ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
第四十九話 京の噂
七月二十日に、京へ戻った。
町は、蒸していた。
そして、うるさかった。
(……妙だな)
高野へ発つ前、この町は静かだった。
人が消えて、輿が来なくなって、皆が口を閉じていた。
いま、皆が喋っている。
(――終わったからだ)
関白が死んだ。
決まったことは、もう怖くない。
怖いのは、決まる前の三日間だけである。
四十年、俺はそういう現場を見てきた。
最初に、近衛様の屋敷へ行った。
書物を返すためである。
取次の者は、俺の名を三度聞き返した。
伊豆の大名が、公家の門を叩く用など、普通はない。
「高野より、預かって参りました」
包みを開いて、挟んであった紙を見せた。
――これは、近衛殿より借り受けたるものなり。返し奉るべし。
取次の者が、それを持って奥へ入った。
しばらくして、戻ってきた。
目が、赤かった。
「……確かに、お預かりいたしました」
それだけ言って、深く頭を下げた。
俺も、頭を下げた。
門を出るとき、後ろで誰かが泣いているのが聞こえた。
(……借りた本は、返るんだな)
(人は、返らないのに)
*
その日から、聚楽第の破却が始まった。
関白の城である。
築いて八年しか経っていない。
金箔の瓦を、人足が籠に入れて運び出していた。
(……もったいない、とは言えんな、これは)
言えないが、思ってしまった。
四十年、俺は建てるほうの人間だった。
壊すのは、建てるより早い。
八年かけた城が、二月で更地になる。
人足の頭が、道端で図面を広げていた。
覗くと、どこから壊すかの順が書いてあった。
(……ちゃんと組んである)
(壊す段取りだけは、いつも上手いんだ、この国は)
噂は、三日ごとに形を変えた。
――御妻子は、助命されるらしい。
――尼にして、寺へ入れるらしい。
――若君だけは、助かるらしい。
(……この形、覚えがある)
前世で、会社が潰れる直前も同じだった。
「支援が入るらしい」「大手が買うらしい」「給料は出るらしい」
噂が優しくなるのは、望みがないときである。
本当に助かるときは、誰も噂をしない。
書付が回るだけだ。
*
七月二十五日、噂が変わった。
――河原で、斬るらしい。
(……来た)
そして、その翌日には、こうなっていた。
――三条の橋の東詰は、もう場所が取れぬ。
(……は)
床几を出す者がいた。
筵を敷いて、一枚いくらで売る者がいた。
茶と餅を売る支度をしている店があった。
斬られるのは、まだ決まってもいない。
日取りも、公には出ていない。
それでも、場所は売れていた。
(……こういうものなんだ、人は)
前世でも、事故があると人が集まった。
規制の綱の外に並んで、こちらへ手を伸ばして、写真を撮っていた。
怒っても、仕方がない。
怒っても、綱は減らない。
(――怒るな)
(怒ってる暇があったら、綱を長くしろ)
俺は、その日のうちに石田治部少輔の屋敷へ行った。
用向きは、検使の報告である。
高野から戻って、まだ正式に出していなかった。
三成は、机の向こうで書き物をしていた。
この人も、痩せていた。
「羽柴殿。……書付は、福原から上がっておる」
「はっ」
「では、何用じゃ」
俺は、自分の帳面を出した。
「――帳面が、合いませぬ」
三成の筆が、止まった。
「柳の間には、五人おりました」
俺は言った。
「公の書付には、一人しか載っておりませぬ」
「あとの四人の名を、某は書き留めましてございます」
「なれど、この四人がどこの誰の家中かが、分かりませぬ。……家に報せねば、家が待ちまする」
三成は、しばらく俺を見ていた。
「……そなたは、いつもそれじゃな」
「はっ」
「四年前も、そうであった」
奥州の冬に三百を置いて、一人も凍えさせなかった男。
この人は、そういう覚え方をしている。
「合わせても、人は戻らぬ」
三成は言った。
「――存じております」
「なれど、合わせるのであろう」
「はい」
三成は、筆を置いた。
それから、脇の文箱を開けて、一枚の紙を机に置いた。
(――名簿だ)
「四人の名は、そこにはない」
三成は言った。
「別の紙じゃ。……あとで写させる」
「では、これは」
「見るな、とは申さぬ」
それだけ言って、この人は席を立った。
厠へ行く、とも言わなかった。
(……この人)
俺は、その紙を見た。
三十九人。
一の台。若君。姫君。
名のある側室と、名のない女房。
歳が、書いてあった。
二つ。四つ。六つ。
一番下は、生まれて三月と書いてあった。
(……子供が)
俺は、そこで一度、紙から目を離した。
離して、天井を見た。
(……読め)
(読まないと、数が合わない)
四十年、俺は嫌な帳面を読んできた。
未払いの一覧。事故の報告。人が辞めた理由の一覧。
どれも、読まなければ何も始まらなかった。
俺は、目を戻した。
下から三番目に、その名があった。
――最上出羽守が娘 駒 十五
その下に、小さく一行、書き添えてあった。
――未だ、殿下に見えず。
(……)
会っていない。
出羽から出てきて、京に着いて、輿入れの日を待っていて、その前に関白が高野へ入った。
一度も、顔を合わせていない。
(――何の名目で、斬るんだ)
名簿の一番上に、朱で日付が入っていた。
*
――八月二日。
俺の帳面の右端に書いた日付と、同じである。
三成が戻ってきた。
俺は、紙から目を離して、頭を下げた。
「四人の名の写し、お願い申し上げます」
「うむ」
それだけの話をして、俺は屋敷を出た。
帰りに、三条河原へ寄った。
夕方だった。
河原には、もう縄が張ってあった。
その内側で、人足が穴を掘っていた。
(……)
俺は、堤の上に立って、それを見ていた。
穴の広さを、目で測った。
(――三間に、二間半か)
(深さは、五尺ほど)
勝手に、頭が数を出す。
(三十九人分にしては、狭い)
(……いや)
(子供が、七人いる)
そこまで数えて、俺は自分の頭を殴りたくなった。
(――やめろ)
(積算するな)
四年前、この河原に、俺は首を一つ送った。
九戸政実。
拾うて、名を書け、と言った男である。
あのとき、俺は思った。
――二度目は、間に合わせる。
(……段取りは、できてる)
北政所様への筋は、市松兄に聞いた。
御前へ出る順番は、徳川の大納言様に教わった。
書付の書き様は、大谷刑部様に習った。
図面は、全部ある。
(――施主が、いない)
俺は、あの娘の顔を知らない。
父親にも会ったことがない。
なんの縁もない。
伊豆の大名が、会ったこともない娘の助命を願い出れば、
太閤殿下は「なぜじゃ」と聞かれる。
そこで答えられなければ、俺は、ただの余計な口出しになる。
余計な口出しをした男は、次に呼ばれたとき、検使ではなく罪人として呼ばれる。
(……理由が、要る)
四十年、俺は分かっている。
図面があっても、施主の判がなければ、現場は動かない。
日が落ちた。
穴を掘る音が、まだ続いていた。
宿に戻ってから、俺は一度、書いてみた。
――恐れながら、最上出羽守が息女の儀につき、言上仕り候。
そこまで書いて、筆が止まった。
次に来るのは、なぜそなたが言うのか、である。
某は、あの娘を存じませぬ。
某は、最上殿を存じませぬ。
なれど、十五にございます。
(――弱い)
弱すぎる。
「なれど、十五にございます」で人が助かるなら、
四年前、九戸で千二百八十六人は死んでいない。
俺は、その紙を行灯の火に入れた。
紙は、すぐ燃えた。
灰を見ていると、留守居の者が入ってきた。
「殿。……妙な話を聞きましてございます」
「なんだ」
「出羽の最上様が、京中の大名屋敷を、片端から回っておられると」
俺は、顔を上げた。
「……門前で、額を土につけて、動かれぬそうにございます」
(――来た)
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