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コミュニケーションの行方

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必要な能力

 
前書き
 こいつはたしか3000字前後という制約付きだった気がします。 

 
我々が現代社会で生きてゆく上で、どのような能力が必要なのだろうか。そう考えたとき、学力や身体能力よりもまずはコミュニケーション能力こそが一番の武器になると私は考える。
 やはり他人との意思の疎通もままならないようであっては、社会人となる以前に、人として生活するのも困難なのではないだろうか。
 やはりコミュニケーションとはなくてはならない能力であると同時に、我々にとって最大の武器にもなるのであろう。
 ブアメードの絶望という心理実験がある。ブアメードという名の死刑囚に、「人体からは1割の血液が流出すると人間は死ぬ」と医師が教え込み、足の親指を切断。滴る血液をタライで受け、滴り落ちている音を聞かせつつ、「この調子だと3時間後には致死量の血が抜ける」と言い残して4時間放置。4時間後様子を見ると、ブアメードは息を引き取っていた。しかし、実際には彼の親指は切られておらず、親指に痛みを与えただけであった。要はだましたのだ。勿論、彼の死因は失血死ではなくショック死だった。このブアメードという死刑囚は医師の権威ある言葉に殺されたのだ。
 このように、環境が揃えば言葉だけで一つの人生を終わらせることもできる。それほどまでに言葉の力は強力なのだ。
 もちろん、言葉がここまでのパフォーマンスを発揮できる場合というのは限られている。互いの心理状況や立場の違い、その場の雰囲気や会話の流れ、更には互いの体調など、言葉のコミュニケーションは非常に複雑で多岐に渡る要素が関係してくるのだ。
 このことからも、コミュニケーションは単に言葉の伝え合いだけではないといえる。相手に対する意思疎通、それ全体がコミュニケーションなのだ。アイ・コンタクトという言葉があるように、ジェスチャーやパントマイムが伝わるように、何も言葉だけがコミュニケーションのツールではないのだ。
この例として、「お疲れ様」という言葉を考えてみる。無表情で言われるのと、にこやかな笑顔で言われるのと、眉間に皺を寄せながら言われるのでは随分と感じが変わるし、ほかにも天皇陛下のおっしゃられた一言と、尊敬する上司からの一言と、気に入らない同僚からの一言と、これら全てにおいて受け取った人の感じ方は大きく異なる事だろう。
ここからわかることは、表情・関係・立場・タイミングなど、これら全てがコミュニケーションを作り出す要素なのであり、いかにこれらを効果的に活用してゆけるかという事がコミュニケーション能力というものであるということだ。
今、現代の若者のコミュニケーション能力の低下がしばしばテレビや新聞の紙面を賑わせることがある。しかし、これから一層その能力が必要になるであろう我々の力は、過去の大人たちに比べ、それほどまでに衰えているのだろうか。またどうすればコミュニケーション能力が向上するのだろうか。
若い世代の人間は、いったいどのような点が年配の世代と違うのか。その相違点の一つとしては、若者独特の感覚の、ノリを重んじる文化だろう。本来生活環境的に考えれば、若者は年配の人間と比べてリズム感や音感といった類のものは遥かに優れているはずである。そしてこの長所を最大限生かした会話スタイルがノリを重んじる文化になったのだろう。だが、これは一見コミュニケーションとも取られるが単にそういう訳ではない。
ノリという独特の韻を踏んだ会話様式は、そこから韻の踏みにくい単語を自然に排除する。それどころか、必然的に皆が同じような単語しか使わなくなるために、淘汰されてゆく言葉の数がとてつもなく多くなる。結果、本来進化に向かうはずの過程で退化現象が起こっているのだ。これこそが、日本語自体を薄っぺらな公用語だけの言語に仕立てている元凶なのである。そのことに関して、日本語は退化したといっても良いだろう。
しかしこの問題を解決し、退化の道を進化へと繋げることで日本語は、新たな次元へと進むことができるのだと私は思う。ではそのために何をすれば良いのか。
まず初めに念頭に置いておかなくてはならないのは、これから行動を起こしていくのは今社会人として生きている先人ではなく、ましては戦後の日本を「もはや戦後ではない」と言わせたシニア世代でもない。今、社会人としてこれからを歩もうとしている私達や社会人として新たな一歩を踏み出した若い社会人達。そんな人材こそがこの堕落してゆく日本語を美しい言語に戻し、さらには元より進化させることができる最良の人材なのだという事である。では、その私たちは何をすればよいのだろうか。
答えはいたって簡単である。もっとよく日本語を知る事。この一言に尽きる。これは決して学校や国の定める教育課程における勉強などではない。「学び」なのだ。本来人間はヒトという生物である限り学びの喜びは遺伝子レベルでインプットされているものなのだ。この好奇心があったからこそ、我々人類は高度な進化を遂げてきたのである。今必要なのは何もそんなに難しいことではないのだ。人類が本来持っている無限の好奇心、それのうちほんの少しを日本という国の語学に向けてみて欲しいのだ。そうすれば、必ず素晴らしい言葉や美しい詩に出会うだろう。
そこからだ。ほんの僅かな興味、そこから日本語の本来持つ美しさに気付けば、そのことを意識せずとも自然と日常会話にも変化がみられるだろう。それこそが、日本語の退化を止め、さらには進化へと歩みを進めるきっかけになるのだと、私は思う。
そして、母語をより理解し、様々なコミュニケーションの要素を考慮し、適切な表現が可能になることこそ、これからの社会でもっとも必要な、コミュニケーションの神髄なのではないだろうか。
 
 

 
後書き
 参考文献はありません!
 なんたって500円の論文ですから、自分の知識だけで作りました(笑)

 論文書くのに何も調べないヤツが好奇心がどうこうとか語るなって感じですね。 
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