ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城の疵」
第三十四話 畜生の所業
三迫を発つ前に、俺は豊臣秀次の陣へ行った。
取り次ぎは、あっさり通った。
九戸からは、二度願って、使い一人出せなかった相手である。
(……終わってからは、通すのか)
幕の中で、この人は書物を読んでいた。
傍らに、酒があった。
手をつけた形跡は、なかった。
「――羽柴殿か」
秀次は、顔を上げずに言った。
「用向きは、聞かずとも分かる」
俺は、平伏した。
「――一つだけ、お尋ね申し上げます」
(やめろ)
(黙って帰れ。首が飛ぶぞ)
頭の中で、四十年ぶんの分別が、そう言っていた。
――口の方が、先に動いた。
「なにゆえ、約定を違えられましたか」
秀次が、書物を閉じた。
顔を上げた。
――泣きそうな顔をしていた。
「……わしが、決めたのではない」
この人は、そう言った。
「京から、書付が来た」
「たった二文字じゃ。……『根切』とだけ、書いてあった」
「わしは、止めようとした」
「三度、使いを出した。城の者は降ったのだ、助けてやってくれと」
「三度とも、同じ紙が返ってきた」
秀次は、笑った。
ひどい笑い方だった。
「わしはな、関白殿下の跡取りじゃそうな」
「その跡取りが、降った者の首一つ、止められぬ」
俺は、顔を上げていた。
(……知ってた)
井伊直政が言っていた。軍議より前に決まっていた、と。
この人も、聞かされた側だ。
――分かっていて、俺はここへ来た。
誰かに、言わせたかったのだ。
「羽柴殿」
「はっ」
「そなた、火を入れたそうじゃな」
俺の指が、床を掻いた。
「……はい」
「羨ましい」
俺は、耳を疑った。
「――は?」
「そなたは、手を汚した」
秀次は、自分の手のひらを見ていた。
「わしは、汚してすらおらぬ」
「ここに座って、書付を読んでおっただけじゃ」
「――見てすら、おらぬ」
「――どちらが畜生か、そなたに分かるか」
その時、俺の口から、言葉が出た。
四十年、こういう場では絶対に出したことのない言葉だった。
「――畜生の所業にございます」
幕の中が、静まり返った。
(……言った)
(言っちまった)
総大将に向かって、豊臣の名を負った一門が、である。
「某も、その畜生にございます」
俺は、続けた。
止められなかった。
「もう大丈夫だと申して、千二百八十六人を、館へ入れましてございます」
「戸を打ちつけたのは他の陣の者にございますが、火を入れたのは、某にございます」
「十二の娘が、某に、礼を申しました」
声が、震えた。
「ありがとうございます、と」
俺は、額を床につけた。
「――ご存分に」
斬られてもよかった。
(……いや)
(それは、駄目だ)
四百十六人がいる。春姫がいる。嶋子がいる。喜連川がある。
(……斬られたら、俺が楽になるだけだ)
それが、この時の俺には、一番の恐怖だった。
長い間があった。
やがて、秀次が言った。
「――よい」
「今日のことは、無かったことにする」
「去れ」
俺は、頭を上げられなかった。
「……申し訳も、ございませぬ」
「詫びるな」
秀次は言った。
「……久しぶりに、まともな言葉を聞いた」
幕を出ようとしたとき、後ろから声がかかった。
「羽柴殿」
「はっ」
「――いつか、わしが同じ目に遭うたら」
俺は、振り返った。
この人は、こちらを見ていなかった。
「そなたは、どうする」
(……この人)
(自分が、そうなると思ってるのか)
俺は、知っている。
四年後だ。この人は、高野山で腹を切らされる。
妻子は、三条河原で斬られる。
俺は、嘘をつかなかった。
「――間に合うとは、申し上げられませぬ」
秀次の肩が、少し動いた。
「……正直な男よ」
「なれど」
俺は言った。
「――走りまする」
この人は、しばらく黙っていた。
それから、初めて、少しだけ笑った。
「……覚えておく」
*
沙汰が下りたのは、十月だった。
――駿河のうち、沼津・三島・富士のあたりで三万石。
――相模のうち、足柄上・足柄下で二万石。
――伊豆七万、相模五万、駿河三万。都合、十五万石。
相模の西が、これで丸ごと俺のものになった。
足柄上郡と、足柄下郡。箱根の山が、麓から峠まで、継ぎ目なしに一つの領地になる。
(……検断が、通る)
(山の中の寺も、村も、俺の手が届く。足柄峠も、箱根の裏道も、俺の荷と俺の使いが、誰に断ることもなく通れる)
東海道の一番の難所を、東と西から挟んで押さえる形である。
奥州での働きに対する、加増である。
俺は、朱印状を押し頂いて、礼を述べた。
顔は、動かなかった。
(……働き)
(あの火の代金が、五万石か)
朱印状を渡した石田三成が、書付を懐へ戻しながら言った。
「羽柴殿。……加増の理由を、聞かれぬのか」
「――伺うて、よろしゅうございますか」
「冬じゃ」
三成は言った。
「奥州の冬に三百を置いて、一人も凍えさせなんだのは貴殿だけでござる」
「他の陣は、戦よりも雪で減り申した」
「関白様は、そこを見ておられる」
(……そう言われても)
(俺は、火を入れたんだ)
三成は、それ以上、何も言わなかった。
この人は、俺が何を考えているか、たぶん分かっていた。
――分かっていて、「冬じゃ」と言ったのだ。
陣に戻ると、四百十六人が沸いていた。
弥七が飛び上がって、孫兵衛が珍しく笑っていた。
新九郎が、そろばんを弾きながら「知行が」「屋敷が」と喚いていた。
俺は、笑った。
(笑え)
(この連中は、二年前まで河原にいたんだ)
(今日くらい、腹の底から喜ばせてやれ)
俺は、酒を出させた。
自分では、一滴も飲まなかった。
*
南へ下る途中、俺は喜連川へ寄った。
城下が、少し変わっていた。
道の草が刈られ、辻に新しい高札が立っていた。
高札の字は、下手だった。
――足利国朝の字である。
(……自分で書いたのか)
俺は、その字を、しばらく見ていた。
(……回ってるじゃないか)
久しぶりに、腹の底が、少し温かくなった。
国朝は、帳面を見せてくれた。
字は下手だったが、合っていた。
*
この年の春、この男は妻を娶っていた。
――古河公方 足利義氏が息女、氏姫。
俺が奥州にいる間に、太閤の命で調ったのだという。
(……俺と、同い年の人か)
「奥方様は」
「古河におられます」
国朝は、帳面を畳みながら言った。
「祝言の日も、こちらへはお越しになりませなんだ」
「……ご挨拶には」
「文だけにございます。……見事な字にございました」
(見事な字で、来ない)
去年、俺が使者を出したときと、一字も変わっていない。
「向こうの家来が、まだ折れませぬ」
国朝は言った。
「公方は古河ただ一軒、と」
「……こちらは」
「同じことを申しておりまする」
(――両方とも、正しいと思ってるんだ)
*
百年、殺し合ってきた二軒である。
紙の上で一軒にしたところで、家来の腹までは畳めない。
俺は、帳面の隅にもう一行足した。
――古河。姫、なお動かず。
(……いつか、行かねばならんな)
頼氏は、背が伸びていた。
「秀定様」と言って走ってきて、途中で立ち止まって、きちんと礼をした。
(……教わったな、誰かに)
嶋子は、奥の間にいた。
俺を見て、立ち上がった。
俺は、頭を下げた。
「――迎えに、参りました」
言ってから、腹の底が冷えた。
春に、と申した。
いまは、十月である。
――一年と二月、遅れている。
(工期だけは守ってきた男が、これだ)
嶋子は、しばらく、俺の顔を見ていた。
(……見るなよ)
髭は当たった。着物も改めた。
顔つきまでは、直せなかった。
「遅れ申した」と言おうとして、口が動かなかった。
遅れた理由を言えば、九戸の話になる。
いま、この場でしていい話ではない。
この人は、何も聞かなかった。
奥州のことも、戦のことも、痩せたことも。
――一年と二月、遅れたことも。
ただ、三つ指をついて、こう言った。
「――お帰りなさいませ」
俺は。
――しばらく、顔が上げられなかった。
伊豆までの道中、輿は日のあるうちだけ動かした。暗くなる前に宿へ入れた。
――そこだけは、申した通りにした。
輿の脇を馬で歩きながら、俺は少しだけ話した。
全部は話さなかった。
――一度に全部話すと、崩れる、と言われていたからだ。
九戸という城があったこと。
降った者が、助からなかったこと。
俺が、その場にいたこと。
簾の中から、しばらく返事がなかった。
やがて、静かな声がした。
「……秀定様は、その者どもの数を、覚えておいでですか」
俺は、馬の上で、息を止めた。
「……千二百八十六人にございます」
「――ならば、よろしゅうございます」
嶋子は、そう言った。
「忘れる者が、一番の罪にございます」
*
伊豆へ入ったのは、十一月の初めだった。
春姫が、門の外まで出てきていた。
十四になっていた。
俺の顔を見て、この娘は、いきなり泣いた。
(――え)
(なんで)
「……お痩せに、なりました」
それだけ言って、袖で顔を隠した。
*
その日のうちに、春姫は嶋子に会った。
俺は、間に立とうとして――やめた。
(……余計なことをするな、俺)
(この二人の家は、この二人が決める)
半刻ほどで、二人は出てきた。
十四の正室が、先に立って歩いていた。
二十四の側室が、その半歩後ろを、静かについていった。
――座は、決まったらしい。
(……俺の出る幕、なかったな)
*
俺は、その夜、春姫に話した。
嶋子に話したのと、同じところまで。
残りは、いつか話す。
――隠し事は、しないと約束したからだ。
*
天正十九年が、暮れた。
十五万石。妻が二人。家来が四百二十人あまり。
弟分の当主が一人と、その弟が一人。
――養う者に、なった。
*
年が明けて、文禄元年。
関白は、去年の暮れに秀次様へ移った。
いまは、太閤である。
(呼び名が変わっただけだ)
(決めるのは、変わらずあの人だ)
太閤は、唐入りを言い出した。
大納言様が言った通りだった。
肥前名護屋に、城を建てるという。
――普請の割り当てが、俺のところにも来た。
(……止めるな、でしたね)
俺は、書付を畳んで、立ち上がった。
(――生き残って、後始末をします)
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