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二度起こる奇跡

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第一章

             二度起こる奇跡
 ヘルバルト=フォン=カラヤンはそのギリシア彫刻を思わせる真剣味が漂う端正な顔で常にこう周囲に言っていた。
「イタリアのマエストロの指揮を超えるオテロを残したい」
「マエストロ=トスカニーニのですか」
「あの方の」
「そう、あの方のオテロをな」
 それを超えたいというのだ。
「それ以上の録音を残したいものだ」
「ですがマエストロ、オテロについては」
 周囲の一人がオテロというオペラ、ジュゼッペ=ヴェルディが残した音楽史に残るこの名作についてこうカラヤンに言った。
「問題になりますのは」
「タイトルロールだな」
「はい、オテロを歌う歌手です」
 そのテノールが問題だというのだ。
「非常に難しい役です」
「ワーグナーテノールを意識したな」
「言うならばイタリアオペラのヘルデンテノールです」 
 ワーグナーの作品におけるテノールは独特だ、バリトンに近い声域で輝かしい、時には高音さえ出して歌う特別なテノールだ。
 ヴェルディはワーグナーのオペラを知りそのうえでオテロのタイトルロールをそこまでの困難な大役にしたのだ、ワーグナーテノールはその困難さ故に非常に少ない。
 そしてオテロを歌えるテノールもだ、それもまただった。
「滅多にいるものではありません」
「果たして今いるかどうか」
「その歌手は私が見つける」
 カラヤンは確かな声でその彼に答えた。
「そうする」
「マエストロご自身がですか」
「必ず見つける、そして彼と共にだ」
 トスカニーニ以上の名盤を残るというのだ。
「そうしてみせる」
「そうされますか」
「絶対に」
「その歌手は必ずいる」
 カラヤンは確信していた。
「カルーソー、ジーリ、スキーパ、そしてマエストロの盤でオテロを歌った」
「ラモン・ビナイ以上の」
「創演のフランチェスコ=タマーニョに匹敵するまでのな」
 そこまでの歌手がいるというのだ。
「必ずな」
「あの、タマーニョやビナイとなると」
「流石に」
 周囲は驚きと共にカラヤンに言った。
「いないのでは」
「そこまでは」
「いや、いる」
 しかしまだ言う彼だった。
「私はその歌手を使って最高のオテロを作曲したい」
「マエストロの指揮と最高のオーケストラに加えて」
「その歌手で」
 カラヤンの指揮、彼はそれには絶対の自信があった。それにだった。
「オーケストラもある」
「ベルリンかウィーン」
「そのどちらかですか」
「それでも既にある」
 この二つはあった。それにだった。
「他の役も揃うからな」
「そうですね、オテロは他の役は揃います」
「どれも」
 ヒロインも敵役もだ、特に敵役は原作となっているシェークスピアの『オセロー』でも有名なイヤーゴ、原作ではヤーゴとなっている。
 この役はバリトン、ヴェルディ=バリトンだがこのバリトンは常に素晴らしい歌手が出ているジャンルなのだ。
 だから他の役も楽観出来た、だが問題は。
 タイトルロール、まさにそれだったのだ。
「悩める英雄オテロ、最高のオテロ」
「それがいるかどうかが全てですが」
「その歌手は必ずいる」
 またこう言うカラヤンだった。
「見ていることだ、私はその歌手と共に歴史を残す」
 カラヤンはその歌手を探し求め続けていた、そしてだった。
 長い間探していた、だが彼はその間一度も諦めていなかった。
「歌手は聖杯ではない」
「必ず存在するもの」
「この世にですね」
「聖杯はパルジファルの舞台にある」
 ワーグナーの最後の作品であるこの作品の中という現実においてだというのだ。歌劇の世界もまた現実としての言葉だった。 
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