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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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無印編
  第二十二話 裏 後 (なのは、クロノ、プレシア、リンディ)

 
前書き
注意:なのはVSプレシアは十二分な覚悟をもって読んで下さい。 

 





 アースラの管制塔の頂上にある艦長室に用意された特別室に座りながら高町なのはは翔太の名前を呼んでいた。

 ―――ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん、ショウくん。

 それがまるで聖句のように、彼の名前を呼べば、彼の無事が保障されるように。

 翔太の事が心配でならないなのはは、忙しそうに動き回りながらプレシアの動きを探っている局員を見ながら、早く、早く、と急かしていた。しかしながら、なのはが心の中で急かしたところで情報が舞い込んでくるはずもなく、無情にも刻々と時間は過ぎていく。

 結局、なのはが望む情報が登場したのは、翔太が誘拐されてからかなり時間が経った後だった。

『こんばんはぁ、アポイントメントもなしにごめんなさいね』

 モニターに映されたのは、なのはも知っている顔だ。親の仇ともいえるほど憎い相手。プレシア・テスタロッサだった。なのはは、顔には出さずとも、睨みつけるような視線でプレシアを見ていた。声が出せなかったのは、翔太を攫った本人を前にして燻っていた怒りに火がつき、その感情で心を支配されたからだ。

 糾弾するとか、叫ぶとか、訴えるとか、そんなことを思いつくこともなかった。ただただ、目の前の相手に対する怒りで胸が一杯だったのだ。

 だが、睨みつけたところで何も変わらない。怒りの炎は、一瞬燃え上がったが、そのままさらに燃え上がることはなく、少しだけ沈下して、ようやく物事考えられるようになって初めて、なのははプレシアに抗議の声を上げる事ができた。

「ショウくんを返せっ!!」

 それはなのはにとっては必死の叫びだった。

 なのはにとって翔太とは、幼い頃からずっと渇望していた唯一の友人なのだ。彼が手の届く場所にいない。それだけで、なのはは、不安でしかたなかった。不安だから求める。翔太を手の届かない場所へと連れて行ったプレシアに対して怒りを抱いているのだ。

 だが、そんななのはの必死の叫びもプレシアには届かない。むしろ、なのはが怒りの裏側に必死に不安を隠しているのを見抜いているようにニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべていた。しかし、それも一瞬のことで、アースラの艦長であるリンディに話しかけられてからは少しだけ不快そうな表情をするのみに留まっていた。

 なのはが蚊帳の外に置かれ、プレシアとリンディが会話を続けている。なのはが間に割って入らないのは、自分が割って入ったところで、翔太が返ってくる可能性が高くなるわけではないと理解しているからだ。

 やがて、その交渉が上手くいったのだろう。なのはにとって、待ち望んでいた瞬間が訪れた。翔太がモニターの向こう側に現れたのだ。バインドで縛られているとはいえ、五体満足な翔太の姿が見られてなのはの心は、歓喜に躍る。

「ショウくんっ!!」

 だが、その歓喜は、すぐに絶望へと変わる。

 翔太がバインドによって吊るされたかと思うと、不意にプレシアの使い魔が、翔太を殴り始めたのだ。初めは顔面、次に腹、わき腹、腕、鳩尾、また顔面。それらを見て、なのはは驚きのあまり声を出す事ができなかった。

 ―――え?

 なのはは状況が理解できていなかった。翔太の無事な姿を見る事ができたと思った矢先、目の前で翔太が、無抵抗に殴られているのだ。しかも、一発ではない。何度も、何度も、何度も。まるでリンチのように容赦なく翔太は殴られ続けていた。

 ―――やめて……、やめてよぉ……。

 翔太が殴られ、モニター越しに、翔太の痛みに耐える声や肺の空気を無理矢理吐き出されるような声は確実になのはの心にダメージを与えていた。だから、茫然自失に近いなのはは、心の中で弱々しく、やめてと訴えることしかできない。

 翔太が殴られる場面など見たくはなかった。一刻も早くあの場所から翔太を助けたかった。翔太を助けるためならなんでもするのに、となのはは思った。そんななのはに悪魔の囁きのようにプレシアの声が聞こえる。

『さあ、彼を助けたかったらジュエルシードを渡しなさい』

 その誘いになのはが乗らないわけがなかった。彼女の頭の中にはあの状況から翔太を救い出すことしか考えていないのだから。

「本当に? ジュエルシードを渡せば、ショウくんを助けてくれるの?」

『ええ、勿論』

 その場の全員の視線が集まっていたことなど、なのはは意に介さない。彼女にとっての最優先事項は翔太であり、彼らのことではないから。だから、必死に翔太と集めたジュエルシードなどどうでもよかった。翔太と天秤に乗せるまでもない。むしろ、あんな石ころごときで翔太が帰ってくるなら安いものだと思っていた。

 ジュエルシードはどこにもって行っただろうか? ああ、そういえば、とアースラの一画に安置されていたことを思い出したなのはは、プレシアにジュエルシードを渡すために動くことにした。だが、それを良しとしない者もいる。艦長席の隣に設置された席から立ち上がったなのはの手を掴んだのは、いつの間にか管制塔に来ていた執務官のクロノだった。

「どこに行くつもりだい?」

 疑問系で問いながらもクロノはなのはの行き先が分かっているのだろう。固い顔をして、瞳には、なのはを行かせないという強い意志が宿っていた。それは、執務官としての彼のプライドなのだろう。だが、そんなものはなのはにとって何も関係がなかった。

「……邪魔をするの?」

 なのはの問い。その答えの如何によっては、クロノは彼女の敵だった。そう、敵だ。翔太を取り返す邪魔をする者は全員敵。それが高町なのはの見解。もしも、邪魔をするというのであれば、彼女が持てる力で排除するつもりだった。前回の時と同様の二の鉄を踏まないように。その証拠にクロノに掴まれた腕と反対側の手は首からぶら下がっているレイジングハートへと伸びていた。

「それは……」

 なのはの問いにクロノは言い淀んでいた。彼の中には彼なりの葛藤があるのだろう。だが、そんなことはなのはの考慮の中に入っておらず、早くして欲しい、となのはは思っていた。早く翔太を取り戻さなければならないのだから。

 無言のにらみ合い。なのはにとってクロノの優先順位などないに等しい。だから、もうこれ以上は待っていられない。さっさと振り切ってジュエルシードをプレシアに渡してしまおう、と結論付け、レイジングハートにセットアップを命じようとした時、クロノに助け舟に入るようにリンディがなのはとクロノの間に割って入った。

「はいはい、ごめんなさいね。なのはさん、翔太くんを返して貰うためにジュエルシードを渡すことにしました」

「艦長っ!?」

 リンディの突然の宣言。それを聞いたクロノは、驚いたような咎めるような声をあげるが、リンディは、クロノの声を飄々と受け流し、視線をなのはから外すことはなかった。なのはは、リンディからの言葉を聞いて一安心していた。プレシアとリンディの間にどんなやり取りがあったか分からないが、なのはにとってはどうでもよかった。

「でも、そのまえに少しお願いがあるのだけど」

 いいかしら? と問うリンディになのはは、一も二もなく頷いた。翔太が返ってくるのであれば、何でもするつもりだからだ。

 じゃあ、とリンディが案内したのは、ジュエルシードが安置されている一画。そこからリンディが少しだけ機械を操作して取り出したのは、レイジングハートに内蔵されている一個を除いた二十個のジュエルシードが安置されているケースだった。そのケースを開き、二十個のジュエルシードをなのはに見せながら、リンディは頼む。

「なのはさん、これをジュエルシードの力を使って封印してくれないかしら?」

 目の前のジュエルシードはなのはのSランクの魔力によって封印されている。それをさらにジュエルシードを使った状態のなのはで封印しろ、ということなのだろうか。SSSランクの魔力で封印されたジュエルシードはもはや、堅牢な鎧に包まれた状態と変わらないのだが、いいのだろうか? と少し疑問に思ったのだが、翔太が返ってくることで頭が一杯だったなのはは、特に問うこともなく二十個のジュエルシードに封印を施した。

「ありがとう、これで時間稼ぎには十分ね」

 その呟きが何を意味するかなのはは知らない。知るつもりもなかった。なのはが考えていることは、唯一つ。はやく翔太が返ってこないかな、ということだけである。

 なのはの願いが叶ったのは、ジュエルシードに封印を施してすぐだった。転送ポートに移動したリンディと一緒についていくと、すぐに転送ポートが黄色い光に包まれて、猫耳を持った使い魔とバインドで縛られた翔太が現れた。翔太が視界に移った瞬間、なのはの意識の中には翔太のことしか頭になかった。本来であれば、今すぐ消したくなるほどの怒りを抱いているはずの使い魔の事でさえ、目に入らないほどに。

 近寄った翔太の姿はなのはの目から見ても痛々しいほどだった。顔は全体的に腫れており、口からは血を流している。腕などは、ずっと縛られていた影響か、うっ血しており、さらには殴られた影響で痣になってる箇所さえある。おそらく、服を捲ればもっと酷い惨状がなのはの目に入るだろう。だが、翔太の惨状は、服を捲るまでもなくなのはが涙を流すには十二分だったらしく、翔太の痛々しい姿を視界に納めた瞬間からなのはの両目からはぽろぽろと涙が流れていた。

「ショウくんっ! 大丈夫っ!?」

 大丈夫でないことは、見たらすぐに分かるものだが、そう問わずにはいられない。だが、そのなのはの優しさが心地よかったのか、翔太は腫れている顔を無理矢理笑みを浮かべるようにして笑いながら―――顔を動かしたとき痛かったのだろう、笑みは若干引きつっていた―――「あははは……、ちょっと身体中が痛いかな」と冗談交じりのような言葉を口にする。

 それがなのはを心配させないための強がりであることは目に見えて明らかだ。そんな翔太の気遣いとも思える部分がすごいな、と思いながらも、今はそれどころではなく、翔太の怪我の手当ての方が先と気づいた。

「えっと、えっと……そ、そうだっ! 病院っ! 病院に行かないとっ!!」

「いや、それよりも、僕のほうが早いよ」

 翔太となのはの間に入ってきたのは、ユーノだ。最初、なのはは何するんだっ!! と憤っていたが、ユーノがかざした手の平から翔太に当てられる淡いエメラルドグリーの光を見て、憤りを収めた。怪我=病院という等式はなのはの中では常識だ。だから、なのはが関わっている力は魔法という存在を忘れていた。

 エメラルドグリーンの光を当てられた翔太の傷がゆっくりと治っていき、翔太の表情も安らかなものへと変わっていくのが分かる。だが、それでもなのはは心配だった。彼女は、翔太が殴られている場面を目撃しているのだ。あれだけ何度も殴られているのに本当に大丈夫だろうか? と心配してしまうのは仕方のないことだろう。

 はらはら、と心配を拭うことはできず、翔太の傍にいるなのは。だが、そんな彼女を気遣ったのか、ユーノの回復魔法を受けていた翔太がまだ傷が治ったばかりで弱々しく笑いながらもなのはに言う。

「なのはちゃん、僕はもう大丈夫だよ」

「本当?」

 翔太は、優しいから、なのはを心配させないために言っているんじゃないか? という疑惑が湧き上がってくるが、なのはの確認に強く頷いてくれたことから、なのはは翔太を信じ、ようやく心配を拭う事ができ、少しばかりの笑みを浮かべる事ができた。なのはの笑みを見て、翔太も先ほどよりも笑みを強くしてくれた事がなのはにとって何よりも救いだった。

 それから、本当はずっとついていようか、とも思ったが、そうすることはなく、医務の局員が運ぶストレッチャーの上で眠ってしまった翔太を通路の途中で見送って、医務局とは反対側へと踵を返した。なのはにはやらなければならない事ができたからだ。

 今、なのはの内心は、怒りという名の炎が轟々と盛大に燃え盛っていた。それは、翔太という心配事と不安がなくなって、翔太が誘拐される場面を見てからずっと燻っていた怒りに火がついただけのことだった。その怒りは当然、翔太を誘拐したプレシア、あんな惨状になるまで殴った使い魔に向いている。そして、もう一人、その怒りは自分自身にも向いていた。

 前人未到のSSSランクという魔力を手に入れておきながら、翔太が誘拐されるのを防ぐことができなかった。助ける事ができなかった。殴られているのを見ていることしかできなかった。不甲斐ない。不甲斐ない。不甲斐ない。あれだけの力を望んだのはなぜだ? 翔太と一緒にいるためだ。それを役立てる事ができなかった不甲斐ない自分にもなのはの怒りは向いていた。

 それを濯がなければならない。なにより、翔太に言ったのだ。

 ―――私がちゃんとやっておくから、と。

 痛みを与えなければならない。翔太はたくさんの痛みを与えられたのだから。

 粛清しなければならない。彼女たちは、なのはにとって一番大切なものを傷つけたのだから。

 壊さなければならない。もう二度と翔太を傷つけないように。傷つけようとは思わないように。

 そのためには、あの場所に行かなければならない。モニターの向こう側に映る戦場へと。そこへ行くことには普通なら、恐怖を伴うものだが、今のなのはは怒りが心の大部分を占めており、恐怖を感じる隙間などない。だから、なのはは、リンディに宣言するように言う。

「私も、あそこに行きます」

 少し驚いたような表情をして、それから考え込むような表情をするリンディ。もっとも、なのはからしてみれば、彼女がどんな答えを出そうが、あの場所に行くことは決定事項だ。リンディに許可を得ようと思ったのは、翔太と「ちゃんとやる」と約束したからだ。この場所の一番偉い人はリンディで、だから、彼女から許可を貰えば、ちゃんとやっていることになるだろう、とそう考えたのだ。

 やがて、リンディが何かを決意したような表情をして、口を開く。

「……お願いできるかしら」

 とりあえず、リンディが出した答えに満足しながら、はい、と答えてなのはは背後にある転送ポートへ行くために踵を返した。

 自然と口の端が釣りあがるのを自覚していた。これからのことを考えれば、これから、翔太の敵を討ちにいくと考えれば、笑みがとめられないもの無理もない話だ。

「行くよ、レイジングハート」

 ―――All right! My master!!

 この力は、この時のために――――なのは、出陣す。



  ◇  ◇  ◇



 武装隊の隊長は、現場で戦況を見ながら、この状況の悪さに悪態つかざるを得なかった。

 今回の強襲で使える部隊は、五人一組の小隊が二十五部隊。総勢百二十五人。部隊規模で言うなら中隊規模はあり、中規模の犯罪組織を制圧するには十分な戦力であるはずだった。だが、その戦力が今やたった一人の犯罪者に押されている。

 理由は、わらわらと蟻のように湧いてくる傀儡兵だ。しかも、たちの悪いことに一つ一つがAランクの魔導師並みの力を持っている。武装隊の平均魔導師ランクはBランクだ。一番ランクの高い隊長の自分でもランクA+であり、傀儡兵一体に対して、武装局員が三人でようやく立ち向かえる程度である。

「隊長っ! 三番隊に負傷者三名っ! 戦線が維持できませんっ!」

「予備の十八番隊と交代。負傷者の回収と後方での治療急げ。さっき後方に下げた六番隊は?」

「今は回復して予備戦力で後方支援中です」

 負傷者が増える中、こうして戦線が維持できているのは、突入の際に手伝いで来ているユーノという子どものおかげだった。彼の結界魔法と回復魔法を併用した魔法により、負傷者がでてもすぐに回復できるため、なんとか戦線が維持できているようなものだ。

 しかし、その回転も限界を迎えるのが目に見えている。限界を迎えるのが先か、なんとかかろうじて送り出したクロノが戻ってくるのが先か。それだけが問題だった。

 次々と舞い込んでくる負傷者の報告。予備の戦力を確保しながらなんとか穴埋めを続けるが、それも限界に徐々に近づいている。破綻の兆しが段々と見えてくる。そうなれば、部隊の士気も段々と下がってきてしまう。士気が下がった部隊がまともに戦闘行為ができるわけがない。

 ―――参ったな。こりゃ、どうするか?

 気合を入れるのは簡単だ。だが、気合と根性だけで切り抜けられるほど現場は甘いものではない。確かな裏づけが欲しいものだ。何か起死回生の策はあるだろうか? と頭を捻らせていた部隊長の下に一本の朗報が入った。それは、管制塔オペレータのエイミィからの通信だった。

『部隊長っ! そっちに助っ人がそっちに向かったよっ!!』

 その言葉に首をかしげる部隊長。アースラに最初から全戦力を投入することは決まっていたことだ。故にアースラに残っている戦力はないはずだ。だが、エイミィが嘘を言っているようには見えない。どういうことだ? とは思うが、答えはすぐに現れた。

 それは、武装隊が突入のときに蹴破った扉から悠々と現れた。まるで影のように黒い衣服―――否、バリアジャケットに身を包まれ、栗色の髪をツインテールにした一人の女性の姿。その左手には、その黒と赤い文様からは想像もつかない桃色のデバイスが握られている。

 彼女の姿を捉えたとき、部隊長の心臓がドクンと大きく震えた。

 彼女を視界にいれる。ただそれだけで、部隊長の体が彼女から淡く発せられる魔力の圧力に恐怖を覚えていた。

 突然の乱入者に最初に反応したのは傀儡兵たちだ。武装隊の面々に襲い掛かる前に後方で待機していた傀儡兵たちが一斉に襲い掛かる。一気に五体。武装隊の戦力で言うなら十五人分の戦力だ。それは百二十五人の部隊を率いる部隊長をもってしても、負けてしまうほどの戦力だ。だが、それを黒い乱入者は一瞬で蹴散らした。

 何が起きたか部隊長には分からなかった。傀儡兵が襲い掛かったと思った次の瞬間には、襲い掛かった五体の傀儡兵は、ほぼ同時に粉々に砕け散っていたのだから。

 どうなってやがる? と度肝を抜かれている部隊長を余所に黒い乱入者は、広間を見渡すと一言何かを呟いていた。口の動きから読み取れた言葉は二文字だった。

 ―――邪魔。

 その言葉の意味を理解したとき、部隊長の口からは全前線部隊にむかって、下がれっ! という命令を出していた。

 直後、乱入者の周囲に無数のアクセルシューターが展開され、広間を縦横無尽に桃色のアクセルシュータが走り回る。それらは、傀儡兵を貫き、穿ち、粉々に粉砕する。

「隊長っ! これは……」

 状況についていけない部下が尋ねてくるが、それは自分が知りたい事実だった。だが、一つだけ確かな事があった。

「助っ人だそうだ」

 そして、その助っ人とこの圧倒的という言葉すら生ぬるい状況を起こせる助っ人にたった一人だけ心当たりがあった。武装隊の間でまことしやかに囁かれていたロストロギアを取り込み、SSSランクの魔力を持つ少女のことだ。噂によるとクロノ執務官すら圧倒したというが、尾びれ背びれがついたものだろう、と思っていたのだが、この状況を見るにどうやら噂は真実だったようだ。

 ヒュンヒュンと空を切るように広間を駆け巡るアクセルシュータ。傀儡兵も乱入者が最大の敵だと見定めたのか、彼女に向かって、襲い掛かるがことごとくが彼女の半径十メートル以内にたどり着くことなく、ただの粉々になった物体と化していた。その様子をただ見ているしかない武装隊の面々。いや、正確にはそれしかできないというところだろうか。無用意に動けば、空間を蹂躙しているアクセルシュータにぶつかってしまうかもしれない。傀儡兵を一撃で粉々にするようなアクセルシュータだ。誰もそれを喰らいたくはなかった。

 彼女の登場から五分。武装隊の二倍はあったはずの傀儡兵は、次々と桃色のアクセルシュータに蹂躙され、ついに広間からすべての傀儡兵が駆逐された。それを確認した乱入者の彼女は、空間内に存在していたすべてのアクセルシュータを消す。そして、粉々になった傀儡兵が転がる広間を悠々とゆっくりと歩き始めた。向かう先は一直線にクロノが消えた通路の先だ。

 彼女の前には武装隊の面々もいたが、彼女を恐れるように素直に道を空ける。その様子はまるで、彼女のために用意された花道のようだった。

 だが、それを阻むような地響きが広間を襲う。広間の壁を壊しながら現れたのは、襲ってきた傀儡兵よりも二周りほど大きな傀儡兵だった。背中には大きな発射台を背負っている。それを黒い彼女は一瞥しただけだった。まるで意に介さないといわんばかりに。

 相手にされない事が腹立たしかったのか―――傀儡兵に意思があるかどうか不明だが―――まるで、ムキになったように背中の発射台を彼女に向ける。だが、それでも彼女は意に介さずすたすたと歩き続ける。段々と魔力を集束しはじめる発射台。その魔力はAAAランクに相当することを部隊長である彼は肌で感じていた。

 それでも対策をとろうとしない彼女。武装隊の誰かが「危ないぞっ!」と叫ぶが、助けにははいらない。入れない。無闇に助けに入れば、むしろ邪魔になることが分かっているからだ。

 そして、とうとう、発射台からAAAランクの魔力が集束された砲撃魔法が発射された。その魔力の奔流はまっすぐ彼女へと向けられる。だが、それに対して彼女はようやく反応を見せたと思ったが、それでも右手を軽く上げるだけだ。そして、一言だけ呟く。

「プロテクション」

 彼女の手に平に沿うように、彼女を護るように円形の盾が形成される。誰がどうみても初歩的な防御魔法であるプロテクションであった。普通に考えれば、初歩的な防御魔法であるプロテクションで、あの砲撃魔法が防げるとは到底思えない。思えないのだが、規格外の魔力を漂わせている彼女なら、あるいは、と誰もが考えているからか、その様子を固唾を呑んで見守る以外に武装隊の面々が取る行動はなかった。

 そして、ついに砲撃魔法と防御魔法が激突する。平均的な武装隊が張った防御魔法であれば、あっという間に吹き飛ばされるだろうが、彼女はその常識をいとも容易く破り、彼女の足元が広間の地面に数センチ沈み込むような衝撃を受けながらも、微動だもせずにその砲撃魔法を受けきってしまった。

 砲撃魔法を受けきった彼女は、すぅ、と視線を大きな傀儡兵へと向ける。その視線を受けて、その傀儡兵が後ずさったような気がした。意思がないはずの傀儡兵が彼女に怯えるように。それを気づきもせずに彼女は、すぅと左手に持っていたデバイスを向けると静かにトリガーワードを口にする。

「ディバインバスター」

 まるで魔力が爆発したような音共に放たれる先ほどの集束魔法と比べても遜色がないほどの砲撃魔法。怯えたように後ずさった傀儡兵だったが、正気に返ったようにシールドをはるが、それは無意味に終わった。まるで、そこにシールドなんて存在しなかった、と言わんばかりに水で濡れた和紙のようにシールドを軽く粉砕すると彼女のディバインバスターはあっさりと傀儡兵を貫き、粉砕してしまった。

 その結果を見届けると彼女は、何事もなかったようにまた歩き始める。

 ただ、それを見送ることしかできない武装隊の面々。通常であれば、救世主とも言うべき援軍に対して湧き立つところだろうが、彼女が見せた力が異様だった。自分たち百二十五名の武装隊が一致団結して、それでもなお劣勢を強いられていた相手に対して、まるで埃でも払うように一掃されてしまえば、彼らの立つ瀬がない。状況についていけず呆然としているというのが正直なところだった。

 そんな彼らを尻目に彼女は、まるで何事もなかったかのように平然とすたすたと歩みを続ける。武装隊の面々ができたのは、クロノがプレシアの元へ向かった通路に消えた彼女を呆然と見守ることだけだった。

「おいっ! 何をやっているっ! 広間を確保しろっ!」

 傀儡兵がいなくなったこの瞬間こそが絶好の機会なのだ。いくらほうけているからと言っても、その隙を見逃す理由は何所にもなく、全武装局員に部隊長は一喝する。その一喝が利いたのか、彼らは雷にでも打たれたようにビクンと身体を震わせると、正気に戻ったようにきびきびといつものように動き出した。今の一瞬の光景はなかったことにするようだった。

 部隊長の彼は、彼女が消えた通路の先を見ながら思う。

 ―――SSSランクの魔導師。まさか、本当に実在していたとは。

 花道を通って黒い少女が奥へと消えた通路を一瞥して、感慨深く思う部隊長だった。



  ◇  ◇  ◇



 高町なのはは、時の庭園の通路をゆっくりと一歩、一歩踏みしめるように進んでいた。本当なら、すぐにでも飛んで行きたい気持ちがある。しかしながら、そうしてしまえば、プレシアやその使い魔を見た瞬間に砲撃で攻撃してしまいそうだった。だが、それではダメなのだ。彼女たちには、翔太を傷つけたことを後悔してもらわなければならない。一瞬で片付けることなどあってはならないことなのだ。

 だから、高ぶる自分の気持ちを押さえるように一歩、一歩踏みしめながら時の庭園の中を進んでいた。

 時折、思い出した頃に襲ってくる傀儡兵を鎧袖一触で倒しながら、時の庭園の通路を強大な魔力が反応する方向へと向けてまっすぐと歩き続ける。そして、ついになのはが望んでいた最初の邂逅が訪れた。

 壊れた扉を通った向こう側。そこに彼女は、お客様を迎えるメイドのように立っていた。なのはが忘れもしない。翔太を殴っていた使い魔―――リニス。それがなのはの目の前に立っていた。もはや、恋する少女のようになのはの視界には猫耳の使い魔しか目に入らない。床にアルフが転がっていたが、彼女を気にするような余裕もなのはにはなかった。

「もしも、アルフを「五月蝿い」

 リニスの言葉を遮る。彼女の言葉を聞いているような猶予を与えるつもりはなかった。今にも爆発しそうなこの怒りの感情の憤りをぶつけたくて仕方ないのだから。だから、なのはは、宣言するようにリニスに告げる。

「あなたは、ショウくんを傷つけた。私の大切な友達を傷つけた。だから―――」

 レイジングハートによって魔法を展開する。有り余るほどの魔力は、術師によるトリガーワードさえ必要とせずに発動した。

 ―――フラッシュ・ムーブ

 なのはの足元に推進力となる魔力を送って、その場所を基点として一気にトップスピードまで加速する。その速度は、一瞬で視界から消えるほどに速い。そのため、目の前のリニスは、なのはを見失ったような表情をしている。しかし、相手も優秀なようですぐになのはが高速移動魔法を使ったことに気づいたようだが、遅い。彼女が気づいたときには、なのはは使い魔の懐に入り込んでいた。

「壊す」

 即座に身体強化魔法を展開し、兄によって教えられていた人を殴る際の拳の握り方を実践する。ぎゅぅと握られた拳は、驚くべき力を秘めていることを物語っていた。強く、強く握られた拳をなのはは、躊躇することなく、リニスの腹部へと叩き込んだ。

 ぐふっ、という肺から空気を吐き出すような音共に吹き飛ばされるリニス。当然のことからこの程度で終わらせるつもりはなかった。むしろ、これは序章。始まりの鐘を叩いただけに過ぎない。

 吹き飛ぶ彼女へ向けてすぐさまなのははバインドを展開。モニターの向こう側の翔太がされていたように猫耳の使い魔を雁字搦めにする。まるで蜘蛛の巣に捕らわれてしまった獲物のようにもがくリニス。しかし、なのはのSSSランクとしての魔力を使ったバインドが解けるはずもなく、それは無駄な抵抗に終わっていた。

 これから、宣言どおりに猫耳の使い魔を壊すために近づきながらなのはは愛機に問う。

「ショウくんが殴られたのは何回だったかな?」

 ―――Forty three.

「ふ~ん、そうか」

 ならば、最低でもそれだけは必要だろう。彼女には、翔太が感じた痛みを感じる必要がある。もう二度と翔太を傷つけようとは思わないようにする必要がある。翔太を傷つけたことを後悔させる必要がある。

 だから、なのははそのために猫耳の使い魔に近づいて、告げる。痛みを感じさせるために。後悔させるために。二度と傷つけようとは思わないように。

「43。ショウくんが、あなたに殴られた回数だよ。だから―――それまで、壊れないでね」

 これから、翔太の敵が討てると思うと思わず口の端が持ち上がる。にぃ、と嗤うのをやめられない。リニスが何か言いたそうだったが、それを聞くつもりなどなく、無視して彼女は、リニスを壊すための作業に取り掛かった。

 身体強化され、兄によって教えられた殴り方を忠実に守ったなのはの拳は一発、一発がコンクリートさえ粉砕するほどの威力を持っていた。それを一切手加減することなく、躊躇することなくリニスに叩き込む。顔面、腹部、わき腹、腕、鳩尾。上半身のいたるところに叩きつける。リニスを殴ってくるたびに返ってくる肉を殴る感触。その感触を拳のグローブ越しに感じながら、笑みがこぼれるのをとめられなかった。

「あはっ!」

 ショウくんの代わりにこいつを粛清している。ショウくんのためにリニスを殴っている。ショウくんの敵を殴っている。ショウくんの役に立っている。ショウくんの、ショウくんの、ショウくんの、ショウくんの――――

「あはははははははっ!!」

 翔太のために力を振るっている。その事実がなのはのテンションを上げる。調子に乗って、さらに殴る速度を上げながら、狂ったようにリニスを殴り続けるなのは。だが、その動きが不意にとまった。最初は殴られても反応があったリニスの反応が一切なくなったからだ。殴るのをやめてなのはが、リニスを覗き込むと彼女は、激痛のためか意識を失っていた。

 面白くなさそうにリニスの頬を軽く二、三度叩くなのは。しかし、ダメージが大きいのかリニスが目を覚ます気配はまったくなかった。どういうことなかな? と小首をかしげるなのは。そこに助け舟に入るようにレイジングハートの言葉が入る。

 ―――Her damage is very big.

「ふ~ん、そうなんだ」

 ならば、次の部屋に行こうとは考えないなのは。そもそも、まだまだ、なのはは彼女から翔太への謝罪の言葉も聞いていないし、翔太以上の痛みを与えたとも思っていない。まだまだ、消化不良なのだ。だから、なのはは考えた。

 ―――なら、ダメージを減らせばいいよね。

 なのはは、レイジングハートを通して新しい魔法を展開。その魔法は、翔太の傷を治していたユーノが使っていた魔法。いわゆる回復魔法といわれるものだ。それをなのはは誰からも習うことなく、見よう見まねで、レイジングハートに内包されたジュエルシードの助けを借りながら実現していた。

「―――起きてよ」

 回復魔法をかけた後、なのはは、再びリニスの頬を叩く。今度は少し強めに。パチンと音を立てる程度に強くだ。回復魔法をかけたのが功を奏したのか、今度はリニスは目を覚ました。手間をかけさせないでよ、と思いながらなのはは言う。

「壊れないでって言ったよね」

 そう、リニスは翔太に与えた痛み以上の痛みを感じなければならない。後悔しなければならない。翔太を二度と傷つけようと思わないようにしなければならない。それまで壊れることは許されない。許さない。それだけ告げて、改めて再び壊す作業に入ろうとしたなのはは考えた。

 何度、リニスに痛みを与えたのか忘れていたからだ。

「……どこまで数えたかな? ねえ、レイジングハート覚えてる?」

 後半は愛機に問いかけるように小声で。レイジングハートから返ってきた答えは実になのは好みだった。

 ―――Sorry.I forgot.

「まあ、いっか。最初からで」

 嗤う。嗤う。嗤う。まだ、彼女に痛みを与えられることに喜びを。リニスの表情が明らかに恐怖を抱いているように歪んだことを喜んで、なのはは笑いながら、またリニスを殴り始めた。

 何度、殴って、回復させてを繰り返しただろうか。いつしか、回復させるも元々なのはが会得していたわけではない魔法だ。回復量よりも蓄積したダメージが上回ってしまい、回復魔法をかけてもボロボロになったままのリニスが残されるようになってしまった。

 ピクリとも動かないリニスを見て、なのははバインドを解く。バインドが解かれたリニスは、糸の切れた操り人形のようにドサッと床に倒れこんでしまった。そのリニスのショートヘアとも言うべき髪を屈んで掴んだなのはは、そのまま持ち上げて、なのはの目の前へと持ってきた。

 掴まれた髪が痛いのか、あ、あうぅ……といううめき声のような音を口から出し、もはや意識が朦朧としているのか、虚ろな目で、しかし、どこか恐怖を含んだ瞳でリニスはなのはを見ていた。本当なら彼女が壊れるまで続けたいところだが、もう十分に痛みは与えただろうし、次もまだ残っている。だから、ここら辺が潮時だろうとなのはは思っていた。

「ねえ、ショウくんに何か伝えることある?」

 少し考える素振りをし、それからゆっくりとか細い声を出しながら口が動いた。

「ご……べん……なさい」

 確かに言った。ならば、もういいや、となのはは思った。それ以外の単語を口にしていたら、後二、三回は繰り返そうと思っていたが。

 リニスの口から謝罪の言葉を聞いたなのはは、掴んでいた髪を放し、重力に引かれてリニスの頭が床に落ちるのも気にせず、立ち上がり、リニスが塞いでいたと思われる通路へと目を向けた。その向こう側から感じられるのは、強大な魔力。おそらく、もう一人の、黒幕とも呼べるプレシアが向こうにいるのだろう。

 そう見当をつけるとなのははまた、ゆっくりと歩みを進めた。

 プレシア・テスタロッサに、痛みと後悔と粛清を与えるために。



  ◇  ◇  ◇



 クロノ・ハラオウンは目の前で展開されている魔法戦を見て、なんだ? これは、と今までの常識が壊れそうになっていた。

 なのはがこの部屋に踏み込み、プレシアが最初に手を出したことから始まった魔法戦は、過激の一途を辿っていた。

 次々と打ち出される射撃魔法と砲撃魔法。それらの威力はSSランクを軽く超えている。クロノが喰らえば、バリアジャケットを展開しているとはいえ、間違いなく一撃で意識を失ってしまうほどの威力を持っている魔法が雨のように降り注いでいる。信じられないことに目の前の二人は、それらを防御魔法で遮っていた。幸いにしてクロノは、蚊帳の外と認識されているのか、その場に存在しないように扱われているため、今のところ被害はない。

 しかしながら、この魔法戦に参戦しろといわれても、SSランクの魔法を軽々と防いでいるプレシアにダメージが与えられるとは到底思えないし、だからと言って、なのはの代わりに防御に回るにしても、クロノの防御魔法など軽く紙のように容易く破られることは目に見えて明らかだった。

 つまり、今、この場でクロノができることは一つもないといってもいい。

 プレシア・テスタロッサと高町なのは。その二人とクロノ・ハラオウンの間には隔絶した魔法の才能という確かな差が存在していた。努力だけでは届かない領域が目の前で展開されていた。

 この場で自分に何ができるか? 常に冷静であれ、と鍛えられた頭脳で考えるクロノ。だが、その頭脳で導き出した解は最悪だった。現状の自分は負傷。魔法戦に参加できる見込みなし。そこから導き出される解答は、速やかな撤退だった。邪魔にしかならないのであれば、せめて身を引くのが、クロノができる限界だった。

 ―――しかし、それができるか?

 自問自答の解は否、否だった。もしも、なのはが彼と同じく時空管理局員であれば、この場を任せて撤退という道も選べただろう。だが、目の前で戦っている彼女は、地元住民で、しかも、まだまだ子どもなのだ。そんな彼女にすべてを任せて撤退など、クロノにはできない。

 だが、だが、なのはに任せるという以外の道が見つからない。いくら考えてみても、プレシアに対抗できる手段は見つからない。

 クロノの脳裏に撤退の二文字が踊る。だが、理性では納得できても、感情が納得できない。

 どうする、どうする? と考えていたとき、魔法を打ち合っていたなのはから突然の念話が入った。

 ―――邪魔―――

 容赦のない一言だった。分かっている。自分がこの場において邪魔なことぐらいは。なのはが自分に飛んでくる流れ弾さえも処理している事にも気づいていた。明らかに自分がこの場にそぐわないことも気づいている。

 それでも―――、と思うのだクロノ・ハラオウンは。こんなはずじゃなかった未来を一つでも減らそうとしている少年は、自分よりも幼い少女が戦いの場に身をおくことを、身をおかざるを得ない状況にしてしまった自分を許せやしないのだ。

 しかし、自分がこの場にいることでなのはの邪魔になっていることも事実。彼女を阻害しているのもクロノであることもまた事実だった。

 ―――分かった。僕は撤退する―――

 クロノの苦渋の決断だった。悔しさのあまり下唇を噛み切るようにかみ締めながらなのはに撤退の連絡を送る。なのはからの連絡はない。それほどまでに白熱しているのだろう。

 撤退することでしか彼女の負担を軽減できない自分を悔しく思いながら、クロノは去り際にせめてもの言葉を残す。

 ―――頼む、勝ってくれっ!! ―――

 年下の女の子にそんな言葉しか残せず、いくつかの次元世界の命運をそんな少女の双肩に背負わせてしまうことに悔しさを感じながら、クロノは屈辱にまみれた撤退を実行するのだった。



  ◇  ◇  ◇



 高町なのはは、プレシア・テスタロッサとの魔法戦を忌々しく思っていた。

 なのはの想像の中では、こんなはずではなかったからだ。すぐにでも決着をつけて、すべての黒幕であるプレシアに自分のやったことを分からせるはずだったからだ。

 しかし、現実は、プレシアと高ランク魔法を打ち合っているのが現状だ。フォトンランサーを打てば、アクセルシュータで迎え撃ち。ディバインバスターを打てば、サンダーレイジで迎え撃たれる。お互いの隙をついた魔法もプロテクションなどで防がれる。お互いに互角といっていい魔法戦だった。

 そして、忌々しく思っているのはプレシアも同じようだった。

「……本当は、使うつもりなどなかったのだけれど、仕方ないわね」

 フォトンランサーを打っていたプレシアの足元にミッドチルダ式の魔方陣が展開される。それを怪訝な表情で見ながら、なのはは油断しないように身構える。しかし、それは現時点では、なのはの杞憂でしかなかった。

「さあ、起動しなさい。『ヒュードラ』」

 プレシアの声をキーとして、部屋全体がゴウンという何かしらの機械が動き出したような音に包まれる。何が起きたか分からないなのは。そして、変化は直後に現れた。

 プレシアから感じる魔力反応。展開された魔法は、フォトンランサーとサンダーレイジ。その二つの魔法が同時に起動される。しかし、これは、難しい話ではない。魔導師であれば、並列魔法など使えて当然だからだ。なのはも当然使える。しかし、どちらかが一発でも魔法を喰らうと拙いという状況で、これは悪手だ。

 なぜなら、プレシアの魔力的に考えても同時に展開できるSSランクの魔法は二つ。仮にランクを落としたと仮定しても、なのはのバリアジャケットを貫くことは不可能だ。だから、この二つの魔法を避けた直後になのはが魔法を放てば、間違いなくプレシアに直撃させることができる―――はずだった。

 だが、フォトンランサーとサンダーレイジを捌いた後、放ったディバインバスターは、残っていたフォトンランサーを蹴散らしながら、プレシアへと一直線に向かい、直撃するかと思った直後にプロテクションの魔法に阻まれた。

 ―――なんで?

 今までの魔力データからいえば、プレシアの魔力はSSランクの魔法を三つ同時に発動できるほどの魔力はなかったはずだ。もしも、最初からあれば、出し惜しみすることなく使っているはずだ。なぜなら、なのはの魔力はSSSランク。SSランクのプレシアが出し惜しみするような余裕はないはずだ。

 そこから導き出される解は、一つだけ。つまり、プレシアの魔力が増えたということである。

 なのはが知る由はないが、なのはの回答は、正解だった。プレシアが起動させたヒュードラ。それは、プレシアの忌々しき過去を、こうでなかった今を作り出した因縁の魔道機関。それをプレシアは回収し、改修し、時の庭園に組み込み、切り札にした。そこに込められた思いは、過去との決別か。あるいは、ヒュードラを完璧に作れば、アリシアが返ってくると考えたのか、それは分からないが。

 プレシア自身の魔力、時の庭園、そして、ヒュードラという三つの魔力を使えるようになったプレシアは、この部屋に限って言えば、SSSランクに届くほどの魔導師になっていた。しかも、これらの動力機関は、魔力の生成はそれ自身が行い、魔法の補助は部屋に敷き詰められた魔方陣が行っている。プレシアはただの魔法の発射台であり、身体への負担は最小限であるように開発してあった。

 そこからプレシアの猛攻が始まった。

 三つのSSランクの魔法をほぼ同時に撃ってくるプレシアに対してなのはは、防戦一方になるのも仕方なかった。SSSランク魔導師とはいえ、攻撃魔法を同時に三つも捌ける魔力を持っているわけではない。

「あはははっ! さっさと墜ちなさいっ! そして、私はアリシアと一緒に旅立つのよっ! アルハザードへっ!!」

 プレシアの目に宿っているのは狂気。だが、一方で、なのはの目に宿っているのは怒りだった。

 ―――そんなことのために………ショウくんはっ!!

 たかだか、そのアルハザードとかいう場所へ行くために翔太が殴られ、傷を負わされたのかと思うと、なのはの心の中の怒りがさらに激しく燃え上がった。

「あなたはっ! 絶対に許さないっ!!」

「今のあなたに何ができるっていうのよっ! さっさと墜ちなさいっ!!」

 プレシアが言うことは事実だ。今のなのはには防戦しかできることがない。時間を稼いで相手が焦ったところに一撃入れるかどうか、というところである。しかし、防戦一方になることがなのはの望んだ展開ではない。やがて、現状が忌々しく思ったなのはは、乾坤一擲の反撃に出ようと一瞬、防御を緩めたのが拙かったのかもしれない。その隙を突かれた。突かれてしまった。

 レイジングハートを持っている手を紫の光が強制的に動かした。なぜ? と思って左手を見てみるとそこには囚人のように黒い腕輪のようなものが存在していた。バインドだった。おそらく、プレシアが攻撃魔法を撃ちながらもこっそりと紛れ込ませていたものだろう。

 磔になったように両手を広げてバインドに縛られるなのは。だが、そのなのはに焦った様子は見られず、バインドをかけたプレシアを睨みつけるだけだった。

「油断したわねっ!」

 まるで己の勝利を確信したように笑うプレシア。だが、そのプレシアをなのはは見ていなかった。ただただ、悔しかった。なのはにとってプレシアは翔太を傷つけた最たる黒幕だ。こんなヤツに負けたくなかった。こんな状況になっているのは許せなかった。プレシアは、翔太を傷つけたことを後悔しなければならいなはずだった。だが、現状は、なのはは囚われの身になっている。

 ―――力が、力が欲しい、となのはは願った。

 プレシアを、どんな敵であっても一蹴できる力をなのはは望んでいた。翔太をあらゆる敵から守るために。どんな敵にも打ち勝てるように。そして、そのなのはの願いに彼女の愛機は反応する。

 ―――Do you desire the power?

 答えは勿論、Yesだ。力だ。強い力が欲しい。

 ―――All right. I gift the power for you.

 だが、どうやって? そんな疑問が浮かぶなのはだったが、彼女は、レイジングハートを信頼することにした。前の時だって、レイジングハートはなのはに確かに力を与えたのだから。そんなやり取りをしている最中に事態は急速に展開している。プレシアが同時に三つの魔法を準備しているからだ。

「さあ、これで終わりよっ! 高町なのはっ!」

 ―――フォトンランサー・ファランクスシフト
 ―――サンダーレイジ
 ―――プラズマ・ザンバー

 どれも高ランクの魔法であり、プロテクションもできない状態で喰らえば、SSSランクの魔導師であるなのはとて無傷では済まないであろう魔法の数々だ。それらの魔法が、一直線になのはへ向けて飛んでいき――――なのはがいる場所に直撃した。



  ◇  ◇  ◇



 プレシア・テスタロッサは同時にSSランクの魔法が同時に三つも直撃したのを見て、勝った、と確信していた。相手がいくらSSSランクの魔導師とはいえ、SSランクの魔法を同時に三つを直撃して生きているはずがない。忌々しき過去の遺産であるヒュードラでさえも使って掴んだのだから。

 しかし、それでも、プレシアはほんの一欠けらだけ残った可能性を疑って構えを崩すことはなかった。確かに高町なのはは、SSSランクだった。だが、それでも奇怪な点がいくつもあるからだ。急に成長した身体と魔力。どちらも短期間で成長するとは思えない。どうやったかは研究者であるはずのプレシアですら分からなかった。

 だから、その点が気味悪くて。小骨が刺さったような違和感を拭えなくて、プレシアは油断しなかった。それは結果として功を奏することになる。

 カツン、カツン、という足音が不意に聞こえた。

 同時に直撃した魔法による爆発。SSランクの魔法は床を打ち砕き、煙を巻き上げている。その向こう側から音が響いてくる。

 カツン、カツン、とゆっくりと。

 ―――まさかっ!? そんなはずないっ!!

 その音の正体を考えて、自分でその考えを否定する。それはあってはいけない事実だからだ。それはプレシアの常識を崩壊させる思考だからだ。だが、そんなプレシアの思考を無視して、煙をカーテンを開くようにして漆黒のワンピースと赤い文様のバリアジャケットに包まれた魔導師―――高町なのはが現れた。

「なぜっ!? なぜっなぜっなぜっなぜっなぜっなぜっっ!?」

 その問いに目の前の高町なのは答えない。煙の向こう側から出てきたときに一瞬だけ足を止めたが、また何事もなかったように近づいてくる。

 先ほどの三発の魔法も何もかもなかったように歩いてくるなのはに戦慄を覚えないはずがない。恐怖を覚えたプレシアは、周りの補助用の魔方陣を使って、自分の中でも最強の魔法を起動させる。

 ―――トライデントスマッシャー

 三つ矛のように分かれた直射砲撃がなのはに向かって一直線に飛ぶ。そして、着弾地点であるなのはに命中する直前で結合し、三つの威力を保ったまま雷の力を宿した力はなのはへ向かい――――まるで、寄ってきた虫でも払うように手首のスナップだけで、その魔法をかき消した。

 その光景にプレシアは声が出せなかった。

 SSランクの、しかも、雷の力を帯びたプレシアの手持ちの魔法の中でも最強の威力を持つ砲撃魔法だ。それを、虫でも払うかのような動きだけで、相殺した。プレシアには、どうしても信じる事ができなかった。

 ―――今のは何かの間違いよ。

 そう思い、今度はフォトンランサー・ファランクスシフトを展開する。四十以上のフォトンスフィアから秒速十発で発射されるフォトンランサー。それらを魔力の続く限り発射する。まるで、マシンガンのようになのはに殺到するフォトンランサー。

 しかし、なのはは、今度は追い払うような真似さえしなかった。フォトンランサーを生身で受け、それでも、何事もないようにまっすぐプレシアの元へカツン、カツンと向かってくる。

「あああああああああああああああっ!!」

 その光景についにプレシアは叫び声を上げる。

 ―――なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜっ!?

 次元世界の中でも高位の存在である竜ですら倒せそうなほどの魔力を注いでいるはずなのに、それでも倒れない高町なのはに恐怖を覚えたプレシアは、自分、時空の庭園、ヒュードラのすべての魔力を使って三つの魔法を同時に展開するつもりだった。だが、そこまでなのはも許してはくれなかったようだ。

 魔法が発動する直前、魔力が霧散した。気がつけば、自分の両手、両足は桃色のバインドで縛られている。

「くっ」

 しかし、それがSSランクのプレシアに外せるはずもなく、目の前のなのはの手の動きに従ってプレシアを縛ったバインドは、プレシアを部屋の上空へと連れて行く。

 何をするつもりなのか? そう思ったプレシアだったが、その答えはすぐ出た。彼女は自分に向けて杖を構え、その杖先には、見ただけで卒倒しそうな魔力の塊が集っているのだから。それは、今までの魔力の大きさとは比べ物にならないほどの大きさだ。なのはが使っていたアクセルシュータの数十倍の大きさだった。まるで、星でも打ち壊せるほどの。

 あれを喰らえばひとたまりもないことは分かっている。しかしながら、プレシアには逃れる術がなかった。バインドからも、この状況からも。精々、できることといえば、障壁を張ることぐらいだが、あれは、生半可の障壁ではないと同じだ。

 どうする? どうする? と考えても答えは出ず、無情にもカウントダウンはゼロを告げ、高町なのはのデバイスから人を丸呑みしそうなほどの太さの砲撃魔法が発射される。その魔力の大きさを見て、プレシアは、自分の希望が潰えたことを悟った。悟ってしまった。

「た、高町なのはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 結局、プレシアにできることは、光に飲み込まれる直前に恨みと怨念の篭った声で敵の名前を叫ぶことだけだった。



  ◇  ◇  ◇



 高町なのはは、魔法が直撃する直前、この場にそぐわない愛機の弾む声を聞いた。

 ―――Twenty JSs are taken!!

 ―――OK. Next encode the JS. Program JS system restart. Sirial from I to VI wakeup.

 その声が聞こえた直後、JSプログラムによってシリアル番号1から6番までのジュエルシードによって、なのはの身体中から魔力が迸った。6つ起動したジュエルシードのうち、1つはレイジングハートの強化、1つはなのはの身体の強化、残り4つが魔力タンクとなっている。それらの魔力が、まるで、鎧のようになのはを覆うように展開される。それが、ただの漏れでた魔力だと誰が信じられるだろうか。だが、それが実際に起きていた。その魔力による鎧は、なのはに届くはずだったSSランクの魔法すべてを遮断していた。

「ふっ、ふははははははははははっ!!」

 自分の奥底から感じる力を実感して、なのはは笑い声を上げることをとめられなかった。

 これが、これこそが、なのはの求めた力だったからだ。なのはに敵対するすべてのものを一蹴できるほどの力。翔太をずっと、かすり傷一つなく守れる力。それが確実に手に入った実感だった。

 ああ、そうだ。だから、まずは手始めに――――あの魔女を壊そう。

 そう思い、なのははプレシアに近づく。途中で、小賢しい程度に射撃魔法がなのはを襲ったが、魔力の鎧の前にそれらはすべてかき消されていた。なのはからしてみれば、豆鉄砲を受けたほどの威力しかない。

 だが、いくら痛くないからと言っても、数千もの射撃魔法を受けるのは、さすがに煩わしい。だから、三つ同時に魔法を展開しそうになっていたプレシアをバインドで縛って、上空へと持っていった。粛清だけなら、地上のままでもよかったのだが、ついでにプレシアの力の源になっているものも壊そうと思ったのだ。

 今のなのはにはそれがはっきりと感じられた。時の庭園の最上部と中心部に置かれた動力機関。ロストロギアに近い時の庭園の動力とヒュードラだろう。それらを壊すついでにプレシアに粛清を与えるのだ。ならば、魔法はそれにふさわしいものでなければならない。

 空中にプレシアを固定したなのはは、すぅ、と杖を構える。

 同時に杖先に集まる魔力。今までの戦闘の中で使われず空中を浮遊している魔力の残滓を集めて、魔法と成す。なのはが好んで使うディバインバスターの進化魔法だ。その名も―――

「スターライト――――」

 ぶんっ! とレイジングハート振りかぶる。口の端が釣りあがり、笑うのを止められない。そして、何か喚いているプレシアにめがけて、レイジングハートをまっすぐと振り下ろした。

「――――ブレイカーっ!!!」

 直径がなのはの身長ほどありそうな球体から放たれた砲撃魔法は、上空のプレシアを飲み込み、貫いた後、勢いが衰えることなく、まっすぐ時の庭園を貫く。なのはたちがいる場所は最下層であり、それが最上層部の動力源めがけて撃たれたのだ。外から見れば、時の庭園全体が撃ち抜かれたように見えるだろう。

 その砲撃がどれだけ続いただろうか。数分の砲撃の後、砲撃の光は収まり、砲撃の音が鳴り響いていた先ほどとは打って変わって静寂が訪れた。時折、パラパラと貫いた部分が崩れるような音が聞こえる。それ以外のひときわ大きな音はたった一つだけだ。ドサッという人が床に叩きつけられたような音。バインドから解き放たれたプレシアが落ちた音だった。

 なのははプレシアに近づく。まだ、呼吸音が聞こえる辺り、生きているようだ。なのはの砲撃魔法は非殺傷設定であったため、死ぬことはないはずだ。もっとも、SSSランクを軽く超える魔力に当てられたプレシアは、リンカーコアはずたずただろうから、魔導師としては死んだも当然かもしれない。

 そんなプレシアの襟首を持ち上げると、なのはは少し離れた大きな容器がある場所の近くまで持っていく。そのエメラルドグリーンの液体の中に安置されているのは、忌々しくもなのはの唯一の友人である翔太の妹に納まった黒い敵だった。

 どさっ、という突然、襟首から手を離した所為でプレシアがまたしても床に叩きつけられる。その衝撃で、んんっ、という声と共にどうやらプレシアは意識を取り戻したようだった。

 ゴキブリのようにしつこいな、と思うなのはだったが、どうせ意識は回復させるつもりだったのだ。余計な手間が省けたと思うようにした。

 プレシアが何かを言いたそうになのはに視線を向ける。だが、プレシアが何かを言い出す前になのはは容器のガラス表面に掌で撫でるように触れる。

「ねぇ、これ、大切なものなんだよね?」

 プレシアに笑みを向けながら、なのはは問う。なのはの笑みに恐怖を抱いたように顔を歪めるプレシア。

「や、やめてちょうだい。アリシアに触れないで……」

 まるでアリシアと呼ばれた少女を求めるようにプレシアが手を伸ばす。だが、身体が上手く動かないのだろう。起き上がることもできず、プレシアの手は宙を泳ぐだけだった。それを見て、なのはは笑みをさらに強めながら、ふ~ん、と関心ありげに言う。

「よほど大切なんだね。戦いの中でも守ってたもんね」

 なのはは気づいていた。自分の後ろに流れ弾がいかないようにプレシアが守っていることに。だからこそ、これが大切なものだということに気づいていたのだが。そのまま、なのはは、日常会話の続きのように何気なしに切り出した。

「ねえ、これ、壊したらどうなるかな?」

 今度こそ、プレシアの表情は恐怖で引きつった。

「や、やめてっ! な、なんでもするわっ! だから、それだけは……か、彼のことも謝るから、だから、お願いっ!」

「う~ん」

 人差し指を顎に当てて少しだけ考える振りをするなのは。なぜなら、最初から答えは決まっているからだ。

「やだ」

 なのはの答えはシンプルだった。だが、それを聞いたプレシアは、その答えが信じられないように驚愕で満ちていた。

「なっ!」

「だって、言ったでしょう―――」

 地面にはいつくばり、平伏するようなプレシアを愉快に思い、嗤いながらなのははプレシアに告げる。



 ――― 絶 対 に 許 さ な い って。



 直後、なのはの掌から簡単な射撃魔法が発射される。それは、いとも簡単に容器の表面を貫いた。だが、その貫いた穴は掌よりも小さく、しかしながら、容器という密閉された空間に空いた穴からは、そこからちょろちょろと中に入っていた液体を垂れ流していた。

「あっ、あっ、嗚呼嗚呼あああああああああああああああああっ!」

 動かないであろう身体を無理矢理鞭打つようにして、動かし、スプリンターのスタートダッシュのように駆けたプレシアは、邪魔だ、といわんばかりになのはを押して、アリシアの入った容器に縋りつくようにして小さく開いた穴を必死に塞ぐ。プレシアが掌で塞いだことで確かに液体が流れ出るのは僅かに止まっていた。

 しかし、その状況をなのはが素直に許すはずがなかった。

「ほらほら、急がないと全部出ちゃうよ?」

 そういいながら、次から次に細い射撃魔法を打ち出す。それらは決して中のアリシアに当たらないように、しかし、容器に穴を開けるように。空いた穴の数は合計十四。それらの穴から液体から流れ出る。それを必死に止めようとするプレシア。しかしながら、人間の手は二本しかない。どうやっても十四もの穴を防げるはずもなかった。

「あはっ! あはっ! あはははははははははっ!!」

 容器から出る液体を止めるために必死に踊るようにして動くプレシアを見ながらなのはは嗤っていた。その姿があまりに滑稽で。大切なものを守るために行動しておきながら、まったく守れていない彼女の行動を見て。少しずつ、カウントダウンのように大切なものを失うことへの恐怖を感じているであろうプレシアの恐怖を想像して。なのはは嗤っていた。

 やがて、空いた穴からすべての液体が垂れ流れるのにさほど時間は必要なかった。容器の周りには流れ出た液体と打ちひしがれたプレシア。そして、容器の中には、糸の切れた人形のように崩れ落ちたアリシアの姿だけだった。

 そのプレシアの姿を見て少しだけ気が済んだなのは。だが、だがしかし、こんなもので終わってはいけない。プレシアはすべての黒幕なのだから。

 ―――こいつがいなければ、ショウくんが傷つくことはなかった。あの黒い敵がショウくんの妹になることもなかった。

 全部全部プレシアの所為だった。だから、こんなものでは許せそうになかった。

 そんなプレシアの隣に立ち、なのはは、打ちひしがれているプレシアに追い討ちをかけるように言う。

「ねえ、知ってる? 井戸の深さを知るときに石を落とすんだって」

 それが何だと言うの? と平常のプレシアなら言うだろう。だが、今のプレシアが返事をできるはずもなかった。何も返事しないプレシア。それを面白くない、と思いながらもなのはは言葉を続ける。

「この下の虚数空間の深さってどのくらいだろうね?」

 にやぁ、と嗤うなのはにプレシアがようやく反応する。その顔にはまさかっ!? という驚愕の表情が浮かんでいた。それから、プレシアが反応するよりもなのはのほうが早かった。手を伸ばすプレシア。しかし、それよりも先に指先から発射された射撃魔法で容器の床を壊すなのは。

 アリシアが入った容器は重力に従って斑模様の人が本能的に恐怖を覚えるような虚数空間に向かってゆっくりと落ちていく。何とかアリシアの身体だけでも、と手を伸ばすプレシア。もしも、そのまま手が届いていれば、プレシアの手はアリシアの手を掴んでいたかもしれない。だが、それはなのはの足によって阻止された。

 ずだんっ! と踏み込むような音共にはのはによって踏みつけられる伸ばしたプレシアの手。プレシアの手はアリシアに届くことはなく、プレシアの目の前で虚数空間へとゆっくりと落ちていく。落ちたアリシアの容器は、ゆっくりと虚数空間に落ちていき、遠近法に従い段々と小さくなっていき、やがてその姿を虚数空間の中に消していった。

「あ、あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああ」

 プレシアの慟哭。それをなのはは心地のよい音楽でも聴くように満足げに聞いていた。やがて、プレシアは意識がなくなったようにプツリと行動するのをやめる。生きる意志がなくなったとでも言うべきだろうか。もっとも、なのはにしてみれば、どうでもいいことだが。

「さあ、帰ろうっと」

 なのはは、プレシアの首に翔太がされていたようにバインドを巻きつける。それから天井の自分で空けた大きな穴を見た。あそこからなら飛べばすぐに出口に向かえるはずだからだ。それに、その穴が原因なのだろう。時の庭園自体が揺れていた。もはや、この庭園も長くないと見るべきだった。

 ―――ショウくん、褒めてくれるかな?

 帰った後の翔太がどんな言葉で褒めてくれるか、楽しみで頬を緩めながら、なのはは首にバインドを巻きつけたプレシアを片手に時の庭園を後にするのだった。



  ◇  ◇  ◇



 リンディは、医務室の様子を映したモニターを何ともいえない表情で見ていた。

『さあ、アリシア、今日はどんな髪型にしようかしらね?』

 モニターの向こう側では、今回のPT事件の首謀者であるプレシア・テスタロッサが慈愛に満ちた表情で金髪の子ども用の人形の髪を梳いている様子が映し出されていた。

「……これが、事件の結末か」

 リンディはそう呟くと、プツリとモニターを切った。

 プレシアがあんな様子になったのは、医務室で金髪の人形を見つけたときからだ。診察を受けていたプレシアがあの人形を目にした途端、なんとしてでもあの人形を手にしようと暴れ、その人形を渡すと大人しくなり、しかも、その人形をアリシアと呼びだしたのだ。ちなみに、人形は負傷者に子どもがいたときのことを想定しておいてあるものだった。

 ミットチルダに帰って検査しなければ分からないが、彼女が心を病んでいるのは間違いないだろう。

 なのはの報告によると戦闘の余波で、プレシアはアリシアを失ったらしい。もっとも、それがどんな状況なのか、民間協力者のなのはには、報告用のカメラがないためわからない。だが、時の庭園が崩壊するほどの戦闘だったのだ。そのすごさはカメラがなくとも分かる。

 おそらく、ミッドチルダに送られた彼女は、そのまま病院へ運ばれ、そこで残り少ない命を終えるのだろう。医務局員の話によると彼女には大きな病が体を蝕んでいるらしいから。おそらく、今回、こんな事件を起こしたのは彼女に残された時間が少なかったからだろう。

 人形を娘と勘違いしたまま終える命。それが幸せかどうか、リンディには分からなかった。それはリンディが考えるべきことではないからだ。幸せかどうかは、主観だ。今の彼女の主観がどうなっているか分からない以上、彼女が幸せかどうかが分かるはずもなかった。

「ロストロギアの事件で、死者なし……ね」

 人が絡まないロスロギア事件でも少なくとも死者が数人は確実に発生するというのに、今回の事件では軽度の負傷者が数十人。これは奇跡とも言える数字だった。おそらく、リンディも自らの力でこの数字を出していれば、自らを誇れていただろう。だが、実際は―――

「殆ど、なのはさんの協力のおかげですけどね」

 いつの間に部屋にいたのか、クロノがリンディの独り言に反応していた。しかも、その言葉はリンディですら頷かざるを得ないほどに的を射ていた。

「そうね」

 高町なのは―――彼女の協力がなければ、最終的な死傷者がゼロということも、負傷者がゼロということもロストロギアであるジュエルシード二十個が返ってくることもなかっただろう。いや、そもそも事件が解決できていたかどうかも怪しい。もしかすると地球もろとも次元断層の中に消えていたかもしれない。

「……母さん、僕、帰ったらアリアとロッテにもう一度鍛えなおしてもらおうと思います」

 それは、クロノなりの決意だった。今回、撤退する―――いや、綺麗な言葉ではなく、正確に言うと逃げることしかできなかった自分を恥じた言葉だった。自分が如何に力が足りないか自覚したから。だから、もう一度、初心に帰って師匠に鍛えなおしてもらおうと思ったのだろう。

「そう、頑張りなさい」

 艦長ではなく、母さんと呼んだ、クロノの気持ちを汲んで、リンディは母として先ほどモニターに映っていたプレシアのように慈愛に満ちた微笑をクロノに返すのだった。



  ◇  ◇  ◇



 白いカーテンの向こうの月の光を反射しながら、二十一個のジュエルシードがクルクルとなのはの周りを踊るように周る。

「あはっ! あははははははははははははっ!!」

 これが、なのはの手に入れた力だった。比類なき力。誰からも、翔太を守るためになのはが手に入れた力だ。

 あの時、レイジングハートが取った手法はジュエルシードの共鳴を応用したものだった。ジュエルシードには共鳴するという特性がある。それを利用して、レイジングハートの中にあるジュエルシード基点して、残りのジュエルシードを取り込んだのだ。そもそも、封印魔法はなのはの魔力を使ったもの。呼び込むのも簡単だった。ちなみに、管理局に渡した二十個のジュエルシードは、力を抜き取った魔力が空のジュエルシードだ。魔力本体は、レイジングハートの中にあった。なお、魔力がないのを時空管理局は封印魔法の所為だと思っている。

 プレシアとの戦闘で見せた力になのはは満足していた。これならば、翔太を守れる、と。絶対に傷つけることはない、と。今は、憎々しい黒い敵と一緒に寝ているが、その黒い敵では絶対にできない力を手に入れたのだ。

 ―――ただ、甘えるだけのあんたとは違うんだから。

 なのはは、ぼふん、とベットにダイブする。今日のことを思い出して、えへへへ、とこぼれてくる笑みをとめられなかった。

 プレシアとの戦闘から帰った後、翔太は、なのはにほっとしたような笑みを向けて、本当に無事でよかった、と言ってくれた。すごいね、なのはちゃんは、とも言ってくれた。それだけで、なのはは満足だった。

「ずっと……一緒だからね……ショウくん」

 さすがに疲れたのか、半分閉じかけた瞼のまま、寝言のように言いながらなのはは眠りについた。その周りを二十一個のジュエルシードが月の光を反射しながら、クルクルと、繰る繰ると、狂狂と周るのだった。





 無印 終わり

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