ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
第四十七話 雨の山道
七月十一日、京を発った。
検使は、四人である。
福原右馬助長堯。
池田伊予守秀氏。
福島左衛門大夫正則。
――そして、俺。
福原長堯は、石田治部少輔の妹婿である。
道中、この人はほとんど口を利かなかった。
利かない代わりに、よく書いていた。
宿に着くと、まず硯を出す。
発つ前に、また硯を出す。
(……書く人だ)
(俺と同じだな)
違うのは、書く中身である。
俺の帳面には、米と人が入っている。
あの人の帳面には、誰が何を言ったかが入っている。
だから、俺は道中、一言も余計なことを言わなかった。
天気の話と、道の話だけをした。
雨は、京を出た日から降っていた。
村を通ると、人が道の脇に膝をついた。
十人ほどの騎馬に、荷駄と人足。
旗も差物も出していない。
それでも、分かるらしかった。
五條の在で、老人が一人、供の者に聞いた。
「……どちらへ、参られます」
「高野じゃ」
それだけで、村が静かになった。
(……知ってるんだ)
関白が高野へ入ったことは、もう畿内中が知っている。
そこへ、京から検使が四人。
(――誰でも分かる)
(……この道は、抜けるぞ)
奈良を過ぎたあたりで、俺は道を見ていた。
山際を削って通した細い道である。
上の斜面に、木が入っていない。
(切りすぎだ)
根が張っていないところへ、三日雨が続いた。
(――抜ける)
案の定、五條の手前で、道が半分落ちていた。
荷駄が止まり、人足が立ち往生した。
福原長堯が、馬の上で舌打ちをした。
「羽柴殿。……何日かかる」
「半日にございます」
「半日で通るか」
「通します」
俺は、馬を降りた。
(……何やってんだ、俺は)
検使である。人の死を見届けに行く道中で、俺は土を見ていた。
だが、他にやることが思いつかなかった。
落ちた土をどけるのではなく、上の斜面を落とした。
先に落とせば、あとは落ちない。
丸太を三本渡して、その上に枝と土を敷いた。
半日で、荷駄が通った。
福原長堯が、初めて俺の顔をまともに見た。
「……そなた、こういうことを、よくやるのか」
「田舎の大名にございますゆえ」
あの人は、それを書き留めた。
*
その晩から、様子が変わった。
福島正則が、遅れ始めた。
最初は、馬だった。
「脚を痛めた。替えを待つ」
*
次の日は、川だった。
「増しておる。無理じゃ」
*
その次は、腹だった。
「昨日の鮎が悪い」
(……この人)
*
俺は、三日目に気づいた。
馬の脚は、悪くなかった。
川は、渡れた。
鮎は、俺も食った。
(――わざとだ)
四十年、俺は遅れる現場をいくつも見てきた。
本当に遅れている現場と、遅らせている現場は、見れば分かる。
本当に遅れているときは、皆が焦っている。
遅らせているときは、遅らせている本人だけが、落ち着いている。
市松兄は、落ち着いていた。
(……何を待ってる)
考えるまでもなかった。
――後ろから来るかもしれないものを、待っている。
早馬が追いついて、赦免の書付を差し出す。
そういうことが、この国では、たまにある。
たまにあるから、人は待つ。
雨の中を馬で揺られながら、俺は三年半前のことを考えていた。
*
三迫の本陣である。
あの人は、俺にこう言った。
――三度、使いを出した。城の者は降ったのだ、助けてやってくれと。
――三度とも、同じ紙が返ってきた。
関白殿下の跡取りが、降った者の首一つ、止められぬ。
(……この人も、同じだったんだ)
止めようとして、止まらなかった。
止まらなかったから、俺に「畜生の所業」と言われた。
そして、言われた男は、言った男を庇った。
(――俺は、あの人に借りがある)
太閤殿下は、それを知っていて、俺をここへ寄越した。
俺は、何も言わなかった。
福原長堯が「遅い」と言うたびに、俺は道の話をした。
――上の斜面がまだ緩んでおります。
――夜に動けば、荷が沈みまする。
――紀ノ川の渡しは、朝一番が確こうございます。
全部、本当のことである。
本当のことだけを選んで、並べた。
(――四十年、工期を守るために使ってきた口だ)
(今日は、遅らせるために使っている)
*
四日目の夜、宿の板間で、俺は帳面を開いていた。
書いていたのは、道の普請の覚えではない。
――北政所様。取次は、誰か。
――御前へ出るに、何日かかるか。
――書付の宛所と、日付の入れ様。
八月二日から、逆に引いている。
足音がした。
顔を上げると、福原長堯が立っていた。
「羽柴殿。……何を書いておられる」
(――まずい)
俺は、筆を止めなかった。
止めれば、そこが答えになる。
「道の覚えにございます」
「道」
「上の斜面を落とした場所と、丸太の本数にございます。……次に同じ道を通る者が、困りませぬゆえ」
あの人は、しばらく俺の手元を見ていた。
「……そなたは、変わった御方じゃ」
それだけ言って、行ってしまった。
(……嘘は、ついていない)
(丸太の本数も、確かに書いてある)
(――同じ頁の、上のほうにな)
*
その晩、宿の奥で、市松兄と二人になった。
福島正則は、酒を飲んでいた。
俺は、白湯だった。
「秀定」
「はい」
「お前、道を直したな」
「……はい」
「あれで半日縮んだ」
市松兄は、盃を置いた。
「……余計なことを、しやがって」
(――やっぱり、ばれてる)
(いや、こっちがばれてるのか)
「申し訳ございませぬ」
「詫びるな」
男は、腕を組んだ。
「わしはな」
「はい」
「あれの、鼻を拭いてやったことがある」
(……あれ、というのは)
「三つか、四つのときじゃ。北政所様の御殿でな」
「わしも小僧じゃった。台所の隅で飯を食うておった」
「そこへ、あれが来て、わしの膳の魚を取りおった」
市松兄は、笑った。
「――泣かせてやったわ」
「取り返して、泣かせて、そのあと鼻を拭いてやった」
それきり、しばらく黙っていた。
「……それが、関白じゃ」
俺は、何も言えなかった。
言えることは、一つもなかった。
やがて、俺は聞いた。
「市松兄」
「うむ」
「――北政所様に、お目にかかりたいときは、どういたせばよろしゅうございましょうか」
盃が、止まった。
「……お前」
「はい」
「何をする気じゃ」
「何も」
「嘘をつけ」
市松兄は、俺を見ていた。
この人は、頭で考える人ではない。
だが、腹で気づく人である。
「秀定」
「はい」
「――秀次様に、変な情けをかけるなよ」
(……)
「お前がやりそうなことは、分かっておる」
市松兄は言った。
「山へ登ったら、坊主に頼み込んで、書付を書いて、伏見へ早馬を出す。……そういう顔をしておる」
「それをやったら、お前は死ぬ」
「お前だけではない。お前の家来も、女房も、伊豆の百姓も死ぬ」
男は、盃を取った。
「……あの人はな、もう一人殺すか二人殺すかで、迷わぬ」
「――俺は」
市松兄が、そこで言葉を切った。
「……俺は、お前まで失いたくない」
(――この人)
*
三日、馬の脚が悪いことにして、川が増していることにして、鮎に当たったことにして。
そうやって道を遅らせている人が、俺に「情けをかけるな」と言っている。
(……気づいてないのか)
(いや)
(気づいてて、言ってるんだ)
自分がやっていることは、たぶんこの人の中では「情け」ではない。
――ただ、間に合ってほしいだけだ。
俺は、頭を下げた。
「――畏まりました」
「分かればよい」
「情けは、かけませぬ」
市松兄が、ふん、と鼻を鳴らした。
「……お前は、嘘が下手じゃな」
(――また、それか)
*
七月十四日。
紀ノ川を渡ったところで、雨が上がった。
山が、見えた。
青くて、高くて、静かだった。
福原長堯が、馬を進めながら言った。
「明日には、着きまするな」
市松兄は、答えなかった。
後ろを、一度だけ振り返った。
(……来ませんよ、市松兄)
俺は、口には出さなかった。
早馬は、来ない。
赦免は、出ない。
俺は、それを知っている。
知っていて、俺は三日、道を遅らせるのを手伝った。
(……意味は、なかった)
(――なかったが)
四十年、俺は工期を守ってきた。
守るのが仕事だと思ってきた。
初めて、わざと遅らせた。
(……悪くない気分だ、これ)
不動坂を登り始めたのは、その日の午後である。
石の道が、ずっと上まで続いていた。
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