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アドリアーナ=ルクヴルール

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第二幕その二


第二幕その二

「有り難き幸せ」
 彼は跪きその手に接吻した。公爵夫人はそれを見て満足気に微笑んだ。
「さ、おかけになって下さい。王妃様とは貴方の権利とお考えについて長い間お話しました」
 彼女は彼をサロンの中央の席に座らせ自身もその向かいに座った。そして話をはじめた。
「王妃は貴方のお考えに賛成して下さりました。また枢機卿様も支持して下さるでしょう」
 彼女は彼に対し優しい口調で話した。
「そうですか。それもこれも全て貴女のおかげです」
 マウリツィオはそれを聞いて多いに喜んだ。顔が急に明るくなる。
「でもお気をつけて下さい。貴方の事を快く思わない人達もいますよ」
「やはり」
 彼はそれを聞いて顔を引き締めた。
「彼等は抜け目ありません。今日も国王陛下に彼等の策を提出しました」
「それは一体・・・・・・」
 彼はそれを聞いて考え込んだ。
「貴方の拘引です」
 彼女は彼に対して答えた。
「それは嫌ですね。幾らなんでもバスティーユは勘弁して欲しい」
 この当時この監獄は政治犯の収容所として使用されていた。後にこの監獄への襲撃がフランス革命のプレリュードとなるのはあまりにも有名な話である。もっともその実情は監獄を取り囲んだ市民達の早合点であったのだがそれに対して余裕をもって対処しながらも殺された監獄長たちの方こそいい迷惑であった。
「そしてどうなさるおつもりですか?」
「あそこに入るわけにはいきません。すぐにこの国を発ちます」
「えっ!」
 公爵夫人はそれを聞いて驚いた。思わず席から飛び上がりそうになった程だ。
「何を仰るのです?折角お会いしたというのにもうフランスを発たれるなんて」
 彼女は彼を必死に引き留めようとする。
「お願いです、ここに残って。国王陛下には私がとりなしますから」
「いえ、そういうわけにはいきません」
 彼はそれを振り払おうとする。
「火の粉が迫ろうとしているならが私はそれを払い退かなければなりません。さもないと私は自分の夢を果たせないでしょう」
「しかし・・・・・・」
 公爵夫人は彼を哀願する目で見つめた。
「申し訳ありませんが」
 彼は席を立った。そしてサロンから出て行こうとする。
「伯爵、もう私を愛してはいないのですか!?」
「いえ、そういうわけではありません」
 マウリツィオは彼女を振り返って言った。彼も辛いようである。
「ではここに残って下さい」 
 彼女はそう言うと両手を彼の首に廻した。
「そして私にもう一度あの熱い口づけを」
「すいません・・・・・・」
 彼はその手を静かに解いた。するとその手は力無く下に落ちた。
「私は必ず戻って来ます。それはその時に」
「いえ、その時貴方は別の人を愛しているわ」
 彼女は強い、それでいて今にも壊れそうな声で言った。
「私は貴方の心を全て知っています。貴方にとって私はもう色あせたものでしかないのでしょう?だからフランスを去ろうと考えておられるのです」
(まずいな、私とアドリアーナのことに気付いているのか)
 彼は公爵夫人の言葉を聞いてふと思った。その危惧は心の中で急激に膨らんでいった。
「私よりもっと美しい人を愛していらっしゃるのではなくて?だから去る、と。私の前を」
「そんなことはありません。私の想いは奥方にだけ向けられています」
 マウリツィオは公爵夫人の疑念を必死に打ち消そうとする。だがそれは困難である。何故ならその疑念は真実であるのだから。そう、彼女の疑念は正しかった。
「嘘です、それは嘘ですわ」
 公爵夫人はそれに対し頭を振って否定する。女の勘はここでも恐ろしい程正確であった。
「奥方、それ程私が信用出来ないというのですか?」
 マウリツィオは何とか彼女の疑念を取り払おうと言葉を出した。
「貴女のお力があればこその私だというのに。その私がどうして貴女を裏切るというのですか?」
「それは・・・・・・」
 マウリツィオの言葉と目に公爵夫人も一瞬沈黙した。その時であった。
 不意に物音がした。この別荘の玄関からだ。
「待って下さい、今何か物音がしましたよ」
 マウリツィオは玄関の方を見た。
「ええ、確かに」
 物音は公爵夫人も聞いていた。彼女の顔が強張った。
「聞こえますね」
 マウリツィオは窓の方へ歩いて行った。そして窓から外を見る。
「はい、車の音が」
 公爵夫人も彼の後について窓の外を見る。
「どなたかこの別荘にお呼びしましたか?」
「いえ、貴方の他は誰も」
 公爵夫人は頭を横に振って言った。そこには偽りはなかった。
「だれかここに入って来ますよ」
「あれは・・・・・・主人ですわ」
 当時のフランス貴族の間では浮気や不倫は日常茶飯事であった。彼等はかなり乱れた生活を送っていた。
 だがそれを公にされるとまずいのは今と同じである。男ならまだよいが女に対してはいささか厳しいのは何時の世も変わらないことであろうか。
「私の後をつけていたのは公爵だったのかな」
「だとしたら私は・・・・・・」
 公爵夫人は顔を蒼くさせた。
「私にお任せを」
 二人はサロンを見回した。中は月の光で明るい。マウリツィオは至って冷静であるが公爵夫人はオロオロとしている。彼はそんな彼女を気遣いつつ手前の戸口を開けた。
「ここがいいな。さあどうぞ」
 彼は公爵夫人をその中に入れた。彼女はその中に力無く入って行った。
「さて、と。後は公爵達に対して一芝居だな」
 彼は扉を閉めてそう呟いた。そこへ公爵と僧院長が入って来た。
「今晩は、伯爵。よくぞいらっしゃいました」
 公爵は皮肉を込めて彼に言った。
「まずスペードのキングを引くとは私も運がいい」
「もうすぐハートのエースも引けますよ」
 僧院長が悪戯っぽく公爵に言った。
「それは何かの洒落ですか?」
 マウリツィオはあえてとぼけてみせた。これも演技である。
 
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