ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
第四十三話 岳父の死
文禄三年は、普請の年だった。
太閤が伏見に城を建てると言い出し、日ノ本中の大名が畿内へ集められた。
俺も、石を運んだ。
会津では、蒲生様が検地をやり直し、九十二万石と打ち出したと聞いた。
(……あの人は、普請の年にも、帳面を伸ばすのか)
その年、弟が家を移った。
羽柴秀俊は、小早川隆景の養子となり、筑前へ下った。
十二である。
発つ前に一度だけ会った。
人前だったので、この子は「秀定殿」と言って、冷たい顔で笑った。
去り際、袖を掴んで、小さな声で言った。
「……兄上。文を、書きます」
(――書けよ、絶対)
*
夏の終わりに、噂が流れてきた。
――会津の蒲生飛騨守様が、伏見で臥せっておられる。
俺は、その場で筆を置いた。
(……知ってる)
知っている。
この人は、文禄四年の二月に死ぬ。
四十である。
医者を三人、伏見へ送った。
薬を送った。堺で買える限りのものを買って送った。
水は必ず煮立たせるように、と書いて送った。
(……効かない)
分かっていて、送った。
早川の水は、効いた。
あれは疫病だったからだ。
沸かせば、死ななくて済む種類の死だった。
――今度のは、違う。
(水は沸かせる)
(寿命は、沸かせない)
堀左衛門督様のときに、俺はそう思った。
今度も、同じことを思っている。
(……なら、何ができる)
俺は、帳面を開いた。
できることを、書き出した。
四十年、そうしてきた。
――治せない。
――延ばせない。
――日付は、動かせない。
そこまで書いて、俺は筆を止めた。
(……日付が動かないなら)
(間に合わせるほうを、組めばいい)
工期は動かせない。
なら、それまでに何を終わらせるかを、逆から引く。
四十年、俺がやってきたのは、それだけだ。
その日から、俺は段取りを組んだ。
――伊豆から伏見まで、早ければ何日か。
――春姫の輿を、どこで乗り換えさせるか。
――冬に雪で止まる峠は、どこか。
――報せが来てからでは、間に合わない。
だから、報せを待たない。
*
文禄四年、正月。
俺は、春姫を連れて伏見へ上がった。
表向きは、年始の御礼である。
春姫は、輿の中で一度だけ聞いた。
「殿。……父上は、そんなに」
俺は、答えなかった。
答えれば、嘘になる。
蒲生屋敷の座敷は、暖かかった。
火鉢が四つ、置いてあった。
蒲生飛騨守氏郷は、脇息にもたれて座っていた。
四十である。
(……痩せたな)
小田原の丘で草の上に胡坐をかいた男と、同じ人だとは思えなかった。
だが、目だけは、何も変わっていなかった。
「秀定殿」
声も、変わっていなかった。
「――ご無沙汰いたしております」
「春も、来たか」
春姫が、震える手をついた。
「……父上」
「よい。泣くな。まだ死んでおらぬ」
氏郷は、笑った。
笑って、咳をした。
奥から、冬姫様が出てこられた。
春姫の姉であり、養母である。
女二人が、奥の間へ下がっていった。
*
座敷に、二人になった。
「秀定殿」
「はっ」
「医者を三人と、薬を山ほど寄越したのは、そなたじゃな」
「……差し出がましいことを」
「効かなんだ」
「――存じております」
氏郷が、こちらを見た。
「存じておる、か」
(……しまった)
言い方が、まずかった。
「効きませぬ」でも「無念にございます」でもなく、俺は「存じております」と言った。
初めから知っていた、という言い方をした。
氏郷は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「そなたは、時々、先を見てきたような物言いをする」
「……」
「小田原の井戸のときも、そうであった」
俺は、答えなかった。
「――よい。聞かぬ」
氏郷は言った。
「五年、聞かずに来た。いまさら聞かぬ」
(……この人は)
(最後まで、聞かないのか)
「一つだけ、聞いてよいか」
「――なんなりと」
「そなた、わしが苦手であろう」
火鉢の炭が、小さく鳴った。
(――出た)
俺は、四十年、この手の質問を全部かわしてきた。
「滅相もございませぬ」と言えば済む。
声も所作も、乱れない自信がある。
だが、この人には、二度だけ見られている。
一度目は、小田原の丘で。
二度目は、九戸の堀の前で。
俺は、湯呑みを置いた。
「……苦手にございました」
氏郷が、目を細めた。
「知っておった」
「――九戸で、肩に手を置かれたときにございますか」
「もっと前じゃ」
男は言った。
「初めて会うた日からじゃ」
(……嘘だろ)
「わしはな、生まれたときから持っておった」
氏郷は、天井を見ていた。
「家も、名も、城も、人も。……欲しがる前に、目の前にあった」
「持っておる者を、心から好く者はおらぬ。……当たり前じゃ」
「なれど、秀定殿」
男は、こちらを向いた。
「そなたは、五年、それを顔に出さなんだ」
「必要なときは、誰よりも丁寧に働いてくれた」
「――それで、十分じゃ」
俺は、頭を下げた。
下げたまま、しばらく上げられなかった。
やがて、氏郷が手を叩いた。
小姓が、大きな桐箱を運んできた。
「開けよ」
中は、紙の束だった。
(……図面だ)
若松の町割りである。
本丸から外へ、武家地、町人地、寺町、市の立つ辻。
水路の引き方。井戸の位置。火除け地の取り方。
近江と伊勢から移した商人を、どの町にどう並べたか。
漆の職人と、酒屋と、鍛冶を、なぜ離して置いたか。
全部、書いてあった。
(……十年分だ)
(この人の、十年が、そのまま入ってる)
「やる」
氏郷は言った。
「……よろしいのですか」
「倅にはやらぬ」
男は、あっさり言った。
「秀行はまだ子供じゃ。読めても、使えぬ。……いま使える者にやる」
「秀定殿。人は残らぬ」
氏郷は言った。
「わしは、四十で終わる。倅は幼い。家は、いずれどうにかなるであろう」
「――じゃが、町は残る」
「若松に行ってみよ。わしが死んでも、明日も市が立つ。漆が売れる。酒が売れる」
「作った者が死んでも、町は残るのじゃ」
(――ああ)
この人は、いま、俺に一番効く言葉を言った。
たぶん、知っていて言った。
帰り際、氏郷が紙を一枚、差し出した。
歌が、一首書いてあった。
*
――限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山風
*
俺は、それを読んだ。
読んで、指先が冷たくなった。
(……待てよ)
命に限りがあるのだから、風が吹かなくても、花はいずれ散る。
散るに決まっているのに、待ちきれずに吹く春の山風よ。
――怒っている。
静かな言葉づかいで、この人は、自分を吹き散らすものに怒っている。
四十で終わることに、怒っている。
(……分かるんだよ、俺には)
休憩室で、油の染みた作業着のまま古今集を読んでいた男である。
角刈りの、日に焼けた、現場監督である。
誰にも言わなかった。似合わないからだ。
気づいたときには、遅かった。
「……秀定殿」
氏郷が言った。
「そなた、歌が分かるのか」
(……顔に、出た)
(四十年、一度も出さなんだのに)
「……堺の商人に、聞きかじりましてございます」
氏郷は、少し笑った。
「――よい。聞かぬ」
最後まで、この人は、聞かなかった。
*
二月七日。
蒲生飛騨守氏郷、伏見の屋敷にて死去。
四十。
春姫は、間に合った。
俺は、伊豆の館で報せを受けた。
帳面をつけていた。
筆は、止まらなかった。
一行書いて、それから止まった。
(……四十)
堀左衛門督様が、四十だった。
蒲生飛騨守様が、四十だった。
そして。
矢衣銀平は、四十で癌が見つかって、四十一の誕生日を前に死んだ。
(……なんだよ、この数字は)
俺は、いま二十一である。
四十まで、あと十九年ある。
(十九年)
(……短いな)
春姫が伏見から戻ってきたのは、三月だった。
輿から降りて、俺の顔を見て、それから言った。
「……間に合いました」
そこで、崩れた。
この娘は、実の父を六つで亡くしている。
本能寺である。顔も、よく覚えていないという。
養父は、四十で死んだ。
「わたくしには」
春姫は、俺の袖を掴んで言った。
「父が、二人おりました」
「二人とも、いなくなりました」
俺は、この娘の背に手を置いた。
何も言わなかった。
慰めなかった。
「そなたのせいではない」とも言わなかった。
九戸の堀の前で、俺の肩に手を置いた人が、そうしてくれたからだ。
その夜、俺は桐箱を開けた。
若松の町割りを、一枚ずつ、床に並べた。
座敷いっぱいになった。
(……この人は、四十年で、町を一つ作った)
(俺に、あと何年ある)
分からない。
分からないから、明日も帳面をつける。
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