ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
第三十七話 名護屋
肥前名護屋に着いたのは、文禄元年の三月だった。
馬の上から、俺は、しばらく声が出なかった。
――山が、城になっていた。
そして、その周りの山という山、谷という谷が、全部、陣屋で埋まっていた。
(……何だ、これは)
数えるまでもなかった。数えられなかった、と言った方が正しい。
後で聞いたところでは、陣屋は百三十以上。
人は、二十万を超えていた。
(二十万)
去年まで、ここは漁村だったという。
(――これは、城じゃない)
(基地だ)
前世の言葉で言うなら、更地の漁村に、半年で二十万人都市を作れ、という話である。
水道もなし。下水もなし。道もなし。
(……正気か)
いや、と俺は思い直した。
(――やってのけたのか、この人たちは)
俺に割り当てられたのは、石垣ではなかった。
――水と、道と、厠と、宿割である。
(……見てるなあ、あの人は)
石を積むより、人を減らさぬ方が上手い。
太閤は、そう言った。
――その通りの割り当てだった。
*
初日に、俺は歩いた。
半日で、三つ、見つけた。
*
一つ。水が、足りない。
二十万人が一日に飲む水は、井戸五十や百では出ない。
しかも、この土地は水の便が悪い。
*
二つ。厠が、上にある。
谷筋に陣屋が並んでいて、上の陣の野壺の水が、下の陣の水汲み場へ落ちていた。
(――小田原と、同じだ)
あれで、堀秀政の陣は五十人倒れた。
ここは、二十万である。
*
三つ。道が、詰まっている。
各家が、勝手に自分の陣屋を建てていた。
その結果、荷を担いだ人足が、他家の陣の間の細道で、行き違えなくなっていた。
港では、船が順番待ちで沖に浮いていた。
荷を降ろせないから、次の船が着けない。
(……渋滞だ)
(人も、船も、糞も、詰まってる)
*
その晩、俺は絵図を引いた。
石垣山でやったことと、同じである。
――工区を割る。
――一日の終わりに、工区ごとの帳面を出させる。
――何人使ったか。どこまで進んだか。明日、何が足りぬか。
*
三日目に、奉行衆の詰所へ持っていった。
そこに、老人がいた。
――黒田官兵衛孝高。
この城の縄張りを引いた人である。
俺の絵図を、しばらく黙って見ていた。
「――伊豆侍従殿」
「はっ」
「この、赤い線は」
「荷の道にございます」
俺は答えた。
「港から城へ上がる道は、この一本だけを荷用といたしたく存じます。人は歩かせませぬ」
「代わりに、この青い線を人の道といたします。……交わるところは、四箇所に絞ります」
「なぜ、分ける」
「同じ道を、荷と人が使いますと、必ず止まりまする」
「止まった道は、直せませぬ。……道は、詰まってから広げても遅うございます」
黒田官兵衛は、白い眉の下から、俺を見た。
「……そなた、城を攻めるより、こういうことの方が好きじゃな」
「――好きにございます」
即答してしまった。
この人は、笑った。
「よい。そのようにせよ。……わしの縄張りに、そなたの道を引け」
俺は、その日、もう一つ、やったことがある。
佐田新九郎を、城の普請場から外した。
港の荷方に回した。
――黒田の陣とは、いちばん遠い場所である。
新九郎は、豊前城井の生き残りだ。
あの家を、酒宴の席で騙し討ちにして根絶やしにしたのが、目の前の老人と、その息子である。
新九郎は、何も言わなかった。
辞令を受け取って、平伏して、それから小さく言った。
「……お心遣い、痛み入りまする」
「気遣いではない」
俺は言った。
「港の荷が一番詰まっておる。……一番できる者を置くだけだ」
新九郎は、下を向いたまま、少し笑った。
「――そういうことに、なさいますか」
(……ばれてるな)
*
水は、三十日かけて片付けた。
井戸を四十掘り、上流の谷から樋を引き、二十四箇所に水汲み場を作った。
水汲み場には、必ず大鍋を据えさせた。
――生水を飲むべからず。
*
厠は、谷筋の陣を全部、風下と川下へ移させた。
これには、大名衆が文句を言った。
「陣の格が下がる」と言うのである。
(……厠に格があるか)
俺は、その一軒一軒を回って、頭を下げた。
「小田原の陣で、疫病が出ましたのをご存じかと存じます」
「あれは、水にございました」
「――こちらは、二十万にございます」
三十軒回って、二十七軒が動いてくれた。
残る三軒は、動かなかった。
――その三軒からは、夏に病人が出た。
(……言った。聞かれなかった)
もう、慣れた。
慣れたが、腹は立つ。
*
四月。
先鋒が、海を渡った。
小西行長は、その一番手だった。
発つ前の晩、この人が俺の陣に寄った。
「――先生。行ってきますわ」
いつもの調子だった。
だが、目が笑っていなかった。
「摂津守様」
「なんです」
「……お帰りは、いつ頃に」
行長は、しばらく黙って、それから言った。
「わし、商人でっせ」
「売る物も買う物もない戦に、なんで行かなあかんのか。……さっぱり分かりまへん」
この人は、笑った。
「言うたらあきまへんで。首が飛びますわ」
俺は、言った。
「――生きて、帰ってきてください」
行長が、目を丸くした。
「……えらい素直に言わはりますな」
「某は、帳面をつけますゆえ」
俺は答えた。
「出て行った者と、帰ってきた者の数が合わぬのが、一番嫌いにございます」
小西行長は、笑って、十字を切って、船に乗った。
俺は、この戦の結末を知っている。
*
七年かかる。
十万を超える人間が死ぬ。
そして、何一つ残らない。
(――止めるな、でしたね)
止めない。
だが、俺は自分の持ち場で、三つ、こっそり足場を組んだ。
*
一つ。病人の小屋を、陣から離して建てた。
これを「養生所」と呼ばせた。うちの兵だけでなく、どこの家の者でも入れた。
*
二つ。帰り船の順を、帳面で決めた。
怪我人と病人を先に乗せる。
――偉い者を先に乗せない。
*
三つ。渡った者の名を、控えた。
うちの家中だけではない。荷方で扱った、他家の陣夫や水主の名も、分かる限り書いた。
(――拾って、名を書け)
縄目の男に言われた言葉である。
俺は、それを、仕事にすることにした。
*
その年の暮れ。
俺の家に、五万石が転がり込んできた。
――甲斐の南部。富士川沿いと、富士五湖のあたりである。
豊臣秀勝様が甲斐から美濃岐阜へ移られたのが、去年の三月である。
その秀勝様が、九月に朝鮮の陣中で亡くなられた。二十四である。
あとの甲斐を誰に預けるかで、上方の話は去年からずっと片付かずにいる。
その差し替えの隙間で、南の端が余った。
(……いいのか、これ)
甲斐の本体は、いずれ浅野長政様に落ち着くという話である。
あの方は奉行職で手一杯だ。甲斐一国の隅々まで、面倒は見きれない。
(――ありがたく、頂きますが)
これで、二十万石になった。
絵図の上で、俺の領地は、富士山を丸く囲んでいた。
伊豆七万。相模西部五万。駿河河東三万。甲斐南部五万。
(……東海道の峠と、富士川の水運と、五湖の街道口)
(――これ、通行料で食える形だな)
名護屋の陣は、長かった。
海の向こうから来る報せは、初めのうち勝ち戦ばかりだった。
やがて、勝ちの話が減った。
そのうち、冬の話ばかりになった。
――寒い。
――米がない。
――凍える。
(……そうだろうな)
俺は、蔵の帳面を睨みながら、そう思った。
二十万を海の向こうへ送り出して、その飯を船で運び続ける。
――前世の言葉で言えば、それを兵站という。
(そして、それが切れた戦を、俺は本で読んだことがある)
(……いくつも、読んだ)
名護屋の丘に立つと、海が見えた。
その海の向こうで、いま、何が起きているかを俺は知っている。
知っていて、渡らない。
――渡らない者は、他にもいた。
その筆頭が、二百五十万石の隣人である。
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