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ラ=トスカ

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第二幕その一


第二幕その一

                 第二幕 ファルネーゼ宮殿
 ローマには多くの歴史的建造物がある。コロシアムの様に帝政ローマの頃からあるもの、サン=ピエトロ寺院の様にルネサンス期に建てられたもの等時代も建築様式も多岐に渡っている。
 ファルネーゼ宮は後者に当たる。時の枢機卿アレッサンドロ=ファルネーゼによって建てられた為その名が冠せられた。
 後に法皇となりパウロ三世となるこの枢機卿は神に仕える身ではあったが神に仕えてはなかった。彼は元々宗教に関心を持たぬ所謂ルネサンス的人物であり、最大の関心は地位と権力、富、そして美女であった。ルネサンスの時代だけでなく何時の時代でも何処の場所でもこうした人物はいるものであるが群雄割拠の状況であり聖俗の権力がアラベスクの如く複雑に絡み合ったこの時代のイタリアにおいてはこうした人物が目立っただけである。
 『右手に奸智、左手に謀略』と揶揄されたアレッサンドロ六世とその長子チェーザレ=ボルジアはあまりにも有名であるが彼等ボルジア家の政敵ローヴェレ枢機卿もそうであるしあの富豪メディチ家もローマ=カトリック教会と深い繋がりを持ちその栄華を誇っていた。そういった時代であった。
 パウロ三世も先のアレッサンドロ六世と同じく法皇という名の第一級の政治家でありこのままだと贅を極めた君主としてのみ後世に名を残していたであろう。だがこの時北の平野にある人物が出て来た。
 その者の名はマルティン=ルター。大食漢で大酒飲みで世話好きで子煩悩であったが同時に極めて清廉潔白な宗教観の持ち主であった。彼が教会の世俗化と腐敗に対し異議を唱えたのである。
 ローマはすぐに彼に破門を言い渡したがその程度で引っ込む男ではなかった。過激な発言と行動を繰り返し何時しか神聖ローマ帝国全土を巻き込む大騒動となった。
 混乱はローマにも飛び火した。それは大火事となった。神聖ローマ帝国軍とルター派新教徒、そして教皇軍がローマで衝突したのである。世に言う『サッコ=ディ=ローマ』である。
 帝国軍と新教徒達はローマ中で暴れ回った。所々で略奪と虐殺という名の血の宴を開き建物は破壊され火が点けられた。聖アンドレの聖骨は地面に投げ付けられ聖ヨハネの聖骨は蹴球にされた。数万の市民が殺されティベレ川へ投げ棄てられ路という路は堆く積み上げられた屍で埋められた。人の首や手が宙に飛び交い血が汚物と混ざり街を彩った。ローマは死の街となった。パウロ三世は枢機卿の時にこの混乱に巻き込まれ命からがらサン=タンジェロ城に逃げ込んだのである。
 そうした経緯から彼は新教徒達を激しく憎むようになった。法皇に即位すると先頭に立って宗教戦争を繰り広げ異端取締の為『聖丁』を設けイグナティウス=ロヨラやフランシスコ=ザビエル等ルターに勝るとも劣らぬ過激な修道僧達が作った『イエズス会』を修道会として認知し厳格なカトリックの教義を広めさせた。さらにトレントで公会議を開きローマ=カトリック教会の権威を取り戻した。彼のこうした行動により旧教徒と新教徒の憎悪と殺戮、異端審問による陰惨な魔女狩りが欧州全土を覆ったとも言える。
 この様な人物であるから歴史において彼の評判はすこぶる悪い。だが芸術においてはその評価は高い。
 ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の大祭壇画『最後の審判』を描かせ、またサン=ピエトロ寺院の大ドームを完成させた。
ファルネーゼ宮もそうした彼の芸術における業績の一つである。反宗教改革の盟主である彼の強固な意志と贅と美を好む気性を反映しこの宮殿は他に多々建てられているローマの建造物のどれにもひけを取らない威風堂々たる建造物であった。広い中庭を持つというローマ建築の主流であるローマ様式の建物であり、その中庭を多くの部屋が取り囲み、各部屋には中庭に向かってロジックという独特の涼みの為の廊下が付けられている。大広間は上の階にありバルコニーと繋がっている。宮殿の正面はエジプトから取り寄せた花崗岩で造られた噴水が二つ置かれている。この二つの噴水のみならず宮殿全体はアントニオ=ダ=サン=ガロの設計によるものであるが彼がこの世を去るとミケランジェロが後を継いだ。彼は宮殿の上階を担当し、軒蛇腹と中庭側の正面の三層は彼が担当した。ミケランジェロが没すると彼の後継者ジャコモ=デラ=ポルタが師の仕事を引き継ぎ完成させた。この時ファルネーゼはこの世にいなかった。
 正門の入口は馬に乗ったまま入られる事からも解かるようにかなり大きい。大きいだけではない。豪華であり壮麗である。その威容はローマのどの建築物にも比肩し得る。後の人はこう評した。
「アレッサンドロ=ファルネーゼはローマで最も美しいものを三つも持っている。———一つはイエズス会のジェズ教会、一つは彼が神から授けられた一人娘、そして彼の一族の宮殿であるファルネーゼ宮殿」
 残念な事にファルネーゼの娘を見た者はローマにはもういない。 だがジェズ教会とこのファルネーゼ宮殿はローマの誰もが見ている。そしてその美しさを知っている。宮殿の大広間は多くの燭台で照らし出されている。その中を着飾った者達がいる。バルコニーの下にも灯火が輝き明るい広場をローマの市民達が埋めている。広間の中には演奏台や大姿見、テーブル、そひて玉座が置かれている。テーブルでトランプに興じている者達がいる。

 
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