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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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A's編
  第二十七話 裏 (はやて)




 八神はやてにとって、一人であることは普通だった。

 寂しいという感情が、今までとの差異から起因するものだとすれば、八神はやてには、その比べるべき過去がない。もちろん、はやては独力でそこに存在しているわけではない。おそらく、彼女にも両親がいたことだろう。しかし、彼女には不思議なことにその記憶が、経験がなかった。気が付けば、彼女は一人でその家で寝起きし、食事をし、日々を過ごしていた。

 はやては、その異常ともいえる境遇を不思議に思うことはなかった。これも同様の理由だ。彼女は一人だ。学校にも行っていない。つまり、彼女の境遇を比べるべき相手がいない。よって、八神はやては、異常を普通と認識しながら淡々と日々を過ごしていた。

 八神はやてが一人でいることになんら不自由はなかったといっていいだろう。お金は、彼女の保護者ということになっているグレアムおじさんから過剰なほどに振り込まれている。はやてが、管理している通帳を見知らぬ第三者が見れば、目が飛び出るほどに驚くほどの額が記帳されている。

 食事の類は、はやてが自前で作れるのだからなんら問題はない。自分の家のキッチンだって高さが調節されているため自由自在に使うことができる。よって、車椅子に乗っている身であろうとも、なんら問題はなかった。料理のレパートリー自体はいったいどうやって覚えたのか、はやては覚えていない。気が付けば献立を考えるようになっていたし、作れるようになっていた。誰かから教わったのであろうが、彼女にはその記憶がないし、それ自体を気にすることはなかった。

 はやてにとっての世界とは、自分の家と外の限られた空間―――図書館と病院―――と彼女が大好きな本の中だった。

 本とは、小さな人生であるとは誰かが称した言葉である。人の人生は一度しかないが、本を読むことで何度でも人生を繰り返すことができるのだ、と。その意見にはやても賛成だった。本の中には、彼女の知らない世界が広がっている。はやての足を考えると行くことはできないだろう。しかし、その写真と描写からどんな世界か想像することができる。とりあえず、彼女はそれだけで満足だった。

 しかし、そんな彼女でも、本の中で、家族に対する感情は理解できなかった。理解できるための地盤がないのだから当然であろう。家族への感情へ関する部分というのは、はやては、いつも首をひねりながら淡々とそういう風に感じるんだ、と思いながら読み進めていた。

 このとき、彼女には家族に対する『興味』はあったが、家族への『羨望』はなかった。そのものの価値を知らなければ、羨むことなどないからである。

 そして、はやての認識を、価値観を一変させる出来事が、彼女の九歳の誕生日に起きる。

 六月四日、八神はやて九歳の誕生日。だが、彼女にとってはなんの変哲もない日常だ。なぜなら、彼女には祝ってもらうべき両親もいなければ、兄弟も、姉妹も、友達でさえもいない。彼女が知っているのは本の中で行われる誕生日会だけだ。去年は、興味本位からケーキを用意して、クラッカーを用意して、一人ではっぴバースデーを歌ったりもしてみたが、虚しさがこみあげてくるだけであり、楽しいと思えるものではなかった。

 だから、明日は普段通り過ごそうと思いながら眠った六月三日の夜。彼女の何もない日常を変える出来事は、彼女の誕生日である六月四日の0時―――つまり、日付が変わった瞬間に起きた。

 はやてが眠るベット。その隣に設置された彼女のための机。棚には小物を入れる収納ボックスがあり、また本棚には、彼女のお気に入りの本を入れてる。その本の中、一つだけ異彩を放つ本があった。洋書のように見えるそれは、なぜか鎖で封がされており、黒っぽい表紙には剣十字が描かれている本である。時計の針が六月四日を示した瞬間、その本は勝手に宙に動き出す。手品とでも言われなければ、目を疑う光景だ。しかし、それを見ている人間は誰もいない。部屋に唯一いる人間である八神はやては夢の中である。

 そんなことは関係ないと言わんばかりに黒い本は、内部から膨れ始める。まるで、自らを縛る鎖を引きちぎるように開き始めた。内側の圧力に負けて、鎖がきしみ始める。やがて、鎖は内側からの圧力に負けてはじけ飛んだ。この時点で、黒い本から発する光によって起こされたのか、ようやく八神はやてが目を覚ました。目をこすりながらはやてが見たのは、宙に浮く洋書という現実を疑うような光景だ。

 人は、『未知』というものに対して、恐怖心を覚えるものである。あるいは、興奮かもしれない。しかしながら、後者は安全が確保されている場合に限り、一人で家にいるはやてからしてみれば、前者の感情しか浮かばなかった。彼女は、目が覚めたばかりというのに、不可解な現象に襲われ、本能から少しでも目の前の遠ざかろうと上半身の力だけでその小さな身体には大きすぎるベットの上を後ずさる。

 一方、鎖から解放された本は、パラパラパラとページを自動的にめくりはじめる。不思議なことにその本には、何も文字が書かれていなかった。そして、本が一言だけドイツ語で発する。

 『起動』という一言を。

 その直後、はやての胸から光か輝く雫のようなものが取り出され、本に取り込まれる。はやてから『何か』を取り込んだ本は、吸収した何かから活力を得たように突然、部屋全体を照らし出すように光りはじめた。瞬間的に強い光を発せられたため、はやては反射的に自らをかばうように手で目を覆って光を遮断する。本が光を発したのは、ほんの数秒だっただろう。光がやんだことを確認して、はやては、覆った手をはずす。

 一体、何が起きたのかわからないはやては、どうなったのだろう、と部屋を見渡そうとして、驚いた。驚きのあまり、「ひっ」という声が漏れてしまうほどに。

 いや、しかしながら、少女の反応としては至極当然のことだろう。今まで、自分しかいなかったはずの部屋に突然、片膝をつけてかしずいた四人の人間がいれば、それも当然の話だ。

 本が急に自ら意志を持ったように動き出し、さらに喋り、光を発したと思えば、部屋には見知らぬ人間が四人もいる。そんな状況を人生経験の少ない九歳の少女が処理しきれるはずもなく、わけもわからなくなった少女は、まるで現実を逃避するかのように意識を失うのだった。



  ◇  ◇  ◇



 八神はやてが次に意識を取り戻したのは、見慣れた病院だった。目を覚まして、最初に目に入ったのは、心配そうに自分の顔を覗き込む主治医の石田幸恵の姿であった。はやてが、何事もなかったように起き上がるのを見て、安心したようにほっ、と息を吐く幸恵の姿を見て、心配かけてしまったなぁ、と思う。その一方で、はやては、どうして自分が病院にいるのかわかっていなかった。

 しかしながら、その答えはすぐに出てくることになる。気を失う前に最後に見た光景とともに。

「それで、あの人たちだれ?」

「え?」

 心配かけたことを謝罪したのち、幸恵によって指さされた先には、黒い服に身を包んだ四人組がいた。そのうち三人は女性で、残り一人は男性。しかも、一人は犬耳さえついている。季節は初夏に入ろうとしているが、彼らの格好は明らかに場違いだ。主治医である幸恵も知らない人物であり、姿から怪しいと判断したのだろう。彼らの周りを医師たちが胡散臭そうな顔で見ていた。

「えっと……」

 さて、ここで困ったのは、はやても一緒だ。はやて自身も彼らがいったい何者か、など知らないのだから。答えに窮するはやてだったが、それを救ったのは、彼ら自身による言葉だった。

 彼らはどうやら思念通話という魔法のようなことができるらしい。もっとも、これはあとで本当に魔法だと分かったのだが。その思念通話で命令すれば、その指示通りに動く、と彼らは言う。

 その話を信じられるか、どうかだが、彼らの態度を見るにうそを言っているようには見えない。なにより、彼らを即座に断じることもできない。事情を聴かなければ。はやての記憶違いでなければ、彼らは本の中から出てきたのだから。ここで警察に突き出すことは簡単だ。だが、何も知らないまま突き出しても意味がない。だから、はやては、とりあえず彼らをかばうことにした。遠い国からやってきた遠い親戚ということにして。

 何とも、強引な話だ、と自分で思いながらも乾いた笑みで、幸恵を説得するしかなかった。最終的には、はやての言っていることを否定する要素もないし、彼らも同意していることから、とりあえずは、信じてもらえたようだったが。

 さて、話はその後、何事もなかったはやてが一泊の病院から退院したのちになる。自分の部屋で、彼らの話を聞くことになったはやて。

 彼らの口から語られる話は、何とも荒唐無稽な話だった。

 彼ら曰く、はやての部屋に飾られていた立派な洋書は、闇の書といわれる魔法の本である。その書が起動するために必要な魔力を蒐集するための守護騎士ヴォルケンリッター。それが彼らの正体らしい。そして、八神やはてという少女は、闇の書の主だという。

 にわかには信じられない話だ。しかし、はやては彼らの話を信じた。思念通話などを体験しているし、昨日の出来事は確かに魔法でもなければ説明できない。何より、はやては彼らが言うように闇の書の意志というものをうっすらとではあるが、夢の中で感じていた。それらの話を総合するに彼らの話は信じるに値すると思ったのだ。

 状況を判断できたところで、次は、彼らの処遇である。彼ら曰く、八神はやては、彼らの主である。どのような理由によるものだったとしても、それは揺るがしようのない事実である。ならば―――臣下の面倒を見るのは主たる役目ではないだろうか。彼女が読んだ山ほどの本の中には、そのように書かれていた。何より、ここで彼らを放り出しても、この場に居座りそうだ。そうであれば、余裕もあることだし、はやてが彼らの面倒を見ることも吝かではなかった。

 ―――こうして、八神はやては、生まれて初めての家族を得た。

 ヴォルケンリッタ―の中で唯一の男であるザフィーラ。彼は、全員が女であることに遠慮して、犬―――本人としてはオオカミとして生活している。しかし、はやての身長より大きな犬というのも何とも説得力に欠けるんじゃないだろうか、と思うのだが、ふわふわの毛が気に入っているため、はやては必要以上に何も言わなかった。

 燃えるような赤い髪を三つ編みにした姿が特徴的なはやてと同じぐらいの年頃のように思えるヴィータ。彼女は、最初、何を恥ずかしがっていたのか、はやてに対して少し距離を置いていた。彼女と距離が縮まったのは、ヴィータに呪いウサギという人形―――はやてとしてはヴィータのキモかわいいという感覚がわからない―――を買ってあげた時だろうか。守護騎士という割には妹ができたようだった。

 金髪とおっとりとした性格のシャマル。お姉さんという優しい感じがするシャマルだったが、料理の腕前だけは要検討だった。彼女の料理の腕が毎回、失敗するようであれば、料理を作らせないなどの対策がとれるのだが、稀に失敗し、しかも、その原因が不明だというから厄介だ。しかも、彼女自身が料理が好きなのか、キッチンに立ちたがるのだから仕方ない。今では、はやてと一緒に―――あるいは、簡単なものを任せている。

 ピンクのポニーテイルと凛とした立ち振る舞いが特徴的なヴォルケンリッタ―が将であるシグナム。その容姿と立ち振る舞いに違わず、性格も実直そのものだった。兄というよりも、父に近いのかもしれない。将たらんと、彼女はよく子供っぽい行動をするヴィータに対して小言を言う。それに対して、ヴィータが反発し、はやてがシグナムを抑えるというのは日常だった。

 生まれて初めて得た家族は、はやてが想像していた以上に幸せなものであり、彼らのおかげではやての生活は彩りを大きく変えていた。

 朝、目が覚めたとき一人ではない。リビングの広い部屋で『おはよう』とあいさつすれば、返事が返ってくる。朝食は今まで一人だった。そのことに何も感じなかった。それが彼女にとって普通だった。しかし、四人での食事を知ってしまえば、今までの食事のなんと味気なかったことか。そのことを実感してしまう。もちろん、朝食の片付けはシャマルと一緒に。ヴィータは、はやてが買ったゲームに興味があるのか、朝食を食べて早々ゲームをはじめ、シグナムはソファーで新聞を読み始める。

 昼、全員で昼食を食べた後は、外に出る。はやて一人のときは、特に用事がなければ、外に出ることもなかったが、今はザフィーラの散歩と称して全員で出ることもある。はやての車椅子を押すのは、いつだって取り合いで、いつの間にか順番が決まっていた。はやてとしては、みんなには自由に散歩してほしいのだが、こうやって構ってもらえるのは、嬉しかった。

 夜、朝、昼と同じく全員で食べた後は、シグナムやシャマル、ヴィータと一緒にお風呂に入る。もちろん、全員一緒というのは無理だから、昼の散歩のように順番にだが。お風呂に入った後は、全員が就寝の時間だ。ヴィータとはやては一緒の布団に入って眠る。ヴィータのお気に入りの呪いウサギを間に挟んで、だが。『おやすみ』という言葉に『おやすみ』という返事がある。今までは『おやすみ』という言葉を使うこともなかった。だから、こうやって、挨拶することがくすぐったくて、何より返事があることが嬉しかった。

 はやての生活は一変した。広い一軒家に一人だけの生活から、いきなり三人と一匹も新しい家族が増えた生活へと。今までは、何をするにも一人だった。だが、今は違う。自分以外のだれかがいる。話し相手がある。肌のぬくもりが、手のぬくもりが、心のぬくもりが、そこには確かにあった。もしかしたら、それが普通だ、という人もいるかもしれない。それに慣れてしまって、それを『特別』だと感じることができない人もいるかもしれない。しかし、はやては、違う。今まで、普通だと思われることを何一つとして得ていなかったのだ。ほかの人にとっての普通が、はやてにとっては『特別』だった。

 はやてが、本の中でしか知らなかった『家族』というもの。いつだって幸せそうに描写されていた『家族』。今までは、本当なのだろうか、と疑問に思いながら読み進めていたが、今ならはっきりとその本に同意することができる。

 八神はやては、家族を得て、確かに幸せだった。



  ◇  ◇  ◇



「うわぁ」

 八神はやては、シグナムによって抱きかかえられながら出てきたベランダから空を見て、息をのんだ。季節は夏。七夕を過ぎたあたりではあるが、天の川が綺麗に見えていた。今までなら、星空を見ようとは考えなかっただろう。そう考えたのは、無知な彼らに教えてあげたいと思ったから。地球から見える星空というものを。もっとも、一番見とれていたのは、はやてだったのだが。

 そんなはやてを慈しむような笑みでシグナムは見ていた。

「主、はやて、本当によろしかったのですか?」

「なにが?」

「闇の書のことです。主の命あらば、我々は、闇の書の蒐集を始め、主は闇の書の主となり、大いなる力を手に入れられるでしょう。そうすれば、この足も―――」

 気遣うようにはやての足をなでるシグナム。生憎ながら、はやての足には感覚がほとんどなく、彼女の手のぬくもりを感じることはなかったが、彼女の心遣いは感じることができた。彼らが願っているのは、主―――はやての幸せなのだ。確かに、普通の人であれば足が動かないことは苦痛であろう。不幸であろう。しかし、はやてにとっては、足が動かないことは普通であり、当然なのだ。当然、動けばいいな、とは思うものの無理して、動くようにしたいとは思わない。

 だから、はやては首を横に振った。

「あかんて。闇の書のページを集めるためには、たくさんの人に迷惑をかけるんやろ?」

 一応、主として話は聞いていた。どうやって、闇の書のページを集めるのか、ということを。その方法は、魔力の源となるリンカーコアから強引に魔力を抜き取ること。しかも、その時には相当の痛みを感じるらしい。その行為をはやての倫理観がよしとはしなかった。

 ―――自分が幸せになるために他人に迷惑をかける。

 それでは、胸を張って、幸せにはなれない。誰かを傷つけて得た幸せだ、と下を向いてしまう。はやてが、他人を押しのけてでも幸せになる、という性格であれば、シグナムの提案にうなずいていただろうが、生憎、はやての性格からはそれは無理な話だった。ならば、誰かを傷つけて得られるはずの大きい幸せよりも、今のシグナムが、シャマルが、ヴィータが、ザフィーラが、家族がいる小さな幸せをはやては望む。

「私は、今のままでも十分幸せや」

 それは彼女の本心だった。本の中でしか知らなかった『家族』を教えてくれたヴォルケンリッタ―。他人から見れば、普通かもしれない家族という小さな幸せ。その小さな幸せではやては満足していた。確かに、彼らが来る前の生活も不自由が一つもない生活だったかもしれない。しかし、そこには何もなかった。今のような誰かと分かち合える喜びが。誰かのぬくもりが。

「だから、これでええんよ」

 そう、これでいい。この小さな幸せだけではやては満足していた。



  ◇  ◇  ◇



 八神はやてとヴォルケンリッタ―たちの生活は順調といえるだろう。しかし、いつまでも同じとは限らない。彼らもこの生活が慣れてきたのだろう。彼らと家族になって四か月ほど経つと彼らは、彼ら自身の生活基盤を築き始めていた。

 シグナムは、ニートという言葉をテレビの中で知ったのだろう。自分の状態を鑑みて、その状況に我慢ならなかったのだろう。近くの子供剣道場で、指南役を仰せつかったらしい。もっとも、それは自分の鍛錬のついでというような形ではあるらしいが。当然と言えば、当然だ。彼女の剣は、守るための剣。戦うための剣。それをスポーツに応用することは難しいだろう。

 ヴィータは、近くのゲートボール場でおじいさん、おばあさんと一緒にゲートボールを楽しんでいるらしい。彼女の明朗快活な性格は、年寄からしてみれば、可愛い孫のように思えるのかもしれない。時折、お菓子をもらった! と笑顔で話していた。何ともほほえましいことである。

 ザフィーラは、散歩ついでなのか、ヴィータについていくことが多くなった。子供一人というのも具合が悪いのだろう。しかし、人間形態になるならまだわかるが、犬の形態で一緒に行動して意味があるのだろうか、と首をかしげるが、彼女たちが満足しているならそれでいいか、とはやては思うことにした。

 彼らの中で唯一、はやてと一緒に行動するのは、シャマルだ。彼女は主にはやてのサポートをしている。外に行くときも、買い物に行くときも、シャマルがサポートしてくれた。一度、自分のことなど気にせず、彼らのように行動していい、といったが、シャマルは一瞬、驚いたような表情をし、すぐにはやての言葉を否定した。はやてちゃんの傍にいることが好きですから、と。

 以前よりは、人の密度が減った八神家。少し前の常に五人そろっていた時から考えると、少しだけ静かになった。それをはやては、心の隅で寂しいと感じるようになっていた。いるはずの人がいないだけで、そこに何とも言えない胸を締め付けられるような、何かが足りないような切なさを感じる。それが寂しさだと気付いたのは、幸運だったのか、あるいは不幸だったのか。

 そして、そんな自分にこっそり苦笑する。彼らが来る前までは、はやては一人だった。その状況をなんとも思わなかった。しかし、今では、一人が五人となり、少しだけ静かになっただけで寂しさを感じるようになってしまったのだから。それでも、はやては彼らに何かを言うつもりはなかった。確かにはやては闇の書の主かもしれない。しかし、彼らは自分に縛られるべきではないと思ったからだ。

 はやてからしてみれば、ここが彼らの帰るべき家であれば十分だった。それが家族だと思うから。それに晩御飯などで出来事を語ってくれる彼らの笑顔を見るだけで、はやての感じる少しの寂しさなど些細なことだと思う。はやてが望むのは、家族みんなが笑顔であることなのだから。

 はやてにとっては、少し寂しさも含まれた幸せな生活がずっと続くと思っていた。太陽が東から毎朝登るように当然のように続くと思っていた。いや、正確には手放したくないと思った。ずっと、彼らと一緒にいられれば、それ以上を求めることはない。たとえ、闇の書の真の主になって、大いなる力が得られようとも、それにも代えがたいヴォルケンリッタ―という『家族』を得られたのだから。

 だから、それがある日、突然床が抜けたようになくなるなど想像もしていなかった。

 事の始まりは、11月も中旬になった頃だ。この日も昼間はシャマルを除いた全員が外に出ていた。しかし、夜には全員が揃って夕食を食べられることを確認していたはやては、全員分の夕食を作るためにキッチンに立っていた。今日の献立は、ヴィータのリクエストに応えてカレーだ。彼女は、子ども扱いするな、というのだが、嗜好は子どもそのものであり、ハンバーグやカレーが好物だった。

 リビングでは、シグナムが新聞を広げており、シャマルは、自室で何かをやっている。彼女は趣味に目覚めたのだろうか、時折、部屋にこもって何かをやっていた。ヴィータは未だに帰宅しない。だが、心配するほどではない。彼女が遅くなることは日常茶飯事だからだ。最初は、危ないから、と注意していたのだが、そもそも彼女たちに危害を加えようとしたところで、ほとんどが返り討ちだろう。ザフィーラは、リビングで丸まって寝ていた。

「う~ん、こんなもんやな」

 お玉でカレーを少量だけすくって味を確かめる。甘口すぎるのもダメだが、辛すぎるのもヴィータが食べられないため、市販のルーをブレンドしたカレーは作るのが難しいのだ。だが、今日はどうやら最初の一回でうまくいったようだった。この味であれば、はやても満足できるからだ。

 よし、ならば、次はサラダでも―――と冷蔵庫を開けた時、リビングからシグナムが顔を出していた。

「主、申し訳ありません。どうやらヴィータが道に迷ったようなので、迎えに行ってきます」

「ヴィータが?」

「ええ、どうやらゲートボールとやらで、隣の町まで遠征したらしく」

 戸惑ったようなシグナムの表情。むしろ、はやてとしては、ご老体たちが、隣町まで遠征に行くほうに驚いた。しかも、それで道に迷って帰れないとは、それこそ、彼女が嫌う子どものようだ。そんな、ヴィータの状況に苦笑するはやて。

「うん、なら、迎えにいってあげてな。今日はヴィータが大好きなカレーやから」

「はい、すぐに戻ってきます」

 ぺこりと頭を下げるとシグナムは、小走りにリビングから寝ていたはずのザフィーラと一緒に出ていく。しかも、リビングを出た先でシャマルの声もした。もしかして、全員で出ていくのだろうか。もしかしたら、はやくヴィータを見つけるために全員で行くのかもしれない。そんな風にはやては納得していた。なにより、彼女はシグナムの言葉を信頼していた。騎士然とした彼女が言葉を違えることがないという全幅の信頼だ。だから、自分は、晩御飯の準備をしておけばいい。そう思いながら、はやては、冷蔵庫からサラダの材料を取り出すのだった。

 ――――そして、この日からはやては、再び一人になった。



  ◇  ◇  ◇



「雨……」

 八神はやては、外を見ながらつぶやいた。はやてが呟いたように窓の向こう側に見える外ではしとしとと小ぶりの雨が降っていた。

 ヴォルケンリッタ―の面々が帰宅せずに二週間が過ぎていた。彼らが帰宅する様子はまったくない。ある日、ひょっこりと帰ってくるのではないだろうか、とはやては思っているのだが、それは希望でしかないのかもしれない。思念通話といわれる魔法で呼びかけても全く返事はない。思念通話があるため、彼らには携帯を持たせていないことが裏目に出た。はやてが携帯を持っていても意味がないからだ。

 彼らがいなくなった二週間、はやての世界は彩りを失った。半年程度前と同じに戻っただけだ。だが、その生活にはやては耐えられなかった。なぜなら、はやては知ってしまったから。家族の温もりを、暖かさを、隣に誰かがいることの幸せを。彼らがいなくなったからといって、彼らと一緒にいた幸せな過去をなくすことはできない。はやての中の価値観はすでに変わってしまったのだ。

 ―――独りが怖い。

 彼らのいない生活はまるで、極寒の中を裸で放り出されたような冷たさだった。よく自分は、こんな生活を続けてきたな、と思えるほどに。

 さらに今日は雨だ。一人でいるせいか、しとしと、ぽつぽつという雨の音が気になって仕方ない。しかも、雨のためだろうか、室内に音が籠っているのだろう。日ごろは、あまり気にならなかったチクタクという時計の秒針が動く音がやけに耳障りだ。どれもこれも、はやてが一人であることを強調しているように思えて、余計に一人であることを自覚してしまう。

「図書館にでも行こうか」

 毎日、彼らがいつ帰ってきてもいいように必要最低限以外は、外に出なかったはやてだったが、この孤独に耐えきれなかった。少しでも人気が欲しかった。自分が一人でないことを自覚したかった。喧噪のある場所へと行きたかった。だから、最近はめったに一人ではいかなくなった図書館へと足を運ぶことにしたのだった。

 傘をさして、苦労しながらやってきた図書館は、雨という天気のせいもあるのだろう、非常に盛況だった。しかし、場所柄だろうか、あまり煩いということはないが、それでも人の気配は濃かった。そんな中をはやては車椅子を操作しながら走る。

 最初は、人の気配があることを喜んでいたはやてだったが、その喜びもすぐにしぼんでしまう。確かに、図書館は人の気配にあふれている。しかし、誰もはやてを見ていない。誰もはやてを知らない。まるで道路の石のように無視される。当然と言えば、当然だ。図書館にいる人たちとはやては、無関係なのだから。赤の他人なのだから。

 だが、気配があるにも関わらず、誰もはやてを見ていない。誰もはやての名前を呼んでくれない。誰かがいるのに孤独を感じてしまう。

 本当に一人の家と図書館のように誰かがいるのに誰もはやてを見ていないこの状況、はたしてどちらがマシだろうか。その答えははやてにはわからない。しかし、ここで戻って独りで過ごすのは嫌だった。こんな雨の日に一人であの家にいると彼らがもう帰ってこ―――

「いやいやいや」

 危うく思い浮かんだ考えを振り払うようにはやては首を振った。

 今は、そんな考えを振り払って、気分を変えて、何か読む本を探そうとはやては、図書館の中を移動する。はやてが向かったのは、ファンタジー系の話がある場所だ。彼らが騎士を名乗ったからだろうか、彼らの参考になれば、と騎士たちが活躍する物語を読んだりする。もっとも、そこに出てくる騎士とはほとんどが男だったが。

「あっ」

 そんな中、はやてはある一冊を見つける。昔から読んでいる本の最新刊だ。気付かなかった。おそらく、彼らと一緒にいることで気付かなかったのだろう。いつものはやてならすぐに気付いていたはずなのだが。大好きな本の最新刊に気付かないほどにはやては幸せだったのだろう。

 彼らがいないおかげで、最新刊を見つけられるとはなんという皮肉だろうか。

 そんなことを考えながら、はやては車椅子から身を乗り出して本に向けて手を伸ばす。いつもならシャマルがとってくれるのだが、この場所に彼女はいない。だから、はやては自らの手で取ろうとしていた。しかし、ぎりぎりのところで届かない。あと少し、あと少しという考えが、職員を呼ぶという考えを除外していた。

 大きく身を乗り出して、あと少しで手が届くというとき、不意に横からはやてが手に取ろうとした本の隣に向けて手が伸びてきた。

「えっと、これでいいのかな?」

 はやては、驚いた。まさか、図書館で自分に声をかけてくる人がいるとは思っていなかったからだ。過去にも似たような経験はあるが、結局は、自分から声をかけない限りは、誰も助けてくれなかった。だから、この予想外の助けは、はやてを大いに驚かせた。

 はやてに助けの手を伸ばしてくれたのは、はやてと同じぐらいの普通の男の子だった。別に容姿が格好いいわけでも、身長が高いとか、髪型が特徴的だ、とかではない。どこにでもいそうな至って普通の男の子だった。

 初めて図書館で手を差し伸べてくれた男の子の名前は、蔵元翔太。はやてが忘れらない男の子の名前だった。



  ◇  ◇  ◇



「ショウくん、遅いなぁ」

 はやては、リビングで時計を見ながらつぶやいた。

 図書館で意気投合した二人。本当は、図書館の談話室で少し話そうとした。だが、談話室はいっぱい。しかし、一人になるのが嫌なはやては、自分の家を提供することにした。翔太も快諾したため、家にやってきたのだ。久しぶりに一人ではない家。誰かがいる空気。隣に人がいる暖かさ。自分の言ったことに答えてくれる誰か。翔太の存在が、過去の彼らと一緒だった時の幸せな時間を思い出させてくれる。

 しかし、その時間も長くはなかった。翔太は、彼らとは異なり、ここには住んでいないのだ。彼にも帰るべき家がある。それを理解してなお、はやては、彼が少しでも長く家にいるように説得した。孤独は嫌だったから。一人で感じる寒さが嫌だったから。何より―――寂しかったから。前は何とも感じなかったのに、今となっては、広いと感じるこの家に一人でいるのが嫌だったから。

 そんな我がままのためにはやては、翔太を家に引き留めた。最終的には、泊まりこむところまで引っ張ることに成功した。

 お泊りの道具を取りに行ってくるといったん家に帰った翔太。「すぐに戻ってくる」と言った彼に少しだけ嫌な予感を覚えたはやて。彼が口にしたその言葉は、消える直前のシグナムが口にした言葉だったからだ。現に、翔太が家を出てから一時間以上たっている。しかし、彼がこの家に帰ってくる気配はない。

 まさか、ショウくんも―――

 そこまで考えて、はやては、その考えを打ち消した。はやてに近づいた誰もがすぐに離れていく。それでは、はやてが一人で、孤独でいることはまるで運命づけられているようではないか。そんなことは信じたくない。彼女は知ってしまったから。誰かがいる幸せを、喜びを、暖かさを。手に入れて、手放してしまった。彼らがどうなっているかわからないが。

 だから、もう手放したくなかった。翔太という暖かい彼を。もう二度と、あの凍える冷たい空間は嫌だった。夜、ベットの中で寂しさで、孤独で、冷たさで、涙を流したくなかった。

「もう、ひとりは嫌や」

 そのポツリと漏らした言葉が真実だったのだろう。

 孤独は嫌だ。そんな風につぶやいた少女を救うように家に設置されたチャイムが鳴る。そして、今、そのチャイムを鳴らす人物をはやては一人しか知らない。

「ショウくんやっ!」

 急いで車椅子を回すはやて。もう、一人でいることを自覚するのは嫌だったから。帰ってきてくれたことを確認したかったから。だから、はやては急いで玄関を開ける。ドアの向こうにいたのは、はやてが期待した顔。翔太は、出ていくときは異なって、小さなバッグを持っていた。おそらく、彼が言っていたお泊りセットなのだろう。

 シグナムたちとは異なり、帰ってきてくれたことに安堵するはやて。もう今日は、一人じゃない。あの寒さはない、と思うと自然と笑みがこぼれてくる。

 ―――ああ、そや。安心している場合じゃないんや。ちゃんと迎えてあげんとな。

 そう思って、はやては笑顔のまま口を開く。

「おかえりや、ショウくん」

 翔太は最初、ぽかんとしていた。どうして、応えてくれないのだろうか。迎えてくれた人に対する返事は礼儀だと思う。だから、はやては翔太が返事を返してくれないことに不満だった。しかし、はやてのふくれっ面を見て翔太も気付いたのだろう。呆然としていた顔を笑顔に変えると、はやてが期待していた言葉を口にする。

「ただいま、はやてちゃん」

 本当は帰ってきてくれたことだけでも、はやては満足だった。でも、翔太はこうして、返事もしてくれた。

 ―――もう、独りやない。

 そのことが嬉しくて、誰かがいるぬくもりを感じられることが嬉しくて、孤独でないことが嬉しくて、寂しさを感じないことが嬉しくて、はやての表情には、自然と満面の笑みが浮かぶのだった。



つづく






















 
 

 
後書き

 『寂しさ』と『孤独』を知ってしまった少女は。 
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