼に襲いかかる。

 人体から決して聞こえてはいけない音と共に兵士は短い悲鳴をあげると、その場に倒れ込んだ。彼を取り囲んでいた兵士が一斉に倒れた兵士を見る──── 膝から下が、あり得ない方向に曲がっていた。彼は指一本動かしてはいない。彼と戦場で会ってしまった人間は悉く、理解が及ばない恐怖を味わうことになる。

 一瞬で兵士達が恐慌状態に陥った。逃げ出す者、向かってくる者。向かってくる者は彼に触れることなく武器を、腕を、足を一瞬で折られ例外なく地に伏していった。彼は一歩も動いていないどころか指一つ動かしてはいない。ただ──── 『視る』だけだ。ならばと、死角から襲いかかっても背中に目があるかの如く結果は同じだった。

 やがて向かってくる兵士がいなくなった頃、上空から巨大な人影が彼へと迫り来る。体長五メートルほどのゴーレムが大地を揺るがす轟音と共に土煙を上げながら、彼の前に降り立った。遠巻きに状況を見ていた敵軍の兵士達が一斉に歓声を上げる。

 彼は眉一つ動かさず、能面のように表情を崩さず。少々ずれた眼鏡を指先で直し、そのついでとばかりにゴーレムの巨体をついと見上げ。ただそれだけで、巨大なゴーレムは上半身と下半身を別れさせる結果になった。耳を劈く轟音と共に上半身が大地へと落ち、砕け散る。ゴーレムが一瞬で物言わぬ土塊へと変わった光景を目にした兵士達は今度こそ悲鳴を上げて敗走を始めた。

 彼は──── 桐生はそれを一瞥もせずに踵を返し、戦場を後にした。







 彼───── アルビレオ・イマは桐生を心配していた。出会った当初は他のメンバーとにこやかに談笑している姿を見かけたものだが、最近はあまり笑わなくなり、他の人間とも必要なとき以外、喋らないようになっていた。自分とは口調や性格も割と似ているところもあり当初から仲は良かったが、『ナギ・スプリングフィールド』とはあまり相性が良くなかった。これは単純に大雑把なナギの性格と、理屈っぽい桐生の性格の問題ではあったが。

「アル、どうした?」

 ナギがいつの間にか天幕に入ってきていた。

「桐生君の事を少々、ね」

 イマが桐生の名前を出すとナギはどうしたものかと頭を掻いた。

「奴さん、どんな様子だ」

「……あまり良くはありませんね。戦闘に支障は出ていませんが」

「あいつが抜けるのは正直に言えば避けたいな。あいつの御陰で戦闘が随分と楽になった」

「ええ。彼は意図的に殺さないようにしているようですしね。ラカンなどは甘いと言ってますが」

「戦場で死人が出るのは避けられん。だが、あいつにはあいつの考え方があるんだろうさ。それを否定は出来ないし、況してや誰も不利益を被っていない以上は好きにさせるのがいいぜ」

「結局は現状維持ですか……」

「仕方ないさ。俺たちだって遊びでやってるわけじゃない……それは、あいつだって覚悟してる筈だ」

「……『念動力』、『千里眼』、『瞬間移動』ですか。確かに惜しいですね。瞬間移動と千里眼なんて斥候や間諜だけでなく要人や人命救助にも使えますからね」

「便利だぜ。詠唱も必要ない上に『杖』のような触媒もいらない。おまけに……『死なない』んだからな」

 そう、ナギが言った通り桐生は死ぬことがない。桐生がメンバーに入って間もなくの頃だ。強力な魔法を受け上半身が吹き飛んだことがあった。その場にいた全員が桐生の死を目の辺りにし、一気に怒りを爆発させようとした時。吹き飛んだ彼の肉片と血が……瞬く間に『黒い粒子』に分解されたのだ。粒子は渦を巻きながら泣き別れた下半身へ戻ると失われた上半身を再構成した。

 あの時の光景は忘れられない。何事もなかったように立ち上がった桐生を見て敵兵は悲鳴を上げて後退していった。私達でさえ暫くその場から動けなかったのだから。それと同時に私達は悟ったのだ。彼が人間ではないことに。

「そう言えば、詠春が妙なこと言ってたな」

「妙なこと、ですか?」

「あぁ、『化け猫』だとか何とか」

「桐生をですか? また、古風な」

「いや、詠春の話だと怪談に出てくるような化け猫とは違うらしい。何でも意志を持った『電子情報』なんだそうだ。身体全部が電子情報だから、『情報』ってヤツに直接ダメージを与えなきゃあっという間に復元するらしい。日本にはそれを専門に退治する組織があるらしくてな、なんて言ったっけ……何とか綜合警備とか言ってたな」

「俄には信じ難い話ですが……桐生の記憶は私のアーティファクトでも読めませんしね。桐生がそうだと?」

「いや、詠春も一度だけ見たことがあるってだけらしいからな」

 ナギはそう言いながら肩を竦めた。真偽の程は定かではないと言うことか。ナギの話が本当ならば一度見てみたい物だ。日本、ね。

「ま、どっちにしろあいつのことは放って置け」

「ナギは心配じゃないんですか」

「心配さ。だけど、さっきも言ったろ? ……遊びでやってるわけじゃないって」

 ナギはそれだけ言うと天幕から出て行った。ナギの言うことも一理ある。だが、精神的に追い詰められた人間は何をするかわからないものだ──── 願わくば、このまま何事もなく終わりを迎えられることを。






 大戦も末期に差し掛かり、きな臭い情報が『紅き翼』にも入ってくるようになった。『完全なる世界』を名乗る組織。この『大戦』自体がその組織によって故意に引き起こされた可能性がある。そして『黄昏の姫御子』と呼ばれる『完全魔法無効化能力』を持っているが為に、戦争利用されている少女。聞けば王族なのだという。

 桐生はやりきれなかった。敵も味方も死んでいった兵士が浮かばれない。戦争に巻き込まれ死んでいった無辜の民が救われない。戦争に幼い少女を平気で利用する連中も。それを黙ってみていた大人達も。誰も彼女を救おうとしなかった事も──── この世界へ来てから理不尽な事ばかりだ。

 数日後、桐生は『紅き翼』の前から姿を消した。






 王都オスティアにある『墓守人の宮殿』。気が滅入るほどの薄暗さと、カビの臭いに辟易しながら彼──── 桐生はその迷宮の終着点にいた。

「面倒だったので『直進』してきましたが、意外と時間がかかってしまいましたね」

 その部屋の祭壇─── にしては粗末ではあるが、そこに『彼女』はいた。蝋燭の明かりしか無い為に、くすんで見えるが陽の光の下ではきっと綺麗な色合いであろう髪を左右に結わえていた。左右の瞳の色が違う『オッドアイ』が印象的だ。民族衣装のような──── 恐らく王族の衣装なのであろう服を身に纏い人形のように正座をしていた。

 彼女は壁から幽霊のように『抜けて』来た桐生を見ても特に驚いた様子もなく彼をじっと見つめていた。その時、遠くから響く地響きや怒号と共に部屋全体が揺れる。

 どうやら『彼ら』も侵入を果たしたようだ。時間は、あまりない。桐生は彼女の事を知ったとき、紅き翼のメンバーとして助ける選択をしなかった。親元、親が誰かは知らないが──── 若しくは肉親の元へ返してもまた利用される可能性が大きい。彼女を助け出した後、『旧世界』へ渡り静かに暮らす事。それが桐生の目的だった。もっとも彼女が、それを望めばの話ではあるのだが。

 桐生自身にもそれがただの『自己満足』である事は理解していた。だが今の桐生には『それをやる』という選択肢しかなかった。それほど──── 彼は疲れ果てていた。この選択が。どんな結果を齎すのか考えないまま。さてどうやって切り出そうかと考えつつ、桐生は彼女へと歩を進めると何気なく右腕を伸ばした。

「……だめ」

「え?」

 桐生が、彼女の言葉を理解する前に右手首から先が蒸発するように吹き飛んだ。苦悶の表情を浮かべ、声を上げたくなるのを歯を食いしばり必死で押さえ込む。二歩、三歩と後ずさりながらも、思考は停止させない。桐生はそれが、罠なのだと理解すると、それを解除するべく行動を起こそうとしたとき──── 彼女がよたよたとこちらへ歩み寄ろうとしているのを視界の隅に捕らえた。彼女を止める為に思わず鋭い声を上げる。子供に大声を上げるのは趣味ではなかったが、今はそれどころではない。彼女はビクリと体を震わせながらも立ち止まってくれた。桐生を見つめる瞳には読み取れるほどの感情を見ることはなかったが、多少なりとも心配はしているのだろう。

「私なら大丈夫ですよ。ほら」

 桐生は右手首から先が無い腕を見せる。すると──── いつの間にか集まってきた粒子が手の形をとると、ビデオの逆回しのように右手が瞬く間に再生した。子供に見せるには些かトラウマにでもなりそうな光景ではあるが、彼女は例外だったようだ。

「ね?」

 彼女が驚いているのかはわからない。小さな瞳を三㎜ほど丸くしている所を見ると驚いてはいるらしかった。そんな彼女に微笑みながら桐生が部屋を見渡していると、ちょうど部屋を半分に仕切るように妙な機械が設置されている。天井に二カ所、その下の床に同じく二カ所。なぜか、彼女とラインが繋がっている。桐生は迷い無くそれを視界に納めると目を少しだけ細める。たったそれだけで──── 破壊する。無骨な機械は雑巾を絞ったかのように、あっさりと『捻じ切られた』。こちらに来てから高度な『機械』を目にしたことがなかったので油断したようだった。

 先ほど手首が吹き飛ばされた箇所へ恐る恐る手を触れてみるが何も起きない。どうやら正解だったようだ。ふと、彼女を見ると置物のように動かない。そんな姿を見て桐生は僅かに眉を寄せる。幾ら何でも感情の発露が少なすぎやしないだろうか、と。

「……あなたは、だれ」

「私の名は桐生と言います。あなたのお名前を教えていただけませんか?」

「……アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア」

「なんとお呼びすれば?」

「……アスナ」

「わかりました。とても素敵なお名前ですね。あなたにとてもよく似合っています」

 彼女……アスナは相変わらず表情を変えない。

「あ~、私は魔法使いではなく『泥棒』です」

 彼は自分でも唐突に何を言い出すのかと思ったが、一度紡ぎ出した言葉を止めることは出来なかった。普通に助けに来たと言えばいいではないかとも思う。仕方あるまい。このような小さな子供を相手にしたことなど姪ぐらいしか経験がなかったのだから。

 桐生はこれでもかと悩み、ふと思いついた。少年時代──── 夢中になって見た、アニメーション。恐らく、『日本』で一番有名であろう『大泥棒』の台詞を。『悪』を『悪』だと理解した上で、自分の信念を貫くその姿は──── よっぽど英雄らしいと子供心に思ったものだ。桐生は暗い場所へ閉じ込められたお姫さまを助け出す泥棒の台詞を何とか思い出した。……自分には似合わないと思いながら。

「私はですね、『いい泥棒』なんですよ? アスナ」

「……いいドロボウ?」

「はい。いい泥棒のお仕事は悪い魔法使い達が、迷宮深くに閉じ込めたお姫様を盗み出す事です。そうやって閉じ込められた宝物をお日様の下へ返してあげるのが……いい泥棒のお仕事ですから。なので、どうか私に盗まれてやって頂けませんでしょうか?」

 桐生は言ってから心の底から後悔した。現在は十代前半まで若返っているが、こう見えても彼は三十二歳まで生きたのだ。昔の自分が見たら噴飯物であろう。柄ではない事をするものではないと内心羞恥に染まっているとアスナの小さな右手が桐生の頬に触れた。雪のように真白な顔に浮かぶ『エメラルド』と『サファイア』が彼を見つめている。

「……はい」

 桐生は気がつくとアスナを抱きしめていた。表情も変わらず、声の抑揚もなく。蚊の鳴くような小さな声ではあったが、彼には十分だった。久方ぶりに思い出す『命』の暖かさ。アスナにとっては人の温もり。思えばこちらの世界へ来て初めて『力』を使い誰かを助ける事が出来た。救われたのは彼女では無く──── 救われたのは桐生だった。

 この後暫くの間、アスナが桐生を本気で泥棒だと信じた為に誤解をとくのに苦労する事になるのだが……それはまた別のお話。






「……」

 宮殿最奥部からアスナと共に『跳んで』外に出た後、これからどうするか彼女に尋ねたときアスナは桐生に対して、彼の顔を見つめるだけで何も答えなかった。何の道、彼のやることは決まっているのだから深く考えないようにした。

 彼女の服装はよく似合ってはいたが、目立つので普通の少女が着るようなワンピースや靴などを一式購入し着替えさせた。そうやって『旧世界』へ渡る為の準備をしていたが──── 桐生とアスナは一週間経っても『魔法世界』に留まっていた。旧世界へ渡る為のゲートを使用する人間が検閲を受けている。手荷物だけではなく容姿を念入りに……特に子供を。明らかに桐生とアスナを探しているようだった。もっとも、誘拐とさほど変わらないので仕方ないと考える。探させているのは──── 恐らく想像した『彼ら』だろう。近いうちに彼らと対峙しなければならない事に溜息を吐きつつ、葉に留まっていたバッタに心を奪われていたアスナへと声を掛けた。

「アスナ? 旧世界へ行くのはもう少し後でもいいですか? なに大丈夫ですよ。少々、やる事が出来ただけですから」

 彼女が不安にならないようになるべく優しく問いかける。彼女はコクリと頷くと桐生の手を握った。『瞬間移動』は使えない。宮殿最奥部から跳ぶのとはわけが違う。桐生の瞬間移動に必要なのは跳ぶ先のイメージだ。旧世界が桐生のいた世界と同じとは限らない。同じかもしれない。だが、下手をすれば転送事故だ。意図した場所と違うところへ跳ぶのならまだいいが、アスナと共に『壁の中にいる』状態になりかねない。自分一人ならどうとでもなるが、アスナはだめだ。そんなリスクは冒せない。さて、どうしたものかと考えていると、アスナが桐生の顔を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「……おなかへった」






 それからさらに一週間後。桐生とアスナは森の中の開けた場所で焚き火を熾し、夜を明かしていた。川で捕った魚に塩を振って焼いただけの簡単なものではあったが、アスナは三匹もたいらげた。今はお腹がくちくなって眠くなったのか、焚き火の前で船をこいでいる。その時、唐突に人の気配がした。

「よ、桐生」

 桐生はあからさまに溜息をはいた。あまり会いたくない人物だった。まるで、同級生に街中で再会したような口調だ。だが、どうしたことか人数が足りない。今も彼の傍にいるのはイマだけである。桐生は違和感を憶えながらも──── ナギへ視線を合わせた。

「……他の皆さんは?」

「ん、ああ。大丈夫だ、隠れて不意打ちしようなんて思ってない。俺とイマだけだ」

「彼女を連れ戻しに来たのでは?」

 アスナは突然の見知らぬ来訪者に桐生の影へと隠れながら怯えていた。それを見たイマは肩を竦め、ナギはばつが悪そうに頭を掻いた。

「その通りなんだが、な。おまえと話がしたくてな。……その娘をどうするつもりだ。このままで良いなんて思ってないだろ?」

「あなた達へ託せば、この娘が幸せになりますか?」

「なるさ。いや、してみせる。……なんて言ったところで納得はしないだろ?」

「……大方、肉親の誰かにでも頼まれましたか。この娘の『力』は稀少です。返してもまた利用されかねないと私は考えています。知ってますか? この娘、何かしらの魔法を施されていますよ」

「冗談、だろ」

「残念ながら本当です。魔法なのか、薬の類いなのかはわかりません。感情が恐ろしく希薄なんですよ。殆ど話しませんし表情も動きません。最初は幽閉されていた所為だと思ったんですが……感情を抑えるようにしたのは恐らく扱いやすくする為でしょうね。本当に……この娘は連中にとって文字通りの『道具』に過ぎなかったんでしょう」

 ナギは奥歯を噛みしめながら桐生の話を聞いていた。怒りで顔を歪ませながらも何とか声を絞り出す。

「だけど、俺は約束したんだ」

「二度目ですからね。今度はどんな手段を使うかわかりません。場合によっては記憶を消して、都合の良い人格にされてしまう可能性も否定できません。わかってるでしょう、ナギ? 要人の暗殺や誘拐を防ぐのがどれほど困難か」

「……お前なら守れるって言うのか?」

「守ってみせます……なんて言っても納得はしないのでしょう?」

「そうだな」

 桐生はナギの言葉が合図だったかのようにゆっくりと立ち上がった。

「結局、こうなるんですね」

「仕方ないさ。御互いに譲れない物が有る。だったら……殴り合うしかないだろ?」

「殴り合いは得意ではないんですが」

「言葉の綾だ、流せよ」

 桐生はアスナへ安全な位置まで下がっているように言い含める。それと同時にイマもナギから距離をとった。彼も手を出す気はないようであった。

「勝てると思いますか」

「やってみなきゃわからないだろ」

 闇夜の森へ生暖かい風が吹く。木々が鳴き声を上げ、虫の音が止んだ。動いたのは同時。ナギが自慢の杖を振り上げ、桐生が右手を突き出した──── 強大な魔力の奔流と閃光。そして、大地を揺るがすほどの轟音。抉られた大地が砂塵となって舞い上がり視界を塞ぐ。イマは固唾を呑んで勝負の行方を見守る。欲を言えばどちらも無事でいて欲しかった。どちらの言い分も理解出来るのだ。ナギは『魔法使い』としての秩序と信念。そして、一人の女性との約束。桐生は……イマの推測ではあるが、彼は『彼女』に救われたのだろう。以前の昏い影がなくなっていた。

 もうもうと立ちこめる土煙が徐々に晴れていく。ナギは──── 無傷で立っていた。杖を振り下ろしたまま。桐生は片膝をついている。右肩から脇腹までがごっそりとなくなっていたが、既に再構成が始まっているようだった。

「遅延、魔法ですか。よくもまぁ、タイミングを合わせましたね」

「お前を完全に消し飛ばしてから嬢ちゃんを確保。再構成する前に封印するつもりだったんだが、な。桐生、俺に何をした。魔法が発動する瞬間、魔力が抜けちまった。その所為で本来の威力が出なかった」

 再構成が済んだ桐生が立ち上がる。

「『Stealer【泥棒】』という能力でしてね。完全に発動すると私が『異能』と認識したものは資質ごと盗めるんですよ。ですが、絶妙なタイミングで負傷した為に中途半端に発動したようですね」

「そういう事か。……どうりで魔力が減ってるわけだ。単純に魔力を消費したわけじゃないな。器ごと小さくなってる感じだ。まーた、修行し直しかよ」

 ナギへと近づいたイマは、確かに魔力が減少しているのを感じていた。傍にいるだけで肌が粟立つような強力な魔力を感じられなくなっている。桐生は中途半端に発動と言った。では、完全に発動したならば────

「え、おまえ俺を一般人にする気だったのかよ」

 桐生が言ったのはそういう意味だ。

「おまえ、幾ら何でも短絡的過ぎるだろうよ……要領が悪いって言われないか」

 桐生はわかりやすく口をへの字にした。

「あなただって、私を封印する気だったんでしょう?」

 イマから言わせると、どっちもどっちという感じではあるのだが。ほっと胸を撫で下ろす。何にせよ二人とも無事だったのだから。イマは子供じみた二人の言い争いを見ながら、桐生が入った頃の懐かしい光景を目を細めながら見ていた。

「あぁ、もう頭きた。もうお前なんか知るか。何処へでも行っちまえ!」

「言われなくても行きますよ」

「ったく。痛っ。……なんだ?」

 ナギは突然感じた後頭部の痛みに思わず声を上げた。何事かと思いながら下を見ると石が転がっている。そして視線を上げると……件の小女がナギへ向かって石を投げようとしていた。

「え、ちょっと待て。ちょ、あ痛」

「……あっちいけ」

 これに目を丸くしたのは桐生だ。彼はアスナへと駆け寄ると瞳を覗き込む。少し、涙目だった。

「アスナ、あなた感情が」

 桐生が何者かに傷つけられた。それが切っ掛けだったのだろうか。感情を抑えられているのであれば、感情が爆発する様なことを経験させれば良い。桐生もナギもお互いの信念に従ってぶつかっただけではあるが、それをこの年齢の小女に理解しろと言う方が無理だろう。そんな二人を見ていたナギは突然、芝居がかったような笑い声を上げた。隣にいたイマは頭を抱えている。

「全く効かぬなぁ、小娘。だが、今日はこれで引いてやろう。だが、憶えておけよ。今度会った時がおぬしらの……あ、痛ぇっ。ちょっとまだ台詞の途中、痛! ふははははっ、さらばだ! ……じゃあな。約束、守れよ」

 ナギはローブの裾を翻しながら足早に立ち去っていった。イマは彼を追っていく途中で一度だけこちらを振り返ったが何も言わなかった。

「イマは一言も喋りませんでしたね、そう言えば」

「……やくそくってなに?」

────── 守ってみせます

「いえ、たいしたことじゃありませんよ」

 桐生は、もう既に姿が見えなくなった二人に深々と。頭を下げた。






 夜が明けても、まだ問題は解決していない。『彼ら』はもう追ってはこないだろう。だが、それだけだ。『魔法世界』から抜け出さなければ、追われていることには変わりはないのだから。大規模な再構成を行った所為か、体調も芳しくはなかった。見張りをするために殆ど睡眠をとっていないことも影響していた。

「キツイ、ですね……」

 いっそのことアスナを連れて一か八かで『跳んで』しまおうかと考えた時。懐かしい声が聞こえた。

「やっぱり、要領が悪いわね」

 そこには一年ぶりに見る気が強そうな大きな瞳があった。






 彼のことは逐一『見ていた』。極力、手は出さないようにはしていたが昨日の出来事は肝が冷えっぱなしだった。偶然が重なった結果、どちらにとっても大事には至らなかっただけの話だ。追われている身分は変わらず、挙げ句の果てには、ここから脱出する手段も手詰まりらしい。甘やかすつもりはないが、こういう場合は手を差し伸べてもいい筈だ。何しろ──── 友達とはそう言うものらしいから。

「久しぶりですね」

「そうね」

「……もしかして、ずっと制服なんですか」

「いいじゃない。汚れたりしないんだし」

「はぁ」

「ところで、そこのちっこいのを紹介しなさいよ」

 アスナは桐生が寄りかかっている大きな木の陰に隠れながら、『リリー』を見ていた。アスナが右手に石を持ちながら桐生へと目で問いかける。桐生がゆっくりと首を振ると、アスナは持っていた石をころりと足下へ落とし、周りを警戒する小動物のようにリリーを再び見ている。

「……あんたどんな教育してんのよ」

 桐生はアスナの様子とリリーの不機嫌そうな顔を見比べて苦笑いを浮かべるしかなかった。






「あなた達をを別世界へ跳ばすわ」

 桐生は無駄だと思いつつも一応効いてみる。出来れば彼女の手を煩わせたくはなかったからだ。

「あのね、あなたの力では最早どうすることも出来ないところまできてるのよ? ……知らないみたいだから教えてあげるけど、賞金首になってるわよ」

「嘘でしょう?」

「ホントよ。あなたが一緒にいた連中……名前は覚えてないけど、申請を取り消すために随分と頑張ったのよ? だけど結果的に賞金首として手配されることになったわ。……王族に連なる『然る高貴な小女』を誘拐して殺害した凶悪犯よ。ここにあなた達のいる場所なんてないのよ」

「どうしてそんなことに」

「さぁ。アスナが表に出てくると都合の悪いヤツがいるって事じゃないの。戦犯として突き上げられる可能性がある連中とか。アスナの『力』と自分達の立場を天秤に掛けたってとこでしょうよ。死人に口無し、やだやだ」

「そう、ですか」

「あなた達に必要なのは、休息よ。その娘と暫くのんびりしなさい」

 そう言った彼女の顔は出来の悪い息子を見るような顔で。とても穏やかな顔で。母親を思い出すような顔だった。






 彼女が腕を一降りするといつぞやと同じ扉が現れた。

「後、これ」

 彼女がそう言って渡そうとしたのは小さめのアタッシュケース。

「これは?」

「これから行く先の世界で使える現金が入ってるわ。暫く大丈夫なはずよ。住む場所も用意するわ。後で連絡する」

「……サービス過剰じゃありませんか?」

「あなたね……知り合いもいない世界で、こんな小さな娘を抱えてどうやって生きていくつもりよ、馬鹿じゃないの? ……頼る時はとことん頼りなさいな」

 リリーはそう言いながら、アタッシュケースを桐生へと突きつけた。

「わかりました、ありがとうございます」

 そう言いながら桐生は、初めてリリーと会った時のような穏やかな表情で微笑んだ。






「さぁ、準備はいいですか? アスナ」

 アスナは返事をする代わりに桐生が着ているコートの裾を握りしめ頷いた。

「では、行ってきます。リリー」

「いってらっしゃい、桐生。アスナ」

 アスナは扉が閉まるまで、紅葉のような小さな手をちぎれんばかりに振っていた。彼は再び扉を潜っていった。最初は一人で。今度は二人で。

「さて、行きますか」

 リリーは次にやるべき事を考えながら、その『世界』からかき消えた。






 二人が扉を潜ると青空と草原が広がっていた。小高い丘の裾野に広がる緑の絨毯と忙しない鳥の鳴き声が聞こえる一本の大樹。遙か前方には高層ビルのような近代的な建築物が目に見える。都市部であろうか。旧世界と違い随分と発達しているように思えた。風はどこまでも穏やかで暖かい。二人を歓迎するかのように一陣の風が吹くと、草原を波のように揺らめかせた。桐生は僅かばかりの悔恨と、果てなく広がる希望を抱きながら草原を見ていた。




────── 風が、頬をなでる。







 ~始まる前のお話 後編 了

 
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