ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第二部 名護屋在陣と秀次事件 ——「三条河原の駒姫」
第三十六話 知行割
文禄元年、正月。
俺は、韮山の館で、白い紙を睨んでいた。
肥前名護屋の普請と、渡海の陣立て。
割り当ての書付は、暮れのうちに届いていた。
軍役は、百石につき四人。
十五万石だから――
六千人である。
(……六千)
俺の頭の中では、それは兵の数ではない。
――六千人分の、飯と、寝床と、厠である。
(……一日に、米が四十五石以上飛ぶぞ)
(味噌は。塩は。薪は。厠はいくつ掘る)
*
俺は、筆を置いた。
(――その前に、家中だ)
いま俺の手元にいるのは、四百二十人あまり。
しかも、そのほとんどが、いまだに「河原で拾った連中」のままだった。
禄が決まっていない。役も、はっきりしていない。
(二年、走りっぱなしだったからな)
韮山、石垣山、宇都宮、白河、黒川、九戸。
その間ずっと、この連中は「そのうち決める」で働いてきた。
(――前世の、うちの会社だな、これは)
給料の話を後回しにして、人情と勢いで回す。
回っているうちはいい。
――止まった瞬間に、全員辞める。
*
二月に、上洛の命が来た。
聚楽第の広間で、俺は官位を賜った。
――従五位下、侍従。
これで、公の場での呼び名が決まった。
――羽柴伊豆侍従。
(……侍従)
(何をする役なんだ、これは)
本来は、内裏で帝のお側に侍る役である。
俺は、内裏の門をくぐったこともない。
(要するに、名刺の肩書きだ)
(――だが、これがあると通る扉が変わる)
諸大名の座で、どこに座るか。書状の宛名をどう書くか。
それが、この四文字で決まる。
(……値札だな)
安く見られると、話が進まない。
高く見せすぎると、潰される。
――ちょうどいい値札を、この人はくれた。
拝謁の後、太閤が言った。
「秀定。そなた、官位を欲しがらなんだのう」
「……は」
「皆、うるさく言うてくるぞ。あれをくれ、これをくれと」
「某は、田と人しか欲しがりませぬゆえ」
太閤が、扇で膝を打って笑った。
「相変わらずじゃ。……のう、伊豆侍従」
「はっ」
「名護屋では、普請を手伝え」
「そなたは、石を積むより、人を減らさぬ方が上手い」
(……本当に、よく見てるな、この人は)
嬉しくないと言えば、嘘になった。
――嬉しくなる自分が、少し怖かった。
*
伊豆へ戻って、俺は知行割を始めた。
方針は、三つだけ決めた。
*
一つ。蔵入地を、厚く残す。
配りすぎた大名は、自分で普請一つ打てなくなる。
ことに、去年の十月に入った足柄の二郡は、一筆も配らずに手元へ置いた。
箱根の山の中は、寺も村も、持ち主の境が入り組んでいる。間に人を挟めば、検断がその都度止まる。
(山は、俺が直に持つ)
*
二つ。禄は、人にではなく、役に対して払う。
誰が偉いかではなく、何を任せるか、で決める。
*
三つ。――一人残らず、帳面に載せる。
(名のない人間は、払い漏れる)
(払い漏れた人間から、辞めていく)
*
広間に、皆を集めた。
「――藤堂高吉」
十二になった筆頭家老が、進み出た。
「一万石。据え置きである」
「……某は、まだ、何もしておりませぬ」
この子は、そう言った。
「これから、してもらう」
俺は答えた。
「一万石は、去年の働きへの礼ではない。……これから十年、この家を回してもらうための、前払いだ」
高吉が、深く平伏した。
「――原孫兵衛」
「はっ」
「三千石。侍大将、ならびに足軽奉行」
白い眉の下で、老人の目が揺れた。
「……恐れながら、それがしは」
声が、掠れていた。
「武田を、滅ぼした側の者にございます」
(――ああ)
(そういう風に、思ってたのか、この爺さんは)
「孫兵衛」
俺は言った。
「お前は、滅ぼしてない」
「――生き残ったんだ」
「生き残って、河原にいて、隊列の組ませ方をうちの若い者に教えた。……三千石は、その分の払いだ」
孫兵衛は、板間に額をつけた。
しばらく、上げなかった。
「――岩室弥七」
「はっ!」
やたらと元気な返事だった。
(……お前、二年前から待ってたもんな)
石垣山で藤堂高吉に一万石をやった夜、この男は言った。
――では、それがしは何石で。
「三千石。鉄砲頭、ならびに旗奉行」
弥七の口が、ぽかんと開いた。
「……三千?」
「不服か」
「い、いや! 待て、待ってくれ殿! 三千石って、どのくらいだ!?」
(――知らずに喜んでたのか)
「鉄砲を百挺揃えて、それを撃つ者と、玉薬と、その者どもの飯を、お前が自分で賄える高だ」
「…………」
弥七は、しばらく固まって、それから、涙も出さずに一言だけ言った。
「――根来の坊主どもに、見せてやりてえな」
「佐田新九郎」
「……はっ」
「二千石。勘定奉行」
この若者は、動かなかった。
「――某のような者に」
豊前城井の、生き残りである。
家を、黒田に潰された男だ。
「新九郎」
「はい」
「うちの帳面は、お前が握る」
「銭の出入りを全部見るということは、俺の恥も全部見るということだ。……嫌なら、断っていい」
新九郎は、顔を上げた。
「――お断りする者が、おりましょうか」
「江川英吉」
韮山の老代官が、静かに平伏した。
「千五百石。本領安堵。伊豆一国の代官職は、そのまま」
――二年前、俺が城の外でこの人に約束した通りである。
「……あの折の言葉を、そのまま」
「言いましたゆえ」
俺は答えた。
「某は、守れる約束しか、いたしませぬ」
(……九戸で一つ、守れなかったがな)
その一言は、飲み込んだ。
最後に、一人残った。
伊賀の男である。
いつの間にか、末席にいた。
「……お前の禄が、書けん」
俺は言った。
「名がないと、帳面に載らん。載らんと、払えん」
「――では、殿がお付けくだされ」
二年前と同じ答えだった。
俺は、少し考えて言った。
「――十蔵」
「なにゆえ」
「十人分、働いてもらうゆえ」
男は、初めて笑った気配を見せた。
「――高うつきますぞ」
その日の割り当てを、俺は帳面に清書した。
*
――羽柴伊豆侍従秀定 所領 十五万石
*
一、藤堂高吉 一万石 筆頭家老
一、原孫兵衛 三千石 侍大将・足軽奉行
一、岩室弥七 三千石 鉄砲頭・旗奉行
一、佐田新九郎 二千石 勘定奉行
一、江川英吉 千五百石 韮山代官
*
一、組頭・物頭 二十二名 都合五千石
一、士分 二百十四名 都合八千石
一、足軽・中間・小者 扶持米にて
*
――家中知行 都合 三万二千五百石
――蔵入地 都合 十一万七千五百石
*
新九郎が、その紙を覗き込んで、唸った。
「……殿。蔵入りが、多すぎませぬか」
「多い」
俺は認めた。
「よその十五万石なら、半分は家来に配っている」
「なぜ、配られませぬ」
「――普請と、飯だ」
俺は言った。
「配った石高は、その家来のものになる。俺が動かせるのは、蔵入りだけだ」
「堤を築く。道を通す。凶作の年に米を出す。……それが打てなくなったら、大名は終わりだ」
「その代わり」
俺は、続けた。
「うちは、扶持を絶対に遅らせん。……一日でも遅れたら、俺を叩き起こせ」
新九郎が、笑った。
「――帳面の男らしい家にございますな」
残るのは、兵である。
六千。
手元にいるのは、四百二十人。
(……五千五百八十人、足りん)
俺は、割り振りを引いた。
*
――旧丹羽の牢人衆。高吉の名で集める。千。
――伊豆・相模・駿河の地侍と、その郎党。千八百。
――村々からの陣夫・人足。二千三百余。
――残りは、京と堺で雇う。
*
うち、槍を持たせるのは二千ほど。
あとは、荷駄と普請と炊きである。
(……戦をしに行くんじゃない)
(人を、生きて連れて帰るために行くんだ)
法度は、韮山の時と一言も変えなかった。
――民より一物たりとも取るべからず。鶏一羽にても、首を刎ねる。
新しく入った千の牢人が、それを聞いて青くなった。
弥七が、にやにやしながら言った。
「うちの殿はな。……本当に刎ねるぞ」
*
三月。
出立の朝、俺は奥へ挨拶に行った。
春姫は、留守の差配の書付を、自分で作っていた。
十四である。
「奥のことは、わたくしが」
「――お頼み申します」
嶋子は、その隣で、帳面を写していた。
(……手が早いな、この人)
国人の家を、自分で回していた人である。
「――ご武運を」
二人が、同時にそう言った。
(……揃うと、破壊力が違うな)
六千の背に、黒地に黄の桐が立った。
その先頭に、「鬼」の一文字が進む。
二年前、河原に四百十六人しかいなかった家である。
俺は、馬の上から、その列を振り返った。
(……全員、連れて帰る)
――西へ。
肥前名護屋へ向かった。
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