ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城の疵」
第三十三話 三迫
九戸城の城割は、俺の隊が請けた。
願い出たわけではない。
割り当てられただけだ。
(……普請の男に、壊させるか)
俺は、そう思ったが、何も言わなかった。
土塁を崩し、堀を埋め、石垣の角を落とす。
三重に切ってあった空堀を、五日で埋めた。
作るのに、何年かかったのかは分からない。
――壊すのは、五日だった。
二の丸の焼け跡は、最後に回された。
俺は、そこへ行った。
行かなくてもよかった。行った。
黒い柱が、何本か立っていた。
地面が、白かった。
俺は、帳面を出した。
癖である。
現場に出たら、数える。
――数えられなかった。
筆が、動かなかった。
四十年、俺は何でも数えてきた。
人工も、資材も、死んだ人間も。
――数えれば、扱えるものになるからだ。
数えられなかったのは、初めてだった。
帰りに、うちの兵の一人が、俺の横に並んだ。
河原で拾った男である。名を、市助といった。
「殿」
「うん」
「……あれは」
男は、崩した土塁の方を見ていた。
「あれは、戦にございましたか」
俺は、少し考えて、答えた。
「――いや」
市助は、それきり何も言わなかった。
嘘をつくこともできた。
「戦じゃ」と言えば、この男は楽になれた。
だが、楽にしてやってはいけない気がした。
――俺も、楽になってはいけない。
その夜も、眠れなかった。
*
三日で、飯が食えなくなった。
湯漬けを一口入れると、喉の途中で止まる。
弥七が、黙って粥を持ってくるようになった。
新九郎が、帳面を代わりにつけるようになった。
誰も、何も言わなかった。
(……ありがたいな)
(言われたら、たぶん、崩れる)
厄介なのは、匂いだった。
陣で焚火を焚く。飯を炊く。当たり前のことである。
その煙の匂いを吸った瞬間に、腹の底から込み上げてくる。
二度、幕の裏で吐いた。
三度目からは、風上に立つようにした。
(……直るのか、これは)
(前世でも、聞いたことはある。事故のあった現場に、戻れなくなる男の話は)
(――戻れなくなった男が、その後どうなったかは、知らない)
*
九月の半ば、俺は護送に随行を命じられた。
九戸政実と首謀の七人を、三迫まで送る役である。
(……なんで、俺なんだ)
考えて、すぐに分かった。
俺が、火を入れた男だからだ。
最後まで、やらせるつもりなのだ。
道中、村を通った。
人が出ていた。
石を投げるでもなく、罵るでもなかった。
道の脇に膝をついて、八挺の縄目の駕籠が通り過ぎるまで、頭を下げていた。
どの村でも、そうだった。
(……慕われてたんだな、この人は)
俺は、その列の先頭を歩いていた。
黒地に黄の桐の旗を立てて。
*
二日目の宿で、俺は政実の前に座った。
番の者を下がらせた。
この人は、縄目のまま、板間に座っていた。
剃った頭に、少し髪が伸びていた。
「――答えに、参りました」
俺は、そう言った。
政実が、顔を上げた。
「……何のことじゃ」
「城門を出られた折に、お尋ねになりました」
「その帳面には、今日のことを何と書く、と」
政実の目が、動いた。
「……ほう」
「覚えておったか」
「――忘れられませぬ」
俺は、帳面を開いて、その頁を、この人に見せた。
――千二百八十六。
――天正十九年九月四日。羽柴秀定、火を入れる。
政実は、しばらく、それを見ていた。
それから、目を閉じた。
「……上意である、とは書かなんだか」
「書けば、某が許されまする」
俺は答えた。
「――許される道理が、ございませぬ」
長い間があった。
「……わしの首は、よい。はじめから、値のうちじゃ」
政実は、低い声でそう言った。
「値を払うて、品が渡らなんだ。……口惜しいのは、それだけよ」
俺は、返す言葉を持っていなかった。
やがて、政実が聞いた。
「名は、書いたか」
「……は?」
「城の者じゃ。……名を、書いたか」
俺は、頁をめくった。
隅に、一つだけ、名がある。
「――とせ。十二」
俺は、そこで、声が詰まった。
「……一人しか、聞けませんでした」
「数は、千二百八十六を数えたのに」
「名は、一人だけにございます」
政実が、目を開けた。
「――一人、書いたのだな」
「……はい」
「それでよい」
この人は、そう言った。
「若いの」
「はっ」
「そなた、これから、どうする」
俺は、正直に答えた。
「……分かりませぬ」
「ただ、次は、間に合わせようと思うております」
政実は、少し笑った。
「間に合わぬこともあるぞ」
「……はい」
「なれば、拾え」
「拾うて、名を書け」
「――それが、生き残った者の役目じゃ」
俺は、一つだけ、聞けなかったことを聞いた。
「……薩天和尚様は」
政実の眉が、動いた。
「あの夜から、姿を見ておりませぬ」
政実は、しばらく黙って、それから言った。
「……あれは、わしが引き込んだ」
「使者に立てば、城の者が助かると申してな」
「――七十の坊主に、嘘の使いをさせたのは、わしじゃ」
この人は、そこで初めて、顔を歪めた。
斬られる話をしていた時にも、動かなかった顔だった。
俺は、額を板間につけた。
縄目の男に、豊臣の一門が頭を下げている。
見られたら、まずい絵である。
――どうでもよかった。
*
三迫に着いたのは、その二日後だった。
河原に、筵が八枚、敷かれた。
九戸政実。七戸家国。久慈直治。櫛引清長。
大湯昌次。大里親基。一戸実富。円子光種。
軍議の夜に写した七つの名が、帳面にある。
俺は、その上に、政実の名を書き足した。
――拾うて、名を書け、と言われたからである。
弟の実親の名は、この八つの中にない。
城に残って門を預かり、寄せ手に撃たれたと聞いた。
誰も、暴れなかった。
誰も、命乞いをしなかった。
政実は、最後まで、経を唱えていた。
声は、震えていなかった。
少し離れた床几に、豊臣秀次が座っていた。
総大将である。
この人は、河原を見ていなかった。
膝の上で手を組んで、そこだけを見ていた。
顔が、白かった。
(……この人も)
(この人も、選ばされた側か)
俺は、目を逸らさなかった。
逸らす資格が、ない。
終わった後、奉行の一人が言った。
「政実の首は、塩に漬けて、京へ送る」
「――三条河原に、晒す」
俺は、その言葉を聞いて、動きが止まった。
(……三条河原)
(――あの河原か)
俺の知っている歴史では。
四年後、あの河原で、関白秀次の妻子が斬られる。
女と、子供ばかりが、三十人以上。
見物人が集まり、穴が掘られ、まとめて埋められる。
――今日、俺が送る首と、同じ土の上でだ。
(……冗談だろ)
(あの河原に、俺は、二度行くのか)
一度目は、首を送る側として。
二度目は。
(――二度目は、間に合わせる)
俺は、拳を握った。
爪が食い込んで、少し血が出た。
その痛みで、久しぶりに、頭がはっきりした。
首桶を一つ積んだ荷が、南へ発った。
俺は、それを、見えなくなるまで見ていた。
陣を引き払う日、氏郷が来た。
この人は、俺の顔を見るなり、眉を寄せた。
「……痩せたな」
「は」
「食えぬか」
「……喉で、止まりまする」
氏郷は、少し考えて、言った。
「粥に、梅を落とせ。塩気があると、通る」
(……そんな話か)
あの夜、何も言わずに肩へ手を置いた人が、粥の話をしている。
――ありがたかった。
それから、この人は聞いた。
「秀定殿。……あれを、春に話すか」
俺は、少し黙って、答えた。
「――話します」
「隠し事はいたさぬと、約束いたしましたゆえ」
氏郷は、しばらく俺を見ていた。
「……あれは、まだ十四じゃぞ」
「存じております」
「――よい。話せ」
この人は、そう言った。
「じゃが、一度に全部は話すな」
「……なぜにございますか」
「そなたが、崩れる」
俺は、何も言えなかった。
この人は、いつも、俺の言われたくないところを、正面から言う。
――昔は、それが苦手だった。
――奥州仕置は、これで終わった。
天下は、静まったのだという。
俺は、同じ道を、南へ帰った。
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