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こうもり

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3部分:第一幕その三


第一幕その三

「そんなことしたらね」
「そうですよね」
「また馬鹿なことをしたね、あの方も」
 アルフレートはそう述べた。
「けれど私には関係ないことなので」
「そうだね。それはフロイラインが正しいよ」
「ですよね。それで奥様」
 ここでまた悲しい顔を見せてきた。今にも泣きそうである。
「ええ」
「叔母さんのことろに行かせて下さい。可哀想な叔母さんのところに」
「残念だけれど今日は駄目なのよ」
 それでも奥方は言う。
「今日だけは」
「そう仰らずに。それに」
「はい、何か」
「そこにおられる方は。さっきから気になっていたけれど」
「ああ、ロザリンデ」
「アルフレート」
 アルフレートの姿を認めて雷に打たれたようになった。
「どうしてここに」
「君に会う為にね」
 彼はそれに応えて大袈裟な様子で述べる。
「それで来たんだよ」
「そんな、何てはしたない」
 ロザリンデはその言葉を聞いて顔を顰めさせる。
「私はもう人妻なのに」
「それがどうしたっていうんだ」
 アルフレートはいささか儀礼的な言葉を述べた。こうした時に言う言葉はやはりこれであった。
「僕は構わない」
「私は構うのです」
 奥方の言葉も同じであった。
「私には主人が」
「牢獄に入られるのですよね」
「それでも」
 彼女は言う。
「また帰って来るから。だから」
「本当?」
「はい」
 アデーレがアルフレートに答える。
「その予定です」
「そうなんだ。じゃあ」
 彼はそれを聞いてからまた奥方に言ってきた。
「また来ます」
「駄目よ」
 奥方はそれにも反対する。
「そんなことを言っても」
「いえ、それでも」
 彼はその声を強くさせてきた。
「来ます。いいですね」
「どうしても?」
「どうしても」
 声をさらに強くさせてきた。有無を言わせない調子であった。
「だからロザリンデ」
「わかったわ」
「あら」
 アデーレはそんな奥方を見て意外といったふうに目を丸くさせた。
「奥様も中々」
 一人ほくそ笑む。
「じゃあまた来るね」
「ええ」
 切ない顔で彼に応える。
「わかったから。もう帰って」
「うん、じゃあね」
 彼は意気揚々と屋敷から姿を消す。彼が消えたのを見て奥方は一人溜息をつくのであった。
「あの声さえなければ。高い声が」
 どうやら彼女はテノールに弱いらしい。オペラで最も女性の人気を得るのはテノールである。彼女もそれにはあがらえないということである。
「奥様」
「内緒よ」
「わかってます。それでですね」
「ちょっと待って」
 アデーレの言いたいことはわかっている。しかしここで誰かが屋敷の前に馬車を止める音がしたのだ。同時に馬のいななきも聞こえてきた。
「あの人かしら」
「多分」
 アデーレがそれに答える。
「そうだと思います」
「何か騒いでいない?」
「そうですね」
 耳を澄ませば何か男二人が怒鳴りあっているのが聞こえる。二人はそれを聞いて首を傾げた。
「あの人と」
「ブリントさんですね」
 アデーレは声を聞きながら言う。
「間違いなく」
「何を話しているのかしら」
「さあ」
 そこまでは聞き取れない。だがあまりいい話をしていないのは語調でわかる。
「こちらに来ますし。待ちますか」
「そうね」
 奥方はそれに頷いて夫であるアイゼンシュタイン伯爵を待った。やがて黒い背広を身に纏ったアイゼンシュタイン伯爵がやって来た。案の定カリカリしていた。
 癖のある黒髪を後ろに少し撫でつけ律儀に切り揃えた口髭を持っている。目はブラックだ。かなりの長身で端整な面持ちである。ある銀行の頭取でその財産も地位もかなりのものだ。だが酒癖が悪く今回の事態となっている。そうした困った一面もある御仁なのである。
 
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