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真・恋姫無双 矛盾の真実 最強の矛と無敵の盾

作者:遊佐
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崑崙の章
  第6話 「貴様らに名乗る名前はない!」

 
前書き
最近、会話部分が多いなーと感じていましたので、今回ちょっと主観でなく第三視点で前半を通してみました。
主観手法だと、どうしても会話で状況を表すことが多くなっちゃうのが困りモノです。 

 




  ―― other side 長江 白帝城近郊 ――




 月のない新月の夜。
 電灯も照明もない後漢末期の時代では、月だけが夜の灯火であり、それがない新月の夜は「魔が出でる夜」とも恐れられた。
 古来より、月のない夜に出歩いた名のある人物は、ほとんどこの日に暗殺にあうといわれたほどである。

 それゆえ、女性の月のモノとも例えられ、不浄の夜という荒唐無稽な逸話すら残っている。

 満月ともなれば、灯りもなしに煌々と照らす月で視界が開けているのだが、この新月では深い闇の渦。
 それが長江の上ともなれば、自身の灯り以外は時折聞こえる水音に、慣れた者でも恐怖にかられる。
 一度(ひとたび)水に落ちれば、闇夜の海を彷徨うが如く……あとは星の明かりを頼りにするしかない。

 そんな暗闇の舞い降りる長江の上。
 一艘の船がゆっくりと帆に風を受けて長江を遡っている。

 長江は西の急流地帯を除けば、帆船であれば遡れるほど穏やかな流れの大河だった。
 そしてこの時代の帆船技術を侮ってはならない。
 三国時代、呉国の造った戦船は,最大で上下五層,積載可能人数は三千以上という船すらあった。
 それが長江に常駐していたのである。

 この船はそれほど大掛かりなものではなく、長江を行き来する輸送船だった。
 その船には二千万という大金、そして数人の水夫。
 そして一人の武将が、闇の夜中を睨みつけるようにして船の穂先に立っていた。

「厳顔将軍」

 その声に、穂先に立つ武将が振り返る。
 厳顔と呼ばれる、本来は巴郡の太守である武人。
 その人は、大きく胸元が開いた服を翻しながら振り向いた。
 そして、その胸がたゆん、と揺れる。

「そろそろ約束の場所です」
「そうか、ご苦労」

 厳顔――真名を桔梗という女性。
 彼女は、立て掛けてあった彼女の愛剣――いや、剣というには杭打ち機のようなおかしな絡繰(からくり)の武器を手に取り、穂先から降りる。
 その武器を肩に担ぐと、船の穂先がギシッと揺れるほどの重量があった。

「お前達は予定通り、すぐに降りよ。あとはわしにまかせるがよい」
「は……ご武運を」

 水夫達は、進路が変わらないように舵をロープで固定すると、備え付けてあった小舟へと移る。
 そしてその小舟は、ゆっくりと対岸までつくと、松明を消して水夫達はいずこへと去った。

「さて……」

 水夫達が去った後、厳顔は息を大きく吸い込んだ。

「賊どもー! 約定通り、わしは一人出来たぞ! 隠れておらんでさっさと出てこんかぁっ!」

 船がビリビリと震わせるような大音声。
 周辺の虫の声がピタリ、と止まるほどの音量で発せられる怒号。
 長江の静かな水面にすら、波立たせるような怒りの声に、空気が震える。

「………………」

 厳顔が闇夜の長江を睨みつけ、待つことしばし。
 上流の岩手に身を隠していた船が、明かりを灯してゆっくりと姿を現す。
 その数、五。

「ふん……やはりの」

 厳顔は、ニヤリと顔を歪ませながら仁王立つ。
 その姿は、女ながらにも仏法を守護する帝釈天のような威厳のある(たたず)まいだった。

 厳顔が穂先で構えながら待つ船に、四隻の船が速度を上げながら周囲を囲む。
 厳顔から見えるその船には、それぞれ数十人に及ぶ武器を持った江賊たちが、ニヤニヤと顔を歪めながら厳顔を見ている。

 そしてゆっくりと取り囲まれた船の穂先に一隻の船が近づく。
 その船の穂先には一人の男がいた。

 厳顔が穂先の灯火に照らされた男の顔を見る。

「む……貴様!?」
「よう……久しぶりじゃねぇか、厳顔太守殿」

 男――沈弥(しんび)は、顔を歪めながら口元を引き上げる。
 まるで邪悪な獣のようなその風貌に、厳顔が顔を(しか)めた。

「貴様が江賊に成り下がっておったとは……道理でわしを指名するわけじゃな」
「ほう……少しは利巧になったようじゃねぇか。自分が嵌められたと気付いたか?」

 厳顔の吐き捨てるような言葉に、沈弥が歪んだ顔を更に歪ませて喜ぶ。

「ふん……貴様を放逐したことの恨みか? それとも放逐した際に棒打ちされたことかの? どの道、貴様自身の犯した罪じゃ。わしは公正に法に照らし合わせて処罰したに過ぎん」
「ククク……まあ、その恨みもあったなぁ。だが、そんなことより……テメエに恨みがあるのは、そんなことじゃねぇ! あの暴力クソ女をお前が直弟子にして自分の後継者のように振舞わせたことだ!」

 沈弥の歪んだ顔が、怒りの形相に変わる。
 厳顔は、眉をよせて沈弥を睨んだ。

「暴力クソ女……おお、もしかそれは焔耶(えんや)――魏延(ぎえん)のことかの?」
「あたりめえだ! どこぞの山奥から来たような脳筋女……あんな力しか能のないようなあの女を何故テメエは贔屓した!」
「贔屓……ふむ。確かにあれは馬鹿じゃが、贔屓と呼ばれるようなことなどしておらんぞ。寧ろ、馬鹿なので鍛えている、と言ったほうが良いか」
「なら……なら、なんでテメエの武器なんか下賜しやがった! あれは俺がもらうはずだったものだ!」
「……? お主……」

 沈弥の叫びに、厳顔の顔色が変わっていく。
 沈弥は、ハッとして口をつぐんだ。

「そうか……思い出したぞ。確かに酒の席でお主にあれを……鈍砕骨(どんさいこつ)をやると言ったことがあったのう。わしは戯れ程度のことですっかり忘れておったが……それほどお主が思っておったとは、な」
「う、うるせえ! もうそんなことはどうでもいい! 俺はヤケになってあの女を闇討ちして返り討ちにあった。そして、その罰としてテメエに棒打ち十五回打たれたとき、俺はテメエへの復讐を決めた!」

 沈弥がそう叫ぶと、右腕を上げる。
 その合図に、周辺の江賊たちが弓を手に取り、厳顔へと狙いを定める。

「俺はテメエを殺して、身代金を奪い、こいつらと共に黄巾の残党と合流する。そして別の土地で一旗上げてやる! テメエへの未練はここで断たせてもらう!」
「……そうか。全てはわしの身から出た(さび)じゃったか……」

 厳顔は、ふっと顔を歪ませ、自嘲する。
 だが、次の瞬間には元の精悍な顔つきに戻った。

「わし自身を狙ったのならばここで討たれてやってもいいと思った……じゃが、なぜ白帝城を巻き込んだ! 何故太守を攫うような真似をしたんじゃ!」
「ふん……貴様を誘き寄せる為よ。巴郡にいたんじゃ、甘寧が抜けて弱体化した錦帆賊(きんばんぞく)の残党じゃ太刀打ちできねぇ。それにあそこには、あのクソ女もいる。お前を母のように慕うアイツがいたんじゃ、お前を殺せねえ」
「……それだけではあるまい。劉表殿を恨む理由は何じゃ」
「そいつは俺じゃねぇ……錦帆賊の奴らの恨みよ。奴は甘寧が抜けるきっかけを作ったことに恨みを持っている。甘寧がいればここまで勢力が小さくなることはなかった、とな。俺はそれを、お前を釣る餌として利用させてもらっただけだ」
「そんな理由で……」
「ふん! 都合よく一時的に太守になった奴が劉表への忠誠心が薄かったんでな……これ幸いと利用させてもらったぜ。おい、太守のヤロウも連れて来い。ここで始末する」

 沈弥が部下に伝えてすぐ、太守が船倉からひっぱりだされた。
 その顔はボコボコに腫れあがり、ヒューヒューと息も絶え絶えになっている。

「知っているか、厳顔。こいつはな、身代金の半分をもらう条件で、こんな大芝居をうつことに承諾したのよ。お前を殺し、自分は罪を逃れて、身代金を持って悠々暇乞いするつもりだった。自分は誘拐されていたので厳顔様を助けられませんでした。私の責任です、と劉表に涙ながらに言うつもりだったそうだ! ハッ! 漢の官吏など、どいつもこいつもこんなもんだ!」
「やはり……そうじゃったのか」

 厳顔の言葉に、ふと違和感を覚える沈弥。
 おかしい。
 こんな聡明なやつだったろうか?
 だが、浮かんだ疑問も目的を達成できる興奮に、すぐに霧散する。

「ハハハハハ! 馬鹿な奴だぜ! お前なんぞに金を渡すわけねえだろうが! 厳顔共々ここで殺して、白帝城に送り付けてやるのよ! いや、それより長江に死体を晒してやる! そうすりゃ他国の太守を巻き添えにしたことで、劉表の周辺諸侯への名声は地に落ちらぁ!」

 沈弥の言葉に、劉表に恨みを持つ錦帆賊は、オオオオオッ、と歓声を上げる。
 厳顔はその様子に沈んだ顔で沈弥を見る。

「沈弥……」
「なんだ? 命乞いか? 泣き叫んで命乞いするってのか? それなら助けてやらんでもないぜ?」
「惜しい……惜しいの……その才覚。世に出れば名のある知将となれたもしれん……わしは愚かなことをしたもんじゃ。おぬしに道を誤らせた……」
「………………なん、だよ」

 沈弥は、厳顔の言葉に先程までの興奮が、一気に冷めていくのを感じた。

「なんでそんなこというんだ……なんでそんな悲しい顔をするんだ……だったらなんで俺でなく、あの女を選んだんだ……」

 沈弥の顔が歪んだ顔から、能面のような、感情のない顔へと変わっていく。

「俺は……あんたの……そんな顔をみたくてやったんじゃねぇ……俺が見たかったのは……見たかったのは……」

 沈弥の歪んで濁った目が、どす黒く、暗い海の底のような目に変わっていく。

「もういい……もう終わらせる……もう、どうでも、いい……」

 沈弥は、再度右手を上げる。
 その合図に、周辺の錦帆賊は、弓を引き絞り、矢を(つが)えた。

「じゃあな。厳顔……もう、消えてくれ」

 呟くような沈弥の声。
 厳顔は、悲しい目のまま沈弥を見た。

「……っ!」

 その視線に堪えられなくなった沈弥が、厳顔に背を見せて右手を下ろす。
 厳顔に大量の矢が降り注ぐ音が聞こえた。

 だが――

「はい、そこまで」
「!?」

 ふと、男の声と共に、金属が跳ね返るような音が連続で響く。

 沈弥が振り向くと……そこには。

「予定じゃ船の真ん中じゃなかったんですか? 穂先から動かないから、正直焦りましたよ」

 一人の男が、ぼんやりと青白く光りに包まれたまま、厳顔を庇って立っていた。
 放たれた矢は、実に二百本以上。
 その男を包む光は、その背後にいる厳顔をも包みこみ、放たれた矢の全てを弾き返していた。

「なっ……!?」

 周辺の錦帆賊も、その異様な光景に目を奪われる。
 全ての矢が弾かれてしばらくすると、その青白い光は消え、黒ずくめに身を包んだ一人の男が沈弥の目の前にいた。

「自分の行いも省みず、他者からの恩恵のみを欲して逆恨みをすること。人、それを『甘え』という……」
「な、何もんだ……!?」
「貴様らに名乗る名前はない!」

 黒ずくめの姿で腕を組んだ男は、胸をそらしてそう言ってのけた。

「うん……一回言ってみたかったんだ、これ」
「て、てめえ!」

 沈弥は自らの感情を『甘え』と言い切った男に逆上して、剣を抜く。

「お前らの相手は俺じゃないよ……行きますよ、厳顔さん!」
「こ、これ! 貴様、またわしを……」

 男が厳顔を両腕に抱えて、抱き上げる。
 厳顔は、状況も忘れて思わず顔を赤くして慌てた。

「じゃあな!」

 男は、厳顔を抱えた状態で屈むと、その足の筋肉が異様に膨れ上がり、バンっと音がする。
 その状態で船の(へり)を蹴り上げると、十丈(約三十三m)はあろうかという距離を飛び越え、岸へと着地した。

「なっ……化け物かっ!?」

 沈弥が驚いて着地した対岸を見る。
 と――

 ジャーン、ジャーン、ジャーン!

 不意に銅鑼が鳴る音と共に、両岸に武装した集団が矢を構えて並びだす。
 それと同時に、籠で隠していた炭火から着火した松明が、ずらりと並べられていく。

「なっ……なっ……なっ……」

 沈弥を含めて状況が飲み込めずに、右往左往している錦帆賊が周囲を見回して慌てている間に、松明が並べられ、兵がそれぞれ矢を番える。
 気付けば、錦帆賊は完全に包囲されていた。

「な、なんだこいつらは! いったいどこからこんな兵が現れたんだ!」

 沈弥の叫び。
 それも無理はない。
 状況的に完全に厳顔一人なのを確認して姿を現したのだ。
 灯りももたず、一体どこから沸いて出たのか。

「降伏なさい」

 慌てる沈弥に、兵の間から一人の女が現れる。
 その女は、弓を携えながらも、どこか清楚な姿だった。

「我が名は黄忠……元は夷陵の太守にて、今は白帝城の太守を一時的に預かるものです。錦帆賊、並びにその頭目に再度告げます。降伏しなさい!」

 女……黄忠は静かに、だが威厳のある声でそう叫んだ。

「こう……ちゅう、だと? 確かに……厳顔のところで黄忠と呼ばれた女を見たことがある。だが……何故だ! やつは、やつは劉表から暇をもらってすでにこの国を離れたはずだ!」
「お前は天に見放されたのじゃよ、沈弥」

 対岸にいる厳顔がそう答える。
 男の腕から降りて、その腕には轟天砲が構えられている。

「紫苑が、偶然この白帝城に来ておらなんだら、わしはお前の雇った黄巾に殺されておったかもしれん。小僧がおらなんだら、わしはあの宿で血を流しすぎて死んでおったかもしれん。すべては天の意思じゃ」
「天……天だと!? 天が俺を見放しただと!?」
「お前が成すことを、天はお見通しじゃったのじゃよ……なにしろ、この小僧こそ」

 厳顔は、隣にいる黒ずくめの男の背中をバン、と叩いた。

「この男こそ、天の御遣いと呼ばれた男なのじゃからな」
「―――――っ!?」

 沈弥は悲鳴にもならない声を上げて、がくっと膝を折った。
 こうして錦帆賊の残党は、大した抵抗も出来ずに全員が捕縛されたのである。




  ―― 盾二 side ――




 錦帆賊を全員捕らえ、沈弥という男もおとなしく縛についた。
 俺は、退避していた水夫と共に身代金を載せた船を岸へとつける。

「ふう……日が昇ったら上流、下流に仕掛けた縄を全て回収しなけりゃな。役には立たなかったけど」
「上流で待機していた漁邑のやつらはどうします?」
「ああ……それも無駄になっちゃったな。長江に流すはずだった丸太は、資材として白帝城で引き取ってもらうように黄忠さんに言っとくよ。まあ、最悪上流で漁舟を沈めるようなことにならなくて何よりだったから、良しとしよう」
「しかし、あれこれ考えるものですね……さすがは天の御遣い様です」

 水夫のおっちゃんが、頭を下げると、他の水夫まで平伏しようとする。

「おいおいおい! やめてくれってば! 噂だよ噂! あんなのただの噂で、俺はただの人間なんだってば!」
「しかし、おいらは見ましたぜ! あの厳顔様を庇ったとき、青白く光っておいででした! まさしく天の光でさ!」
「ああ! 空には月もねぇのに、まるで月の光が御遣い様を守っているようでした!」
「おいらも見ましたぜ! はぁ~ありがたや、ありがたや!」

 うっ……ほんとに拝み始めやがった。
 だから、これはサイコバーストの一種で、アイスキャッスルっていって……って、精神波なんて俺の世界でも普及してない技術だもんなぁ。
 漫画やゲームのない世界じゃ、超常現象を目の当たりにしたら神秘的に全部信じちゃうわな。

 高度に発達した科学は、魔法と区別がつかない……学者さんは偉いよ、ちゃんと予見している。

「と、とにかく、日が昇ったら上流と下流に分かれて作業するからね。もうそろそろだけど、少しは体を休めておいてくれ」

 俺は、青白くなりだした空を見ながらそう言って、船を下りる。
 すでに辺りは明るくなっており、松明の火に頼らなくても視界は開けていた。

(まいった……天の御遣い教なんてできたらどうしよう? 黄巾にかわって討伐されかねん……)

 やっぱ、うかつにサイコバーストは見せちゃダメだな、うん。

 頭をポリポリと掻きつつ、黄忠さんがいる場所へと移動する。
 そこには縄を打たれ、うちひしがれる様に顔を俯かせる錦帆賊の頭目の沈弥と、それを悲しい目で見ながら佇む厳顔さんもいた。

「船の方はこれで回収完了です。あとの始末は日が昇ってから、罠を回収してきますね」
「はい、お疲れ様ですわ」

 黄忠さんが俺の報告に、にっこりと答える。
 すると、今まで俯いていた頭目の沈弥が顔を上げた。

「罠、だと……?」

 沈弥は俺を見上げるように睨む。
 あー……まあいいか。

「そうだよ。お前さんたちが逃げた場合も想定してね。周辺の漁邑に声をかけて、上流と下流に荒縄を幾重にも長江を塞ぐように仕掛けさせてもらった。あと、上流から丸太も流して沈没させる手もとっていたし、黄忠さんが夷陵の現太守に急使を出して、夷陵の水軍に白帝城の防衛も頼んである」
「……………………」
「つまり、どう転んでもお前達は逃げられなかった。むしろ、抵抗せずに捕まったので、策のほとんどが無駄になった。まあ、後始末を考えれば、遥かに楽にはなったけどね」
「ク、ククククク……まさかな。まさか俺の計略を全て見透かされた上に、ここまで用意周到にされるとはな……龍神、いや龍の軍師……噂以上だったか」
「また変な噂を……」

 龍神の次は龍の軍師かよ……まあ劉備の軍師だったから劉の軍師、龍の軍師って流れはわかるけどさあ。

「ククク……相手が厳顔だけと思い込んでいた俺の負けか。こんな俺だからこそ……厳顔が見捨てたのもわかる。甘え……確かにそうかもしれん」
「……沈弥、わしがお前を放逐した理由。それはお前に頭を冷やして欲しかったからじゃ。お前は……知略はあったが、それを覆い隠すほどの野心が強かった。それが焔耶に影響を与えるのが怖かった……」
「……やっぱり、厳顔。あんたのところを出奔するのは時間の問題だったよ……魏延を第一に考えるあんたじゃ、な」
「………………!!」

 沈弥の言葉に、蒼白になる厳顔さん。
 ……ちょっと、離した方がいいかもしれない。

 俺は、黄忠さんに目配せをすると、黄忠さんが兵士に命じて沈弥を他の錦帆賊の捕らえられているところへと連れて行った。
 その間、厳顔さんは身じろぎ一つせずに俯いている。

「桔――」
「……沈弥はわしの部下じゃった」

 黄忠さんの声掛けを遮り、ふいに厳顔さんが呟く。

「沈弥は幼い頃、両親が死んでの。わしの故郷の近所にいた孤児じゃ。能力もあり、仕事も出来た。わしは頭が悪い。だから文官のまとめ役としてあやつを取り立てた。一緒に酒も飲んだ。だが……焔耶をわしの弟子としたあたりから、あやつの言動や行動に不審なものが多くなった」

 焔耶……さっき言っていた魏延って人か?
 そういや暴力クソ女とか言われていたな……

「あるとき、焔耶が沈弥に襲われた。わしは仔細を聞いて、逆に返り討ちになった沈弥に問うた。『何故に焔耶を襲ったのか』と。奴はこう言った。『奴は厳顔様を真名で呼んだからだ』と……」

 ………………

「わしは焔耶に真名を許しておった。それは周囲も知っていた。だからそんな理由で武人を襲う沈弥が許せなかった。棒打ちの刑に処して放逐した……」

 ……そういやあいつ。
 厳顔さんを真名で呼んでいなかったな。
 預けられていなかったのか……

「わしはあやつの野心が焔耶に影響を及ぼすかもしれない、そう思うと怖かった。焔耶はわしに似て馬鹿じゃ。だからこそ変なことに囚われず、まっすぐに生きて欲しい……そう思ったのじゃ。だから……」
「ねえ、桔梗……あなたは彼の真名を知っているの?」

 黄忠さんが、厳顔さんに尋ねる。
 厳顔さんはしばらく黙った後、知っている、と答えた。

「互いに呼ぶことも許されたが……放逐するときに返した。そうか……やはりわしの身から出た錆じゃったんじゃな」

 厳顔さんは自嘲したように呟く。
 コリッ……と頬を掻いて、俺は小さく溜息を吐いた。

「私……俺の独り言なんだけど」

 そう言って後ろを向く。

「あいつ、厳顔さんに母親か姉を見ていたんじゃないかな?」

 その言葉に、ハッと息を呑む音が聞こえた。

「だから新しく来た妹に嫉妬した……だけど、その母親は妹を選んだ。自分は捨てられた……だから――」
「………………」

 そこまで言って口を(つぐ)む。
 黄忠さんも何も言わなかった。
 ただ――

「わしは……わしは、ほんに、ほんに愚か者じゃ……」

 ただ、厳顔さんのすすり泣く、泣き声だけが。
 日が昇り、長江の美しい水面(みなも)に照らされるその場所に、微かに響いていた。 
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