ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城の疵」
第三十五話 二文字
三迫の本陣に、九戸からの書付が届いたのは、八月の二十日過ぎである。
浅野長政の筆であった。城は囲み終えた。月の末より力攻めにかかる。ついては、城方が降参を申し出た折の扱いにつき、御指図を仰ぎたい、とある。
豊臣秀次は、それを二度読んで、田中吉政に回した。
吉政は、四十を過ぎた男である。近江八幡の城下を割った時も、川を掘った時も、秀次の横にいて、決めるべきことの半分を先に決めておいてくれた。
「――どう見る」
「降参は、お受けなさるがよろしいかと存じます」
吉政は言った。
「雪が来れば、六万を食わせるだけで、殿の御名に傷がつきまする。早う開くのが一番にございます」
「城の者は」
「首謀の者のみ三迫へ送らせ、あとは助ける。そう指図しておけば、弾正殿も掛け合いがしやすうございましょう」
秀次は、頷いた。その通りの指図を、その日のうちに九戸へ出させた。
それから、少し黙って、言った。
「――叔父上へは」
吉政の目が、わずかに動いた。
「……事が済んでから、お伺いを立てるのが常道にございます」
「先に、伺う」
秀次は言った。
「わしは、叔父上に隠し事をせぬ」
吉政は、それ以上、何も言わなかった。
止めなかったのである。
*
使いは、三度目であった。
一度目は、尾張を発つ前に出した。奥州の者どもは、降れば助けていただきたい、と。
二度目は、二本松から出した。葛西・大崎の始末で、伊達が佐沼の者を悉く斬ったと聞いた後である。九戸は、あれとは違う。南部の内輪の争いである。降る者は、助けていただきたい、と。
二度とも、返ってきた紙には、二文字しかなかった。
――根切。
朱印が、一つ押してあった。
秀次は、その二枚を文箱に入れて、三迫まで持ってきていた。
三度目の使いには、長政へ出した指図の写しを添えた。
降参は受けること。首謀の者の首は、三迫で刎ねること。城内の者どもは助け、南部の民として年貢を取らせること。そこまで書いて、これならば、と思うた。
叔父の求めているものは、九戸政実の首と、奥州の静けさである。両方とも、この案で手に入る。断る理由がない。
秀次は、そう考えた。
三迫を発った早馬が京へ着くのに、十日かかる。
*
聚楽第の書院は、九月に入っても暑かった。
関白秀吉は、書院の上座に座っていた。髻がない。先月、東福寺で自ら切った。それきり、烏帽子も被らずにいる。
右筆の山中橘内が、秀次の書状を読み上げた。
降参を受けること。首謀の者の首のこと。城内の者どもを助けて年貢を取らせること。
読み終わっても、秀吉は何も言わなかった。
書院には、他に誰もいなかった。
去年までなら、この座の脇に、弟が座っていた。奥州の話であれ、九州の話であれ、秀吉が何かを言い出す前に、弟は「兄者、それは」と言うた。言われて、秀吉は半分やめた。半分は、やった。
その弟が、正月に死んだ。
二月には、茶頭に腹を切らせた。あの男は、茶室で、弟と同じ役をしていた。同じ役をしながら、弟とは違う顔で秀吉を見た。だから切らせた。
そして、先月、子が死んだ。
三つであった。
弟の座は空いている。茶室は壊した。淀の城には、女が一人残っているだけである。
秀吉は、橘内を見た。
「――紙を」
「はっ」
橘内が、料紙を一枚、秀吉の前に置いた。
「御文言は」
「根切、と」
橘内は、筆を持ったまま、待った。
続きは、なかった。
橘内は、二文字を書いた。書いてから、もう一度、上座を見た。
秀吉は、朱印を自分の手で取って、その紙の上に押した。
「孫七郎は、甘い」
誰に言うともなく、秀吉は言った。
「南部の内輪の争いじゃと。……九戸は、わしの仕置に弓を引いたのじゃ。葛西・大崎の一揆ばらと同じよ」
「来年、わしは唐へ渡る。背中に、火種を一つも置いてはおけぬ」
「悉く斬れば、奥州は静かになる。伊達がそれを、佐沼でやって見せた」
橘内は、頭を下げたまま、何も言わなかった。
言う役の者は、この書院に、もういなかった。
紙が、乾くのを待つ間があった。
秀吉は、庭の方を見ていた。
「……橘内」
「はっ」
「鶴松の四十九日は、いつじゃ」
「――二十三日にございます」
「そうか」
秀吉は、それだけ言った。
紙は、その日のうちに、東へ発った。
*
三迫に、九戸からの注進が届いたのは、九月六日である。
――九戸城、落着いたし候。
――政実ならびに一類の者、召し捕り、追って其元へ差し上ぐべく候。
――城内の者、悉く、相果て候。
秀次は、三行目を、しばらく見ていた。
「……吉政」
「はっ」
「悉く、とは」
吉政は、その紙を受け取って、読んだ。長い間、読んでいた。三行しかない紙である。
「――悉く、にございましょう」
秀次は、立ち上がった。
幕の外へ出て、北を見た。
九戸は、四十里の先である。山と、川と、また山があって、何も見えない。煙も、火も、何一つ見えなかった。
(……わしの名で、開かせたのだ)
城方への約定は、総大将の名で申し送る。それが軍法である。和尚が城へ持っていった紙は、秀次の名で書かれていた。何が書いてあったのか、秀次は、その紙を見てもいない。
見てもいない紙で、五千の城が開き、その中の者どもが、悉く、果てた。
秀次は、幕へ戻った。
座って、注進をもう一度読んだ。
誰が命じたとも、書いていない。誰が火を入れたとも、書いていない。
六日後、京から三度目の紙が届いた。
二文字であった。
秀次は、それを、前の二枚の上に重ねた。
三枚、同じである。
――笑った。
吉政が顔を上げたほどの、ひどい笑い方であった。
*
九戸政実と重臣七人が三迫へ着いたのは、その七日ほど後である。
縄目のまま、板間に座らされた先頭の男を、秀次は一度だけ見た。
剃った頭に、髪が少し伸びていた。
この男は、秀次の名で書かれた紙を信じて、城を出た。信じていなかったかもしれぬ。どちらでも、同じである。秀次の名で出た紙が、この男の城を開かせ、この男を、ここに座らせている。
河原に、筵が八枚、敷かれた。
秀次は、床几に座った。
河原を、見なかった。
膝の上で組んだ、自分の手を見ていた。
この手は、何もしていない。紙を読み、紙を書き、紙を待った。それだけである。松明を持ったのは、羽柴の若いのだと聞いた。自分の手で集めた女子供の館に、自分で火を入れたという。
(……あの者は、手を汚した)
(わしは、汚してすらおらぬ)
経を読む声が、途中で止んだ。
秀次は、顔を上げなかった。
*
その羽柴の若いのが幕へ来たのは、陣を引き払う前日である。
九戸から、二度、使いを出したいと願うて、二度とも奉行に止められた男だと、吉政から聞いていた。
通せ、と秀次は言った。
あの男が何を聞きに来たのか、秀次には分かっていた。
――なにゆえ、約定を違えられましたか。
秀次は、答えた。三枚の紙のことも、話した。誰かに話したかったのである。
そして、聞いた言葉が、あれであった。
――畜生の所業にございます。
――某も、その畜生にございます。
幕の中が、静まり返った。
吉政が、腰を浮かせかけた。秀次は、それを手で制した。
斬れば、済む。総大将に向かって畜生と申した一門の若造を、斬らぬ理由はない。斬れば、あの男は楽になる。楽になった男の名は、注進の紙に一行だけ載って、それで終いになる。
秀次は、額を床につけたままの若者を、見ていた。
(……久しぶりに、まともな言葉を聞いた)
去れ、と言った。
去り際に、一つだけ聞いた。いつか、わしが同じ目に遭うたら、そなたはどうする、と。
なぜそれを聞いたのか、秀次自身にも分からなかった。
あの男は、間に合うとは言わなかった。
走る、と言った。
幕が閉じてから、秀次は、傍らの酒を見た。
三迫へ着いた日から、そこに置いてある。一度も、手をつけていない。
飲めば、楽になる。楽になれば、忘れる。
――忘れる者は、あの三枚の紙と同じになる。
秀次は、酒を、下げさせた。
それから、京への返書を書いた。
――仰せの趣、畏まり奉り候。
文箱の三枚の上に、その控えを重ねた。
四枚目であった。
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