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港町の闇

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第二十一章


第二十一章

「役小角と一緒ですよ」
「役行者ですね」
「そうです」
 また署長の問いに対して答えた。一説によると彼の本名は賀茂役君小角という。安倍家と並ぶ陰陽道の家である賀茂家の者であった。このことから彼もまた絶大な力を持っていることが窺える。その証拠であろうか彼は修験道の祖とされている。そして鬼を使役していたのである。修験道とは日本独特の法の一つであり神道と大乗仏教を合わせたものである。また彼は密教の基礎を築いたともされている。彼もまた天才の一人であったのだ。
「使い魔に対しては彼等を用います」
「魔には魔、ですか」
「そういうことになりますね。ただこの鬼は他のものとは少し違いますよ」
「どう違うのですか」
「鬼神です」
 役はにこりと笑ってそう答えた。
「普通の鬼とはまた違うのですよ」
「よくわかりませんが正しい鬼ということでしょうか」
 七尾刑事が問うた。
「よく何とかの鬼とかいう表現もありますよね」
「ええ」
 日本では鬼とは悪い意味にばかり用いられない。時として厳格極まる者やその道を窮めんとする求道の者に対しても用いる表現である。これは我が国独特の使い方である。鬼といっても決して悪の者ばかりでも無慈悲な者ばかりでもないのである。正しい道を歩む鬼もまたいるのだ。
「悪い鬼ではないのですよね」
「勿論です」
 役はそれにも答えた。
「そうでなければ使うことはできませんから」
「そうなのですか」
「ええ。ですからそれは安心して下さい」
「わかりました」
「それでは」
 役は説明を終えると鬼に顔を向けた。そして彼等に対しても命じた。
「行け」
 鬼達はその命に頷いた。そして壁を抜けて何処かへと向かって行った。
「これで使い魔達もよし」
「あの」 
 だがまだ不安そうな者達がいた。彼等が役に問うてきた。
「まだ何かありますか」
「ええ。あの鳥や鬼達ですが」
「はい」
 彼等はさらに問うた。
「大丈夫なんでしょうか。街に放って」
「それが何か」
 だが役は別に困ったことはないようであった。
「あの、鳥にしろ壁を抜けられますよね」
「はい」
「そんな鳥見たら普通の人は腰抜かしますし」
「鬼なんかもっとですよ。街がパニックに陥りますよ」
「それは御心配なく」
 役は笑ってそれに応えた。
「あの鳥も鬼も姿が消せるのですよ」
「姿を」
「はい」
 彼は言った。
「ですから安心して下さい。何の心配もいりませんから」
「そうですか」
「それでしたら」
 彼等はそれを聞いて納得したようであった。
「大丈夫ですね」
「ええ。それに彼等はあくまで魔に対する者達ですから。人に対して危害は加えません」
 そのうえでそう述べた。それがさらに警官達を安心させたのは言うまでもない。
「よかった」
 現に彼等はホッと胸を撫で下ろしていた。
「まさかと思いましたから」
「ははは、それはないですよ」
 役はそれを聞いて笑った。
「それは私が一番わかっているつもりなので」
「ですよね」
「それを聞いて安心しましたよ」
 警官達は口々にそう言った。こうしてアルノルトの捜索及び使い魔への対処は彼に一任されることになった。それから数日が経った。
 動きがあった。役が戻ってきた式神の一つから話を受け取ったのだ。
「そこか」
 式神は答えない。話は彼にしかわからない。だがそれで充分であった。
「あの男の居場所がわかりましたよ」
 彼は他の者に対してそう言った。それを聞いた本郷も神父も警官達もそれに反応した。
「遂にですか」
「はい」
 彼は答えた。
「須磨です」
「須磨」
 何人かがそれを聞いてすぐに反応した。須磨は神戸では文学的に有名な場所の一つである。源氏物語において光源氏が左遷され暫くの間そこにいた。今は公園や水族館等で有名な場所である。海に縁が深いことで知られている。
「そこに一つ古い洋館がありますね」
「ええ」
 大森巡査がそれに頷いた。
「海沿いにね。あそこですか」
「はい」
 二人はそれが何処にあるのかわかっているようである。互いに頷き合った。
「あそこなら確かにいてもおかしくはありませんね」
「はい。どうやらそこにいるようです。どうしますか」
「決まっていますよ」
 署長がそれに答えた。
「行きましょう、すぐに」
 彼はそう言って席を立った。
「当然君達もな」
「はい」
 警官達は上司の声に頷き一斉に席を立った。
「わかっておりますよ」
「うん」
 署長は固い顔でそれを聞いて応えた。どうやら彼は部下には人望があるようであった。本郷も役も今の彼の態度を見てそれも当然だと思った。自ら率先して動く上司には人はついてくるものである。
「では行きますか」
「はい」
 本郷達もそれに頷いた。当然神父も席を立っていた。そして彼等は皆部屋を出た。行く先はもう決まっていた。
 須磨区。その時はもう夜になっていた。雨が降る夜だった。
 雨は何故か鉄錆の匂いがしていた。それは滴り落ちる血の匂いであった。彼等はその雨の中を進んでいた。
「あそこですね」
「はい」
 役は大森巡査が指差した古ぼけた洋館に目をやり頷いた。そこにあの男がいるのだ。
 見れば今にも崩れ落ちそうな洋館であった。大きいことは大きいが蔦が壁を覆いその壁もヒビが入り割れそうであった。廃墟と言っても差し支えなかった。
「あれは明治の頃に建てられたものでして」
 巡査は語りはじめた。
「ここに滞在したイギリス人が建てたものです。そうした感じでしょう」
「確かに」
 役はそれに同意した。
「何処となくビクトリア風ですね」
「そこまではわかりませんが」
 巡査はそれには苦笑で応えた。
「そうしたことには詳しくはないので」
「確かにあれはそうですね」
 だが神父が代わりにそう答えた。
「アメリカのそれではないですね」
「はい」
 役がそれを聞いて応えた。
「ですね。あれはアメリカのものではありません」
「そうなんですか」
 本郷にはそれは全くよくわからなかった。
「俺にはちょっとわかりませんけれど」
「ならいいさ。問題はあの中だ」
 役はそれにはそう答えた。
「わかるだろう、あの中には」
「はい」
 本郷は先程とはうってかわって真剣な顔になった。
「いますね、あの中に」
「ああ。銀貨は持っているな」
「勿論」
 彼はニヤリと笑いそれに頷いた。
「ポケットの中にね。ちゃんとありますよ」
「そうか。ならいい」
 役はそれを聞いて安心したような声を出した。
「では頼むぞ。早速中に入ろう」
「はい」
 門の前に来た。鉄の門でありそれは固く閉じられていた。誰かがその門を見て呟いた。
「地獄への門、かな」
「それは違いますね」
 役がすぐにそれに反論した。
「勝利の女神が待っている門かな、それじゃ」
 本郷がそれに対してそう悪ふざけとも捉えられる言葉を口にした。
「そうなるかならないかはこれから決まる」
 役のそれに対する言葉はそれであった。
「これからですか」
「ああ」
「じゃあ決めましょう」
 神父がそれに応えた。
「神の祝福の門にね」
 神父らしい言葉であった。それに異論を挟む者はいなかった。
「じゃあ行きますか」
「はい」
 扉を開けた。左右に一人ずつ警官がつきそれを開ける。錆付いた鉄の音が夜の世界に響いた。
 そして中に入る。左右対称の庭がそこにあった。そこには多くの花が咲いていた。紫の美しい花だ。だが役はそれを見て顔を顰めさせた。
「ジギタリスか」
「キツネノテブクロですか」
「はい」
 彼は答えた。これは毒草でもあるのだ。
「まるで我々に毒を盛りたいようだな」
「少なくとも命は奪うつもりでしょうね」
 本郷が言った。
「自分の領域を汚す者は。何人たりとも許さない」
「だろうな」
 役もそう見ていた。
「これはその意思表示か。何とも嫌らしい意思表示だな」
「だからこそ魔物なんでしょう。嫌われ者の」
 このジギタリスは意地悪な妖精が姿を変えられたものであるという伝説がアイルランドにあるのだ。その妖精は花になっても他の者に意地悪をしているというわけである。それを考えると実に陰険な庭であった。
「こんなものに構っている暇はない」
 役は吐き捨てるようにしてそう言った。そして足を前に進めこう言った。
「行きましょう。こんなところに長い間いても何にもなりません」
「はい」
 一同それに従った。そして本館の前にやって来た。近くから見るとさらにその古さが目立つ。それはまさに魔物の城そのもののように見えた。
 
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