星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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策謀編
第百十五話 闇の入り口
帝国暦487年12月25日15:00
シャンタウ宙域、銀河帝国、銀河帝国軍、メックリンガー艦隊旗艦クヴァシル、
エルネスト・メックリンガー
「この度の勝利、まことにおめでとうございます」
”勝ったといってよいものか…こちらにも手痛い損害が出ている“
「何を仰います、フレーゲル艦隊を殲滅なさったではありませんか。フレーゲル男爵といえば敵陣営の重鎮、それを緒戦で叩いたのです」
”そうだな、その通りだ“
「はっ、つきましては、当面の間シャンタウの哨戒は我が艦隊で行う様、ミューゼル閣下から指示を受けております」
”シャンタウは卿等の防衛範囲には含まれておらぬ筈だが…“
「副司令長官からのお言葉です。『ご戦旅ご苦労様でした、一刻も早くオーディンに戻られて戦力回復に努められたい』…ミューゼル閣下は既に司令長官に哨戒行動の許可を頂いております。ご安心を」
”そういう事ならば有り難く甘えさせて貰うとしようか…だが、叛乱軍への対処は大丈夫なのか“
「はっ、その辺は手抜かりなく…彼奴等も時折姿を現しますが、戦闘には至っておらず、平和なものです…戦争をしておいて平和というのも妙な話ですが」
”了解した、副司令長官にはよしなに伝えておいてくれ“
「はっ」
叛乱軍とは暗黙の停戦状態にある…この事態を正統政府軍と戦っている者達が知ったら何と言うだろう。いや、政府も知らない事実なのだ、知っているのは宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥と副司令長官ミューゼル上級大将、そして私達ヴィーレンシュタイン駐留の各艦隊司令官だけなのだ…一見有難い話ではある、帝国は正統政府との戦いに専念出来る。しかしそれは叛乱軍にも時間を与える事になるのだ。
停戦を申し出て来たのは叛乱軍からだった。哨戒任務中のロイエンタール提督の前に一人の叛乱軍指揮官が現れた。その男は偵察に来た様だった。戦闘の意思は無いから我々の動きを教えて欲しい、そうロイエンタール提督に告げたのだという。我々の内情は叛乱軍も察している様だった。ヴィーレンシュタインに叛乱軍の物資が流れている、そこに目を付けたその男は自分が偵察に向かっても戦闘になる事は無い、そう予想してロイエンタール提督の元に来たのだという…戦闘を欲していないとはいえ、内情を教えろというのも無法な要求だが、ロイエンタール提督はこれを是としたらしく(この辺りが彼の彼たる所以なのだが)、ミューゼル閣下の許可を得た上で我が軍の動きを教えたらしい。当然叛乱軍の動きを教えるという交換条件で…。
「参謀長、全艦に通達、警戒を厳とせよ」
「はっ」
予想はしていた事だが、やはり叛乱軍は漁夫の利を得ようとしている様だった。帝国の内戦に手を出す事はせずに、我々が正統政府軍と戦い傷つき疲弊した所を狙って大攻勢を仕掛ける…これが叛乱軍の基本方針だという。わざわざ堂々と伝えてくる辺りが謀略ではないのか、と危惧されたが、状況証拠…つまり現在の状況がこの情報の正しさを裏付けている事もあって、ミューゼル閣下は直ちに宇宙艦隊司令部にこの情報を報告した。宇宙艦隊司令部により非公式な停戦状態は黙認され、司令部からは更に叛乱軍の情報収集に注力する様に…という命令を受けた…。
「ウィンチェスターはアムリッツァには居ない、か…」
「は?」
「いや、何でもない」
ミューゼル閣下はこの状況をどう利用なさるおつもりなのだろう。辺境守備にあたる我々…ミューゼル軍はヴィーレンシュタインの根拠地化には成功した。希望者のみではあるものの、艦隊に勤務する軍人達の家族まで赴任への同行という形で同地に移住させている。おそらく長期間になるであろう辺境防衛任務に就く兵士達の厭戦気分や望郷の念というものを和らげる為でもあったが、それは同時にオーディン…帝国政府に対する忠誠心よりミューゼル閣下個人への忠誠心を惹起させるものだ。イゼルローン要塞が陥落してからというものの、兵士達の意識は叛乱軍を討伐する為に戦うというより、帝国を護る為に戦う、という物に変化している。それはガイエスブルグ要塞が破壊され内戦が勃発するに至って更に強い物となっていた。そしてそれは家族の住むヴィーレンシュタインを護る為に戦う、というものに変化していくだろう。それは同時にミューゼル閣下の為に戦う、という事に繋がる…ミューゼル閣下は明言こそしていないものの、閣下の望みは帝国軍の軍権を握り、最終的には帝国の頂点に立つ…そう考えておられると我々…閣下の麾下にある艦隊司令官達…は見ている。そう観測したからこそ我々は閣下に着いて来たのだ。軍内部において傍流に過ぎない我々が、閣下からの推挙を経て艦隊司令官となり軍主流に近い立場を得るに至ったのだ。閣下の許に居れば我々が理想とする帝国軍を創る事が出来るかもしれない、だからこそ我々は閣下のお考えを是とした。そしてそれは閣下の最終目的と合致する…。
「定時報告です。哨戒区域内に叛乱軍及び正統政府軍と思われる艦影なし」
「了解した。大規模戦闘は生起しないとは思うが、両勢力の偵察行動はあると思われる、引き続き警戒を厳とせよ」
「はっ」
いずれ、とは言わず兵士達は既にそう考えているかもしれない。国内が内戦に揺れる中、どう変化するか分からない状況の中で家族を残して辺境防衛に就く…兵士達にとってこんなに心細い状況はないだろう。任務が終わってオーディンな故郷に戻ってみたら、家族や親族達が死んでいた、そんな状況だって有り得るのだ。だがミューゼル閣下は兵士達の後顧の憂いを断ち切った。それは、今まで惰性で戦っていた兵士達に責任感と決意を生じさせるに充分な行動だ。兵士達は父性を示す指揮官を好む。自分達の事を考えてくれる指揮官、自分達の事を見捨てない指揮官…情は示した、あと必要なのは戦闘における勝利だった。自分が信頼に足る強い指揮官である…それを示すだけだ。
宇宙暦796年12月28日16:00
バーラト星系、ハイネセン、ハイネセンポリス、自由惑星同盟、自由惑星同盟軍、統合作戦本部ビル、宇宙艦隊司令部、宇宙艦隊司令長官公室、
ヤマト・ウィンチェスター
「…君の同期は何を考えているのかね」
その俺の同期であるマイケル・ダグラスは、画面の向こうでビュコック長官の言葉を聴きながら肩をすくめて笑っていた。
「返す言葉もありません、長官」
もう二つの画面にはワイドボーンとオットーがそれぞれ映っている。二人共、天を仰いでいた。
「三人共、処分…処分になるな、追って報せる。貴官等の職権を停止する事はないが、行動を慎む様に」
三人がビュコック長官に見事な敬礼を返すと、映像通信は切れた。
「君の同期は何を考えているのかね。こちらの方針を帝国軍に漏らすなどと…返す言葉がないとは言っておれんじゃろう」
「日替わりの特売メニューは先に知っておきたいものですよ長官。売れ残りの特売品であっても一手間かければ美味しく食べられるというものです」
パン屋の二代目たる総参謀長、チュン・ウー・チェンが助け船を出してくれたものの、いまいちフォローになってない。彼は二代目としてビュコック長官の代わりにイゼルローン要塞の改装工事の進捗視察に行っていて、戻って来たばかりだった。
「貴官がパン屋の二代目などという渾名で呼ばれている理由がよく分かった。その一手間をどうするかという事じゃ」
「それは同期のウィンチェスター副司令長官に考えて貰いましょう」
結局俺なのね…総参謀長の言葉を合図に、ファイフェル少佐とミリアムちゃんが飲み物を用意し始めた。
「総参謀長、イゼルローンはどうでしたか」
「順調でしたよ。あの進捗具合ならば、年が明けて二月半ばにはワープ実験にこぎ着けるでしょう」
「ありがとうございます…長官、ワイドボーン達にはどの様な処分を?」
「改めて口頭による譴責に留める。記録には残さん。いきなり前線の指揮官に記録に残る様な処分を行えば、要らん憶測を招くじゃろうしな」
意外にもビュコック長官はそれほど怒ってはいない様だ。起きた事を今更どうこう言ってもしようがないと思っているのかも知れない。それとも…。
「一手間ですか」
「うむ。こちらの基本方針が敵に知られてしまった以上、対策を考えねばならん」
「長官はどうお考えなのです?」
「じたばたしても仕方あるまい、基本方針を貫くのみじゃと思うておるよ。帝国の内戦が終わるまではな」
「方針を変更する必要はない、と?」
「貴官が何か思い付かん限りはな」
長官の言葉と同じくして、総参謀長も深く頷いた。
「そういう事であれば……こちらの基本方針が帝国軍に知られてしまったのは確かに由々しき事態ですが、おかげで帝国軍のとる行動も確実に予測する事が出来ます」
漁夫の利を得る…帝国軍と正統政府軍が戦い傷付き、どちらか残った方を叩く…おそらく、我々の方針がそうであって欲しいと考えていた帝国軍にとって、今回の件は大きな判断材料を与えた筈だった。同盟は内戦に介入しない…希望的観測と確実な情報とでは、判断材料として一と百ほどの違いがある。謀略ではないが、同様の効果を期待出来た。何しろ与えた情報は本物なのだから、効果は抜群だ。だが帝国軍は疑いを捨てきれないだろう。戦闘も起きず、自然と休戦状態になり、しかも得た情報は叛乱軍が持ち込んだもの…ウラの取り様はないが、叛乱軍が内戦に介入して来ないのは確実視出来る…この状況で帝国軍が考えるのは…。
「内戦の早期終結、じゃな」
「はい。我々が動かないのは確実なのですから。短期的には辺境防衛の兵力をも正統政府軍討伐の為に動かすかもしれません。しかし…」
帝国軍にとって、我々…叛乱軍が動かない内に正統政府軍を叩くというのは、唯一無二の選択肢であるかも知れない。だが帝国政府にとってはどうだろう?ラインハルトが政権を担っている訳ではないのだ。帝国政府も、正統政府も基本的には同じ価値観を有する集団なのだ。内戦終結後の事を考えると、余りにも激しい戦いは国家の再統合の弊害となりかねない。それは討伐の詔勅が発せられていない事からも分かる。バグダッシュによると、帝国政府は正統政府参加者に対して帰参を呼び掛けているという。帝国政府としては内戦を軟着陸させたいのだろう。
「長官、ダグラス少将からの報告には帝国軍と正統政府軍との間で発生した戦闘の詳細もありましたよね?」
長官が目で促すと、二代目は会議卓の投影装置を操作し始めた。三次元投影の詳細な概略図が卓上に浮かび上がる……帝国軍の総指揮官はメルカッツ、正統政府軍の総指揮官は…ヒルデスハイム?正統政府軍は人材難なのか?確か奴等の発表によると、ヒルデスハイムは正統政府の軍務尚書だった。資料、資料……軍務尚書と宇宙艦隊総司令長官兼務…正統政府軍の親玉自ら出陣か…フレーゲル?あの変な髪型のフレーゲルか?まあいい、互いに六万隻以上の兵力を動かした大規模な戦い…そうか、初戦だからな、両軍の意気込みが分かる…この戦いで決定的な勝利をおさめた方が有利に事を運ぶ事が出来る…。
「何故戦場がシャンタウとキフォイザーの間なのじゃろうな」
長官は尤も過ぎる疑問を口にした。
「おそらく政治的配慮というやつでしょう。帝国軍からすれば軍事的にはリッテンハイムなのでしょうが、それでは両陣営の決裂は決定的です。正統政府からみても有力な宙域を戦場にする事は避けたい、もし敗けた場合、味方に与える負の影響は大きい…そう考慮したのだと思います」
「リッテンハイム…確か嫁さんは皇帝の娘だったな。なるほどなるほど…有力者や皇帝の縁者が絡んでおる為に互いに間をとって戦わざるを得ん、そういう事か」
二代目の解説に長官は何度も頷く。リッテンハイムの隣はブラウンシュヴァイク…共に領主は正統政府の親玉だ。確かにここを帝国軍が直接攻めたら、両陣営の決裂は決定的だ。
「両陣営は共に内戦終結後の再統一を念頭において戦わねばなりません。戦場で決定的な一撃を加えるか、徐々に戦力を削ぎ取っていき、敵の団結力に綻びを入れる…互いに取り得る方針は同様でしょうが、初戦見ると互いに決定的な一撃…短期決戦を企図していた様ですが、結果を見るとこれは長引きそうですな」
そう言ってパン屋の二代目は冷めたコーヒーに手を伸ばした。パン屋の意見は正しい…どうやら貴族達は原作の様な勢いだけの存在ではないらしい。
「となると我々としては願ったり叶ったりじゃな。我々も戦力は回復せねばならんしの」
長官の言う事も尤もなんだけど…うーん…。
「何か腑に落ちんようじゃな、ウィンチェスター。貴官の意見を聞かせてくれんか」
俺の意見ねえ…確かに帝国内戦の長期化は同盟に有利なんだけど…。
「同盟の国論が二つに割れるかもしれません」
「国論が割れる?どういう事かなそれは」
「帝国が弱体化しつつあるのに何故攻めないのか…そういう意見が市民の中から噴出するのでは、と」
「なるほど、有り得ない話ではないの」
「はい。国防委員長、じゃなかった、最高評議会議長は軍の方針を是としています。評議会もそうでしょう。ですが市民からそういう意見が出た場合、それを抑えるのは難しいと思うのです」
「そうじゃな。形としては同盟の方が帝国を押しておるからな。現状では手一杯じゃ」
確かに同盟が有利に事を進めている。だけどそれは薄氷を踏む様な有利さなのだ。アムリッツァ、ハーン共に破られたら後がない。国内に残る予備戦力が再編中の艦隊だけでは、とても無理だ。
「私としては、帝国の辺境宙域が戦いを倦んで我々に摺り寄る…そういう事態を望んでいます」
「ボーデンやフォルゲンの対同盟感情はだいぶ軟化している、と聞いているが」
「いえ、現状ではうるさい隣人から顔見知りの隣人になった程度です。頼れる隣人にならなければ摺り寄るなんてとてもとても…それに辺境宙域はボーデン、フォルゲンだけではありません。ハーンからキフォイザーに至る宙域も辺境です。せめてシャッヘンやエックハルト辺りもこちらに靡いてくれないと…」
「長い時間が必要そうじゃのう」
「はい。一気呵成に、とはいきません」
「その為のイゼルローン移動要塞という訳じゃな」
「はい。ですが、市民から強硬な出兵論が沸き起こった場合、一度は要塞を使用せずに戦わねばならないかと思います」
「要塞を使用せずに…何故じゃな」
「要移動塞は切り札に見えますが、要塞の攻略法はもう我々が示してしまいましたし、確実に切り札と言える存在ではなくなっています。手品のタネがバレている以上、一度きり、それもどちらかと言うと心理的衝撃を与える為…そういう要素を含んだ使い方しかできません、それに」
「下手をすると帝国政府、正統政府が手を結んで我々に対処しようとするかも知れない…じゃろ?」
「仰る通りです。要塞を使用するのは、帝国内戦が終わってからで構いません。帝国の内戦もそうですが、その内戦の間に目を向けておく、あるいは解決せねばならない問題があります」
俺の言い方が余程深刻に聞こえたのか、長官も二代目も背を伸ばしてソファに深く座り直した。
「それは、何じゃな?」
「フェザーンです」
「貴官は以前にもフェザーンには気をつけなければならない、そう言っていたな」
「はい。長官はフェザーンについてどの様な認識、印象をお持ちですか」
ビュコック長官はパン屋と顔を見合わせた。パン屋が長官の代わりに質問に答える。
「気をつけなければならないと言われるとこの認識は間違っているのでしょうが…拝金主義者、守銭奴…帝国と同盟の間にあって星間貿易を独占する惑星国家…長官と私も含めた市民の認識はこんな所でしょうか」
「そんな所でしょう。百年程前、地球出身の商人レオポルド・ラープによってフェザーンは成立しました。もちろん帝国の自治領としてです。ですが、現在では同盟も帝国もフェザーンを独立国家として見なしています。帝国の認識はともかく、同盟も同様の認識です。何故です?」
「その認識は間違い、その辺りに危惧しなければならない点があると?」
「ええ。だっておかしいじゃありませんか、フェザーンの存在は帝国に利する所は何もないのですよ?そんなものを帝国が認める筈がないでしょう?なのに存在している…まあ、だからこそレオポルド・ラープは偉人なのでしょうが…帝国の都合に従って、我々までフェザーンの存在を認める必要はないでしょう?どう思いますか?」
「フェザーンは緩衝地帯として機能しています。更に言えば帝国はフェザーンを通じて我々の情報を得る事が出来る。帝国にとって充分に存在価値はあると思うのですが」
「逆に我々からフェザーンを通じて情報操作を受ける可能性があります。とても利点とは思えません。今までそれをしなかった軍情報部は何をしていたんでしょうね…フェザーンが緩衝地帯として働いている、そう考えるのは、我々が同盟人だからです。総参謀長、その点を踏まえて、当時の情勢をもう一度思いだしながら帝国の立場で想像してみてください」
長官もパン屋も何故俺がフェザーンを危険視するのか、いまいちピンと来ないのだろう…同盟と帝国の情報を駆使して両陣営のバランスが崩れない様に企む…表面上はそれが経済、流通の独占の為とは言っても両陣営から恨みを買わないのが不思議なくらいだ。少し離れて聞いているミリアムちゃんやファイフェル…ミリアムちゃんはともかく、ファイフェルに至っては不審そうな顔をしている。
「有りません、確かに…」
そう、帝国に利点などないのだ。イゼルローン回廊しか進攻路がないと思っていた所にもう一本進攻路が存在すると判ったら、帝国軍は大喜びだろう。軍事的な選択肢は大幅に増える。当時はイゼルローン要塞などないのだから、イゼルローン回廊に陽動をかける一方でフェザーン回廊に大軍を送り込む。原作のラグナロック作戦だ。いや、ラグナロック作戦より規模は小さくて済むだろう。その上叛乱軍…同盟に与える衝撃は大きいだろう。何しろ当時の同盟はフェザーン回廊の存在を知らないのだから…。
「利点と言えば先程総参謀長が仰った点が挙げられますが、それは同盟から見た視点なのです。帝国からみたら何の利点もない。折角見つかった進攻路を別の勢力に手渡すなど愚の骨頂ですよ。確かに情報は得られるでしょうが、進攻路として使えないのでは戦いは長期化する。現在の情勢がそれです。同盟はフェザーンに経済的に占領される寸前までいき、帝国は内戦までする羽目に陥った…同盟は何とか小康を取り戻しましたが、帝国は全然ペイ出来てませんよ」
「ですが情報等だけではなく、フェザーンが存在する事で帝国も国防上の恩恵を受けているのではありませんか?」
到頭黙っていられなくなったのか、ファイフェルが反論を口にした。授業じゃないんだぞ…いや、授業、ホームルームみたいなもんか、参加してよし。
「それは結果論だよ。何しろ当時の同盟はフェザーン回廊の存在を知らないんだから、帝国は同盟が自分達と同じ手を使うという危険性は無視していい立場にある。それに帝国は叛徒を討伐するという立場だ。討伐戦争を終結に導ける様な、初動で圧倒的な有利を得られる選択肢…フェザーン回廊をみすみす諦めるとは考えにくい」
「では副司令長官、何故帝国はフェザーンの成立を許したのですか?」
「何故、って…そんなの俺だって知らないよ」
呆気に取られるファイフェルを見て、ミリアムちゃんが肩を震わせている。何も面白くないのに…少し休憩しませんか…?
17:15
ミリアム・ローザス
「酷いな、笑うなんて」
「笑ってなんていませんよ」
「声に出さないだけで、我慢してたじゃないか」
ウィンチェスター閣下が休憩しましょうというので、私とファイフェル少佐は公室に隣接する給湯室でおかわり用のコーヒーポットと緑茶、茶菓子の支度をしている。ファイフェル少佐は大人しくて優しそうな顔立ちとは裏腹に意外とプライドが高い様で、私にそう食ってかかって来た。笑うつもりはなかったんですよ、でもね、閣下のあの返事があまりにも予想通りだったんでつい、ね…。
「副司令長官は結論有りきで話しているのかと思って聞いてみたんだけどなあ」
そう言いながら少佐は煙草に火を付けた。これも意外だわ…。
「結論有りきだと思いますよ。ただ、副司令長官がああいう話し方をされる時って、その場にいる人達にその結論に至る過程を理解してもらう事の方がを重要視していますね」
「成程ねえ。確かに過程を理解していれば、結論は自ずと出てくるもんな。フェザーンの成立理由か、なんだか士官学校の戦史の授業を受けている気分だよ」
「ああ…ヤン提督とは地球時代の戦史の話をしている事が多いですよ」
「へえ…」
公室に戻ってコーヒーと緑茶を淹れていると、閣下は巾着袋と呼んでいるジップバッグから何かを取り出して食べていた。総参謀長は紙袋から出したサンドイッチを食べている…何なのかしらこの人達は!折角チョコブラウニーケーキを用意したというのに…。
「副司令長官が食べてるあれ、何だい?前に見たショーユセンベイとは違うみたいだけど」
「あれは…カミナリオコシというお菓子だと思います。どこで売ってるかは小官も知らないんですけど」
カミナリオコシの咀嚼音に交じって、ドアをノックする音がした。現れたのはヤン提督とキャゼルヌ少将だった。どうやら閣下が呼んだみたい。キャゼルヌ少将はアムリッツァのチャンディーガル基地司令に任じられていたのだけど、カイタルに軍機能を集中させるにあたってチャンディーガルの基地が縮小される事になったので、それをきっかけにハイネセンに戻ってこられている。今は過去に閣下が就いていた高等参事官の任に就いていらっしゃるんだけど、お暇みたい。
「お久しぶりです、キャゼルヌ少将」
「こちらこそ。お前さん…この呼び方はまずいな…副司令長官こそお元気そうで何よりです」
「お前さんで構いませんよ…チャンディーガルの後任は誰に?」
「オーブリー・コクランという大佐だ。知っているか?」
「ああ。彼なら大丈夫でしょう。まず誠実ですし、カイザーリング氏とも上手くやれると思います。ところで何故ここに?」
「そこの提督閣下に着いてこいと言われたのさ」
キャゼルヌ少将が顎で示した方向には給湯室がある。ヤン提督はご自分で紅茶を淹れに行っていた。提督が戻って来ると、総参謀長は二人に今までの話のあらましの説明を始めた。
「その視点はなかったな…流石だね、ウィンチェスター。だがそうなると、フェザーンの目的は何なのだろう。恒星間経済利権の独占…いや違うな、そうであればフェザーン成立の時点でフェザーン回廊を帝国軍に使用させていてもおかしくはない…」
「そうなんです。帝国軍に協力すれば地球時代のモンゴル帝国に協力したウイグル商人の様に、経済的利権を独占出来た筈なんです。だけどフェザーンはそれをしなかった。ヤン提督、グリーンヒル本部長と食事した時の事を覚えていますか」
「本部長と?……ああ、覚えているよ。あの時君は地球教団の存在を危ぶんでいたね」
ヤン提督は紅茶を大事そうに抱えて、閣下の質問に答えながら目を閉じた。提督は知っている?二人の中ではもう話し合った事なのかしら…また何か始まるのね。閣下は覚えていてくれてありがとうとばかりに、笑顔で再び口を開いた。
「ええ。地球教団とフェザーンは密接に繋がっています」
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