ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
第四十五話 十津川
文禄四年、四月十六日。
大和大納言家当主、豊臣秀保、十津川にて変死。
十六である。
報せには、こう書いてあった。
――湯治に赴かれ、川辺にて足を滑らせ、淵に落ちられた。
――供の者が飛び込んだが、間に合わなんだ。
俺は、その書付を三度読んだ。
(……足を、滑らせた)
十津川は、大和の南の奥である。
郡山から、山道を三日。湯は出る。だが、大納言家の当主が四月に行く場所ではない。
供は、二十人だったという。
(……二十人)
百万石の当主が、三日かかる山道へ二十人で入る。
(少ない)
少ないのは、連れて行かなかったからだ。
連れて行かなかったのは、誰かが「その必要はない」と言ったからである。
伊豆から大和までは、遠い。
着いたときには、葬儀が済んでいた。
(……早い)
死んで十日で、葬儀が終わり、遺骸が焼かれ、位牌が据わっていた。
(早すぎる)
四十年、俺は事故の現場を見てきた。
足場が落ちた。土が崩れた。人が挟まれた。
そのたびに現場は止まり、役所が来て、写真を撮って、聞き取りをして、書類が三十枚出た。
何より覚えているのは、そこではない。
――事故の現場は、必ず、散らかる。
誰も次に何をすればいいか分からないから、物が置きっぱなしになる。
人が持ち場を離れる。指図が二重に出る。
一週間は、片付かない。
大和は、散らかっていなかった。
郡山城の門は掃かれていた。
帳面は封がされていた。
家中の者は、それぞれの持ち場にいた。
誰も、うろたえていなかった。
(……段取りができている)
(十日で、これはできない)
段取りは、事が起きてから組むものではない。
事が起きる前に、組んでおくものだ。
四十年、俺がやってきたのは、それだ。
(――誰かが、先に組んだ)
俺は、そこで考えるのをやめた。
考えても書けない。
書けないことは、帳面に載せられない。
(病死でも、事故でもない)
(……太閤殿下だ)
それを、俺は一度だけ、頭の中で言葉にした。
一度だけ言葉にして、それから、二度と考えないことにした。
藤堂高虎に会ったのは、その日の夕方である。
髪が、なかった。
「……与右衛門様」
大きな男は、庭に立っていた。
四十になる年に、俺が一万石を願い出た相手である。
「高野へ参る」
それだけ言った。
「――お待ちくださいませ」
「待たぬ」
高虎は、こちらを見なかった。
「わしは、後見であった」
「守れと言われて、預かった」
「――守れなんだ」
(……この人)
俺は、何も言えなかった。
言うことは、いくらでもあった。
あなたのせいではない。誰にも防げなかった。あの現場は、初めから組まれていた。
――全部、言えない。
言えば、この人は「では、誰が組んだ」と聞く。
だから、俺は違うことを言った。
「与右衛門様。……高吉が、お会いしとうございます、と」
高虎の背が、止まった。
「……あれは、達者か」
「筆頭家老にございます。一万石を、隅から隅まで回しております」
「……そうか」
男は、しばらく動かなかった。
「秀定殿」
「はっ」
「――あれを、頼む」
それだけ言って、行ってしまった。
その夜、高吉に文を書いた。
父上は高野へ入られた。達者である。お前のことを、達者かと聞かれた。
それだけ書いた。
*
返事は、五日で来た。
――承知いたしました。殿、御身お大事に。
それだけだった。
(……この家は、みんな、これだ)
(言わない)
郡山を発つ前に、一人の小姓が、俺のところへ来た。
十四か、十五である。手に、折った紙を持っていた。
「……羽柴様に、お渡しせよと」
「殿からか」
「――去年の秋にございます」
(……去年の秋)
「なぜ、いままで」
小姓は、下を向いた。
「御家老が、差し出がましいと」
「羽柴様は遠国ゆえ、こたびは及ばぬ、と」
俺は、その場で開いた。
子供の字だった。四年前より、少し上手になっていた。
――羽柴殿。
――飯は、毎日、食うており申す。
――困りごとは、ござらぬ。
――いつか、伊豆を見とうござる。
四年前、俺は郡山の渡り廊下で、この人に言った。
まず、飯を召し上がりませ。
お困りのことがございましたら、いつなりと、某にお申し付けくださいませ。
(――言ってしまった、と思った)
あのとき、俺はそう思った。言ってしまった、面倒なことになる、と。
この人は、四年、一度も申し付けてこなかった。
一度だけ書いて、それも、届かなかった。
(……困りごとは、ござらぬ)
(十六だぞ)
(百万石を継がされて、後見が出家するほど張り詰めていて、困りごとがないわけがあるか)
俺は、その紙を懐に入れた。
入れて、しばらく、動けなかった。
*
大和にいる間に、石田三成が来た。
「羽柴殿。……大和は、いかがなされる」
(――来た)
この人は、聞きに来たのではない。
聞いてこいと言われて、来ている。
*
四月の終わりに、俺は伏見へ呼ばれた。
太閤は、庭を見ていた。
背が、また小さくなっていた。
「秀定」
「はっ」
「大和が、空いた」
(……言い方)
空いた、と言った。
死んだ、とは言わなかった。
「そなたは、大納言の養子じゃ」
「――はっ」
「継ぐか」
(――ここだ)
四十年で、一番大事な返事を、いま出す。
断れば、不忠を疑われる。
受ければ、俺は拾君の前に立つ壁になる。
壁は、要らなくなった日に壊される。
俺は、平伏した。
「――お受けいたしかねまする」
太閤は、振り返らなかった。
「ほう」
「某は、伊豆と相模と駿河と甲斐で、二十万石を預かっております」
「――それでも、毎晩、帳面が合いませぬ」
「百万石を預かれば、某は必ず、どこかで人を死なせまする」
「凍える者が出まする。飢える者が出まする。……某が数え落とした分だけ、人が死にまする」
「死なせた分だけ、太閤殿下の御名に、傷がつきまする」
(――嘘は、一つも言っていない)
「それに」
俺は、続けた。
「大和は、豊臣の蔵にございます」
「奈良の寺社。堺の湊。紀伊の材木。吉野の山」
「――金と、材木と、坊主にございます」
「これを一門の誰かに預ければ、その者は必ず、力を持ちまする」
「持ちとうなくとも、持ってしまいまする」
「拾君が十五におなりになるまで、豊臣の蔵に鍵をかけられるのは、太閤殿下おひとりにございます」
「某が入れば――鍵は、某が持つことになりまする」
庭で、鹿威しが鳴った。
太閤が、振り返った。
「……よい。大和は、わしが預かる」
「――蔵入りにいたす」
(……そう来るか)
俺が言おうとしたことを、先に言われた。
「そなたが申そうとしたことじゃ」
太閤は言った。
「顔に、書いてあったわ」
(……嘘だ)
俺の顔には、何も出ていない。
四十年、出したことがない。
出ていないのに、この人には見えている。
(――決まってたんだ)
蔵入りにする、という話は、今日決まったのではない。
たぶん、去年の秋には決まっていた。
(秀保様が、死ぬ前から)
「秀定」
「はっ」
「そなた、儂が怖いか」
(――正直に言え)
(この人に嘘は通らん)
「怖うございます」
太閤は、少し笑った。
「よい返事じゃ」
「怖がらぬ者は、そのうち儂を殺しに来る」
それから、こう言った。
「秀定。……七月まで、伊豆へ帰るな」
「――は」
「京におれ」
(……七月)
俺は、平伏したまま、目を閉じた。
知っている。
文禄四年の七月に、何が起きるかを、俺は知っている。
関白豊臣秀次が、高野山で腹を切る。
妻子三十九人が、三条河原で斬られる。
その中に、まだ十五の娘が一人いる。
(――知っていて、俺は、いま京に足止めされた)
(……なんでだ)
(なんで、俺なんだ)
帰る前に、瑞龍院様の屋敷に寄った。
秀次様と、秀勝様と、秀保様の母君である。
この人は、泣いていなかった。
数珠を繰りながら、こう言った。
「羽柴殿。……わらわは、三人産みました」
「……はい」
「二人、死にました」
数珠が、止まった。
「――残るは、一人にございます」
俺は、答えられなかった。
この人は、分かっている。
息子が三人とも、同じ理由で死ぬということを、分かっている。
分かっていて、数を数えている。
(……この人も、帳面をつけてるんだ)
*
五月。
*
六月。
*
俺は、京にいた。
何もしなかった。
何もできなかった。
毎日、聚楽第の方角を見ていた。
*
七月三日。
関白秀次に、謀反の嫌疑がかかった。
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