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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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ALO編
  episode1 灰色で楽しい日常2

 冷たい風の吹きすさぶ、実家から少し離れた、雑木林の傍。

 ここが、戦闘の場だ。
 そして、ちらりと見やる腕時計が示す時刻は、六時ジャスト。

 ……勝負の時は来た。

 「ふっ……また、性懲りも無くやってきたか……」

 俺が、獰猛に舌で唇をなぞる。
 一応挑発的な言葉を吐き捨てておくが、この相手には言葉は通じないだろう。

 「負けると分かっていても挑むか。まあ、それもいいだろう」

 その言葉を最後に、構えを取る。

 両手をいつでも使えるようにだらりと下げ、瞬間的な判断で跳躍ができるように膝を曲げ、腰を落とした、この世界ではどんな武道にも流派にもないだろう、珍妙な構え。だがそれは紛れもなく俺の本気の構えであり、もっとも馴染み親しんだ構えだ。なぜならこれは、あの世界で培った戦闘……特に、一対一のデュエルで用いた体勢。

 その姿勢は、こちらの世界でも違和感無く俺の感覚にマッチする。

 相対する敵もまた、数度の交戦でそれを理解しているのだろう、低く唸り声をあげる。
 言葉は通じずともこちらの戦意を感じ取ったのだろう。

 敵の脚に、力が籠る。
 そしてそのエネルギーを十分に乗せて、奴は一気に飛びかかってきた。

 「きゃんきゃんきゃん!!!」
 「甘いっ!!!」

 可愛らしい、吠え声を上げて。

 それなりに整えられた白い体毛を纏った体が、文字通り解き放たれた獣の素早さで俺へと襲い掛かる。だがその小さな体の動きは、俺の鍛えられた動体視力から逃れきるほどではなかった。並みの人間では為す術なく喰らっただろう鋭い突進を、俺はサイドステップで紙一重でかわして反撃に移る。

 「そおらっ!!!」

 蛇のように伸びる、右腕。友人からは「怪奇・蜘蛛男」と称される(悪口だが)俺の腕ならば、相手の四足歩行の体の下を潜っても十分に狙いへと届く。

 狙いは、奴の後ろ脚。

 正面から腹の下を通って握ったのは、左の後ろ脚だった。
 掴んだのを感じた瞬間、間髪入れずにそれを手前に引く。

 「きゃうんっ!」

 ふんばりの要である後ろ脚を引き出されてバランスを崩した相手が、「ぺたん!」と効果音がしそうな勢いで尻もちをついた。一旦弱弱しい声を上げて倒れたが、すぐに体勢を立て直して飛び退り、その目を爛々と輝して戦意を主張する。

 いや、戦意っていうか。

 (……仔犬が目ぇ輝かせてじゃれついてきてるだけなんだがな……)

 遊んでもらえることがこの世の至上の幸福であるとでも言うように、尻尾を千切れんばかりに振りまくりながら荒い息を繰り返すその様は、まさにじゃれつくことに命をかける子犬のお手本である。体はまだまだ俺の膝ほどもないものの、獣の体による運動量ならこの年でも俺を軽く凌ぐだろう。

 「だがまあ、所詮は犬っころよのう……」

 再び飛びかかるようにひっついてくる仔犬。
 それを巧みにかわしながら、今度は左の後ろ脚を捕まえて引っ張る。

 「きゃうんっ!!!」

 また、「ぺたん!」だ。

 この仔犬に初めて会ったのは四日前。あてどもなく散歩に耽っていた俺に、何の前触れもなく挑みかかってきやがったのだ。恐らくその毛並の綺麗さからして飼い犬なのだろうが、俺は飼い主を見たことは一度もない。よく躾けられているところからしてもそれなりの家の子なのだと思われるが、散歩は放任されているらしい。

 「これって見つかると怒られるんかねえ……」

 一応俺としては遊んでいるつもりなのだが、これも動物虐待に入るんだろうか。
 まあ言い訳は考えてはいるが。

 とりあえず。

 「おーらもういっちょ!!!」
 「きゃう~んっ!!!」

 もう一発、後ろ足を引き抜いての「ぺたん!」。
 ここまで今日は一度も犬コロに捕まってはいない。

 最初の一日はその動きに翻弄されていたが、今ではこの通り。思うに、向こうの世界での経験がある程度はこちらに生きているということだろう。五回目の「ぺたん!」の時点で、奴はとうとう諦めた(というか、満足した)らしく、座り込んだままこちらを見つめて尻尾を振る。うん、今日はもう完勝だ。反射神経は、大分戻ってきてるな。

 だが、本番はこれからだ。

 「ワオン!」
 「……今日も、きやがったな……!」

 やってきたのは、この仔犬の親だろう、なかなかの立派な三毛色の犬。
 体重は、三十キロはあるだろう。

 「ってか、このサイズを放し飼いってそれはどーよ……?」

 呟いて、頭を掻く。

 この隠しボスが現れるようになったのは、昨日……つまりは、この仔犬をあっさりと屈服させられるようになってからだ。どうも、この仔にお手本を見せてやるつもりらしい。流石に年の功か、仔犬よりも素早く、見切りも上手い。前回は、二戦二敗だ。

 しかし。

 「今度は、簡単には負けねえぞ!」
 「オゥン!」

 一声吠えて飛びかかってくる、三毛犬。だが、その軌道は、目線から軌道を読む『見切り』によって俺には分かっている。素早くかわし、敵の隙を覗う…が、その巨体では簡単に後ろ脚は取れない。前足を払って、そこからか。

 高まる鼓動のまま、体を躍動させること、数分。
 結果は、またしても二戦二敗だった。


 ◆


 俺の体は、生身の、何の変哲もない普通の人間のそれである。
 ……いや、何を言っているのかと正気を疑われかねない発言だが、結構本気である。

 分かりやすい視点から言うならば、データで構成されたゲームの肉体ではない、ということだ。つまりは俺の体はレベルやアイテムでその性能が強化されるわけでもなく、薬草やポーションで疲労や傷がふさがるわけでもない、当然超能力や超人的性能が宿ったわけでもない、普通の体。

 その体が、おかしいのだ。

 犬の動き……敏捷性は、人間より上だ。
 なのに俺は、その敏捷性についていってしまっている。

 普通なら不可能。まして、病み上がりの人間にできるはずがない。
 それなのに俺の体は、わずか四日でその動きを見切ってしまった。

 思い当たる原因は、一つ。
 デスゲーム、『ソードアート・オンライン』。

 あの狂った世界で、俺はきっと何らかの「変化」を受けてしまったのだろう。単なるゲームではない、あの真に命を賭けた戦いの日々の中で培った戦いの勘が、未だに俺の脳に、体に、魂に残っている。それが、何の武道の心得もない俺の体を獣と渡り合えるほどに高めるくらいに。

 怖い。

 頭の片隅で、理性が呟くのを感じる。俺があの世界の影響で「どうなってしまったのか」。そしてそれ以上に、「この先どうなってしまうのか」……あるいは、「どこまでいけてしまうのか」、とでもいうべき恐怖。あの世界での剣や槍、毒液を避けた記憶。

 「あの世界」での「敵」は。
 間違いなく、「この世界」でのチンピラやヤクザより格段に強かった。

 もし俺にあの世界での力が、何らかの形でこの世界に宿るなら。
 それがどんなことになるのか……今の俺には分からない。

 これは、よくない。まずいはずだ。
 なのに。そうわかっているのに。

 俺の鈍った頭は、その頭の片隅の警鐘に耳を傾けることをしないままでいたのだった。

 
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