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冥王来訪 補遺集

作者:雄渾
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第三部 1979年
原作キャラクター編
  秘密の関係 マライ・ハイゼンベルク

 
前書き
 完全な新規書下ろしになります。

 話としては、現在(令和6年4月13日現在)連載している「権謀術数 その2」から「権謀術数 その3」の間に入る話です。

 いろいろ悩んだ末に、ユルゲンの子を妊娠したマライの事を外伝で書くことにしました。
本編で書いてもいいんですが、F‐14の話をしているところに色恋沙汰では興が醒めるでしょう。
それ故に、外伝に書くこととなりました。
 ユルゲンの子を妊娠したマライの件ですが、なんで早く妊娠に、気が付かなかったかと思う読者もいると思います。
その辺の疑問も、ここで多少書いておきましょう。
(最終的には18禁の方で全部明かすしかないのかな)
 既婚者の女性でも、初産の場合は妊娠六か月まで気が付かない場合があります。
ましてや、同衾している夫側が気が付かないという話もよくある話としてあります。
 今回、私なりに不倫関係にある女性の対応の仕方を書いてみました。
現実的にこんなことは滅多にあり得ないのですが、まあ夢として書いてみました。
 ベア様どうすっかな…… 

 
 1979年7月14日。
 さて、ユルゲンたちは、カリフォルニア州カーン郡にある海軍兵器センターに来ていた。
ロサンゼルスから、北に約270キロにあるモハーベ砂漠。
かつて、この一帯は支那湖(チャイナレイク)と呼ばれる乾湖があった。
 なぜ米国内の砂漠なのに、支那なのか、という疑問を抱く方もいよう。
それは19世紀末に清から渡った苦力(クーリー)とよばれる低賃金の筋肉労働者が、この場所で工業用の硼砂(ほうしゃ)の採掘事業に携わったからである。
「支那人が集まって過ごした湖」という意味の「支那湖(チャイナレイク)」は、これに由来する。
 20世紀の半ばになるとこの一帯は軍用地としての開発が始まる。
海軍に、支那湖(チャイナレイク)は買い上げられ、1942年以降、ここに海軍兵器試験所としてが建設された。
 戦後は、ミサイルなどの航空兵器開発の一大拠点となり、海軍兵器センターに名前が改められた。
1992年にチャイナ・レイク海軍航空基地と名前が変更になり、今日に至っている。
 
 東独軍の中尉であるマライ・ハイゼンベルクが、なぜ、米国のカリフォルニア州まで来ているのか。
それは、国費留学生としてコロンビア大学に入学したユルゲン・ベルンハルトのパ-トナーとして選ばれたためである。
 ユルゲンは、米海軍の主催するF‐14の展示飛行に呼ばれており、その妻役として一緒にチャイナレイクまで来ていたのだ。
 
 意気揚々としているユルゲンの脇にいたマライは、傍目に見ても陰々滅々とした状態であった。
それは、予期せぬ妊娠によるホルモンバランスの乱れによる軽い鬱症状であった。
 マライにとっての当面の悩みは、不義の結果による、予想外の妊娠の事であった。
東独にいたころから月経不順で悩んでいた彼女は、経口避妊薬としても知られる低用量ピルを服用していた。
東ドイツでは日本より早く、1960年代には低用量ピルの処方が許可されていた為である。
 ユルゲンとの関係は昨年から続いており、低用量ピルを服用していれば、他の避妊を併用しなくても大丈夫だと過信していた面もあった。
 5月末に体調不良を訴えて、密かに私立の病院で内科を受診したときには、すでに妊娠12週を超えている状態であった。
どうするか思い悩んでいて、アイリスディーナの所にそれとなく電話を入れた時には、東独で認められている人工妊娠中絶の許可対象から外れた状態であった。
 父と母の関係を見てきて、色恋沙汰を遠ざけてきたアイリスディーナは、色々と男女の事柄に疎かった。
ユルゲンに蝶よ花よと育てられ、昔気質のボルツ老人の方針もあってか、マライの話にショックを受けてしまった。
アイリスディーナは、ユルゲンの妻であるベアトリクスではなく、知人の木原マサキに連絡を入れた。
マサキは、アイリスディーナの話から、マライがユルゲンと男女の過ちを犯し、妊娠したことを悟った。
 ここでマライの計算に違いが生じた。
まず一番最初に相談したアイリスディーナは、東ドイツでは少数派であるが敬虔なキリスト教徒であった。
――かつて東ドイツ地域は、宗教改革の父とされるマルティン・ルターの出身地であり、ドイツの中でも一番信心深い地域だった。 
 東ドイツの独裁党、SEDは、その宗教政策として、ソ連の助言に基づいて信仰だけは認める姿勢を見せた。
だが、就職や進学で差別を公然と受け、年々信者は減る傾向になってった。
 クリスマスやイースターの祭りは残ったが、教会税も廃止されたので、宗派を問わず、教会の多くは廃墟のまま放置されるほどであった――
 アイリスディーナの答えは単純だった。
理由の如何を問わず、堕胎は悪という考えである。
 次に話を聞いたマサキは、やや複雑な考えであった。
やはり彼は、現代の日本人である。
 マライの言うところの婦人の自己決定権という物を理解していた。
その上で、遺伝子工学の専門家として、明らかな胎児の異常や母体の危機ではない限りは、堕胎という物には否定的であった。
 また、不用意な堕胎は、女性の精神に修復不可能なトラウマを残してしまう事を熟知していた。
なので、ユルゲンはおろか、ベアトリクスまで巻き込んで、この不義の子を産ませたいと思っていた。
 それにマサキ個人としては、ユルゲンとマライの子が生まれれば、ユルゲンとベアトリクスの間に何らかの問題が起きて、ベアトリクスの気持ちがユルゲンから離れるかもしれないという打算があった。
 上手くいきさえすれば、ユルゲンに絶望したベアトリクスを慰められるかもしれない……
そのような卑しい考えさえも、彼の脳裏に浮かんだり消えたりした。
 そして、ここで半端に堕胎を認める立場をとれば、どうなるか。
仮に、これから先、アイリスディーナやほかの女と結ばれた際に、出来た子供を失う恐れも出てくる。
 普段から堕胎に対して、否定的な立場を取っていれば、自分の子供も守れるはずだ。
そんなマサキの深謀遠慮によって、マライは結果的に、堕胎するチャンスを失ってしまった。





「ねえ、マライ、君も俺と一緒にF‐14に乗ろうよ!」
 ユルゲンの妻役として来ていたマライ・ハイゼンベルクは、その提案に思わず度肝を抜かれた。
マサキに自身の懐妊が露見して以降、ユルゲンには一切そのことを伝えないで来てしまった。
 正確に言えば、ユルゲンとの関係の変化や、祖国に残る両親兄弟への迷惑。
アイリスディーナへの遠慮や、ベアトリクスからの報復を恐れて、今までだらだらと来てしまったのだ。
そうしている内に、既に妊娠5か月を超えてしまい、生む・生まないの選択をする時期を超えていたのだ。
 東ドイツは、1972年に条件付きで、人工妊娠中絶を認める法律を採択した。
この女性の自己決定権を認める法案は、議会でさえも混乱の一つとなった。
衛星政党であるキリスト教民主同盟は、公然と反対票を投じ、SEDと対決する蛮勇をみせたほどである。
 結果として妊娠3か月未満――正確には12週未満――においては、条件付きで堕胎が許可されることとなった。
それとて、無制限で堕胎を認めていたソ連、妊娠8か月まで許可していた日本と比して極めて制限的であった。

――あくまで妊娠8か月まで認めていたのは、1955年時点の優生保護法制定当初の厚生次官通達である。
ちなみに、現在の日本では、医学の進歩や、医師や関係者の請願や陳情によって、中絶可能な期間は、21週までに限定された。
今日では、中絶数も毎年減少傾向にある――

 ユルゲンの方は、マライの妊娠に全く気が付かなかった。
これは彼の性的経験が不足していたこともあるが、慣れない留学生活でマライが太ってしまったのも影響した。
彼女が、東ドイツ時代に比して5キロ以上太ってしまった故に、その発覚を遅らせることとなったのだ。

 有無を言わさぬ感じだったので、マライはユルゲンによって戦術機の前まで引きずり込まれてしまった。
この時、ホスト役のクゼ大尉は、彼女の微妙な変化に感づいていた。
 彼は既婚者で、尚且つ、レオンという1歳になったばかりの子息がいたためであった。
自分の妻という実例から、マライが妊婦であることを即座に見抜いた彼は、
ベルンハルト夫人(ガスパージャ・ベルンハルト)、貴女、妊娠してませんかね」
と、そっとかしこまったロシア語で耳打ちしたのだ。
 それは彼なりの心遣いであった。
東ドイツ人であるマライは、英語が得意でないかもしれない。
だから、コメコン諸国の公用外国語であるロシア語で話しかけたのだ。
「それじゃ、戦術機に乗せるわけにはいかないな……」
 さしものユルゲンも、自分のパートナーにロシア語で話しかけているクゼ大尉の事が気になったのであろう。
「どうなさったんですか。クゼ大尉(ルティナント・クゼ)
――米国英語における大尉は、陸海軍のどちらかによって変化する。
陸軍及び空軍、海兵隊の場合は、Captain(キャプテン)。海軍および沿岸警備隊の場合はLieutenant(ルティナント)――
「ベルンハルト君、君の奥さんは東独軍の将校だよね」
「はい、国家人民軍中尉(オーバー・ライトナント)になりますが……」
陸軍中尉(ファースト・ルティナント)か……航空機搭乗員資格は!」
 はっきりしないユルゲンの態度に業を煮やしたクゼ大尉は、搭乗資格について問いただした。
操縦士のみが資格を持っていれば、後部座席要員が無資格でも戦闘機に乗れるソ連や東欧の軍隊と違い、米軍を始めとしたNATO各国軍は、副操縦士でも射出座席の訓練を含めた搭乗員資格の所持を求められた。
 もちろん、半年前まで後方勤務だったマライは、そんな資格は持っていなかった。
戦術機の仕組みや簡単な作動方法など、ほかの女性将校よりは知っている。
だが、訓練学校卒業ではなかったので、正式な搭乗員資格は持っていなかった。
「マライは、持ってないでしょう」
「じゃあ、乗せられないな」
「ええっ!」
「ベルンハルト君、君は自分の大切な人を危険な目にさらすのかい?
F‐14に乗りたければ、私と乗ればいいだろう。違うかね」
「じゃあ、俺の事、乗せてくれるんですね」
「いいとも!じゃあ、滑走路まで行こうか」


 放っておかれたマライの元に、乳飲み子を抱えた一人の女性が声をかけてきた。
それはクゼ夫人で、彼女が抱えていたのは大尉の子息であった。
「素敵な彼ね」
「ありがとうございます。
貴女は?」
「クゼの妻です、どうぞお見知りおきを」
 彼女は、右腕で抱えていた子息を側にいた知人に預けると、
「お声かけ、わざわざありがとうございます」
「ねえ、彼とはどういう関係になるの」
 マライは、親切な日系人女性の質問に丁寧に答えた。
ユルゲンとのなれそめと、その関係を、仕事に差し障りのない範囲で、クゼ夫人に明らかにした。
「結婚してどれくらいになるの」 
「実は、まだ独身で……」 
「それじゃあ、駄目よ」
「どうして……」
「戦術機乗りでしょう、いつ何があってもおかしくないわ。
それに戦死した場合は、どうするの……。
残された未婚の母は、惨めよ」
 すでに夫人から掛けられていた言葉で、泣きそうな顔をしたマライは、
「どうしても」と聞いた。
「そう、どうしてもよ。
シングルマザーと未亡人じゃ、世間の扱いは違うわ」
 これはなにか、複雑な事情があるのかもしれない。
並んで立ったクゼ夫人は、それ以上の話はしなかった。
「思いっきり、泣いたらいいわ」
 その言葉が終わらないうちに、マライは泣きじゃくり、困惑するクゼ夫人の胸に顔を埋めた。
夫人はマライの背中を優しくさすった。 
 

 
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