ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城の疵」
第三十一話 根切り
城門は、開いたままだった。
政実ら八人が本陣へ引き立てられて、四半刻もしないうちだった。
――喊声が、上がった。
寄せ手が、動いた。
開いたままの門へ、なだれ込んでいった。
俺は、立ったまま、それを見ていた。
(……最初から)
守る気など、最初から、どこにもなかったのだ。
俺の陣に、沙汰が下りたのは、その直後だった。
「――羽柴殿。願いの儀、聞き届けられ申した」
奉行の使番が、早口で言った。
「城内の女子供、年寄りの類、羽柴の手勢にて集め、二の丸の館へ収容せよ」
「他の陣の者に手出しはさせぬ。……追って沙汰する」
(――間に合った)
俺は、そう思った。
本当に、そう思ったのだ。
「弥七! 三百、全部出す!」
俺は、走りながら叫んだ。
「槍は伏せろ! 抜くな! 一人も斬るな!」
「女子供と年寄りを集めて、二の丸の館へ入れる! 急げ!」
城の中は、地獄だった。
だが、俺たちの通ったところだけは、静かだった。
黒地に黄の桐が並んで、槍を伏せて歩いていく。
俺は、先頭で声を張り上げ続けた。
「――羽柴秀定にござる!」
「女子供と年寄りは、こちらへ! 手出しはさせぬ!」
「こちらへ! ……もう、大丈夫にございます!」
――言った。
俺は、確かに、そう言った。
出てきた。
物陰から、床下から、井戸の脇から。
婆が、孫の手を引いて出てきた。
乳飲み子を抱いた女が、裸足で走ってきた。
十かそこらの男の子が、妹を背負って歩いてきた。
俺は、水を出させた。
湯を沸かさせた。
怪我をしている者には、新九郎に晒しを切らせた。
そして、俺は――
――数を、数えた。
癖である。
人を預かったら、数える。名を書く。
でないと、後で誰が足りないか分からない。
――千二百八十六。
俺は、その数を、帳面に書いた。
数えている間、娘が一人、手伝ってくれた。
十二か、十三である。
母を探して来たのだと言った。館の中を、二度、見て回って、いなかった。
それでも泣かずに、俺の後ろについて、水を配っていた。
「――名は」
俺は、帳面から顔を上げて聞いた。
「……とせ、と申します」
「歳は」
「十二にございます」
俺は、その名を、帳面の隅に書いた。
娘は、俺の手元を覗き込んで、それから、言った。
「お侍様」
「うん」
「――ありがとう、ございます」
俺は、笑って、頷いた。
(……よし)
(一人も死なせん)
本当に、そう思っていた。
*
日が傾いた頃、上使が来た。
馬から下りもしなかった。
「――ご諚である」
「城内の者、一人も残さず。……根切りにせよ」
俺は、聞き返した。
「――は?」
自分の声が、遠かった。
「館の戸を塞げ。柴を積め。……火を入れよ」
「恐れながら」
俺は言った。
「――この者どもは、降人にございます」
「命は保障すると、和尚を通じて申し送っております」
「某が、この手で集めましてございます。もう大丈夫だと、某が申しました」
上使は、俺を見なかった。
「ご諚である」
それだけを、もう一度言った。
周りの陣から、兵が入ってきた。
板が運ばれ、館の戸が外から打ちつけられた。
中から、音がした。
柴が積まれた。
油が撒かれた。
軍監が、俺の前に立った。
「羽柴殿」
松明を、差し出された。
「そなたの手勢が集めた者どもじゃ」
「――そなたが、入れよ」
俺は、動かなかった。
(……試されてる)
この場で断れば、どうなるか。
豊臣一門の大名が、関白の諚に背いた。
その日のうちに、伊豆十万石は消える。
河原で拾った四百十六人は、行き場を失う。
春姫が。嶋子が。喜連川の三千五百石が。
横から、手が伸びた。
原孫兵衛だった。
白い眉の下の目が、俺を見ていなかった。松明を見ていた。
「――殿。それがしが」
この爺さんは、武田が滅ぶのを見た男である。
同じものを、二度見ようとしていた。
「下がれ」
俺は言った。
「――俺がやる」
孫兵衛は、動かなかった。
「殿」
「命じたぞ。……下がれ」
老人は、歯を食いしばって、一歩下がった。
――俺は、松明を、受け取った。
あの日、俺は生コンを選んだ。
親父の死に目より、その日の打設を選んだ。
――今日も、同じだ。
俺は、いつも、こっちを選ぶ。
柴に、火が移った。
最初に聞こえたのは、悲鳴ではなかった。
――戸を、叩く音だった。
規則正しく、何十も。
それから、声になった。
子供の声が、多かった。
(……とせ)
その名が、頭の中で鳴った。
半刻前に、俺が帳面の隅に書いた名である。
俺は、その場に立っていた。
逃げ出した者を、うちの兵が突いた。
俺が、止めなかったからだ。
鶏を一羽盗んだ男の首を刎ねた法度である。
その法度を作った男が、そこに立っていた。
誰かが、俺の袖を掴んだ。
薩天和尚だった。
袈裟が、破れていた。
顔が、煤で汚れていた。
老僧は、俺の袖を掴んで、揺すった。
「なぜじゃ」
「……なぜじゃ!」
「そなたは!」
「――みな助かると、申したではないか!」
俺は。
――何も、言えなかった。
四十年である。
施主に怒鳴られても、元請けに嘘をつかれても、職人に胸倉を掴まれても、俺の口はいつも動いた。
どんな場でも、頭より先に、言葉が出た。
それが、俺の武器だった。
――出なかった。
一言も、出なかった。
和尚は、俺を揺すり続けた。
やがて力が抜けて、地面に座り込み、経を読み始めた。
声が、震えていた。
俺は、その隣で、膝から落ちた。
*
炎が、高く上がっていた。
顔が熱かった。
目の前が、歪んだ。
――熱のせいだと、思いたかった。
どれくらい、そうしていたのか分からない。
肩に、手が置かれた。
振り返らなくても、分かった。
――蒲生氏郷だった。
この人は、何も言わなかった。
慰めなかった。
「そなたのせいではない」とも言わなかった。
ただ、肩に手を置いて、俺の隣に立っていた。
(……この人)
小田原の丘で、「そなた、何を背負っておられる」と聞いた人である。
聞いて、中身は聞かなかった人である。
(……知ってたのか)
(最初から、知ってたのか、あんたは)
俺は、この人が苦手だった。
持っている側の人だからだ。
名門で、美丈夫で、文武に優れて、しかも本当に良い人で。
――その苦手が、この夜、どうでもよくなった。
氏郷は、火が落ちるまで、そこにいた。
立ち去るとき、一度だけ、俺の肩を叩いた。
最後まで、一言も、言わなかった。
うちの兵の何人かが、堀の脇で吐いていた。
河原で拾った連中である。
人を斬るのを見て吐くような柔い男は、あの四百十六人には一人もいない。
それでも、吐いていた。
誰も、俺の顔を見なかった。
責める目ではなかった。
――見てはいけないものを見ないようにする、あの目だった。
火が落ちたのは、夜半だった。
*
俺は、陣に戻って、床几に座った。
弥七が来た。何か言おうとして、やめて、出ていった。
新九郎が湯を持ってきた。俺は、飲まなかった。
俺は、帳面を開いた。
――千二百八十六。
昼に、俺が書いた数である。
俺は、筆を持った。
――消そうとした。
消せば、なかったことになる気がした。
消さなかった。
俺は、その下に、一行だけ書いた。
――天正十九年九月四日。羽柴秀定、火を入れる。
名を、書いた。
誰かがいつか、この帳面を見つけたとき。
「上意であった」と書いてあれば、俺は許される。
――書かなかった。
俺は、その帳面を懐へ入れた。
捨てられなかった。
(……次だ)
今日のことは、もう、どうにもならない。
詫びる相手が、一人も残っていない。
なら、俺にできることは、一つしかない。
(――次に、同じ場に立ったときは)
(間に合わせる)
(何を捨ててでも、間に合わせる)
筆を置いて、行灯を消した。
目を閉じると、戸を叩く音がした。
――その音は、この先、二十四年、消えなかった。
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