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ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)

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第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
  第四十二話 拾誕生

 ――太閤に、男子が誕生。
 名は、拾。

          *

 文禄二年、八月三日。大坂城にて。
 (……無事に、生まれたか)
 俺は、湯呑みを置いた。
 祝いの品の算段を、その場で始めた。
 何を、いくつ、いつまでに、誰の名で。
 手が動いているうちは、頭が止まる。
 四十年、そうやって嫌なことをやり過ごしてきた。
 (……この子が、何をしたわけでもない)
 生まれてきただけである。
 だが、この子が生まれた日から、豊臣家の中には線が一本入る。
 関白は、太閤の甥だ。
 甥と、実の子。
 (――どちらが後か、なんて)
 (考えるまでもない)
 俺は、筆を止めた。
 (考えるまでもないことを、これから二年、日ノ本中が考える)
 祝いの品は、五日で揃えた。伊豆の干物と、箱根の湯の花と、甲斐の紙である。
 (三千の家から金銀が届く日に、金銀を送っても埋もれるだけだ)
 (干物のほうが、覚えられる)

          *

 その月の末に、別の報せが来た。
 ――足利国朝、安芸国にて病死。
 ――八月晦日。御年、二十二。

          *

 六月に、あの男は箱根へ寄っていた。
 供を七人だけ連れて、馬で上がってきた。
 具足櫃が二つ、荷駄に積んであった。
「名護屋へ、参りまする」
 俺は、湯呑みを持ったまま固まった。
「――国朝殿。足利の御家は、軍役を免じられております」
「存じております」
「太閤殿下の御書付がございます。出るに及ばず、と」
「……それも、存じております」
 国朝は、膝の上で拳を握っていた。
「羽柴殿は、某に長生きせよと仰せられました」
「――申しました」
「五十年、六十年、城で退屈に暮らして、畳の上で死ねと」
「……はい」
 男は、顔を上げた。
「生きておるだけの公方に、姫は嫁いでは下さいませぬ」
 俺は、何も言えなかった。
 古河の家来は、いまだに「公方は古河ただ一軒」と言っている。
 喜連川の家来も、同じことを言っている。
 祝言の日にも、姫は来なかった。
 (――そういうことか)
 この男は、三千五百石を貰った日から、ずっと言われ続けてきたのだ。
 ――他人の飯で育った公方だ、と。
 (……止めろ、俺)
 (止めろ。この人は死ぬぞ)
 そう思った。
 思ったが、何と言えばいいのか、分からなかった。
 行くな、と言えば、それは「そなたは公方でなくてよい」と言うのと同じである。
 だから、俺は、いつもの手を使った。
 ――止められないなら、足場を組む。
 薬を半分渡した。徳川の大納言が自分で挽いたやつだ。
 水は必ず煮立たせろと言った。
 供の頭に、銭と、宿の書付を渡した。
 それから、一つだけ、強く言った。
「――急がれますな」
「他家より遅れても構いませぬ。道中で倒れれば、名護屋には着けませぬ」
 国朝は、頷いた。

          *

 ――八月晦日、安芸国。
 使いの話では、七月の終わりに熱を出したという。
 それでも輿を出させ、四日で二十里を進んだ。
 先を行く家の旗が見えていたのだそうだ。
 (……急いだんだ)
 (遅れまいとして)
 (言った)
 (聞かれなかった)
 これで何度目か、俺はもう数えていない。
 嶋子には、その日のうちに話した。
 この人は、声を出さずに泣く。
 二年前に一度見た。
 今度も、そうだった。
 しばらくして、嶋子が言った。
「頼氏に、継がせていただけまするか」
「そのつもりにございます」
「……古河が、承知いたしましょうか」
 (――そこだ)
 喜連川三千五百石は、小弓公方の再興の代金ではない。
 古河と小弓、二軒を一軒に畳むための頭金である。
 畳んだ縫い目が、氏姫だ。
 その糸が切れれば、三千五百石は宙に浮く。
 浮けば、太閤はためらわずに拾い上げる。
 (――家が、消える)
 俺は、伏見へ書状を出した。
 去年、徳川の大納言に教わった順番の通りに出した。
 一人目に会い、二人目からの声を待ち、三人目には朝を避けた。

          *

 九月の半ばに、供の頭が箱根へ寄った。
 主の髪を、安芸から喜連川へ運ぶ途中である。
 六月に俺が渡した宿の書付を、返しに来た。
 三枚とも、使っていなかった。
 (……泊まってない)
 (宿に入る手間を、惜しんだのか)
 それから、油紙の包みを畳に置いた。
 薬である。
 開けると、半分より多く残っていた。
「水を煮る暇が、ございませなんだ」
 供の頭は、額を畳につけたまま言った。
「先を行く旗が、見えておりましたゆえ」
 俺は、何も言わなかった。
 言えることが、一つもなかった。
 嶋子が、廊下に座っていた。
 いつからいたのか、分からない。
 包みを、長いこと見ていた。
「――ご苦労にございました」
 声は、いつもの型だった。
「喜連川まで、お気をつけて」
 供の頭が下がってから、嶋子は包みを取った。
「殿が、お渡しになったのですね」
「……六月に」
「急ぐな、とも」
「申しました」
 嶋子は、包みを袖に入れた。
「弟は、幼い頃から、人より先に箸を置く子でした」
 (……居候の飯だ)
 (先に置かんと、次が出んと思ってる)
「急ぐなと言われて、急がずにおれる子ではございませなんだ」
 (……)
「殿は、渡しておられた。弟は、使わなんだ」
「――それだけのことにございます」
 (それだけのこと、で済むわけがない)
 (済まんと知ってて、この人は、そう言った)
 (――俺に、言わせんためだ)

          *

 上意が下りたのは、九月の末である。
 ――足利頼氏に家督を継がせ、氏姫を娶らせよ。
 ――右、羽柴伊豆侍従秀定、太閤名代として申し渡すべし。
 (……名代か)
 (俺が、押しつける側になったわけだ)
 古河へ持って行く物は、嶋子が調えた。
 公方家の姫に出す目録の型を、俺は知らない。
 三年前に大谷刑部に習ったのは、大名の型である。
 公方の家には、公方の家の型がある。
 嶋子は、それを何も見ずに書いた。
 (……この人の、生まれた家の型だ)
 書き終えてから、嶋子は筆を置いた。
「わたくしは、参りませぬ」
 俺が言う前に、言われた。
「弟を亡くした姉が座っておれば、姫は何も仰せになれませぬ」
「姫には、仰せになりたいことがおありのはずにございます」
 (……分かってるのか)
 (あの姫が、何を言うかまで)
「――承知いたしました」
 連れて行かぬと決めていたのは、俺である。
 先に言われた分だけ、借りが増えた。

          *

 十月、古河へ入った。
 御所は、城ではなかった。
 土塁と堀が申し訳程度に残った館である。
 三百石。門番が二人。
 だが、庭に落ち葉が一枚もなかった。
 (……掃いてある)
 (三百石で、この掃き方か)
 足利氏姫は、上座に座って待っていた。
 十九である。
 所作は、嶋子と同じ型だった。
 同じ型で、もっと硬かった。
「羽柴伊豆侍従にございます」
「――氏にございます」
 女は、深く頭を下げた。
「韮山のこと、いつか礼を申さねばならぬと思うておりました」
 (……韮山)
「美濃守は、母の弟にございます」
 (――そうか)
 古河公方の母は北条、父の母も北条。
 この人の身体の半分は、小田原である。
 俺が生かした男は、この人の伯父だった。
「城兵三千五百、一人も殺さず、城下も焼かず」
 氏姫は言った。
「四百の手勢で、と伺いました」
「……買いかぶりにございます」
「わらわは、武門の家に生まれました。何が難しいかは、存じております」
 そこまでは、完璧だった。
「して、此度は」
「――国朝殿の儀にございます」
 氏姫の目が、ほんの少しだけ動いた。
「……お労しゅうございますこと」
 声は、静かだった。
「他人の飯を食うてこられた御方が、無理をなさるから」
 (――出た)
 俺は、懐から書付を出した。
「国朝殿は、軍役を免じられておりました」
 氏姫が、顔を上げた。
「太閤殿下の御書付にございます。出るに及ばず、と」
「――それでも、行かれました」
 俺は、それ以上、何も言わなかった。
 数を並べて、あとは相手に足させる。
 四十年、そうしてきた。
 氏姫は、書付を見ていた。
 長いこと、見ていた。
「……して」
「頼氏殿に、家督をお継ぎいただきます」
「はい」
「――そして、姫には、頼氏殿にお嫁ぎいただきます」
「太閤殿下の上意にございます」
 音が、消えた。
「――兄が死ねば、弟か」
 氏姫の声だった。
 型が、割れていた。
「弟が死ねば、また次の弟か。そのあとは、誰でもよいのか」
「姫様」
「わらわは、家に付いた荷物か!」
 老臣が、廊下で息を呑む音がした。
「十四じゃ」
 氏姫は言った。
「あの子は、十四じゃ。わらわは十九じゃ」
「……はい」
「国朝殿と添うくらいなら――」
 女は、そこで言った。
「そなたに嫁ぐほうが、まだましにございました」
 一拍、空いた。
 言った本人が、少し驚いた顔をしていた。
 俺は、真に受けなかった。
 真に受ければ、この人が壊れる。
「――お受けするわけには参りませぬ」
 俺は言った。
「某の家に入られれば、姫は羽柴の奥にございます」
「羽柴の奥に、公方はおられませぬ」
「――古河公方は、その日で終わりまする」
 氏姫が、俺を見た。
「姫が選んでおられるのは、夫ではございませぬ」
「百年続いた家の名が、明日も残るかどうかにございます」
「……居候の分際で」
 女は、絞り出すように言った。
「領地一つ持たず、他人の家を渡り歩いてきた者どもに、公方が務まるか」
「仰せの通りにございます」
 氏姫が、言葉を止めた。
 (――切るか)
 (切ろう)
「某も、居候にございました」
 俺は言った。
「木下の家に、側室の子として生まれました。数えで四男にございます」
「七つで、小出の家へ養子に出されました」
「養父に実の子が生まれましてからは、そちらにも座る場所がございませなんだ」
 氏姫は、動かなかった。
「実家にも、養家にも、某の膳はございませなんだ」
「……居候にございます。二度、居候をいたしました」
 (言った)
 (言うつもりの分だけ、言った)
「居候は、貰うた飯の数を覚えております」
 俺は言った。
「忘れませぬ。……死ぬまで、忘れませぬ」
「頼氏殿は、姫から家をもらいます。名を、もらいます」
「――その子は、忘れませぬ」
「わらわは、荷物か」
 氏姫が、もう一度言った。
 今度は、怒鳴らなかった。
 俺は、少し黙ってから答えた。
「某の側室も、上意にございます」
 氏姫の眉が、動いた。
「宇都宮の評定の間で、太閤殿下が扇で畳を打たれました。これをそなたの側室にせよ、と」
「某は、額を畳につけて、ありがたき幸せに存じ奉ります、と申しました」
「――考えるより先に、口が申しました」
「……嶋子殿を」
「はい」
「――国朝の姉を」
「はい」
「荷物にされた者の顔を、某は毎日見ております」
 俺は言った。
「見ておりますゆえ、姫に『荷物ではない』とは申しませぬ」
「――申せば、嘘になります」
 氏姫は、袖を握っていた。
 指の関節が、白くなっていた。
「なれど」
 俺は続けた。
「荷物にされた者が、荷物のまま終わるとは限りませぬ」
「某の家の帳面は、いま、その人がつけております」
 半刻ほど、二人とも黙っていた。
 やがて、氏姫が言った。
「――わらわは、古河を動きませぬ」
 (……来た)
「喜連川へは、参りませぬ。祝言をあげても、参りませぬ」
「輿を寄越しても、乗りませぬ」
 俺は、頭の中で絵図を広げた。
 古河と喜連川。その間、十里。
 (……動かないのか)
 (動かないなら)
 (――動かないままで、回る形にすればいい)
「承知いたしました」
 氏姫が、顔を上げた。
「……承知、と申されたか」
「はい」
「わらわは、上意に背いておるのじゃぞ」
「上意は、お嫁ぎいただくことにございます」
 俺は言った。
「どこにお住まいになるかは、書いてございませぬ」
 氏姫が、口を開けた。
「御所は二つ。古河と、喜連川」
 俺は、指を折った。
「文と使いは、月に二度。日を決めまする。雨でも雪でも出します」
「費えは、喜連川から出しまする。……足りぬ分は、某が出します」
「頼氏殿には、年に四度、古河へ参られませ。挨拶にございます。泊まらずともようございます」
「――そのようなことが、通りまするか」
「通します」
 俺は言った。
「太閤殿下には、某が申し上げます」
 氏姫は、長いこと俺を見ていた。
「羽柴殿」
「はっ」
「……わらわは、荷物ではない」
「――存じております」
「ならば、よい」
 それだけだった。
 帰りの道で、俺は馬の上でずっと考えていた。
 (あの人は、国朝殿を最後まで認めなかった)
 (そして国朝殿は、認めさせようとして死んだ)
 (――俺は、どっちにも何もしてやれなかった)
 箱根に戻って、嶋子に話した。
 祝言が調ったこと。頼氏が家督を継ぐこと。姫は古河を動かぬこと。
 それだけ話した。
 嶋子は、静かに聞いていた。
 それから、言った。
「姫は、弟を悪しざまに仰せでしたか」
「――いえ」
 嶋子は、少し笑った。
「殿は、嘘が下手にございます」
 (――この家の連中は、全員そう言う)
 嶋子は、湯呑みを両手で包んでいた。
「姫の目は、わたくしにも分かりまする」
「……」
「情けない男を、女は許しませぬ」
「――わたくしが、そうでございました」
 (……塩谷か)
 (城も家来も妻も捨てて、逃げた男だ)
「分かるゆえ、弟が不憫にございます」
 嶋子の声は、型のままだった。
 型のまま、そこまで言った。
 俺は、湯呑みを置いた。
 言えることは、一つしかなかった。
「国朝殿は」
「はい」
「……姫に、認められたかったのだと存じます」
 嶋子は、しばらく動かなかった。
 それから、袖で顔を覆った。
 声は、出さなかった。

          *

 十一月、喜連川へ行った。
 足利頼氏、十四。
 空堀を全速力で走っていた子供が、上座に座って、俺の目録を両手で受け取った。
 手が、震えていた。
「頼氏殿」
「……はい」
 三年前、俺は同じ座敷で、兄のほうに同じことを言った。
 言って、叶わなかった。
 (――もう一度、言うか)
 (言う)
「長生きしてくださいませ」
「五十年、六十年、この城で退屈に暮らして、畳の上でお死にください」
「それが、某への一番の返礼にございます」
 頼氏は、両手で目録を持ったまま、深く頭を下げた。

          *

 文禄二年が、暮れた。
 大坂では、拾君が乳を飲んでいる。
 聚楽第には、関白がいる。
 (……次は、あそこだ)
 (そして俺は、それも知っている)
 
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