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スペードの女王

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第二幕その四


第二幕その四

「おお」
「陛下が」
「フランス大使も御一緒です。共にこちらに向かわれています。そして」
「そして」
「アレクサンドル様も」
「何ということ」
「未来の陛下まで」
 アレクサンドルはエカテリーナの孫である。彼女にとっては自慢の孫であり常に手元に置いて自分の全てを教え込んでいた。将来のロシアの栄光を担う英邁な君主として彼女は孫を育てていた。後にナポレオンと戦い謎と矛盾に満ちた人生を送る美貌の皇帝である。
「さあ」
 儀典長は音楽隊と合唱団に顔を向けて言う。
「すぐに陛下の為に」
「畏まりました」
 指揮者が恭しく頭を垂れる。見れば彼はロシア人ではなかった。感じが違う。彼もまたフランス人であるらしい。気取った動作も見られる。
「陛下、ようこそ!」
「ロマノフに栄光あれ!」
 威厳に満ちた女性がやって来る。その隣にはまだ子供のアレクサンドルがいる。だが孫がいる歳にはとても見えない。堂々としており、そこに美貌がある。女帝の美貌であった。
 女帝の来場もゲルマンの耳には入ってはいない。彼はもう呪縛に捉われていたからだ。彼はその時リーザに言われた部屋に向い暗い廊下を進んでいた。そこは宴の場とはまるで違い暗く、ひっそりとした場所であった。
「ヴィーナスか。今こそ女神の加護を」
 ゲルマンは呟く。
「三枚のカードの秘密さえ知れば僕は彼女を手に入れられる。それなら」
 迷いはなかった。
 そのまま部屋に向かう。伯爵夫人はその部屋の中にいてソファーに座って休んでいた。側には侍女が一人座っている。
「宴は随分華やかみたいね」
「はい」
 侍女はそれに答える。
「陛下が来られたそうです」
「そう、陛下が」
「行かれますか?」
「お顔を見たいけれど。今は」
「御身体がですか」
「ええ。もう少し落ち着いてからね」
 伯爵夫人はそう答えた。
「昔はそうではなかったのに。私は陛下にも色々と教えさせて頂いたのよ」
「フランスのことを」
「そう。陛下はフランスのことがお好きだったから」
 フランスという国とは度々意見を違えており好きではなかったがフランス文化には目がなかった。それがエカテリーナという人物の嗜好であった。
「けれどね。今は」
 ふう、と疲れた溜息を漏らした。
「歳ね、私も」
「いえ、まだ奥様は」
「気休めはいいわ」
 侍女の言葉を退ける。
「パリやベルサイユにいたのももう遥かな昔なのだから」
「はあ」
「ポンバドゥール夫人とも会ったしフランス王にもね」
「そうだったのですか」
「フランス王の前でも歌ったわ。ルイ十五世陛下」
「といいますと」
「前の王様よ。美しい方だったわ」
 ルイ十五世は幼少より晩年より美男子として知られフランス一の美男と謳われた。残っている肖像画も女性の様な目をした美男子である。
「けれどそれもね。過去の話」
「ですか」
「休んでいいわよ」
 そこまで話し終えると侍女に言った。
「私は一人でいたいから。いいわね」
「宜しいのですか?」
「たまには貴女も休みなさい」
 優しい声になった。
「いいわね」
「わかりました。じゃあ」
「ええ」
 こうして侍女は去り伯爵夫人だけになった。一人になるとまた溜息をついた。
「三枚のカードの秘密も教えてもらったわね」
 その時にあの謎の人物から教えてもらったことを思った。
「一、三、七」
 彼女はカードの番某を呟く。
「それが私を救ってくれた。そして」
 その時の伯爵との会話を思い出した。
「宜しいですか、奥様」
 ベルサイユの片隅で二人は話をしていた。若き日の美しい、妖艶な伯爵夫人とあの謎の伯爵が。二人は顔を見合わせて話をしていた。
「このカードの秘密を教えられるのは二人までです」
「二人まで」
「はい、この秘密には呪いがありまして」
 彼は言う。
「三人目に教えるならば貴女は命を落とされるでしょう」
「命を」
「私にはわかります」
 伯爵は伯爵夫人の琥珀の目の中に何かを見ていた。
「貴女はまず御主人に教えられます」
「はい」
「そして次には御主人の後の恋人に」
 つまり若い愛人である。
「最後は」
「最後は?」
「あまりにも激しい愛に狂った男にそれを話して」
「愛に狂った男にです」
「それは一体誰なのですか?」
「そこまではわかりません」
 彼はそれには首を横に振った。
「ですが」
「ですが!?」
「その男が来た時に貴女の人生は終わります」
「そうなのですか」
「彼は堕天使です」
「堕天使ですか」
「そうです。自分では気付いていません。ですが彼は堕天使に他ならないのです」
 その言葉は未来を見越しているようであった。このサンジェルマン伯爵については昔からとかく言われている。不老不死であるとも詐欺師だとも錬金術を窮めたとも。タイムマシンで時間を行き来するという説すらある。だが真相ははっきりしない。全てが謎のままである。
「彼は破滅します。ですがそれは貴女の手によってではなく」
「彼自身の手によって」
「それが運命なのです」
 伯爵の声は宣告の様であった。
「宜しいですね」
「わかりました」
 伯爵夫人は彼の言葉に頷いた。
 
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