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占術師速水丈太郎  横須賀の海にて

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第六章


第六章

「満月の時にですか」
「はい」
 彼は答えた。
「その時まで。暫く待って頂けませんか」
「私の方は構いません」
 艦長はそれを認めた。
「どのみち私達にはどうこうすることもできないのですから」
「それでは宜しいですね」
「はい。全ては貴方にお任せします」
「わかりました。それでは」
「はい」
 この話で次の満月まで待つことにした。だが彼はこのまま待ちはしなかった。まずはカードを収め、そして何かと準備をはじめたのであった。
 彼は艦を出ることが多くなった。この艦が敵の根城である以上これは当然であった。用心に用心を重ねたのである。そして何かと策も練っているようであった。
「流石に何かは話しては頂けませんね」
「申し訳ないですが」
 艦長にもこう答える。
「今はね。次の満月まで」
「わかりました」
「ところで一つお伺いしたいのですが」
「何でしょうか」
「ベースは何処でしょうか」
「ベースですか」
「はい」
「それならここからすぐですよ。横須賀中央駅から」
 艦長は説明をはじめた。
「まっすぐ行けば突き当たりにありますから。行かれるのですか?」
「はい、今度の土曜にでも」
 彼は答えた。
「戦いの前に。英気を養っておこうと思いまして」
「それはいいですね。一度行かれるといいです」
「わかりました、それでは」
「ベースの他にも色々と歩かれるといいですよ」
「他にも何かあるのですか?」
「ここはいい街でしてね」
 艦長は朗らかな顔になった。
「三笠もあれば私の母校もありますし」
「防衛大学校ですか」
「ははは、そうです。あそこでは何かと泣きましたがね」
 何か懐かしいものを思い出す顔になった。
「今となっては。いい思い出ですよ」
「そうなのですか」
「はい。まあその他にも遊ぶ場所は一杯ありますし」
「遊ぶ場所も」
「カラオケも飲み屋も大分ありますよ。まあ楽しんで来て下さい」
「それでは」
「はい」
 こうして彼は土曜日横須賀の街に出ることになった。駅を降りるとまずはとあるギタリストのことが目に入った。
「ああ、彼か」
 かって伝説のバンドと謳われたグループのギタリストである。解散後突如謎の自殺を遂げてしまう。その不世出のギターは今でも多くの者の心に残っている。
 それを見ながら駅を降りる。そして街に出た。
 街には大きな道が一本通っていた。そしてその左右に店が並んでいる。綺麗な商店街であった。
 そこを見回りながら道を進んでいく。色々な店がありそれだけで目を奪われる。
「想像以上だな」
 その街並みを見た感想であった。ここまで見事な街だとは流石に思わなかった。歩いているだけで何か海を感じる。そう、目の前にはその海もあったのだ。
 その海を見ているうちにベースにやって来た。門で守衛に身分を示して中に入る。少し金を両替した後で言われた建物に入った。
 中には少しサイケデリックな模様で世界地図が描かれていた。それはとても自衛隊にあるものではなかった。それだけでここがアメリカ軍のものであるとわかった。少なくとも自衛隊の雰囲気とはまるで違っていた。
「ハロー」
 擦れ違った金髪の若い男が声をかけてくる。
「見掛けない顔だね。ジャパンの人かい?」
「はい」
 その若い男が日本語を話したのを受けて彼も日本語で挨拶を返した。
「ここの食事が美味しいと聞いたので。それで来ました」
「日本人でそんなことを言うのは珍しいな」
「そうですかね」
「案外日本人ってやつは繊細でね。うちの食事は舌に合わないって言うんだ」
「そうなのですか」
「まあそれは置いておいてだな。楽しんでくれよ」
「はい」
「少なくとも値段は安いから。ビールでもワインでも好きなのを飲んでくれ」
「わかりました。それでは」
「おう、またな」
 気さくな挨拶であった。悪い印象は受けない。アメリカ軍は荒っぽい者が多いとは聞いていたが少なくとも彼からはそうした印象は受けなかった。やはり人によって違うということだろう。
 レストランに入った。白を基調とした清潔な店内であった。前には話通りバイキングが置かれていた。
 それを注文する。同時にワインも。そして気に入ったものを取る為に席を立った。
 料理はかなり豊富であった。サラダもスープもかなり揃っている。ハムやハンバーグもあった。彼はその中からレタスとトマト、オニオン、コンソメスープ、そしてソーセージとハンバーグをとって食事をはじめた。丁度テーブルに戻った頃にワインが運ばれてきた。注文した通りの赤であった。
 料理の味はかなりよかった。アメリカの料理は大味だという噂だったが少なくともこのベースのレストランのそれは違っていた。味付けは意外と細かく、そしてよかった。
「ふん」
 思ったより美味しくて気分がよくなった。ワインもよかった。あまりよかったのでさらに食べ、そしてワインももう一本注文した。こうした時酒に強い自分の体質に感謝すること限りなかった。
 程なく食事を終えベースを後にする。流石にワインを二本も飲んだのは効いた。ベースを出たところで足が少しふらついてしまった。
「おっと」
 慌てて態勢を立て直す。その時に顔の左半分を覆っている髪を抑えた。
「危ない危ない」
 顔の左半分が出なかったことに安心しつつ姿勢をとりなおす。そして横須賀の大道に戻りそこで本屋やカラオケ屋に入り英気を養うのであった。カラオケから出た時にはもう真夜中であった。
「早いですね、時間が経つのは」
 気付いたら夜になっていたことに思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「さっきまで太陽が世界を照らしていたというのに」
 だが今は月が世界を照らしていた。太陽の燦燦とした光ではなく落ち着いた朧な光で夜の世界を支配していたのであった。
「月ですか」
 速水はその月を見た。見ればもうすぐ満ちようとしていた。
「もうすぐですね」
 彼は呟いた。
「満ちるのは」
 月を見る右目の光が変わった。強く鋭いものとなる。
 そして髪に隠されている左目も。それは見えはしないが右目とはまた違った不思議な光を放っていたのであった。だがそれを知る者は彼以外にはいなかった。
 そのまま歩いて港にまで戻り艦に入る。そして英気を養え終えた彼は満月の日の戦いに心を備えさせるのであった。
「いよいよですね」
 その満月の日になると艦長が彼に声をかけてきた。
「今日ですか」
「はい」
 彼は答えた。もうその顔には余裕も遊びもなかった。
「健闘を御祈りします」
 一言であったがそれで充分であった。戦場に身を置くことも考えられる人の言葉である。一言といえどそれには他の者が口にする場合とは比較にならない重みがあった。
 彼はこの日部屋から出なかった。そのまま何かを養っているようであった。部屋には誰も近付かずそのまま時間が過ぎた。そして遂に夜となった。


 
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