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蝶々夫人

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第一幕その三


第一幕その三

「その花嫁さんは愛しているんだろうな」
「まあ一応は」
「一応!?」
「恋の程度にもよりますね」
 ここでも軽薄なピンカートンであった。
「真実の恋か気紛れか」
「それで結婚するのか!?」
「ですが彼女の無邪気さと純粋さに心を惹かれたので」
 また顔を顰めさせてきたシャープレスにこう言葉を返す。
「それは事実です」
「しかし」
「ガラス細工の様に繊細なその姿は屏風絵の様で」
 語るその顔がうっとりとしていた。
「あの赤く光る漆塗の背景から飛び立つ蝶々の様で。実に繊細です」
「是非捕まえてみたいと」
「そうです。それを自らのものに」
「だからそれは止めておくのだ」
 シャープレスはまた彼に忠告を送った。
「真面目な娘なのだろう?」
「はい」
「だったら余計にだ。純粋な心を粗末にしてはいけない」
「しかし閣下」
 シャープレスに対して述べる。
「僕は別に彼女を傷つけるわけではありません」
「どういうことだね、それは」
「彼女にも甘い夢を見せてあげるのです。それがどうして」
「しかし本当に結婚はしないのだろう?」
「それは彼女もわかっているでしょう」
 そう思い込んでいるのである。ピンカートンは。
「当然のこととして」
「だといいがな。まあいい」
「ええ、どうぞ」
 シャープレスが杯を差し出すとそこにバーボンを注ぎ込んだ。
「それでこれからはどうするのか」
「暫くは彼女と一緒に。そして」
「そして?」
「アメリカに戻ったならば妻を得ます」
「本当に結婚するのだな」
「そうです」
 そうした意味で彼にとっては遊びなのだ。あくまでそのつもりだ。
「さて、そろそろでしょうか」
「来たか」
「ええ、ほら」
 朗らかな少女の声が聞こえてくる。
「あの声は」
「可憐な声だ」
 シャープレスはその声をまず気に入ったようである。顔が綻んでいる。
「蝶々さん」
 同時に女達の声も聞こえてきた。
「こっちよ。こっちに花達が」
「ええ、わかってるわ」
 その蝶々さんの声も聞こえてきた。
「春ね、今は」
「そう、春よ」
「蝶々さんの為にある春よ」
 そう女達に言われている。だがまだ姿は見えはしない。
「海の上にも山の上にもすっかり春が満ちて」
「その中で蝶々さんは」
「ええ。私は世界中で一番幸せよ」
「そうか」
 シャープレスはその声を聞いて呟く。
「それが続けばいいが」
「私は愛に誘われて楽しい家の入り口に来ているのね」
「もうすぐだ」
 ピンカートンがにこやかな笑みになる。
「僕のここでの奥さんが来るんだ」
「っこには生きている人のも御先祖様のも全ての幸福があるのね」
「蝶々さんに幸せがありますように」
「これからも。ずっと」
「ええ。きっとね」
「来ましたよ」
 桜色の下地に赤い蝶々をあしらった服を着た小柄な少女だった。黒く切れ長の神秘的な輝きを持つ目があり白く整った、人形の様な顔立ちをしている。髪は見事に上で結っておりその白いかんざしが黒い髪の中に目立つ。一目で心を奪われてしまう可憐な少女であった。
「この娘だね」
「はい、ピンカートン中尉ですね」
「うん」
 ピンカートンは少女の問いに答えた。
 
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