| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

冥王来訪

作者:雄渾
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第三部 1979年
大東京の反乱軍
  反乱軍決起 その1

 
前書き
 飛行機や戦術機飛ばすより、戦車の方が簡単ですからね。
そういう事で、戦車主体で決起させました。 

 
 政治家が、料亭や茶屋で夜な夜な密議を凝らすことを指して、待合政治という言葉がある。
待合とは待合茶屋の事で、人との密会の為に有償で場所を貸し出す貸席業の事である。
 元々は男女の密会の場所として始まったが、明治維新以降は政府要人がこのような場所を用いて密議をするのが慣行となった。
そこから、昼間の議会でなく、夜の待合で重要事項が決まることを待合政治と称した。 
 この待合政治は、我々の世界では、1993年の自民党大敗の時まで続き、赤坂や新橋の料亭前に黒塗りのハイヤーが、ズラリと列をなして並んでいた。
 一方、マサキが転移した異界では、1970年代という時代と身分制度の影響で、まだまだ全盛を誇っていた。
政治家たちが夜な夜な待合や料亭に集って密談を交わす待合政治が、頻繁に行われていたのだ。
 
 赤坂にある料亭「中川」
ここは敷地面積500坪( 1坪=約3.31平方メートル)を誇り、赤坂最大の料亭だった。
 敷地の広さもさることながら、中に入ると小さな小部屋がいくつもあり、密談にはもってこいの場所だった。
 密議を開きたいが、マスメディアなどに知られたくない政財界の要人は、別々に部屋を取る。
 酒を飲み、(さかな)をつまんでいるうちに、他の部屋にいた人間が手水(ちょうず)を装って入ってくる。
ひそひそと秘密の話をして、再び自分の部屋にもどって行く、という方法が採られた。
 料亭や待合では、出入りの際、誰とも顔を合わせないように必ず配慮するのが、店のマナーだった。
外に出て、新聞記者から誰とあったか尋ねられても、酒を飲んでいたといい逃れができるからだ。
 仕出し料理を取ることや芸妓を呼ぶ以外に、賭け麻雀(マージャン)や賭け将棋、花札が出来た。
野党の政治家や番記者が麻雀をしていると、こっそり与党関係者が来て、半荘(ハンチャン)ほど遊んだ後、ごっそり負けて帰るのがお決まりだった。
 負けたことにして、多額の現金を置いて立ち去り、それを野党や番記者が持って帰るという事が慣行として出来ていた。
 政界に問題があると、裏のルートから実弾を配り、夜のうちにうやむや化を図ることがままあった。
それ故に待合政治は、夜の国会議事堂と、心ある人士から嘆かれるほどであった。 
 
 新橋から来た芸妓がかえって、座敷に居る客が半酣(はんかん)の頃、今回の密議の主催者が口を開いた。 
昨今の政財界で、時代の寵児と持て囃されている龍崎こと、壹岐正だ。
「師岡君、君の父上の師岡大佐とは戦前からの知り合いでね」
「師岡から、うかがっております」 
 答えたのは、秋守中佐という富士教導団の戦術機教導隊隊長だ。
普段は、ソ連迷彩の施されたF-4Jファントムを駆り、近接長刀で各地の部隊と対人訓練を繰り返している人物だ。
 待合に呼ばれた今日は70式勤務服を着ているが、普段は仮想敵(アグレッサー)部隊という事で、ソ連の体操着(ギムナスチョルカ)と呼ばれる貫頭衣式の野戦服を真似た詰襟を身に纏っている。
 元々は京都帝大の学生であったが、ベトナム戦争たけなわの頃、陸軍の志願率が過去最低になった時代に士官になった人物だった。
仮想敵(アグレッサー)研究と称して、ロシア語の本や新思想の雑誌を部隊に持ち込んで研究していることで有名な青年将校だ。 

「いつかその無念を果たさねばと、考えていたら三十有余年が過ぎてしまった」
「ありがとうございます」
 今回のクーデター軍決起の裏側には、師岡の個人的な恨みがあった。
師岡の父は、1954年のラストボロフ事件でスパイの嫌疑を掛けられた将校の一人だった。
 戦後、北支戦線から復員した彼は、参謀本部に移り、対ソ諜報の部門に入った。
 部門長として活躍している最中、国防省に呼び出された。
そこで待っていたのは、査問という名の軍法会議だった。
 部下の一人であった、五摂家・九條家の嫡子、九條雅也がスパイの嫌疑をかけられた事の詰め腹を切らされたのだ。
 国鉄への出向(しゅっこう)か、或いは姫路の陸軍教化隊かの二択を迫られ、第三の方法を彼の選んだ。
その場で、愛用のブローニングハイパワーを使い、9x19ミリパラベラム弾を頭に送り込んだ。
 師岡は、この日以来、復讐の機会をうかがう事を誓った。
父の悲劇を胸の中にしまい込み陸軍の門をたたいて、今、第2師団司令部付の参謀となった。


 男たちは、挨拶をそこそこに重要な課題に対して意見交換を始めた。
既に掌握下にある富士学校の戦車部隊の他に、浜松基地の戦術機部隊。
東京を占拠するのは別にして、政府に衝撃を与えるには、十分な戦力だった。
 彼らは、料亭から歩み去る若い将校たちを見送りながら、壹岐は言った。
「大空寺さん、若いという事は良い事だ。
純粋に物事を、国家を考えられる」
 大空寺は、ジュラルミン製の杖に寄りかかりながら、小さな声で答える。
「壹岐さん、私は奇麗だが、貴方は汚れたましたな」 
 男二人は、無言のままに向き合う。
ともに、毒のある笑みを浮かべた。



 二時間後、再び密議が開かれた。
都内の赤坂プリンスホテルの一室に、メンバーを変えて続行された。
「どうしても、受け入れんかね」
 (しゃ)の羽織姿の男が、ソファーにもたれかかりながら、軽く冗談を言うがごとく言った。
「確かに、五摂家や党派の垣根を越えて、現体制を支援してくださる提案は魅力に感じます。
だが、それはあなた方の傀儡になるに等しい」
 羽織姿の男は、崇宰(たかつかさ)公衛。
戦時中に将軍職を務め、戦後は5歳の息子に家督を譲り、かき消すように隠居した人物だ。
 彼に合わせて、()(あわせ)を着て来た御剣雷電が答える。
「御剣君」
 それまで黙っていたサマースーツの壹岐が尋ねる。
「違うんです……壹岐さん、崇宰さん。
私は、お二人とは違うんです」
 壹岐は愛用するカールトンの箱を取り出して、煙草に火を点けた。
「五摂家の名前でもない、力でもない……
私は日本という国家を考えて、この道を志したのです」
 御剣は、一瞬あいまいな笑みを浮かべた後、こう続けた。
「私は、永久にあなた方と協力関係になることはないでしょう。
今日はそれを申し上げたくて、ご招待を受けたのです」
「……」
「それに致命的な事が一つ」
 御剣は、不敵に口端を吊り上げる。 
「私は、あなた方が嫌いなのです」
 御剣は間もなく帰っていったが、それで一件落着にはならなかった。
普段表情を見せない壹岐は、怒り心頭だった。
「若造が……」
 崇宰が片頬を吊り上げ、薄く笑った。
「フフフフ、心配することはない」
 壹岐は煙草の火を灰皿で消すと、目の前の八十老の方を向いた。
「これも想定内の事よ……
奴が信ずるものを、力で揺さぶれば済むだけだ」





 陸軍富士学校は、静岡県駿東郡小山町須走に所在する国防大臣直轄機関の一つである。
1896年に大規模な陸軍の演習が行われて以降、この地は軍事基地としての整備が進み、1912年に富士裾野演習場として正式に開設された場所だ。
その一角にある駒門(こまかど)駐屯地では、人目の付かない深夜、何やら不穏な動きがみられた。
「少佐、到着したか」
 部隊長の吉岡大佐は、目の前に立つ深緑色の戦闘服姿の男に訊ねた。
丸天帽と呼ばれる深緑色の円筒形の戦闘帽を被った頭を動かすと、男が答えた。
「準備は出来ています」
 吉岡大佐は、軍帽を被り、背中に伝家の宝刀たる加州景光を背負った。
そして意気揚々として営庭に行くと、既に整然と戦車や装甲車が並んでいた。
 61式戦車が36台、最新式の74式戦車が25台。
その他に、戦車運搬用の73式特大型セミトレーラが50台。
随伴歩兵を運ぶ兵員輸送車である60式装甲車が20台、60式自走81mm迫撃砲が5台といった具合である。
 戦車の前照灯から浮かび上がる十数名の将校。
彼等の背後には、鉄帽をかぶり、天幕を縛り付けた箱型背嚢を背負い、完全武装の兵士たちの影が見える。
 その数、少なく見積もっても500人以上。
近くに並ぶ25台の73式大型トラックから考えて、優に一個大隊はいようか。 

「これより時刻規正を行う!
現在時、0(マル)3(サン)4(ヨン)4(ヨン)
 時刻規正とは、軍隊が作戦前に各自の時計を合わせる行為である。
旧海軍や海上自衛隊では時刻整合ともいう。
「一分後より実施」
 一斉に兵士たちが腕時計の竜頭を操作する。
「30秒前」
 下士官や将校の中には腕時計を二つ持つものや懐中時計を持つものがいた。
そういう人物は、二台同時に時刻規正をおこなった。
「10秒前」
 作戦に参加する各員は、時計の秒針を見つめる。
5(ゴー),4(ヨン),3(サン),2(ニー),1(ヒト)、今」
 部隊の最先任曹長は、一瞬顔をあげる。
1(ヒト),2(ニー)3(サン),4(ヨン),5(ゴー)……。
0(マル)3(サン)4(ヨン)5(ゴー)、時刻規正終わり!」
 裂帛たる声が、夜の営庭に響き渡る。
最先任曹長は、部隊長の吉岡大佐に敬礼を送る。
「出動準備完了!」
 吉岡は教本の様な敬礼を返すと、短く答えた。
「作戦開始は、0(マル)4(ヨン)0(マル)0(マル)」 
 

 
後書き
 崇宰(たかつかさ)公衛は、2022から2024年に発行された公式同人誌の『Muv-Luv Regenerative』に出てくる人物です。
1940年代に中年という年齢から考えると、おそらく崇宰恭子の曽祖父に当たる人物と推測できます。


 
 ご意見、ご感想お待ちしております。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧