| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
  第四十話 会津の座席

 文禄元年、十一月。
 名護屋の丘に、雨が降っていた。
 海の向こうは、もう雪だという。
 俺は、帰り船の帳面をつけていた。
 その日、陣の外に、泥だらけの供が二人立っていた。
 うちの者ではなかった。会津から伊豆へ入った使いに、江川英吉が道案内をつけて名護屋まで送って寄越したのである。
 その使いは、まだ少年といっていい歳だった。
「――堀監物が子、直寄にございます」
 (……堀)
 俺は、立ち上がった。
 直寄は、顔を上げなかった。
 声も、震えていなかった。
 震えないように、しばらく練習してきた声だった。
「去る十月二十七日」
 少年は言った。
「我が主、堀左衛門督秀政、会津黒川城にて身罷りましてございます」
「――御年、四十にございました」
 筆の穂先から墨が落ちて、帳面に丸い染みができた。
 俺は、それを拭かなかった。
 (……四十)
 早川の水は、天正十八年の五月である。
 いまは、文禄元年の十月。
 (二年と、五月)
 (二年と五月、延ばした)
 (……延ばしただけだ)
 前世で、医者は俺にこう言った。
「防げませんでした」とは、言わなかった。
「――もう、手遅れです」と言った。
 違いは、大きい。
 前者は誰かの落ち度だが、後者は、誰の落ち度でもない。
 (水は、沸かせる)
 (沸かせないものが、ある)
 俺は、直寄に床几を出させた。
 それから、白湯を注いで、自分で運んだ。
 少年は、両手で受け取って、一口飲んだ。
 そこで、初めて肩が動いた。
「……この、湯を」
「はい」
「殿が、よく話しておられました」
 直寄は、椀を見ていた。
「小田原で、五百石の小僧が持ってきた湯を飲んだら、生き返った、と」
「――何十度も、聞かされましてございます」
 俺は、答えなかった。
 答えると、面倒なことになりそうだったからだ。
 しばらくして、直寄が椀を置いた。
 そこからが、本題だった。
「監物は、伏見へ発ちましてございます」
「……ご家督か」
「はい」
 少年は、背筋を伸ばした。
「我が主・久太郎秀治、当年十七にございます」
「会津四十二万石。北に伊達、西に上杉、南は徳川」
「――上方では、若輩には荷が重かろうとの声が出ておりまする」
 (……知ってる)
 この家は、北陸へ戻される。
 会津は蒲生氏郷のものになり、氏郷は七十万石を超える。
 俺は、それを知っている。
 (知っていて、変えられない)
 黒川城で朱印状を聞いた夜が、二度目だった。
 これで、三度目だ。
「監物殿は、何を願い出られる」
「会津の御安堵と、御家督の相続にございます」
 俺は、少し黙った。
「――両方は、通りませぬ」
 直寄の顔が、変わった。
「……何と」
「両方は、通りませぬ」
 俺は、もう一度言った。
「羽柴殿は、堀家に会津を捨てよと申されるか」
「はい」
 少年が、床几から立ち上がった。
「――無礼にございましょう!」
 声が、裏返っていた。
 十六の声だった。
「我が殿が、越前から会津まで、どれほどの思いで」
「存じております」
「二年、雪の中で検地をなさいました。地侍の刃を、幾度も受けられました」
「存じております」
「その四十二万石を、こちらから返上せよと――」
「返上なされませ」
 俺は、言った。
「取り上げられれば、恨みが残ります」
「――差し出せば、貸しが残ります」
 直寄が、口を開いたまま止まった。
「四十二万石は、左衛門督様に預けられたものにございます」
 俺は、続けた。
「久太郎殿に預けられたものではございませぬ」
「会津は、いま日ノ本で一番難しい持ち場にございます」
「十七の主が座れば、必ず家中が割れまする」
「割れた家に、太閤殿下は容赦なさいませぬ。……改易にございます」
 少年は、座り直した。
 座り直すだけの分別が、この歳であった。
「では」
「――順番を、申し上げます」
 俺は、帳面を新しい頁で開いた。

          *

「一つ。会津の帳面を、すべて揃えて差し出しなされませ」
「帳面、と申されますと」
「検地帳、年貢の帳面、蔵の数、城の絵図、道と橋の書付、地侍の名と扶持」
「――一枚残らず、揃えて、次に入る者へそのまま渡せる形になさいませ」
「なぜ、そのようなことを」
 (……ここだ)
「引き継ぎのきれいな家は、潰されませぬ」
 俺は言った。
「次に入る者が困らぬ家を、人は潰しませぬ。困らせぬ者を潰せば、次に困るのは自分にございますゆえ」
 直寄は、しばらく考えていた。
 それから、ゆっくりと頷いた。
 この子は、父親に似て、目がいい。

          *

「二つ。帳面を差し出したうえで、こちらから申し上げなされませ」
「――若輩なれば会津の重きに堪えず、いずこなりとも国替えを願い上げたてまつる、と」
「三つ。願うのは、御家督のみになされませ」
「石高を願うてはなりませぬ。……一石も、願うてはなりませぬ」
「……それでは、堀家は」
「小そうなります」
 俺は、はっきり言った。
「小そうなって、残ります」
 (家は、石高じゃない)
 (人だ)
「石高は、いつでも取り返せまする」
 俺は言った。
「家が消えれば、取り返す者がおりませぬ」
 直寄は、頭を下げた。
 今度は、長かった。
 顔を上げたとき、この子はもう次のことを考えていた。
「監物は、もう伏見におりまする。……間に合いましょうか」
「――間に合わせなされませ」
 直寄は、その夜のうちに発った。
 その夜、俺は徳川の陣へ行った。
 (……二年、使わずに置いてあった)
 ――困ったことがあれば、わしのところへ参れ。
 韮山の陣幕で、この人はそう言った。
 家康は、幕の中で書き物をしていた。
 筆を置いて、俺を見た。
「……ふむ」
「夜分に、恐れ入ります」
「堀か」
 (――もう知ってる)
「はっ」
 家康は、しばらく俺の顔を見ていた。
「羽柴殿。そなた、わしに何を頼みに来た」
「……口を、お利きいただきたいのではございませぬ」
「では、何じゃ」
「順番を、教えていただきとうございます」
 家康の眉が、上がった。
「太閤殿下に、いつ、誰から、どの順で申し上げれば通るか。……某には、それが分かりませぬ」
 男は、鼻から息を出した。
「――誰のためじゃ」
「某の、友のためにございます」
 家康は、答えなかった。
 それから、筆を取って、紙に三つ、名を書いた。
「この順じゃ」
「はっ」
「一人目に会うたら、二人目には会うな。二人目から声が掛かるまで待て」
「……はっ」
「三人目は、太閤殿下の御機嫌がよい日でなければ会わぬ。……朝はいかん。朝は、腹が減っておられる」
 (……この人、本当に見てる)
 家康は、紙を折って寄越した。
「前田殿にも、話しておく」
「――かたじけのう存じます」
 頭を下げて出ようとしたとき、後ろから声がした。
「羽柴殿」
「はっ」
「二年、待っておった」
 俺は、振り返った。
「そなたが、いつ来るかとな」
 家康は、こちらを見ていなかった。
「……初めてじゃ。そなたが、頭を下げに来たのは」
「――某は、いつも下げております」
「自分のためには、一度も下げておらぬ」
 男は、筆を取り直した。
「――行け」
 監物は、伏見の門前で三日、平伏し続けたと聞いた。
 雨の日も、動かなかったという。
 沙汰が下りたのは、年が明けてからだった。
 ――堀久太郎秀治、家督相続を許す。
 ――会津は召し上げ。越前北ノ庄へ国替え。
 四十二万石は、十八万石になった。
 そして、空いた会津四十二万石は、蒲生氏郷に加えられた。
 旧葛西・大崎の三十万石と合わせて、七十二万石である。
 俺は、帳面にそれを書き写した。
 (……座席が、戻った)
 黒川城で朱印状を聞いた夜、俺はこう思った。
 ――この国の座席が、一つ動いた、と。
 動いた椅子は、二年半で、元の形に戻った。
 (俺が一人生かしても、これだ)
 (水は沸かせる。椅子は動かせない)
 (……いや)
 俺は、筆を止めた。
 (座席は戻った)
 (人は、残った)

          *

 春の初めに、越前から書状が届いた。
 堀秀治の字だった。
 小田原の頃より、少し崩れていた。
 崩れて、読みやすくなっていた。
 ――父は、最期まで帳面をつけておりました。
 ――羽柴殿に習うた、と申しておりました。
 ――某は十五のとき、貴殿の陣で厠を掘りましてございます。
 ――あのとき、転べと申されました。
 ――此度、初めて、大きく転びましてございます。
 ――四十二万石を、こちらから返しましてございます。
 ――家中の者に、腰抜けと申されました。
 ――なれど、家は残りましてございます。
 最後の一行は、こうだった。
 ――立ち方を、お教えくださいませ。
 俺は、その紙を、長いこと見ていた。
 それから、古い帳面を引っ張り出した。
 天正十八年、六月の頁である。
 そこに、一行だけ書いてある。
 ――堀久太郎秀治。十五。預かる。
 俺は、筆を取って、その下に書き足した。
 ――堀久太郎秀治。十七。まだ、預かる。
 (水は、沸かせる)
 (寿命は、沸かせない)
 (――だが、預かった者は、返さなくていい)
 春が終わる頃、俺は暇を願い出た。
 一度、伊豆へ帰ることにした。
 一年と三月、家の顔を見ていなかった。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧