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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
反ソ連合結成
  外交特権 その2

 
前書き
 すみません。
7000字超えてしまいました。 

 
 その日の正午過ぎ、マサキは、その足でオットブルンにあるメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)に向かった。
 西ドイツ財界でのマサキの代理人を務めているヴィリー・メッサーシュミット会長との会見に臨むため、4時間かけて、ウィーンからミュンヘンに来たのだ。
 ヴィリー・メッサーシュミットは、既に喜寿を超えた年齢で、一時は糟糠(そうこう)の妻に先立だれたことで傷心し、健康を危ぶまれていた。
 だが木原マサキの計画に参画するようになると、まるで青年期に戻ったかのように持ち前の自信を取り戻していた。
「木原博士、ご足労いただき、誠にありがとうございました」
「こちらこそ、貴様の貴重な時間を割いてもらって、感謝している」
 会見は、終始和やかな雰囲気で行われた。
その話題は、今後の戦術機開発と航空機産業の先行き、日独間の民間経済交流、戦中・戦後の体験など多岐に及んだ。

NS(エンエス)副総統ルドルフ・ヘスと知り合いなのか」 
 NS(エンエス)とは、国家社会主義ドイツ労働者党の略称である。
また旧党員たちや関係者の間では、単に(パルタイ)という呼び方もされた。
「英国への単独飛行の際に使った Bf110は、私が操縦を教えて差し上げたのですよ」
 先次大戦中、ヴィリー・メッサーシュミットは、NSDAPの正式党員だった。
1933年倒産の危機に見舞われたが、親交の深かったルドルフ・ヘスのおかげで、ルフトハンザ航空に彼が設計したメッサーシュミット M20を収めることで事業を再開できた経緯がある。
 1979年当時、ルドルフ・ヘスは第三帝国最後の戦犯として、西ベルリンのシュパンダウ刑務所に収監されていた。
既に80歳を超え、その収監自体が人権侵害であるという声が西側諸国の一部で上がり始めていた。
 西ベルリン市も、ヘス一人の為に払う年間100 万ドイツマルクという莫大な維持費のために、財政上の負担が重くのしかかっていた。
(1980年 マルク・円ルート、1マルク=124円)
その為、出獄させるべきという声も、西ベルリン市役所内にあふれかえっていた。
 家族や政治家、学者たちから減刑嘆願書が、幾度となく国連常任理事国に提出されていた。
だが、ソ連の反対により、恩赦の提案は却下され続けていた。
 また刑務所を運営する英国自身も、ヘスが解き放たれるのを恐れていた節があった。
ヘスが講和条約の密使として来ていたのを不当逮捕した事実が露見するのを、恐れたからだ。
 マサキは、獄窓の中に留め置かれた旧友の事を語る老人に問いただした。
「会いたいか」
 目の前のメッサーシュミット翁は、力強く応じる。
「叶うならば」
 マサキは、メッサーシュミットの瞳を見た。
その瞳の中に揺らぐ情熱の炎を感じ取ると、老い先短い年寄りの望みを叶てやることにした。 


 メッサーシュミットとの会見を終えたマサキは、その足で在ミュンヘン日本国総領事館に来た。
そこで在西独日本国大使館参事官の珠瀬(たませ)玄丞齋(げんじょうさい)に面会していた。
「ふっ、フランス大統領に電話してくれだと!」
 珠瀬は、マサキの言葉を聞いた瞬間、荒唐無稽な頼みに思えた。
明らかな侮蔑の色を、マサキの方に向けた。
「なあ珠瀬、俺は日本政府の特別顧問。
それで、部下の白銀は、元首相の親友なのは、お前だって知ってることじゃねえか」
 マサキは不敵の笑みを湛えながら、続けた。
「大使に電話しろよと、言ってくれよ。
木原マサキからだといえば、大統領も絶対出るからよ」
「パリの駐仏大使だって、大統領には電話なんか、おいそれとはかけられんよ。
寝言を言うんじゃない」
「それじゃあ、共和国連合党首のジャック・シラクに電話して、大統領にミュンヘンの日本総領事館へ連絡しろと伝えてくれ」
「いい加減にしろッ!」
 珠瀬は、怒りのあまり、立ち上がると机を拳で叩いた。
マサキは、お構いなしに続ける。
「じゃあ、アフリカで暗躍中の大物KGBを教えてやろう」
 マサキは、なぜ南アに潜入中のKGBの事をフランスに伝えることにしたのか。
それは、当時の日本政府がフランスと共に旧仏領であるニジェールでの鉱山開発を進めようとしていたからである。
 アフリカ大陸でのKGBの暗躍は、西・中央アフリカ諸国に権益を持つフランスにとっては他人事ではなかった。
セーファーフラン(Franc CFA)を使用する14カ国の全てが、フランスとの経済的結びつきを切って、ソ連の方に傾けば、その悪影響はアフリカのみならず、フランス本国にも飛び火するからである。
 現にソ連は僧侶を装ったスパイを送り込み、各地で黒人解放運動の指導者をけしかけている形跡があった。
これと見た人物を、パトリス・ルムンバ大学に留学させ、KGBの影響下に置く作戦なども水面下で実施していた。
「信じるか?」
 珠瀬は、マサキの言葉に驚愕の色を浮かべる。
「なッ……!」
「オットー・シュミットこと、アレクセイ・コズロフ」
 アレクセイ・コズロフKGB大佐は、1960年から1979年まで活躍したKGBの非合法(イリーガル)工作員(エージェント)である。
KGBの養成所であるモスクワ国際関係大学を卒業した後、西独で経験を積んだ後、アルジェリアに潜入し、同国の最高指導部と接触した。
 その後は、欧州に戻るとクリーニング屋の店員を装いながら、NATOの情報収集など非合法活動に従事した人物だ。
 彼の非合法活動の成果の一つに、南アの核開発の事実の露見があった。
この情報を用いて、国際世論を動かし、国連による南アへの経済制裁を進める一つとなった。
 強力な経済制裁の結果、南ア政府は弱体化し、ソ連が物心ともに支援してきたアフリカ民族会議(ANC)が、1994年以来、政権を獲得するという結末になった。
 以上が、我々の住む史実の世界での出来事である。
 マサキは、前の世界でソ連のほしいままにアフリカが混乱させられた経緯を苦々しく感じていた。 
 黒人優位を取るANCの政府のために、今日の南アは衰退した。
政府は腐敗し、非黒人が迫害されるという事態に陥っている。
 この世界では同じ悲劇を繰り返すことはあるまい。
そう考えたマサキは、反撃に出ることにしたのだ。
「証拠を持っているのか」
 珠瀬は、その様な証拠があるとは到底信じられなかった。
中共政権や東独と付き合っているような男が、西側の情報機関のお眼鏡にかなうとは思えなかったからだ。
「俺のアタッシェの中に、マグライトと二丁の拳銃があったろう。
あのマグライトの柄の中には、マイクロフィルムが入っているんだ」
 珠瀬は、マサキの言葉が癇に障った
御為(おため)ごかしを並べながら、珠瀬にプレッシャーをかけてくるからだ
「ここで、その事を叫べば、そいつは大使の耳に入って、お前の手には入らない」
 珠瀬は、心の中で不安と自信が交互する。
今はただ、マサキが言うところのマイクロフィルムと、自分の可能性を信じるしかなかった。
 
 
 珠瀬からの報告を受けたパリの駐仏大使は、ただちに連絡を入れた。
そして、2時間もしないうちにバレリー・ジスカールデスタン大統領の元にマサキからの話が正確に伝わっていた。
 主だった閣僚や外交関係者が呼び出された。
喧々諤々の討議がなされた後、やがて話題は、NATOそのものの存在意義に関わる話となっていった。
 レモン・バール首相が金切り声で叫んだ。
「じゃあなんで、NATOに参加したんだよ」
 ジスカールデスタンが答えた。
「だから言ったろう。ハリー・S・トルーマンに頼まれたと」 
 ジスカールデスタンは、言葉を切るとタバコに火を点けた。
「NATOが英国のアーネスト・ぺヴィンがトルーマンに建議して設立した経緯がある。
だがトルーマンは、英国の事を信じてはおらん。
このNATOという組織づくりの裏には何かあると睨んでおる」
 NATOは、ソ連に対抗するために西欧諸国や米国など12カ国で発足した軍事同盟だ。
表の理由はソ連だったが、裏の理由はドイツの抑え込みだった。
 将来再軍備することになる西ドイツに首輪をつける役目が、このNATOの真の目的だった。
そしてそのようにNATOを形作ったのは、初代事務総長を務めたヘイスティングス・イスメイ男爵だった。
「もし何かが現れた時、我らは英国を止めねばならない。
その為に参加したのだ」

 ジスカールデスタンの話は、その日のうちにKGBの知ることとなった。
なぜならば、ジスカールデスタンの側近にKGBスパイがいたからである。
 1人は、外交政策研究センターの事務総長ジャック・ヴェルナン。
弟のジャン=ピエール・ヴェルナン(1914年~2007年。歴史学者)とともにフランス共産党員で、KGB工作員だった。
 ドゴール政権下で、フランスがNATO離脱を行ったが、その根拠となる偽文書を作たのがジャック・ヴ
ェルナンだった。
軍内部の親ソ派将校と共に捏造した文書は、エリゼ宮の方針を変え、ドゴールはNATOから離脱を表明したのだ。
2024年までその事実は判明せず、フランスのNATO離脱は西欧間での深い溝となっていた。

 もう一人は、政治顧問で元「レクスプレス(L'Express)」編集長のフィリップ・グランバックだ。 
 レクスプレスとは、1953年創刊の中道系総合週刊誌だ。
1978年に英国系の資本家に買収される前は、左派系の週刊誌として有名だった。
 なお今日(こんにち)のレクスプレス誌では、フィリップ・グランバックがKGBであることを認める記事を掲載している。  

 米国は連合国の中で、比較的ドイツに同情的だった。
戦後東西に分割されたことを気の毒に思い、早くから戦犯の開放を認めていた。
またフォン・ブラウン博士などの多数のドイツ人技術者が米政府内に入っていたことも同情論を強める遠因となっていた。
 英国は一転して、ヘスの釈放を認める姿勢に転じた。
ルドルフ・ヘスという老人を利用して、常任理事国同士、特に米ソ間を争わせようという考えである。
 月面攻略作戦に置いて、米ソが親しくなり、手を握れば、英国の出番は消える。
そして、自分たちは冷や飯を食うことになるだろう。 
 だから米ソを争わせて、漁夫の利を得ようという作戦であった。
「英国に永遠の友人はいないが国益は永遠にある」
19世紀に首相を務めたパーマストン子爵が述べた政治方針を体現したかのようなものであった。


 米英仏のスパイから、ヘスの開放の方針が伝えられると、ソ連政府内の意見は割れた。
外務省と国防省・法務省との間で、様々な討議が行われた。
 つまり。今後の米英関係から、ヘスを即時解放すべきか、ドイツの右傾化を防ぐ為にヘスの拘留を延期するかである。
 ルドルフ・ヘス個人に限れば、英国で捕縛されて以来、政治力は失われている。
既に喜寿を超えた老人であるヘスに関して言えば、彼の残された人生はそれほど長くはないので、野に放ったところで影響は小さい。
 しかし、将来にわたってはどうであろうか。
将来、民主的手続きで、ふたたびヒトラーのような人物が政権を握る可能性がある限り、ふたたび脅威を生じせしめる危険性はないであろうか。
ナチスドイツの再来を防ぐ為に、ドイツに外交的・軍事的制限を加えるべきではないか。 
 議論は百出して、まとまる気配はなかった。
 もっとも、西側の自由諸国の人間からすれば、その様な議論は一笑に付すべきものであると。
既に政界から40有余年も離れた老人の事を恐れる様は、あまりに滑稽に見えた。
 忠誠のドイツ騎士団の時代以来、1000年近くドイツとの外交関係に悩まされていたロシア国家にとって、ドイツの内政問題に配慮を怠るわけにはいかなかった。
いつナチスドイツが再来するかもしれないという懸念は、ロシアの継承者であるソ連にとって、決して、過去の話ではなかったのだ。

「日本人は、ラクスマンが初接触した、200年前の猿と同じではない。
既に幼稚な策を弄しながら、帝政ロシアに勝ったという事実を侮ってはならん」
 外相のヤコブ・マリクは、集まった幹部たちの顔を見回した後、口を開いた。
 マリクは、スターリン時代の1937年からおよそ40年間外務省で奉職してきた生粋の外交官。
日本語にも堪能で、駐日大使のほかに、駐英大使、二度の国連大使を務め、経験もある人物だ。
 一度年金生活に入ったが、ゴルバチョフの三顧の礼により、ソ連政界に戻ってきた経緯があった。
 一昨年、外交官の息子に先立たれてからは、すっかり傷心していたが、木原マサキ討伐の為という説得を受けて、ふたたび外交官に返り咲いたのだ。
「諸君らは、日本人が、どういうたぐいの人種か学ばねばならん」 
 一斉に幹部たちが、マリクの方に視線を向ける。
一瞬、間をおいて、マリクは続けた。
「奴らは、第二次大戦に負けた復讐心を今も隠し持っており、必ず世界征服の野望を抱いているという事だ。
絶対的な力を得るために、ゼオライマーというマシンを作り、我らへの復讐の機会を窺っている」

 ロシアは、過去1000年の歴史の中で、常に他国に裏切られてきたという感情をいだいて来た。
実際は、他国との信を結んだ瞬間からいつ破るかという準備をしてきて、約束を弊履を捨てるが如く扱って来た。
 さしものロシア人とはいえ、人を騙すという事に良心が痛むのであろうか。
ことあるごとに他国の裏切りや復讐心の話をするのは、彼ら自身がその様な感情にとらわれている為との見解も可能である。
 スターリンは、戦後日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、満州を占拠した。
1945年9月2日の対日戦勝演説で、次のように述べた。
「1904年の日露戦争の敗北は、国民につらい記憶として意識の中に残った。敗北は我が国の汚点となった。わが国民は汚点が(そそ)がれる日を信じて待った。40年間古い世代はその日を待った。
そして今日その日が来たのだ!日本は無条件降伏を受け入れ降伏した!」
 これこそ、ソ連が、ロシア自身が言ってきた復讐主義ではなかろうか!
 上記のスターリンの対日演説こそが、ロシア人自身が復讐主義にとらわれているという一例である。
 著者はなぜこのような事を書いたか。
我々は、ロシア人のこの様な行動原理を理解せねば、真の国際理解は進まぬだろうし、相互理解も出来ないからである。
 あえて作中で彼らの思考を詳らかにすることにしたのだ。

 ではふたたび物語に戻ってみよう。
 ゴルバチョフは、余りの事態の急変に腹をくくっていた。
国のトップが右往左往していては、国民が不安がる。
国も倒れる。
自分は逃げられない身だ。
BETA戦争が終わるまでは、なんとかせねばなるまい。
終戦後は、何とでもい言われてもいいし、煮ても焼いても構わない。
判断は、後世の歴史家が決めればいい。
「状況を判断しようでは、ありませんか」
 ゴルバチョフは深呼吸を繰り返した。
自分に無理を強いていたが、それしか道がなかった。
「最新の報告を頼みます。
GRUが掴んでいる情報、KGBの報告、そしてドイツ国内の反応。
米国や英国、フランスとの意見交換も必用でしょう」
 ゴルバチョフは、改めて聴聞を行った。
補佐官、赤軍総参謀部、外務官僚、法務官僚から説明を受け続けた。
だが納得がいくかどうかになると、彼自身も踏ん切りがつかなかった。
「この期に及んで、米国やフランスと対立するばかりでは、先に進むまい。
捉えられている我が方の外交官や諜報員との交換という形で手を打とうではないか」
 固唾をのんで待っていた官僚たちは肩透かしを食らっただけだった。
強硬に反対意見を述べると考えていたからだ。
 すかさず、内相のニコライ・シチョーロコフが賛辞の言葉を送った。
「良識ある決断ですよ。
今回の提案は、ソ連はことを荒立てることを望まなかったと世界に喧伝することができ、英米も自分たちの働きかけが無駄ではなかったと考えるでしょう」
 シチョーロコフは、当時のソ連で絶大な影響力を誇ったドニエプロペトロフスク閥の出身である。
内相として、警察組織のイメージアップに取り組み、ソ連国内での影響力を伸ばしてきた。
 政敵のユーリー・アンドロポフは、早くからシチョーロコフの存在を疎ましく思い、秘密裏にKGB将校を内務省に送り込んで、排除工作を進めている最中であった。
 そしてKGBは、早い時期からシチョーロコフが犯罪者から横領した資金を横領していることに気付いていた。
息子とその妻は、横領した金を元に貴重な油彩画を購入して、資金洗浄をしていたのだ。   
 アンドロポフは、ここぞという機会の時に、シチョーロコフを逮捕する準備を進めていた。
だがアンドロポフは木原マサキの手により排除されたため、シチョーロコフの影響力は拡大していたのだ。
 フルシチョフ期からブレジネフ期のソ連では、党専従幹部(カードル、あるいはアパラチキとも)は、政治局と対立しなければ、一生その地位を安泰とされた。
 指導部は、気に入らない相手がいれば、電話を入れるだけで、その人生を左右できた。
その根拠となった「電話法」という悪法が、存在したのだ。
 ブレジネフの娘であるガリーナ・ブレジネワは、電話法を悪用し、夫のユーリー・チュルバノフ内務次官と共に好き放題な事を行うほどだった。
 違法に宝石を収集し、それを転売して、資金洗浄を繰り返していた。
2人ともアルコール中毒で、その事はKGBも把握していたが、ブレジネフが死ぬまで手出しできなかった。
 ブレジネフの死後、クレムリンの主となったアンドロポフは、チュルバノフには手を出さなかったが、ガリーナは別だった。
 財産没収の上、別荘地に軟禁された。
、ソ連崩壊とともに夫からも見放され、四年ほど精神病院に入院したが、アルコール中毒は治らず、脳卒中でなくなったとされる。 
 ソ連社会の退廃は凄まじく、腐敗はあらゆる分野に及んでいる。
 取り締まる側のKGBは傍観者であってはならない。
我々は当事者なのだ。
 覚悟を決めて、先に進むしかない。
チェブリコフKGB長官は、シチョーロコフの態度に、ソ連の腐敗の深さを改めて見せつけられる気がした。 
 

 
後書き
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