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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
  少女の戸惑い その2

 
前書き
 冷戦時代から、ペルガモン美術館は東ドイツ観光の穴場でした。 

 
 さて、場面は変わって、ここはボンの日本大使館。
マサキは、大使公邸の一室に差し招かれて、密議を凝らしていた。

 大使は紫煙を燻らせながら、マサキに事のあらましを説明した。
「鎧衣から、話は聞いたと思う。
日本のゼネコンが、東ベルリンのミッテ区再開発事業に参加するのは事実だ。
その事前交渉をやってもらいたい。
急いでいるのは、西ドイツの企業連合が参加する意向を見せているためでね」
 駐西ドイツ大使館勤務の珠瀬(たませ)玄丞齋(げんじょうさい)は、
「ざっと、総事業規模500億円にもなる。
とても泣き寝入りできる金額ではないのだよ」
と熱弁をふるった。
 
 マサキは、ついに口をきり出した。
「どこへ行けばいい」
 大使をさしてである。
大使は、向う側の席から正視を向け、
「東ドイツの建設省と通産省、貿易省だ」
()いて、その顔を笑い作りながら、
「東ドイツに日本政府が融資した理由は、東西統一を見越しての事だ。
既に東ベルリンを数度訪れた君に言うのもなんだが……。
戦後復興の遅れた場所が多いのは、わかるだろう。
その不動産を出来るだけ、買いあさる。それが日本政府の目的なのだ」
と、至極、談合的に話かけた。

マサキが少し顔の色を変えると、珠瀬は笑って、
「返還後に日本企業が進出する。
後ろには東欧2億人の市場が控えているのだ。
ココム規制で、欧米の輸出が制限されている今、東欧市場への参入を図るのは必然といえよう。
したがって今の混乱期に多くの不動産を抑えて、既得権を主張しようというわけだ」
大使は、ちょっと、語気をかえて、
「無論、約束を守らないソ連の薫陶を受けた東欧の連中だ。
金を貸したところで、返済期限が来たら、居直って債務不履行にするのは目に見えている。
勿論、そんなことは絶対に許されることではない」
 マサキは、頷いて見せながら、探るように尋ねた。
「俺に、何をしろ……と」
大使の方は、もっと覇気(はき)があるだけに、マサキの横顔を、上座から凝視するの風を示していた。
「その話をまとめてほしい。
 アイリスディーナ嬢だったか……。
ベルンハルト大尉の妹と関係している君には、議長を説得することなど簡単な事であろう」
という大使の言葉に、たいがいなことは聞き入れるマサキも、
『正気か』と、疑う様な顔をした。




 マサキの東ベルリン訪問は、西ベルリン経由で行われた。
東ベルリンに直接乗り込む方法もあったが、会社と方法が限られていた。
 まずは電車である。
東西ドイツ間で運行された特別列車で、俗に『領域通過列車』と呼ばれる。
その車両は、ベルリン・フリードリヒ通り駅から西ドイツのハンブルグを往復した。
 ただ、途中通過する、東ドイツの駅ではドアが開かなかった。
許可証のない東ドイツ国民が乗り込まない為である。
 許可を得た西ドイツ鉄道警察隊と東ドイツ国境警備隊が乗り合わせ、国境を超えると同時にパスポート確認をした。
 その際、特例として、東ドイツ国民は亡命を申請することが暗黙の了解として認められていた。
 次に、アウトバーンと呼ばれる交通網である。
東ドイツの高速道路網は、高速交通を監督したソ連の意向もあって、ほぼ戦前のままだった。
速度制限はなかったが、道路予算の少ない東ドイツである。 
 西ドイツが資金援助した東ベルリンにつながる道路網以外は、道は穴だらけで、凸凹しており、かなり酷い状態のものが多かった。
文字通り、ボロボロだったのだ。
 また、東ドイツ交通警察の『ネズミ捕り』が、頻繁に行われていた。
速度超過と言う事で、ドイツ語に不慣れな旅行者から20マルクを度々徴発していた。
 不服を申し立てて、料金を払わないでいると、シュタージ第8局と彼らを監督するドイツ駐留ソ連軍の憲兵隊が来て、解放してくれる場合が多かった。
 もめ事を嫌う日本人旅行者の多くは、交通警察のネズミ捕りに応じて違反料を支払っていた。

 最後は、空路である。
東ベルリンのシェーネフェルト空港は、国際線に限って、西側の空港会社を受け入れていた。 
許可されていたのは、フランスのエールフランスである。
 その他にソ連のアエロフロートと、東側の航空路線が数社認められていた。
ソ連機に乗るのは、さんざんKGBと干戈を交えたマサキには除外される選択肢である。
 エールフランスの場合は、安全に東ベルリンに到達できたが、時間と費用が掛かり過ぎた。
西ドイツ国内上空を通過せずに、デンマーク上空を迂回する空路だった。
 
 以上の経緯から、マサキは一番安全で速い、西ベルリンのテンペルホーフ空港行きパンナム航空の便に乗ることにしたのだ。 



 西ベルリンのテンペルホーフ空港から、タクシーを拾うと市内に入った。
丁度朝の通勤時間帯であるためか、市街の道路はものすごい渋滞であった。 

 時折渋滞をかき分けていく、パットン戦車や装甲車などの米軍の車列を見て、
「あれはなんだ」
と瞋恚を明らかに、車夫へ問いただした。
「お客さん、あれは米軍の演習ですよ。
毎週抜き打ちで、通勤時間にやられるのでこっちは商売あがったりですよ」
「西ドイツ政府は何も言わぬのかと」



 彼をいらだたせたのは、渋滞ばかりではなかった。
チェックポイント・チャーリーの通過手続きである。
 今年(1978年)3月に、はじめて東ベルリンに入った時には集団行動であったので、その様な小難しい査証はなかった。
また9月に行ったときは、外交交渉の一環として入国だったので、国境警備隊もただ見守っているだけだった。
 
 個人の東ドイツ訪問客、とくに西ドイツ国民以外は、入国査証発行料、10西ドイツマルク(1978年当時、1西ドイツマルク=115円)を徴収させられる。 
 強制的に一対一の為替歩合で、20西ドイツマルクから20東ドイツマルクに両替(りょうがえ)させられた。
 そのことはマサキをいらだたせた。
西ベルリンの銀行では、4対1の為替歩合で交換され、一般的には物価の相場から5対1で両替された。
 東ベルリンに行っても、正直買うものがないのである。
東ドイツに在住しているわけではないから、商店や食料品店で買うものもないし、20マルクは使えなかった。
物価が5分の一の東ドイツで20マルクは100マルクに相当する。
 一人で来て、レストランで20マルク分の食事をするのは非常に面倒だった。
物価の安い東ドイツで、10マルク分の食事をするというのは、大変な事だった。

 
 
 アメリカ統治地区とソ連統治地区の境界にある検問所、チェックポイント・チャーリー。
そこでも、マサキをめぐる一波乱があった。
「ドクトル木原、入国の目的は通産省の訪問ですか」
「ああ、そうだ」
「次官のアーベル・ブレーメに合われるんですよね。では紹介状は」
 マサキは、正直、驚いた。
驚くべきことを、驚かないような顔はしていられない彼である。
「紹介状がいるのか。関係者に聞いたがそんなものは必要ないと言っておったぞ」
衛兵は鋭い眼で、マサキの激色を冷々と見ている。
「紹介状がなければ、訪問は認められません」
これは、警備兵の二度目の警告であった。
 マサキは、余りの答えに、慌てた。
その顔色に示された通り、怒りに駆られて、気持ちの遣り場にどうしようもないような恰好であった。
「アーベルとはすでに約束済みだ。シュタージなり、通産省なりに電話して確かめろ」
 国境警備隊を押しのけていこうとするマサキに対して、PPSH41短機関銃を向ける。
「動くな!撃つぞ」
マンドリンとして、日本人になじみの深い7.62ミリ弾を使うソ連製短機関銃。
製造から20年以上たったこの機関銃は、ソ連ですでに退役済みだが、東ドイツでは現役だった。

 双眼鏡で、検問所の向こうから見ていた米軍憲兵隊は色めき立った。
ベルリンの交差点のど真ん中で起きた、白昼の事件。
 しかも、非武装の旅行者に機関銃を向ける事態。
M14小銃を構えた米軍憲兵隊と、ピストルを取り出した西ドイツの警官隊が一斉に詰め寄る。
 
 騒ぎは、東西両方の警備隊長が出てくるまでの状態になった。
米、英、仏、三軍の警備隊や憲兵隊が集まり始めた中、乗り付けたパトカーが一台あった。
現場に着いたミヒャエル・ゾーネは、車から降りると、出迎えの国境警備隊将校が応対する。
 すると、チェックポイント・チャーリーの検問所のほうで、2,3発の銃声がした。
入国手続きをする旅行者が騒ぎを起こしたのかと、ゾーネはその方角に車を走らせた。
 見ると、ひとりの旅行者が、国境警備隊員に何事かわめいている。
警備兵が、短機関銃を空に向け、威嚇射撃をしても、なお前へ進みだそうとしている。
 案内役の将校は腰からピストルを抜き出し、
「言う事を聞かない奴は、さっさと逮捕するんだ」と、怒鳴り、ピストルを男に向けた。
「待ちたまえ」
 ゾーネが止めた。
彼は、揉めている男が、東洋人であることを認めたからである。
「ここへ連れてきたまえ」

 かくしてマサキは、事情を知らない警備隊に危うく逮捕されるところを、事なきを得た。
ゾーネの前に引き立てられてきた。

 マサキは、しばらく一人のシュタージ将校を見つめていた。
それは彼の知らない顔であった。
実際は、今年9月のベルリン訪問の際に会ったはずなのに、アイリスディーナの気を引くのに夢中で、他の者には全く注意を払わなかったのである。
 一方ゾーネは、目の前の男が、アイリスディーナやユルゲンに言い寄った男であることを知った。
脇に立つ警備隊長が、ゾーネに囁いた。
「この男は、用心した方がよさそうですね」
マサキは、高みからものを言った。
「貴様らは、何者だ」
傍まで来ている米軍憲兵隊に聞こえるようにドイツ語ではなく、英語だった。

「シュタージ中央偵察総局の者です」 
と、ゾーネは、威を張るような顔もせず、(かしこ)まって、
「木原マサキ先生とお見受けされますが、身分を確認できるものは……」
 急に丁寧な言葉になり、彼の差し出す証明書を受け取った。
そして念を入れて、調べたが、
「いいでしょう。貴殿は今よりご自由になさってください」
と、気味(きみ)の悪い()みを浮かべていた。
「ところで、木原先生とやら。
アイリスディーナ嬢のお味は、お気に召されましたかな」
マサキはふとゾーネに対して、(ひや)やかな感情を覚えた。
「婦人の権利拡大をうたう社会主義の東ドイツでは、その様に女を見るのか……」
「貴方は西側の人間だ。それにいろいろな浮き名も聞いております」
マサキは正直にいって、はやくその問題から話をそらしたいような顔をした。
「女を己がものにしたなどと、喧伝するのは、10代の小童(こわっぱ)戯言(ざれごと)
のぞき見公社の職員とはいえ、そこまで詮索するのは無粋というものよ」
と、マサキは少しも慌てずに言い返した。
ゾーネは、びっしと長靴を鳴らすと、車に乗り込み、走り去った。

 マサキは、後ろから二人の男の話声がするのに、気が付いた。
そして思わず、後ろから歩み寄って来た二人の男の姿を、振り返ってみた。
 男たちのしゃべっている言葉が、日本語で、なおかつ突拍子もないものだったからだ。
「これは困ったことになった。今度は本当で軍法会議ものだ」
「全くです。こんな街中で拳銃騒ぎとは……」
「こんな時に、よく笑えるものだね」
「鎧衣さん。こんな滑稽なことはめったにありませんよ」
 はてと、マサキはそれへ眼をそそいでいた様子である。
この時代の東ドイツには、東洋人、特に日本人は滅多に居ないからである。

 マサキは背広を着て、帽子をかぶった二人組を凝視した。
やがて、白銀と鎧衣であることが分かり、ほっとして、そばに歩いて行った。
()しからん話だろう。
俺が、東ドイツ政府に訴えて、あの警備隊員を銃殺刑に処してやる」
鎧衣は、理解し(がた)い顔をして、
「今の行動は、君にとって賢明とは思えないが……」
「賢明ならば、最初から、こんなところへ何も知らずに出かけてこないさ」
けれどマサキは、鎧衣の忠告に、易々(いい)として、甘んじるふうはなかった。
「だったら、なぜ来たのかね」
鎧衣はいったが、マサキは、むしろ喜ばない様子を示して、
「それについては、俺から直接、議長に伝えるさ」
と、心底のものを吐露するように、答えると、白銀はさらに、
「とりあえず、共和国宮殿に行って、どういう結末になるか、見物してみましょう」
白銀の脇で見ていた鎧衣の顔は、晴れ晴れとしていた。
「そのあと、ベルンハルト嬢の案内で、ペルガモン博物館の観光もいいですな」

 マサキは、二人をせかして、国境検問所を後にした。
3人は、周囲の喧騒を心から楽しむ様に、東ベルリンの街中を歩いていた。 
 

 
後書き
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