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ああっ女神さまっ 森里愛鈴 ―天と地をつなぐ翼―

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15-2 はじまりの双翼

 風が、違っていた。
 天上界で感じていた風は、律された呼吸のように整っていた。香も熱も、予測できる流れにのって、神域の空気を磨いていた。
 でも、地上の風は違う。
 気まぐれで、あたたかくて、時にざらついていて──それでも、なぜか懐かしかった。
 立花ユズリハは、白い外套のフードを下ろしながら、小さく笑う。
「これが……地上界の風」
 遠く、雲の切れ間から夏の日差しが差し込んでいた。木立のざわめき、地面を這う草の匂い、そして、人々の暮らしの気配。
 すべてが、音を立てて迫ってくる。
 彼女の瞳は静かに、しかし確かに輝いていた。
──私、ようやく来たのね。
 編入手続きは、天上界側の「降界調整局」を通じて行われた。学籍管理部門では異例の“地上界中学への中途編入”として処理され、保護者登録は形式上「代理家神」である母方の神格が担うこととなった。
 両親──風と雨を司る気象神・風環ノトリヒメと、雲導カゼオミ──は、地上界に数多くの霊標を残している影響から、彼女の地上降臨にも「天候調整区画」単位での干渉制限が設けられた。
 つまり、場所を選べば、地上に存在してもよい。
 そう、たとえば──あの娘のいる場所。
 セントパッドの画面に表示された地図には、「私立聖神学園・中等部」の校舎が、小さく点滅していた。
「おはよう、森里さん──って、あれ?」
 教室の扉が開かれた瞬間、空気がふっと変わった。
 朝のざわめきの中に、その子は現れた。
 白い制服に、深緑の瞳。長く伸びた髪をゆるやかにまとめて、静かに立っていた。
「え、……え、えっ!?」
 愛鈴は、固まった。
 誰よりも早くその姿に気づき、誰よりも言葉を失っていた。
 その娘が、静かに微笑んで一歩前に出る。
「はじめまして。今日からこのクラスに編入することになりました。立花ユズリハです」
 丁寧なお辞儀。響く声。まっすぐな視線。
 まるで“完璧な転校生”のように見えたその姿に、周囲は息を呑んだ。
 しかし、ただ一人、森里愛鈴だけが──震える声で、呟いていた。
「……うそ……まって……まって、なんで、なんで……え、ほんとにユズリハ!? 追いかけてきたの? ほんとに? え、ええええ……っ!?」
 隣の席のユリが、思わず耳をふさぐ。
「アイリ、音量!」
「いやだって……だって……ユズリハ!? え、ほんとにユズリハ!? 本物!? 影武者じゃない!? アバターじゃない!? なにそれ編入って、え、ええぇ!?」
「ふふっ、うるさいわよ、アイリさん」
 小さく笑ったユズリハが、ふっと近寄ってくる。
「ちゃんと、ここに来たわ。だって、“会う理由”ができたもの。──私たち、これからは同じ地上界の空を歩くのよ?」
 その言葉に、愛鈴の喉が鳴った。
 意味もなく、涙が出そうになる。
 天上界の模擬戦。別れ際の静かな舞。そして──彼女の瞳に宿っていた、確かな何か。
 今、こうして再び目の前に現れた少女は、それを言葉にしてくれた。
「……バカ……びっくりするじゃんか……」
 愛鈴の声は震えていた。けれど、それは怒りではなかった。
 どこか、嬉しさをこらえるような、照れくささと戸惑いと……何より、心の奥のどこかで、ずっと望んでいた再会だった。
 ユズリハが席につく。
 その瞬間、愛鈴のとなりの空席が、ようやく埋まった。
 それは、ただの一席ではなかった。
 森里愛鈴という存在にとって──もう一枚の羽が、ようやく地上に降りてきた瞬間だった。
 その日、午後の風は少しだけ強かった。
 けれど、誰もそれを“乱れ”とは感じなかった。
 ただ、何かが始まる前触れのように、教室の窓を、優しく叩いていた。
 放課後、校庭裏。
 日が傾き始めた木陰の一角で、三人が向かい合っていた。
 愛鈴、ユズリハ、そして──青木瑠璃。
「……あの、その、えっと……はじめまして?」
 瑠璃は、いつものように俯き気味で挨拶をした。
 制服の襟を指でいじりながら、目線は定まらない。
 けれど、ユズリハは──その顔を見た瞬間、固まった。
「…………」
「ユズリハ?」
 愛鈴が、不安げに呼ぶ。
「…………つ、角……!?」
 その声は思わず裏返っていた。
 驚きと戸惑いと、そして、純粋な“予測不能”が混ざったリアクションだった。
「え、ええっ!? なになに? 今さら!?」
 瑠璃が慌てて頭を押さえる。
 そこには、自己主張の激しい確かに存在する──二本の角。
 肌色とやや違う赤みを帯びた質感。根元から微かに光を放つその形状は、どう見ても“生えている”以外の説明がつかなかった。
 ユズリハが、震える指を伸ばす。
「しかも……2本……!? それ、飾りじゃないの? 本物なの? えっ、えっ、えぇ……」
 その様子に、愛鈴が思わず肩をすくめる。
「うん、本物。ていうか、そこまで驚くと思わなかった……さすがにもう慣れたでしょ、ルリの角」
「慣れるって、そんな……神属でもないのに、身体から角が!? 構造どうなってるの!? 神造器官!? 生体魔力の変異!? それとも原初系統の交雑!?」
「えぇ……解剖される……?」
 瑠璃が涙目になる。
「だ、だいじょうぶだいじょうぶ!」
 愛鈴があわてて間に入る。
「この子、こう見えて“戦闘系女神候補生・序列5位”だから、わりと“好奇心→実技”の流れが早いのよ! 止めないと触るから!」
「ちょ、そんな紹介やめて! 私は解剖なんてしないっ!」
 ユズリハが頬を赤らめて手を振る。
 だが、瑠璃はすでに一歩下がっていた。
「だいたい、ドラゴンハーフなんて初耳なのよ……! 存在するの!? 法的にOKなの!? 人間界の種族管理はどうなって……」
「うわあ、地上に降りてきたての天上界勢って、ほんと世界観バグる……」
 瑠璃が小さく呟くと、愛鈴がこっそり耳打ちする。
「だいじょうぶ、ユズリハ基本的には常識あるから。ただ、想定外に出会うと軽く爆発するだけ」
「それ常識人じゃないと思う……」
「ついでに言うと、あの角──どこから生えたの!?」
 再び叫ぶユズリハに、愛鈴と瑠璃が一斉に倒れそうになる。
 この日の夕暮れ、聖神学園では。
 「地上の神姫」と「天空の舞姫」と「角のある竜の子」が初めて出会い、教室裏で大騒ぎしていた。
 誰も知らないところで、新しい物語が、静かに動き始めていた。
 河川敷、夏の午後。枯れた草の香りと、乾いた砂の熱気が、遠くのセミの声と溶け合っていた。
「……行くよ」
 青木瑠璃がそう告げて、両手を軽く前へ。
 目を閉じ、深く息を吐き、肩の力を抜く。
 そして──ゆっくりと指先を絞るように、中心へ向けて力を集めていく。
 次の瞬間。
「……っ」
 掌の間に、ぽっと紅い光が灯った。 
 ひとひらの火。だが、それは空気の流れに呼応するように、細く、長く、炎の帯へと育っていく。
「……きれい……」
 その様子を、立花ユズリハは真剣な表情で見つめていた。膝を折り、風の向きに合わせて身を低くする姿勢は、まるで儀式の観察者のようだった。
「温度変化が段階式……しかも周囲との霊圧干渉を抑えながら展開してる。これ、完全に“内燃式”の挙動だわ……」
 愛鈴がとなりで苦笑する。
「ユズリハ、感想が学術用語だらけ……本人に伝わらないよ」
「えっ、あ……ごめんなさい。つい」
 ユズリハは気まずそうに笑ったが、目はまだ火の揺らぎを追っていた。
「でも、本当にすごい。火の精霊契約でもないし、術式でもない。なのに、こんなに安定した“炎”を……」
「まあ、当人は無自覚なとこあるけどね」
 と、愛鈴が瑠璃を見やる。
 瑠璃はというと、火の帯をじっと見つめながら、むずかしい顔をしていた。
「これでも……この間までは、火なんか出せるの知らなかったんだよ。出たと思ったら布団焦がして、母さんに“山で修行してきなさい”って言われてさ……」
「じゃあ、まだ制御途中なの?」
「うん。ちょっと調子が悪いと、こっちが燃える。あと、寝起きとか機嫌悪いと勝手に火花出るし……」
「……かわいそう」
 と、ユズリハが小声でつぶやいた。
「え、何?」
「ううん、なんでもない。あのね、瑠璃さん」
 ユズリハが正面に向き直る。深緑の瞳が、真っ直ぐに瑠璃を捉えていた。
「その炎、たぶん天上界の資料にないわ。──私、調べたの。降界する前に」
「えっ?」
「“ドラゴンハーフ”って言葉も、“炎を生む地上神属”の記録も、まったくなかった。私が閲覧した図書階層で、何千年分の神属分類を調べても、該当がゼロ」
「ゼロって……そんな……じゃあ、私って──」
「完全に、天上界の記録外の存在」
 言葉が、静かに落ちた。
 風が、火を揺らす。
「ねえ、ユズリハ」
 愛鈴が、声を潜めて問う。
「天上界って、そんなに抜けがないの?」
「ない。……少なくとも、“炎を使う種族”なんて目立つ存在が見落とされるはずがないの。それが“存在しない”ってことは──“意図的に記録されていない”、か、“そもそも観測されたことがない”かの、どっちか」
「つまり──瑠璃は、“何かの外”にいる」
「うん。おそらく」
 その瞬間、瑠璃がぽつりと口を開いた。
「……でも、私はここにいるよ」
 ふわりと、火が揺れた。
「人間で……女の子で……たまに火が出て、ちょっと角が生えてて……。でも、今日も学校行って、給食食べて、宿題して……。それだけだよ」
「それがいちばん、すごいことなのよ」
 ユズリハの声は、優しかった。
「記録にない力なんて、怖くもなる。でも、ちゃんとここで生きてる。“燃えないように”って、努力してる。そのことに、ちゃんと意味がある」
 瑠璃は、ほんの少し目を丸くした。
 それから、ふっと笑う。
「ありがとう。でも……ちょっと重い」
「えっ」
「いや、“すごい力ね”とか“おもしろい”とか、そういう反応かなって思ってたら……なんかすごい真面目に語られてて、ちょっと照れた」
「……だって、気になるじゃない」
 ユズリハが火の向こうに手を伸ばす。
 炎の熱を避けながら、ゆっくりと近づく指先。
「その力……あなたが、“どこから来たのか”ってこと。私は、知りたいの。あなたが“どこへ行くのか”も含めて」
 瑠璃は、少しだけ言葉に詰まった。
 でも、何かを返すように、火をそっと手のひらに戻す。
「じゃあ、まずは……燃えないコツ、見ててよ」
「見る」
 風が吹いた。
 火の帯が揺れながら、夕暮れの空へと溶けていった。 その火は、まるで命の呼吸のようだった。赤く脈打ち、瞬き、触れれば熱いはずなのに、どこか冷たい孤独を宿している──そんな、不思議な炎だった。
 放課後の帰り道。
 風が和らぎ、夕焼けが電柱の影を長く伸ばしていた。
 三人の前を少し離れて歩きながら、星月ユリは胸の内で言葉を組み立てていた。
──ドラゴンハーフ。
──半分女神。
──そして、生粋の女神候補生。
 あり得ない、でも確かに“ここ”にいる三人。
 ふと、振り返ると──
 青木瑠璃は、リュックの紐をくわえてうなだれていた。
「角の話はもう禁止にしよう……」とつぶやいている。
 森里愛鈴は、そんな瑠璃の背中をぽんぽんと叩きながら笑っていた。
「だって、面白かったんだもん」と。
 そして、立花ユズリハはその二人を見守るように並んで歩いていた。表情は穏やかだが、瞳の奥には、何か──まだ言葉にされない「距離の測定」があった。
 ユリは、少し口角を上げて呟く。
「このメンバーだけで、小説一本書けるな……いや、軽く1冊分は超えそう」
「えっ、なにか言った?」
 と、愛鈴が振り返る。
「ううん、独り言。……でもさ」
 ユリは立ち止まり、まっすぐに彼女たちを見つめた。
「“ドラゴンと神と人間”が、同じクラスにいるんだよ?しかも、三人とも“自分の力”とちゃんと向き合おうとしてる。こんなに燃える題材、作家志望としては放っておけないでしょ」
 瑠璃が目を細める。
「ま、また私が火つけたみたいな言い方……」
「違う意味で火はついたかもね。執筆欲に」
 ユリがノートを取り出して、何かをメモし始める。
「タイトルは……“はじまりの両翼”、に“角と炎と空のむこう”って副題つけて……」
「それ、全部盛りじゃん!」
 と、愛鈴が笑いながら言う。
「うん。でも、そうじゃなきゃもったいないでしょ。この風景と、この出会い」
 ユリの声は、どこか誇らしげだった。
「アイリ。私たち、もしかして──とんでもない物語の、はじまりにいるんじゃない?」
 その言葉に、愛鈴はふと空を仰ぐ。
 茜に染まった雲の向こう。
 神の世界と、竜の記憶と、人間の息吹が──まだ名前のない“何か”に繋がろうとしている。
「……うん、そうかもね」
 愛鈴が、ゆっくりとうなずいた。
「まだ全部わからなくても。大丈夫。書いていこう、ユリ。私たちの物語を」
 ユリは、胸のノートを軽く叩いた。
「もちろん。書かせてもらうわ、“主人公たち”」
 その言い方が妙に照れくさくて、三人はそろって笑い出した。
 帰り道の夕暮れが、三人の影をゆっくりとひとつに重ねていった。
 やがて風が吹く。
 角のある少女も、翼を持つ娘も、ただの中学生も──その風の中で、肩を並べて歩いていた。
 物語はもう、始まっていた。


「ドラゴンハーフ」と「半分女神」と「生粋の女神候補生」。
 これだけで、ひとつの物語が書けそうだ──
 そう思った私は、窓辺で手帳を閉じ、ため息の代わりに空を仰いだ。
 森里愛鈴。
 立花ユズリハ。
 そして、青木瑠璃。
 火を吐く少女と、風を纏う少女と──
 “その中心”で、世界の均衡を受け止めて笑う、あの子。
 両翼のような二人に守られるその姿が、ときどき、何かの“神話”をなぞっているような錯覚を起こす。
──私は、見ていた。
 “特別”たちの間に立つ、あの子の孤独を。
 あの子が、ただ「特別だから」じゃなくて、
「特別であろうとするために」
 どれほど静かに足掻いてきたかを。
 私は──ただの人間だ。
 この三人の中に、異能はない。
 火も出せないし、空も飛べないし、風の声も聞こえない。
 でも、私は知っている。
 その“はじまり”を。
 あの子がまだ、小さかったころ。
 春の夕暮れ、赤信号の横断歩道。
 私は、不注意だった。イヤホンをして、下を向いて。
 走ってくる車の気配も、誰かが叫んだ声も、何も届かなかった。
──間に合わない、と思った瞬間だった。
 時間が、止まった。
 風が鳴った。地面が震えた。
 そして──光の壁が、私と車の間に、現れた。
 そこに立っていたのは、
 ランドセルの肩紐を掴んだまま、唇を真っ青にしている女の子。
 森里愛鈴。六歳。
 あのときの記憶は、まるで夢みたいに断片的だけれど、
 ひとつだけ確かに覚えていることがある。
 あの子は、泣いていた。
 私を助けて、泣いていた。
 私は気を失って、病院で目を覚ました。
 怪我は軽傷。医師も家族も不思議がっていた。
 あの車のスピードなら、助かるはずがなかったって。
──でも私は、生きていた。
 理由は、あの子だ。
 後から聞いた。
 あのとき、あの子の神力が“暴走した”って。
 制御不能の閃光。神の力の一撃。
 目撃証言も、記録も残らないのに、私の胸の奥だけに、あの日の風が残っている。
 だから私は──彼女に返しても返しきれない恩がある。
 それはもう、命そのもの。
 けれど、彼女は決して「助けた」なんて言わない。まるで、なかったことにするように。それが“封印”されていた記憶だったと知ったのは、ずっと後のこと。
 だから私は、見ていたいと思った。書き残したいと思った。
 半分の女神に与えられた、この命と記憶を使って──両翼と竜の娘と、彼女の軌跡を。
 これは物語じゃない。
 私にとっては、現実であり、贖いであり、恩返しなんだ。
──いつか彼女たちが“飛び去る”その日が来るとしても、私は、この世界に、その痕跡を残しておきたいと思う。
 そのための文字、そのための観察、そのための時間を、私は、惜しまない。
 彼女が、生きている限り。
──火って、不思議だ。
 見ているだけで、胸の奥がざわざわする。
 焼けるような熱を感じるのに、触れたくなる。
 危険なのに、目を離せない。
 まるで、青木瑠璃そのものだ。
 初めて「角」を見た日も衝撃だったけれど、
 本当の意味で彼女に惹かれたのは──火を出した、その瞬間だった。
 あれは恐怖じゃない。もっと、本能的な……そう、惹きつけられる感覚。
 真夏の河川敷、風も吹かない夕暮れの中で、彼女の掌にふっと灯った、あのひとすじの火。
 それは“炎”ではなく、“生き物”だった。小さな蛇のように身をくねらせながら、空気を舐め、熱をはらみ、光を滲ませる。その赤は、夕陽よりも深く、彼女の黒髪と角によく似合っていた。
 私はその瞬間、彼女が“ヒト”ではないのだと実感した。
 けれど、彼女は言う。
「私、普通に暮らしたいんだよ。角とか、火とか、すっごい迷惑なの。母さんに“制御できるまでは休学”って言われたし……ほんとやってらんない」
 その言葉は、彼女の中に“人間らしさ”がある証拠だ。
 異形の力を持ちながら、それを自分の“欠点”として見つめてる。
──それが、たまらなく尊い。
 私は作家になりたいと思ってる。
 まだ何も成し遂げてないけど、それでも、この目は曇らせたくない。
「火を吐く少女」を、
「角を持つ少女」を、
 ただ“異能”として描くのは簡単だ。
 でも、そうじゃない。
 彼女たちは、“火”でも“角”でもなくて──
 “悩みながらも、それと共に生きようとする存在”なんだ。
 そして私は、そういう姿を見逃したくない。
 たとえば──炎をまとった手を、誰にも触れられないように隠してる瑠璃の背中。
 間違って焦がしてしまった体操服を、こっそり自分で縫い直している指先。
 体育の時間、ボールが当たりそうになった瞬間に
 反射的に炎が浮かんで、みんなに見られてしまって……翌日、保健室登校になってた。
 それでも、次の週にはちゃんと学校に来た。
「燃やさなかったよ」って、ちょっと得意げに言ったの、
 私は聞き逃さなかった。
 それだけで、どんな英雄譚よりも価値がある。
 瑠璃が火を制御できるかなんて、きっと時間が解決してくれる。
 でも、“火と一緒に自分を受け入れる”には、誰かがそばにいて、肯定してくれないといけない。
 私は──その“誰か”の一人でいたい。
 書き手としても、友達としても。
 そして何より──“森里愛鈴”という、ありえないほどの存在に導かれて、この世界の“真ん中”で火を灯している、この少女の物語を──
 私は、書いておきたいと思った。
 風にあおられるノートの端を押さえて、私はもう一度、彼女の背中を見た。
 ドラゴンの娘。燃える瞳。
 そして──
 まだ気づいていない、未来の主役。
 わたしは、ただの観測者だ。
 そう思っていた。
 いや、思い込んでいたのかもしれない。
 でも──最近、空気が変わった。
 あの“ふたり”のあいだに。
 森里愛鈴と、立花ユズリハ。
 右の翼と、左の翼。
 天上界と地上界、それぞれに身を置きながらも、誰より深く繋がっていたふたり。
 お互いに背中を預けるような信頼。
 言葉より先に通じる呼吸。
 その調和は、どこか神聖ですらあった。
 けれど。
 ユズリハが地上に降りてきてから──ほんのわずかに、呼吸がずれている。
 たとえば、視線。
 愛鈴が何かを話しているとき、
 ユズリハはそれを微笑みながら聞いている。
 でも──その視線が、ふと瑠璃に向かう瞬間がある。
 それは「比較」ではなく、「観察」でもない。
 もっと強く、もっと深く、言葉にできない感情がそこに宿っている。
 ……惹かれている。
 そう直感したとき、私は、ページをめくる手を止めていた。
 ユズリハは、瑠璃に惹かれている。
 燃えるものに。
 未定義の存在に。
 そして、記録にない“特異点”に。
 それが何かを意味するのかは、まだわからない。
 でも、少しだけ──愛鈴のまなざしが、揺れている。
 気づいてるのかもしれない。
 ユズリハの“変化”に。
 でも、何も言わない。
 いつものように笑って、冗談を飛ばして、
 瑠璃の火が暴発しても、「惜しいね、力は制御してこその力だよ」なんて涼しい顔でかわす。
──強いな、と思う。
 あの子は、いつもそうだ。
 痛みを見せずに立つ。
 誰より高く、誰より静かに、孤独を隠して。
 でも、私は知ってる。
 “両翼”の関係は、対等であるがゆえに保たれる。
 片方だけが揺らぎはじめたら──もう片方も、何かを変えなきゃいけなくなる。
 そしてそこに、第三の風が吹き込んだとき──
 その均衡は、必ず、崩れる。
「竜」は、風を呼ぶ。
「火」は、空を変える。
「物語」は、動き出す。
 わたしの心の中にある“書きかけの原稿”が、ざわめく。
 この物語は、まだ始まったばかり。
 でも、きっとどこかで転がりはじめる。
 友情が、恋情になって。
 仲間が、ライバルになって。
 その先で、選び取るものが、それぞれにある。
 私は──その全部を、見届けたい。
 紙に記録する。
 言葉に残す。
 もしこの世界が誰にも知られず過ぎていくのだとしたら、
 せめて、私はその証人でありたい。
 “特別たち”の物語を記す、“ただの人間”として。
 わたしの指先が、ノートに言葉を綴る。
──両翼と竜の娘。
 風と火と、そして祝福。
 はじまりの地上に集った少女たちの物語は、今、確かに、羽ばたき始めた。 
 

 
後書き
次の投稿は8/10お楽しみに 
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