ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城の疵」
第三十話 白装束
九戸へ着いたのは、八月の末だった。
馬印の「鬼」が、去年よりくたびれていた。
陣に入って、俺は自分の目を疑った。
――多い。
山も、河原も、街道も、全部、陣だった。
総大将は関白の甥、豊臣秀次。
ただし、この人は、ここにはいない。
本陣は、四十里も南の三迫に据えてある。
徳川大納言は、そのさらに南の岩手沢だ。
城を囲んでいるのは、蒲生氏郷と浅野長政。
堀尾吉晴。井伊直政。それに南部、津軽、奥羽の衆。
奥州へ下った軍勢は、総勢で十万に近い。
そのうちの六万が、この城一つに張りついていた。
(……五千の城に、六万か)
俺は、その数を聞いて、嫌な感じがした。
前世でもあった。
小さな不具合に、責任者が二十人集まる現場。
人が多すぎる現場は、必ず、余計なことをする。
(しかも、一番上の責任者が、現場にいない)
*
三日、力攻めが続いた。
俺の三百は、後方の荷と道である。
槍は合わせていない。
だが、運ばれてくる怪我人は、俺の陣の脇を通った。
俺は、数を数えた。
――死者、四百二十七。
――手負い、千を超える。
三日で、である。
*
荷を届けて回ると、どの陣も同じ顔をしていた。
――この戦には、取り分がない。
城を落としても、土地は南部の手へ戻るだけである。
しかも、これが日ノ本で最後の戦になる。
最後の戦で死にたい者は、どこの家中にもいない。
(……応援で来た他社の職人ばかりだ)
(誰も、ここを自分の現場だと思ってない)
南部信直の陣だけが、妙に静かだった。
家来一人を抑えられず、天下の軍勢を呼んだ人である。
どの陣でも陰でそう言われ、本人もそれを知っていた。
荷を受け取るとき、この人は俺にまで頭を下げた。
*
四日目の朝、俺は城を見に行った。
高台に登って、半刻ほど、黙って眺めた。
(……ああ、こりゃ落ちない)
三方が川と崖である。
残る一方は、深い空堀を三重に切って、そのたびに土塁を立ててある。
道は、わざと細く、曲げてある。
(――攻め口を、一つに絞らせる縄張りだ)
押し込めば押し込むほど、寄せ手が詰まる。詰まったところへ、上から撃たれる。
韮山を思い出した。
あれも、こういう城だった。
俺は、あの時、攻めなかった。
――砦を一つ取って、それを見せて、話をした。
軍議に呼ばれたのは、その夜だった。
末席である。
*
上座が、一つ空いていた。
三迫にいる総大将の座である。
その左右に、浅野長政と蒲生氏郷が座っていた。
誰かが「攻めるべし」と言い、誰かが「兵を休めるべし」と言う。
どちらの声も、空いた座の方へ流れて、消えていった。
(――決める人が、いない)
(いや。……決めた責を負う人が、いないんだ)
やがて、蒲生氏郷が言った。
「――羽柴殿は、いかが思われる」
座が、俺を見た。
徳川の名代の井伊直政が、少し身を乗り出したのが見えた。
「――恐れながら」
俺は言った。
「あの城は、力攻めでは落ちませぬ」
何人かが、露骨に嫌な顔をした。
「三日で、四百二十七人が死にましてございます」
俺は、帳面を開いた。
「同じ攻め方を続ければ、落ちるまでに、あと二千は死にまする。……城の中の者は、それより多く死にまする」
「合わせて、五千を超えまする」
「では、どうせよと申す」
浅野長政だった。
「――囲んで、話をなさいませ」
俺は答えた。
「城の者は、勝てぬと分かっております。六万を見て、分からぬ者はおりませぬ」
「なれど、退けませぬ。……逃げ場がないゆえ、戦うておるだけにございます」
「――逃げ場を作れば、出て参ります」
俺は、韮山でそうした。
北条氏規は、白装束で山を登ってきた。
――そして、生きている。
浅野長政が、膝を打った。
「――なるほど。よい策じゃ」
話は、そこから早かった。
*
九戸の菩提寺、長興寺の薩天和尚を使者に立てる。
九戸実親の妻は南部の娘であり、こちらに繋がりがある。その筋も使う。
条件が、その場で決まった。
――九戸政実ならびに重臣七人は、城を出て降り、三迫にて首を刎ねる。
――九戸の家は改易、本領は南部信直の預かりとする。
――城内の者どもの命は、保障する。
浅野の右筆が、重臣七人の名を読み上げた。
七戸家国。久慈直治。櫛引清長。大湯昌次。
大里親基。一戸実富。円子光種。
俺は、その七つの名を、帳面に書き写した。
政実を入れて、首が八つになる。
(……韮山の時とは、違う)
関白の仕置きに弓を引いた男を、許す道はどこにもない。
本領安堵など並べれば、城方はかえって罠だと見抜く。
甘い話は、誰も信じない。
値のついた話だけが、相手に通る。
首八つで、城の五千が助かる勘定だった。
上出来だとは、口が裂けても言えない。
――だが、これなら城方も信じる。
俺は、そう思った。
*
思って――
一つだけ、聞いた。
「――この条件は、守られますな」
座が、静かになった。
浅野長政は、俺を見なかった。
「――それは」
「関白様が、お決めになることじゃ」
(……あ)
俺の中で、何かが冷たくなった。
(この言い方、俺は知ってる)
「上に確認します」
「前向きに検討します」
「善処します」
四十年で、嫌というほど聞いた。
――どれも、「約束はしない」という意味である。
断らない。だが、守るとも言わない。
後で違えたときに、誰も責を負わないための、言葉の作り方だ。
軍議の後、俺は氏郷を追いかけた。
幕の外の、暗いところで捕まえた。
「氏郷様」
「……うむ」
「あの約定は、守られましょうか」
この人は、答えなかった。
小田原の丘で、草の上に直に座って、「何を背負っておられる」と聞いてきた人である。
その人が、俺から目を逸らした。
「――秀定殿」
「はい」
「……聞くな」
俺は、三迫へ使いを出そうとした。
総大将の判物が一枚あれば、約定は約定になる。
だが、陣中から本陣への使いは、奉行を通すのが軍法だ。
二度願い出て、二度とも、「追って」と言われた。
三度目を諦めて戻る途中、道端に、床几が一つ出ていた。
井伊直政が、腰かけていた。
赤い具足の供が、少し離れたところにいた。
「――羽柴殿」
「……井伊殿」
「貴殿、あれを止めに動いておるな」
俺は、答えなかった。
「やめておかれよ」
直政は、暗い城の方を見ていた。
「あれはな、もう決まっておる」
「軍議より前に決まっておった。……貴殿の申した策が、都合がよかっただけじゃ」
俺は、立ったまま、動けなかった。
(……使われた)
「攻めずに、話をなさいませ」と言ったのは、俺だ。
命を助けたくて、言った。
――その言葉に、蓋が乗った。
「……井伊殿は、お止めになりませぬのか」
直政は、しばらく黙っていた。
「――できぬ」
この人は、そう言った。
「わしは、徳川の名代じゃ。わしが口を出せば、二百五十万石が口を出したことになる」
「……殿が岩手沢から動かれぬのも、同じわけじゃ」
直政は、そこで初めて、俺を見た。
「岩手沢を発つ折、殿から言伝てを預かって参った」
「羽柴の若いのが止めに走るようなら、こう申せ、と」
「――変わらぬところに、立つな。立てば、そなたが削れるだけじゃ」
(……読まれてた)
四十里の向こうから、あの大納言に、である。
俺は、その夜、眠らなかった。
帳面を開いて、閉じて、また開いた。
(――何ができる)
和尚を止める? 使者の人選は、もう決まっている。俺が止めても、別の坊主が行くだけだ。
城へ報せる? 敵に通じたことになる。俺の家が消える。四百十六人と、春姫と、嶋子と、国朝の三千五百石が、消える。
三迫へ走る? 片道二日だ。戻る頃には、終わっている。
(……足場は組めるか)
(網は、張れるか)
*
俺は、朝までかかって、一つだけ思いついた。
――城が開いたら、女子供を、俺の陣で引き受ける。
降人の預かりは、大名の役目である。
誰かが引き受けねばならないなら、先に手を挙げておけばいい。
*
俺は、夜が明けるのを待って、奉行の幕へ行き、そう申し出た。
――「追って沙汰する」と言われた。
*
その日の暮れ方、使者が発った。
長興寺の薩天和尚である。
七十近い老僧だった。九戸の菩提寺の住職だという。
馬にも乗らず、供も連れず、袈裟一つで城へ向かおうとしていた。
俺は、気がつくと、声をかけていた。
「――和尚様」
老僧が、振り返った。
「豊臣方の、羽柴と申します」
「……はい」
言おうとして、何を言うつもりなのか、自分でも分からなくなった。
「その、……お足元が、暗うございます」
和尚は、皺だらけの顔で笑った。
「かたじけない。なに、殺し合いが済むのでござる」
「老いぼれの足くらい、どうにでもなり申す」
「政実殿の首のことは、拙僧から申す。……あの御方は、否とは申されまい」
そして、この人は、確かめるように言った。
「――残る者は、みな助かるのでござろう?」
(言え)
(言え、俺)
「――は」
俺は、そう答えた。
和尚は、嬉しそうに、何度も頷いた。
「そうか。……そうか」
「あなた様のような若いお方が、そう言うてくださるなら、間違いはござるまい」
老僧は、霧の中へ歩いていった。
俺は、その背中に向かって、頭を下げた。
下げたまま、しばらく、上げられなかった。
*
九月四日。
朝から、霧が出ていた。
城門が、開いた。
寄せ手の陣が、しんとした。
――出てきたのは、八人だった。
*
先頭が、九戸政実である。
髪を、剃っていた。
白い衣を着て、数珠を持っていた。
刀は、差していなかった。
後ろの七人も、同じ白を着て、頭を丸めていた。
軍議の夜、俺が帳面に書き写した七つの名である。
兵は、一人も連れていなかった。
五十を過ぎた男が、霧の中を、先に立って歩いてきた。
(……白装束だ)
半年前、俺は聚楽第で、同じ色を見ている。
金の十字架を背負って、大声で「柱は持参いたした」と叫んだ男の白である。
あれは、芝居だった。
俺は、そう思った。上手い芝居だ、と思って見ていた。
――これは、違う。
あの白は、生き延びるための白だった。
この白は、本当に斬られに行く白である。
この人は、誰にも見せるために剃っていない。
城の中の者を、生かすために、髪を落としている。
同じ白でも、こんなに違うのか、と俺は思った。
八人は、寄せ手の列の間を、ゆっくりと歩いた。
誰も、声を出さなかった。
政実が、俺の前を通った。
目が、合った。
――静かな目だった。
怒鳴られた方が、まだ楽だった。
政実の視線が、俺の手元へ落ちた。
――帳面である。
癖で、抱えたままだった。
男は、足を止めた。
「……若いの」
低い声だった。
「はっ」
「その帳面には」
「――今日のことを、何と書く」
俺は、答えられなかった。
口を開いた。
声が、出なかった。
四十年、どんな施主の前でも言葉に詰まったことのない男が、である。
政実は、それ以上、何も言わなかった。
ただ、一度だけ、深く頷いた。
――分かっている、という頷き方だった。
この人は、知っていたのだ。
首を八つ差し出しても、約定が守られるとは限らない。
知っていて、それでも、出てきた。
城の中の者を買える値が、ほかに残っていなかったからだ。
白い背中が八つ、遠ざかっていった。
俺は、その場に立っていた。
霧が、晴れてきた。
*
城の方を見た。
――城門は、開いたままだった。
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