ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城のトラウマ」
第二十八話 大和郡山
奥州から大和まで、十九日かかった。
雪の峠を三つ越えて、越後から信濃へ抜け、美濃で馬を替え、近江の湖の北岸を回った。
馬を潰した。三頭。
弥七が途中で「殿、お休みくだされ」と言ったが、俺は休まなかった。
(……前世で、間に合わなかったことがある)
親父が倒れたと連絡が来たのは、工期が二週間押していた現場の、朝礼の途中だった。
俺は、行かなかった。
その日の午後に生コンが入ることになっていて、止めれば全部が後ろにずれた。
夕方には、死んだと連絡が来た。
葬式には出た。焼香だけして、その足で現場に戻った。
(あの日、俺は、生コンを選んだんだ)
誰にも責められなかった。
――それが、一番こたえた。
*
正月の二十日、俺は大和郡山城の門前に立った。
門のところに、男が一人立っていた。
藤堂与右衛門高虎である。
寒風の中を、ずっと立っていたらしい。肩に霜が降りていた。
「――よう来た」
高虎は、それだけ言った。
目が、赤かった。
「殿は、待っておられる」
「……間に合いましたか」
「間に合うた」
高虎は、俺の肩を、大きな手で一度だけ叩いた。
歩きながら、この人が聞いた。
「……仙丸は。いや、高吉は、達者か」
「筆頭家老にございます」
俺は答えた。
「先だっては、空堀の縁を走って、某に叱られておりました」
高虎の足が、止まった。
この人は、廊下の真ん中で、袖で顔を覆った。
声は、出さなかった。
「……走っておるか」
「走っております」
「……そうか」
(――怒られてるって話で泣かれても、俺は困るんだが)
(いや。……分かるよ)
五年、この人は、あの子が行き場を失うことだけを恐れていた。
その子が、他人の城の空堀を、叱られながら走っている。
病間は、暖かかった。
炭が惜しみなく焚かれていた。薬湯の匂いがした。
その奥に、豊臣秀長がいた。
痩せていた。
頬が落ちて、手首が細くなっていた。
だが、目は――
(……現場の人の目だ)
人を見るとき、まず手元を見る目である。
「秀定にございます」
俺は、平伏した。
「――遅参、平にお詫び申し上げまする」
「奥州からであろう」
秀長の声は、思ったよりしっかりしていた。
「十九日か」
「――は」
「馬を、潰したな」
(……分かるのか)
「三頭にございます」
「はは」
秀長は、笑って、それから咳をした。
「近う」
俺は、膝で進んだ。
枕元に、紙の束があった。
(……なんだ、あれは)
見覚えのある紙だった。
――俺の書いた帳面の、写しである。
「わしは、動けぬ」
秀長は、その束に手を置いた。
「動けぬが、読むことはできる。……去年の春から、そなたの書いたものは、みな取り寄せて読んだ」
「早川の水の四箇条。石垣山の井戸曲輪。……喜連川の、三千五百石の割り方」
「そなた、あの三千五百石を、一つにまとめたな」
「――は」
「良い田だけを拾えば、もう二百石は出たであろう」
「出まする」
俺は答えた。
「なれど、村が散らばりまする。散らばれば、代官と使いと人足が要りまする」
「――二百石取って、三百石払うことになりまする」
秀長が、目を閉じた。
「……やはりな」
「わしは、それが読みたくて、そなたを取ったのじゃ」
俺は、顔を上げた。
「――大納言様」
「うん」
「なにゆえ、某を、御養子になさいましたか」
ずっと、聞けなかったことだった。
石垣山の大広間で、俺は「ははっ、ありがたき幸せ」と言った。
言っただけで、理由は、誰も教えてくれなかった。
「兄者はな」
秀長は、天井を見たまま言った。
「そなたを、面白いと思うたのじゃ。あの人は、面白い者が好きじゃ」
「……は」
「じゃが、わしは違う」
秀長は、そこで、少し笑った。
「――わしと、同じ匂いがしたゆえよ」
「わしはな、秀定。戦が下手じゃ」
「……そのようなことは」
「下手じゃ。ようも知らずに、庇うな」
秀長は言った。
「一度も、名のある首を取ったことがない。武功の話になれば、座を外したくなる」
「わしがやってきたのは、兵糧を回し、人の間を取り持ち、算盤を弾いて、――兄者の後ろを、片付けることだけよ」
俺は、動けなかった。
(……この人)
(俺だ)
「そなたも、そうであろう」
秀長は、顔だけをこちらへ向けた。
「首を一つも取らずに、城を落としてきおった」
「……は」
「わしは、嬉しかったぞ」
この人は、そう言った。
「わしのような者が、もう一人おった。……それだけで、わしは、嬉しかった」
俺は、畳を見ていた。
目の奥が、熱かった。
実家では、誰も俺に何が得意かを聞かなかった。
養家では、実子が生まれた日から、俺の席がなくなった。
石垣山では、家が変わり、名が変わり、嫁が決まった。
――誰も、俺に、嫌ではないかとは聞かなかった。
この人だけが、俺の帳面を読んでいた。
「秀定」
「はっ」
「本家は、秀保が継ぐ。大和百万石は、そなたには来ぬ」
「――承知しております」
「不服か」
「いえ」
俺は、即答した。
「正直に申し上げれば――安堵いたしました」
秀長が、声を立てて笑った。
笑って、また咳き込んだ。
「正直な男よ。……その通りじゃ」
「大和百万石を継げば、そなたは関白秀次と並ぶ。並べば、いずれどちらかが潰される」
「――だから、分家にした」
(……ああ)
(この人も、そこまで見て置いたのか)
秀長の手が、少し動いた。
俺は、その手を取った。
骨だった。
「……秀定。よう聞け」
声が、細くなっていた。
「兄者を止められたのは、わし一人じゃ」
「わしが死ねば、誰も止めぬ」
「……唐入りを、言い出すぞ」
俺は、息を呑んだ。
(――知っている)
(来年だ。名護屋に城が建つ)
「その時、そなたは」
秀長の指が、俺の手を握った。
「――止めるな」
「……は?」
「止めれば、そなたが死ぬ」
この人は、はっきりとそう言った。
「兄者は、いま止める者を斬る顔になっておる。……わしにも、もう聞かぬ」
「止めるな。逆らうな。……生き残れ」
「生き残って、――後始末をせよ」
(……ああ)
(そういう仕事か)
派手な現場を止めることはできない。
止めれば、切られるのはこちらだ。
できるのは、燃えた後に残って、拾って、直して、次に渡すことだけである。
――四十年、俺がやってきたのは、それだ。
「豊臣の家を」
秀長が言った。
「――戦によらぬ、泰平へ、導いてくれ」
「…………」
「……承知、仕りましてございます」
俺は、そう答えた。
できるかどうかは、分からなかった。
だが、四十年、俺は無理な工期を「承知いたしました」で受けてきた男である。
――この一件だけ、断るわけにはいかなかった。
辞去しようとしたとき、秀長が、小さく言った。
「秀定」
「はっ」
「一度でよい」
「――父と、呼んでみよ」
俺は、口を開いた。
――出なかった。
喉のところで、つかえた。
実の父がいる。木下家定という。
養父がいる。小出吉政という。
俺は、そのどちらのことも、一度も父と呼んだことがなかった。
呼び方を、知らなかった。
秀長は、待っていた。
しばらく待って、それから、ふっと笑った。
「……よい」
「無理をさせた。すまぬ」
俺は、額を畳につけた。
顔を、見せられなかった。
豊臣秀長は、正月二十二日に死んだ。
享年、五十二。
息が止まったとき、部屋にいたのは、医者と、坊主と、藤堂高虎と、俺だった。
高虎が、声を出さずに泣いた。
この人の泣き方は、二度目に見た。
廊下に出た。
雪が、庭に薄く積もっていた。
俺は、誰もいない廊下で、足を止めた。
そして、小さく言った。
「……父上」
声は、誰にも届かなかった。
(……一日、遅い)
俺は、袖で顔を拭って、歩き出した。
渡り廊下で、少年とすれ違った。
十三か、十四。
豊臣秀保。関白秀次の弟で、大納言様の跡を継ぐ、この城の次の主である。
俺は、脇へ寄って平伏した。
少年が、足を止めた。
「……そなたが、羽柴秀定か」
「はっ」
「叔父上は」
「――ただいま、身罷られましてございます」
秀保は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「……某は、百万石を継ぐのだそうじゃ」
声が、震えていた。
「――どうすれば、よい」
(……ああ)
(また、これだ)
十一の筆頭家老。十五で厠を掘らされた若殿。十三で嫁に来た娘。
この国は、子供に大人の席を渡して、平気な顔をしている。
俺は、平伏したまま答えた。
「――まず、飯を召し上がりませ」
「……飯?」
「はい。今日は、まだ何も召し上がっておられますまい」
秀保が、目を見開いた。
「決め事は、それからで間に合いまする。……腹の空いた者が決めたことは、たいてい間違いにございますゆえ」
少年は、しばらく俺を見て、それから、こくりと頷いた。
「……うむ」
「お困りのことがございましたら、いつなりと、某にお申し付けくださいませ」
(――言ってしまった)
俺の知っている歴史では、この家は、そう長くない。
この子も、若くして死ぬ。
(知っていて、言ったんだ)
(……言わずに通り過ぎるのは、俺には無理だ)
この人が死んで、何が起きるかを、俺は知っている。
――来月、千利休が死ぬ。
――来年、名護屋に城が建ち、海を渡る船が出る。
――四年後、関白秀次と、その妻子が河原で斬られる。
重しが、一つ外れたのだ。
(……止めるな、か)
(分かってる)
(止めない。……止めないが)
止めないことと、諦めることは、違う。
止められない現場でも、足場だけは組める。
落ちる場所に、網は張れる。
城門を出たところで、使者が待っていた。
京からだった。
――伊達左京大夫の儀につき、詮議これあり。
――羽柴秀定、至急、上洛すべし。
俺は、その紙を懐に入れた。
(……喪も明けんうちに、か)
だが、悪くはなかった。
――ちょうど、帳面を一つ、抱えて来ている。
俺は、馬に乗った。
京へ向かった。
ページ上へ戻る