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薬剤師

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第五章


第五章

「メンゴーネもおじ様も」
「僕は黙りたいんだけれど」
「許さん!今から単身日本へ行け!」
「日本って何処なんですか!?」
「わしが知るか!御前が勝手に探して行って来い!」
「そんな無茶な!」
 こんな話をしているうちにグリエッタが何とか二人を分ける。センブローニョはまだ騒いでいたがやがて仕事の部屋に追いやられる。カウンターではまた二人きりになれたメンゴーネとグリエッタが向かい合うが流石にもう抱き合ったり愛の言葉を交えさせる余裕はなくふう、と溜息を吐き出すばかりであった。
 その一人になったセンブローニョはまだ怒っていた。とりあえず店の裏手に出ていた。
「全く忌々しい」
 裏手はごく普通の小路で特にこれといっておかしな場所ではない。強いておかしいと言えばセンブローニョだけである。彼だけがおかしかった。
「おのれメンゴーネわしのグリエッタに唾をつけるとは」
 勝手に自分のものにしてしまっている。
「許さん。目に胡椒を入れてやるわ」
 そうしてこんなことを言う。そこにたまたまヴォルピーノが通り掛ったのであった。
「おや、センブローニョさん」
 両手を大きく広げて彼に声をかける。
「どうしたんですか?こんな場所で」
「そういうヴォルピーノさんこそどうしてここに?」
「いや、子供達と遊んでいましてね」
 こう答えるヴォルピーノだった。
「いや、子供と一緒にいると幼い日のことを思い出しますね」
「その頃から全く変わってはないのではないですかな?」
 そんなヴォルピーノに嫌味で返すセンブローニョだった。
「まあ私も子供や犬達と遊ぶのは好きですけれどね」
「おお、同志よ」
「同志じゃありませんよ」
「ではその同志に心からの願いがあります」
 相変わらず人の話は耳に入らないヴォルピーノだった。
「それでですね」
「私は話を聞いていないのですが?」
「そんなことは二の次です」
 何処までも我が道を行くヴォルピーノだった。
「それでですね」
「ええ。仕方ないから御聞きしましょう」
 ヴォルピーノのその強引さに折れてしまった形だ。
「それで何ですか?」
「グリエッタさんと私をですね」
「はい、却下です」
 そこから先はもう言わずともわかったし聞くつもりもなかった。
「それじゃあまた来て下さい」
「話はまだ終わってませんが」
「私の方では終わりました」
 こう返すのであった。
「じゃあそういうことで」
「おやおや。つれないですね」
 だからといって懲りる様子は見せないヴォルピーノであった。
「ではまた明日」
「お薬の用件以外ではお相手しませんので」
「ではグリエッタのことでまた」
 やはり人の話を聞かないヴォルピーノであった。しかし彼は今は大人しいとは言えない大袈裟な身振りだが姿を消した。一人になったセンブローニョはさらに忌々しげな顔で言うのであった。
「やはりここは一気に打って出るか」
 こう言うのである。
「グリエッタを妻にする。すぐにでも公証人を呼ぼう」
「あら、そう来るのね」
 ところがであった。彼の後ろの裏手の扉は開いていた。そこからグリエッタが覗いていたのである。
「それだったら私も」
 話を聞いていてグリエッタは扉の陰に隠れて含み笑いを浮かべていた。彼女の頭の中に何かが宿ったようであった。
 センブローニョがグリエッタと結婚する為に公証人を呼んだことはすぐに街中に知れ渡った。その次の日に呼ぶということまでわかりミラノの市民達はそれぞれ言った。
「やれやれ、もういい歳なのに」
「お元気なことで」
「若い嫁さん持つと苦労するのにな」
 あまり好意的には思われていなかった。むしろ笑いものに近い。しかしセンブローニョは本気であり一歩も退くつもりもなかった。
「さて、そろそろじゃな」
 センブローニョは店のカウンターのところにいた。壁にかけてある大きな時計を見ながら店の中をうろうろとしている。
 
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