ああっ女神さまっ 森里愛鈴 ―天と地をつなぐ翼―
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16-2 海と竜とバカンスと
― 竜と娘、対話の刻 ―
水面の道を越えた先、世界は変わった。
そこは、色のない空間だった。
上も下もない。重力も境界も曖昧で、ただ、**広がる気配**だけがそこにあった。
そして、「彼」はいた。
そこに立つ──いや、「在る」としか言いようのない、巨大な影。
ひと目で“竜”とわかる姿。
白銀の鱗。空気を震わせるほど巨大な翼。
けれど、その目だけは――不思議なほど、穏やかだった。
怖くない。
ただ、圧倒的だった。
恐れではない。
これは、“存在に包まれる感覚”だった。
「……来たか」
声は、心の奥に直接響いた。
しかし、それは**柔らかかった**。
どこか懐かしい、大きな布にくるまれるような響き。
「君の名は、瑠璃。──よく、ここまで来たね」
瑠璃は言葉を失った。
目の前の“父”にあたる存在は、竜の姿のまま、彼女に目を向けている。けれど、そこに獣の狂気や神の威圧はなかった。ただ、ひとつの穏やかな認識として、彼は彼女を見ていた。
「……あなたが、“お父さん”?」
問いながら、自分の口からその言葉が出たことに瑠璃は驚いていた。
“父”というにはあまりにも遠い存在。
それでも、彼女の中の何かが、そう呼んでいた。
「そう呼ばれるのは、少し、くすぐったいね」
竜帝は目を細めるように言った。
「だが、否定はしない。君は、私の子だ。血と魂の一部を、確かに分け与えた」
「……じゃあ、なんで。なぜ私を――」
「なぜ、人として生きることを選ばせたのか?なぜ、そばにいなかったのか?」
瑠璃は無言のまま、拳を握りしめていた。
その沈黙に、竜帝は、静かに答えた。
「私は、竜のままでいたいのだ。人となり、言葉を変え、姿を変えてしまえば、私という存在の輪郭が、君にとって“他人”になると思った。だから、こうして君に会うのは、この姿でしかなかった」
彼は続けた。
「私は、人を愛せなかった。けれど、“君という存在”が、私と人の境を越えて生まれてくれた。だからこそ、私は、君の成長を見守ると決めた。近づけば壊す。だから遠くから、ただ静かに」
「……そんな勝手な……」
「その通りだよ」とても、勝手だった。
「だが──瑠璃。君の中に目覚めつつある力は、君が“どちらへ進むか”を決めさせようとしている」
「どちらへ?」
「人か、竜か。あるいは、そのどちらでもない、新しい何かへ」
静寂が訪れた。
彼の言葉は、波紋のように空間に広がり、
瑠璃の中の何かが、ゆっくりと溶け出していくのを感じた。
「君が望むなら、私は力を託そう。望まぬなら、それも否定しない ただ私は、最後まで――竜のままで在り続ける。それが、私の誇りであり、責任だ」
瑠璃は、ようやく、口を開いた。
「……私、まだ答えは出ない。でも、今だけは、あなたの言葉を、ちゃんと受け止めたい」
その言葉に、竜帝はゆっくりと首を下げた。
まるで、それだけで世界の空気が変わるようだった。
「それでいい。……だから、また来なさい。君が君のままで、何かを選ぶそのときまで。この世界は、君を拒まない」
そして、彼の気配がすっと薄れていく。光が満ちる。
仲間たちの声が、遠くから近づいてくる。
瑠璃は立ち尽くしていた。
けれど、その表情には、確かな何かが宿っていた。
迷いの中の、決意のような光。
― 神の娘として、親友として ―
そのとき、私は一歩後ろから、瑠璃の背中を見ていた。
空間は光の中にあって、それでもなぜか“重み”だけが残っていて、
心が勝手に静かになっていくのを、私は止められなかった。
そこにいたのは、竜だった。
獣でも、怪物でも、神でもなく、「竜」という存在そのもの。
言葉も、姿も、すべてが“圧”ではなく、ただ、そこに在ることを通して、私たちを包んでいた。
けれど――
それ以上に、瑠璃の“揺れ”の方に私は目を奪われていた。
あの瑠璃が、自分の力に戸惑い、声を震わせながら「お父さん?」と呼んだ。
どれだけ陽気に見えても、どれだけ人当たりが良くても、きっとこの子の中にはずっと“空白”があったんだと、初めて気づいた。
“竜の子”であること。でも、人として育ったこと。母と二人で、普通を演じて、笑って生きてきたこと。
その全部を背負って、目の前の存在と、言葉を交わしたその姿は――
強くて、脆くて、優しかった。
私は、そこに“神性”を感じた。
そう。神って、力とか威光じゃなくて、ああいう“誰かを想うために揺れる心”の中に宿るんだ。
もし、竜帝が瑠璃に「選べ」と言ったとしても、
私なら、答えは決まってる。
この子を、一人にはしない。
たとえ竜であっても、たとえ異界であっても、この夏がどんなに常識から逸れても、私は――
瑠璃の親友として、一緒に揺れる。
それが、私にできる、神になる前の“ひとりの女の子”としての答えだった。
「また来い、今度は自分の足でな」
龍は霧の向こうに消えていった。
障子を少し開ければ、遠くに波音ここは現世だとわかっていても、まだどこか足元がふわふわしていた。戻ってきたはずなのに、世界がほんの少し、傾いて見える。
「……ほんとに、行っちゃったんだね。会っちゃったんだね」
最初に口を開いたのは、ユリだった。
布団の中、頬に枕を埋めながら、少し声をくぐもらせる。
「竜ってさ。おとぎ話じゃん。物語のラストボスとか、王国を焼き尽くすとか、そんな存在だったのにさ。今日見たのは……なんか、違ったね」
「……違ったな」
隣で寝返りを打った。
アカネがぼそりと応じる。
「でかくて、すごくて、怖くて、でも……なんかさ。あれ、父親だったんだよね、瑠璃の」
「そう聞くと、急に現実感あるね」
「ないけど」
二人は、そこまで言って、黙った。
ふたりとも、まだ咀嚼しきれていない。
異界の景色は、現実の延長にあった。でも、あまりに理屈を超えていた。
「理解できないけど、感じてしまった」
そんな種類の体験。
そして――
「でも、羨ましいとも、思った」
言葉を差し込んだのは、ユズリハだった。その声はどこか淡々としていたが、沈んでいるわけではなかった。
「自分の出自を知ること。それを受け入れて、向き合って、前へ進むこと。瑠璃はそれをした。――私は、どうなんだろうね」
「ユズリハも……会いたいの?」
「別に。“親”という意味じゃない。でも、向こうに“自分が帰るべき何か”があるとしたら。知っておきたいとは、思うよ」
アカネが起き上がって、腕を組んだ。
「なんかさ……あたしたち、すっげー物語の中にいる感じしない?もしくはRPG。ラストダンジョン途中の拠点で夜に語り合ってる気分」
「じゃあ、次に目覚めるのはアカネだったりして」
「やめてくれ。あたしの家、めっちゃ普通の銀行員家庭だから。どっからどう見ても“属性”ねぇよ!」
そう言って笑ったあと、三人はそれぞれに天井を見上げた。
それぞれが思っていた。
――異界って、他人ごとじゃないのかもしれない。
――あれは瑠璃だけの旅じゃなくて、きっとわたしたち五人全員の物語なんだ、と。
波の音は静かに、でも確かに続いていた。
異界と現世の境目をなぞるように。
― 異界からの贈り物 ―
朝の光が、縁側に斜めに差し込んでいた。
潮の香りに混じって、どこか“まだ現実になりきれない”匂いが残っている。
「おはよ。いい夢、見た?」
にやにやしたスクルドが、和装のままちゃぶ台の前に腰を下ろした。
その手に持っていたのは、白布でくるまれた五つの包み。
「はい、みんなにお土産」
「……え、まじで?」
アカネが思わず立ち上がる。
「異界ってさ、観光地だったっけ!?」
「まあ、“観光地に擬態した何か”ってことで」
スクルドが肩をすくめながら包みをひとつずつ配る。
「異界は返礼を忘れないの。お前たちが何かを持ち帰ったなら、あちらも何かを託す。これはその“形”だよ」
そして順に、彼女たちは包みを開いていった――
橘 ユリ
そこにあったのは一本のペン。
けれど、どこにもメーカーの刻印はない。
細く、異様に軽く、それでいて指に馴染む不思議な感触。
「……なんか、書けってこと?」
「そうかもね」
スクルドがにっと笑う。
「それ、“書いたことが現実になる”って噂があったヤツ。……もっとも、信じるかは君次第」
ユリはじっとペンを見つめていた。
その目の奥に、何かが宿り始めていた。
新庄アカネ
包みの中には、小指ほどの大きさの“爪”があった。
それは金属でも骨でもなく、**熱を持って鼓動しているような感触**。
「え、なにこれ怖い……てか、これ爪? 龍の爪?ってかなんであたしなの!?」
「その爪、気に入ったらしいよ。“向こうの誰か”が」
スクルドは軽く笑った。
アカネは黙って、それをそっと掌に乗せた。
どこかで、自分の中にも“熱”があるのを思い出していた。
青木 瑠璃
中には、掌よりも少し大きな銀白の鱗。
縁が薄く、触れるとひやりと冷たく、まるで“父”の気配がそこに残っているようだった。
「……お父さんのだね」
そう言った瑠璃の声は、どこか照れくさそうで、でもあたたかかった。
「“お守り”にするのも、“力の鍵”にするのも自由だよ」
スクルドの声も、そのときだけは真面目だった。
森里愛鈴
包みの中から現れたのは、薄い光の輪。
それは物理的には“存在しない”ようで、けれど手に取ると、確かに“重さ”があった。
「これは……?」
「君にだけ見えるもの。
見えるってことは、もうそういう段階ってことだね」
「……つまり、神格化進行中?」
「うん。おめでとう、セミ神」
「やだ、その言い方」
愛鈴は苦笑しながらも、その輪を掌に収めた。
その輪は、彼女の手の中で、微かに明滅を繰り返していた。
立花ユズリハ
最後に残された包みを、ユズリハが無言で受け取る。
開いたその中身に、一瞬、全員の目が吸い寄せられた。
そこには、小さな**鏡**があった。
直径十センチほどの円形。
装飾はほとんどなく、枠は黒曜石のように光を吸い込んでいた。
「……?」
「それは、“本質を映す鏡”だって言われてる」
スクルドの声はやや低くなった。
「でも、今はまだ、何も映さないはず」
「なぜ?」
「“見る準備ができたとき”にだけ、本当の姿を返すんだよ。それが、あんたの“鍵”ってわけ」
ユズリハは無言で頷いた。
そして、鏡をそっと胸元にしまった。
五人の少女が、異界からの贈り物をそれぞれ受け取った朝。
静かな波の音が、外から響いていた。
けれど、もう昨日までと同じ夏ではない。
確かに何かが変わってしまった夏だった。
そして夜の露天風呂にて
湯けむりが立ちのぼる岩風呂は、山の中腹に作られていた。
見上げれば夜空に無数の星。
目を閉じれば、耳に届くのは虫の音と、時おり遠くで響く波音だけ。
「最高~……」
アカネが肩まで湯に沈んで、声を伸ばす。
「このために生きてるって感じするね~」
「明日からも生きて」
ユリが即座にツッコミを入れる。
「いい湯ですね」
ユズリハはきちんと頭にタオルを乗せて正座している。
「ちょっと熱めですが、このくらいの湯温が“気”の循環には理想的です」
「ユズリハ、それ正座意味あるの?」
「身が引き締まりますので」
「リラックスして!」
愛鈴が笑って、隣の瑠璃がふわりと笑った。
「みんなでこうしてお風呂、何年ぶりだろう。なんか、ほんとに旅してるって感じするよね」
――と、そこへ。
「おーい、女子会やってるー?」
聞き覚えのありすぎる声が、のぼり口からぬるっと届いた。
「……あれ」
愛鈴が振り向く。
「え、待って、なんで来てるの?」
「なんでって、温泉に酔いに来たに決まってるじゃん」
ずるりと登場したのは、ウルドだった。
いつもの派手な衣装ではなく、浴衣に肩をはだけさせた“完全リラックスモード”。
「というわけで、混浴よ~ん」
そう言って、ざばーんと湯に飛び込む。
「やめて、やめて、やめて」
全員が一斉に距離を取る。
「待って、ウルドさん酔ってますね!?」
愛鈴が思わず声を上げる。
「酔ってるわよ! そりゃもう、べろんべろんの超神級!!」
ウルドは湯の中でバシャバシャと暴れたあと、ふと静かになって、ぽつりと呟く。
「だってさ……これが酔わずにいられる?私たちがどれだけ背中を押したって……あんた、なかなか前に進もうとしなかったんだから」
「え……?」
愛鈴が目を見開く。
ウルドは、笑っていた。
でも、その目は少しだけ赤くて、どこか懐かしげだった。
「でも、あんたの友達がさ……ちゃんと、手を引いてくれたのよね。引っ張ってくれたの。優しくて、強くて、バカみたいに真っすぐな子たちが」
愛鈴は、ふと隣を見る。
瑠璃、アカネ、ユリ、ユズリハ。
この数日間で、一緒に笑って、困って、泣いた顔が、湯気の向こうに浮かんでいた。
「……それで、今の“お前”があるのよ」
ウルドの声は、まるで過去をふりかえる姉のように静かだった。
湯けむりの向こう、ウルドがそう言ったとき、
一瞬、誰も言葉を返さなかった。
(確かにこの子達がいなかったら私は闇の底に墜ちてたかも)
アカネが。
「なんか変なこと考えてる?」
ユリ。
「私も愛鈴にたくさん助けてもらったよ」
瑠璃
「あの、そのせつは本当にお世話になりました」
ユズリハ
「友達、親友だものあたりまえ」
ただ、じわじわと伝わる湯の温度と同じように、
言葉の“あたたかさ”が、胸の奥に沁みてくる。
「……ねえ、ところで」
そんな沈黙を破ったのは、ユリだった。
「お風呂でお酒って……人間はダメだよね? ほら、のぼせるし」
「あー、アウトだね」
アカネが肩をすくめる。
「うちの親、すっごく怒るやつだわ」
「では女神は?」
ユリが真顔で問い返す。
ユズリハがすっと顔をあげた。
「代謝が違いますので、酔っても生命には影響ありません。が――」
「が?」
「理性は崩壊します」
「もう崩壊してるし!!」
アカネが全力で突っ込んだ。
ウルドはもう湯船のへりにのぼせて寝転び、
「ふふーん♪」とご機嫌で鼻歌まで歌っている。
「あ、それから螢一とベルダンディーもこっち来てるわよ」
「ロマンティクスしにきたか……」
愛鈴がやや遠い目をして呟いた。
それでも、夜風は心地よく、
虫の声も、もう秋の気配を少しだけ運んできていた。
「愛鈴さん」
ユズリハが隣から声をかける。
「ん?」
「その……首元、光ってますよ」
「えっ?」
慌てて手で首を探ると、そこには――
光の輪。
あの、異界からのお土産が、湯気の中で微かに発光していた。
「……え、なんで?」
「たぶん、反応してる」
瑠璃がぽつりと言う。
「今のあなたの、何かに」
ユズリハが続けた。
「つまり、お姉さまの酔っ払いトークに感化されたってこと?」
アカネが少し苦笑混じりに笑う。
「……かも」
愛鈴は、光の輪をそっと両手で包んだ。
“力”とか“神性”とか、難しいことはまだわからない。でも、今こうして、みんなで笑ってるこの瞬間に、何かが確かに“前に進んでる”って――そう思えた。
湯の温度はちょうどよく、
風は静かに吹いて、誰かが「そろそろ出ようか」と言ったとき、湯船の中の誰もが、その一言にすっと従った。まるで、ほんの少し、何かの“儀式”が終わったかのように。
夜の露天風呂。
ひと夏の、ひとときの魔法。
ウルドが言ったように、「友達が手を引いてくれた」――それは、愛鈴にとってかけがえのない贈り物だった。
― 翌朝・龍我浜の海にて ―
快晴。夜のしじまを吹き飛ばすような青空の下、海は穏やかに、しかし確かにきらめいていた。
「いくよー! しっかりつかまってね!」
「うっそ、ほんとにいくの? これマジで?」
「マジもマジ! 本気で飛ばすから!!」
浜辺から少し沖合。
ジェットボートの後ろで、ユリとアカネが、悲鳴混じりに大はしゃぎしていた。
スクルドの提供した試作機――“海上浮遊高速艇”は、音もなく水面を滑り、時おり意図的に“跳ねる”。
「跳ねたー!? 跳ねたよ今!?」
「私たちの魂まで浮いた気がする!!」
遠くから見ると、二人の絶叫が波間に溶けて、夏そのものの音になっていた。
「……楽しそうですね」
「元気だよね、あの二人」
浜辺から少し離れた位置、
愛鈴と瑠璃は、ゆっくりと水面を泳いでいた。
沖へ向かって一直線ではなく、ゆるやかなカーブを描きながら。
波は高くないが、足はもうつかない。
「遠くない?」
「たまには、ね。こういうのも」
泳ぎながら、ふたりは言葉を交わす。
沈黙していても気まずくない、“親友”の距離。
「昨日のこと、思い出す?」
「うん……全部じゃないけど。
あの空気の重さ、言葉のひとつひとつ、手のひらの感触……」
「目の前にいたのに、なんか遠くて、でも、近くて」
ふたりは、ふっと笑いあった。
「私さ、ちょっとだけ思ってた」
瑠璃がぽつりと言う。
「“あそこで暮らしてもいいかも”って」
「……うん」
愛鈴も、ゆっくりと頷いた。
「でも、たぶん――“帰る理由”がある限り、私はここに戻ってくるって、思ったよ」
「それ、あたしも同じ。まだ終わってないし、まだ伝えてないことがある。だから、もうちょっとだけ、泳いでたい気分」
ふたりの背中には、太陽の光がまっすぐに差し込んでいた。
まるで、それぞれの“選んだ道”を祝福するように。
この日の空は、朝からずっと晴れていた。
昨日の異界の影など、もう幻だったかのように。
昼下がりの浜辺。
ユリとアカネがジェットボートから戻ってきたタイミングで、
スクルドが「やっぱり物足りない」と言い出したのが、すべての始まりだった。
「ジェットボートなんて所詮は遊びよ、遊び。これからは、“船”の時代!」
そして数分後――
「どうしてこうなるの?」
「なにこれ、デカすぎない!?」
砂浜にドカンと鎮座していたのは、ジェットボートとは思えないサイズのミニクルーザー(全長12m)だった。
船体側面には手書きで《SCULCRUISER-01》のロゴ。
「改造っていうか……**増築レベルだよね**」
アカネが呆れ顔で呟く。
「スクルドさん、これ……免許いるんじゃ……?」
愛鈴が小声で言うと、スクルドは自信満々に顎を上げた。
「当然、持ってる。特殊小型船舶操縦士一級・天界認定よ!」
「天界のやつ!? それって地上じゃ使え――」
「使えるに決まってるでしょ、私が調整したんだから」
「説明になってない!」
全員のツッコミが入った。
だが結局、船は出た。
風は穏やか、天気も最高。軽食も詰めて、冷たい飲み物と果物も用意されていた。
「バカンスって感じ~」
アカネが日差しを浴びながら寝転ぶ。
「こういうのも悪くないですね」
ユズリハが読書を始める。
「船って気持ちいいねー」
ユリが海面を覗き込み、何かと会話している(気がする)。
愛鈴と瑠璃は、船の後部で足をぷらぷら水に浸していた。
「意外と快適じゃん、スク姉やるね」
「やればできる人なんだよ」
――が。
「……ん?」
スクルドが操舵席から顔を上げ、水平線を睨む。
「ちょっと……このあたり、思ったより潮が強いかも」
「ちょっとって?」
「えーと、ちょっとだけ、帰りに逆流になりそうな……」
数時間後――
「あれ? 陸、見えなくない?」
「そろそろ戻ろうよ、戻ろうってば!」
「風向き変わってる!?」
「スクルド、計器壊れてない!?」
「たぶん、ちょっとだけ遭難したかも」
「“ちょっと”で済むかー!!」
空は今日も青く、
風も優しく、
そして――船は帰れなかった。
「…………」
誰もが一度は黙って空を見上げた。
「水の確保はできました」
ユズリハが報告するように言った。
クルーザーの**緊急用浄水装置**は完璧に機能し、海水を透き通る水へと変えてくれている。
「非常食も、三日分はある。
ただし、レトルト。味は保証しない」
スクルドは資料を読みながら、少しだけ気まずそうに言う。
「……で、いつ帰れるの?」
アカネの質問は、全員の心を代弁していた。
「電波は……届かない。多分、偏向磁場のせい」
スクルドが眉間を押さえる。
「でもまあ、最悪は**ドローン飛ばして SOS出す**しかないかな」
「そんなもの積んでたの?」
愛鈴が目を丸くする。
「もちろん。スクルド製ドローン“デンジャーレス鳩2号”。」
「なんで2号……」
愛鈴はため息まじりに海を見た。
日差しの中、静かに波が寄せてくる。
気持ちいい。静か。けど――**遭難中。**
「でも、思ったより誰も焦ってないよね」
「うん、みんな逞しいよ」
スクルドが苦笑する。
「もっと逞しいのが――来た」
愛鈴が顎で指したその先。
「―――あ。」
とん、と砂浜に降り立った影。
その手には、片方に巨大な魚。もう片方には、てんこ盛りの海藻。そして、口にはなぜかハマグリをくわえている。
「…………」
一瞬、言葉がなかった。
「……獲れたて!」
瑠璃がご機嫌でそう言った。
「ねぇ、それどこで……」
「素潜り」
「どうやってその魚を……」
「頭突き」
「なぜ口に貝を……」
「忘れてた」
ユリがそっとツッコむ。「野生のドラゴンなの……?」
「まぁ、これでご飯は豪華になるね!」
アカネが現実を受け入れた。早い。
「じゃあさ、火を起こして――って」
すでにユズリハが精霊符でコンロ代用火力を展開していた。
「万能か君たち……」
愛鈴はもう何も言わなかった。
夕暮れの空の下、
巨大な魚は焼かれ、
海藻は味噌汁に化け、
貝は何故か串焼きになった。
風が吹く。笑い声が響く。
ここが“遭難中”だということを、ふと忘れそうになる。
けれどその夜。
スクルドは星空を見ながら、つぶやいた。
「……一応さ、明日までに戻れなかったら――天上界に報告入るからね」
「それって、やばいの?」
アカネが箸を止める。
「たぶんベルダンディーが迎えに来る。しかも本気で怒ってるやつ」
その瞬間、全員が黙った。
唯一、何も気にしてない顔で魚を食べ続ける瑠璃の姿が、やけに神々しく見えたのだった――。
星が瞬き始める頃、
漂流中のクルーザーの甲板には、さすがに疲れの色が見えはじめていた。
「……そろそろ帰りたい……」
アカネが空を見上げてつぶやく。
「食料はあるけど、寝具がないのは辛いね……」
ユリがタオルにくるまっている。
「浄水器にも限界があります。符にも」
ユズリハが淡々と現実を告げる。
「私は符に依存してるので、これは深刻です」
「いやもう充分働いてるから……」
愛鈴は苦笑を浮かべて、一枚だけ残った護符をそっとユズリハに渡した。
「ありがとう、愛鈴。これは“心の支え”として使います」
「実際の支えにはならないの!?」
小さく笑いがこぼれた瞬間――
「……それにしても」
愛鈴がぽつりと呟く。
「私、母さんに怒られたことってあんまりなくて……だから逆に、怒られるってなると……怖い」
「わかる」
「それな」
「こわい」
三人が即座に頷いた。
「まあ、もうしょうがない。みんなで怒られますか」
スクルドが肩をすくめた、その時。
「――お、愛鈴。なんか、光ってるぞ」
その声に、みんなが振り向いた。
愛鈴の胸元。そこにかかっていた“光の輪”が、淡く、しかし確かに光を放っている。
「これ……竜帝さんにもらった、“光の輪”」
「なんで今――?」
そのとき。空気がピリ、と裂けた。
『――そっち行くから。なんかAI機器、開け』
「え? ええっ? えっ?」
声の主は、聞き慣れたあの姐さん。
「ウルドさん!?」
愛鈴が慌ててスマホを取り出す。
スクルドがすかさず横から覗き込んだ。
「まさかね、そんなバカな――」
スマホの画面が一度、砂嵐のように乱れ、次の瞬間――
ウルドの顔が、どアップで映った。
『うっし! 映ったわね! 久しぶりー!』
「なんで画面越しに手を振ってるのに、背景が宇宙!?」」
『そっちの空間座標、今読み取ったわ。もうすぐ入るから!』
「入るってなに!? どこに!?」
『船よ船! そっちにちょっとした“時空の窓”開くから、今から突っ込む!』
「突っ込むって――え、え、突っ込む!?」
全員がスマホを覗き込んだ瞬間、
空間に“縦の裂け目”が生じた。
そしてその向こうから――
『おーい、お待たせ――ッ!!』
ウルド、降臨。
スーツ姿にフライトゴーグル、背中には何やらエンジンを背負った装置。そのまま“裂け目”を滑り抜けるようにして、
船の甲板に着地した。
「ふぅ、間に合った!」
「それ物理法則的にどうなってるの!?」
「ていうか、姐さん何しに来たの!?」
『怒られに来たのよ。みんなでね?』
ウルドはニカッと笑い、スマホを愛鈴に返した。
クルーザーのエンジンが再び息を吹き返したのは、日が傾きかけた午後――ウルドが船底から顔を出した瞬間だった。
「OK、パッチ当てた!スクルド、試運転お願い!」
「そっちの工具、それソケットじゃなくて六角よ!」スクルドが叫ぶと、ウルドは「あ、ほんとだ」と苦笑してレンチを持ち替える。
「……この人たち、神であり発明家であり、根っからの修理屋なんだよね……」
ユリが小声でつぶやき、
「誰か止めないとジェットクルーザーが戦艦になりそう」とアカネが呟いた。
愛鈴はというと、無言で手伝いながらも、
光の輪がうっすら輝くのをときおり見下ろしていた。
(あの人――竜帝さんが、何か“意味”を込めて渡したのなら)
(たぶん、こうして“守られる”ことも、その一部だったんだろう)
一方、瑠璃は船首で釣り糸を垂らしていた。
「今夜のごはん確保しとくー」
「さすがドラゴン娘……」
そして――帰還。
クルーザーは星雲荘前の桟橋に、静かに滑り込んだ。
「……ほんとに帰ってきたんだな」
誰かがぼそっと言い、それに全員が「うん」と頷いた。
ユズリハが空を見上げ、しみじみと言う。
「生きているって、素晴らしい」
「なんで修学旅行終わったあとみたいな空気なんだろうね……」
アカネが笑う。
荷物を降ろし、汗をぬぐい、クルーザーの排熱がまだ残る夕暮れ時。
愛鈴のスマホが、小さく振動した。
「……あ、母さんからだ」
全員の視線がスマホに集まる。
「ま、まさか天界からのお叱りとか!?
“そちらに戻ります。覚悟しておきなさい”とか――」
アカネが慌てて両手を合わせる。
「“裁きの鐘が鳴ります”とかじゃない……?」
ユリも顔をこわばらせる。
「既読つけちゃった……」
愛鈴が静かに画面を開く。
表示されたのは、
たった一行。
≪ベルダンディー≫
「無事で何より(^o^b)」
……沈黙。
数秒後――
「ぶははははははっ!!」
「母さまぁ~~!やさしい~~!!」
「逆に怖かったよぉぉおお!」
「このタイミングでその絵文字!?!?!?」
「しかも親指立ってる!!」
甲板に崩れ落ちる者、笑いすぎて腹を抱える者。
泣きながら笑うユリと、突っ伏して転がるアカネ。
ユズリハは意味がわからないまま、顔を真っ赤にしている。
「……やっぱ、あの人最強だわ……」
スクルドがつぶやいた。
「母さん……ほんとに怒ってなかったのかな……」
愛鈴がスマホを見つめる。
「怒ってたさ。でも、それを“無事”の一言に変えられるのが“母”なのよ」
ウルドはそう言って、
そのまま星雲荘のロビーに消えていった。
愛鈴の手の中で、スマホは静かにまた震えた。
≪ベルダンディー≫
「次は、ちゃんと予定を教えてくださいね(^o^)」
今度は“笑顔の顔文字”。
「……もう無理……」
「笑い死ぬ……」
全員、床に伏した。
空は、すっかり夜の帳に包まれていた。
八月の風は、もうどこか柔らかくなっていた。
車窓から見える景色には、かすかな夕暮れの気配。
山を下り、街に戻るその車の中は、不思議なほど静かだった。
「……やっぱ、帰ってきたって感じするね」
先に口を開いたのはアカネだった。
背もたれに深く体を預け、サンダルの紐を指でくるくるといじっている。
「うん……夢だったのかも、って思っちゃうくらい」
ユリがぼそりと続けた。
「遭難して、光って、龍に会って……そのあとで焼きトウモロコシとか食べてるって、なんかもう……」
「現実感がないのも無理はないわね」
ユズリハは後部座席でタブレットを操作していたが、画面を閉じると小さく微笑んだ。
「でも、夢だったらここまで疲れないと思います」
「それは言える……」
愛鈴は髪を結び直しながら、ふと“輪”に触れる。
胸元に下げたままの、竜帝から受け取った光の輪――
まだほんのりと、温度が残っているような気がした。
「父親、って感じだった?」
瑠璃が隣から訊いた。
「んー……うん、でもちょっと違ったかも」
愛鈴は、考えながら答えた。
「“大きな存在”って感じ。厳しさも、優しさも、静けさも、全部混ざってる。それでいて、なんか懐かしいような気持ちになる……」
「私も、似た感じだった」
瑠璃がそう言って、腕を組んだ。
「でも“懐かしい”って思えるほど、あの人と私は会ってない。なのに、なんでかな……」
誰もすぐには答えられなかった。
車の中に、再び静けさが戻る。
でもその静けさは、気まずいものでも、退屈でもなくて――心地よい“共有”の静けさだった。
誰かが話し出せば、笑いもできる。
でも今は、みんな、それぞれの“余韻”を抱いていた。
――愛鈴は、天上界に続く“線”の存在を思い出していた。
あの光の輪が繋いだものは、父と母のさらに先へ、もう一つの空へと広がっている気がする。
そこへ向かって、自分が歩き出したことを、確かに感じていた。
――瑠璃は、自分の“内なる声”に耳を澄ましていた。
角を持ち、雷を操り、竜の力を得た自分。
けれどその力は、自分が何かを選び取らない限り、ただの“可能性”にすぎない。
「そろそろ……着くかな」
アカネが窓をのぞきこむ。
「アイス食べたい……」
ユリのひとことで、ふっと場が和んだ。
「さっき食べたでしょ」
「でも、あれはスイカバーで、今はソフトクリームの気分なの」
「わがまま……でもまあ、わかる」
ユズリハも苦笑しながら同意する。
愛鈴は、そんな皆のやりとりを聞きながら、
少しだけ目を閉じた。
(夏が終わる……)
でも、確かに何かが始まった。
この夏の“出会い”と“揺らぎ”が、きっと彼女たちの中に、強く、美しく刻まれていく――。
ノリモノaは、猫実市の街灯の中へと滑り込んでいく。
窓の外に映るのは、どこか懐かしく、少しだけ違って見える日常の風景。
それは、少女たちの“旅のあと”が、
確かに彼女たちを変えた証だった。
後書き
次は8/21 19時
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